07 死なない狐と狩りの女神
その機体は、一点の曇りもない白亜色をしていた。既存のEAと造形がまるで違う。言うなれば『ヒトの姿をデフォルメして機械に落とし込んだ』ような異様な姿をしている。
すらりとしたフォルムは滑らかで女性的な印象をうける。バレットフォックスより大きい頭部には輝く薄青のカメラアイがふたつ。その瞳がじっと俺を見据えている。
通信越しに聞こえた声を俺は間違えようがない。
機体を操縦している者は、アルテミスだ。
頭が追いつかない。なにが、いま何が起きている。
アリーナにフィンチの声が響く。嬉々とした口調だ。
〔いかがかなルナール君。わが社の最新機ネオフレームは〕
「……ネオ、フレーム」
〔そうさ、いまでは旧Gと呼ばれている旧ゼネラル・テクノロジ社が社運を賭して研究開発をおこなっていた新兵器だ。前時代的なEAを置き換える新たな巨躯兵器の規格――基枠となる存在。合併されたあとも我われは研究を続け、ついに量産化にこぎつけた!〕フィンチは力を込め語った。
〔人間を介さない完全自律型、整備の手間がないシンプルな構造、まったく新しい駆動システムにそして武装……すべてが革新的な技術に満ちている。いま君のまえにある機体は量産型をより改良した特別機。他社の人工知能ユニットさえも接続できるようにした、つまりはユニットの受肉機だ〕
〔ネオフレームを自律行動させるのがこれまた大変だったんだが……、大いに助かったよ。君たちの働きには感謝しかない〕
「……まさか俺の戦術データを。貴様よくも!」
俺の戦闘に関する記録はマルセルが始めたものだが、座を奪ったフィンチはそれを新兵器の材料にしていたということか。完全にダシに使われたことに苛立ちを抑えきれなかった。
しかし、同時にわからないことがある。白亜の機体に乗るアルテミスだ。
「アルテミス……お前、どうしてその機体に。もしやプログラムをいじられて――」
『いいえルナール。彼らは何もしていません。すべて、わたしの意思です』
マスタではなく、ルナール。俺をそう呼んだ彼女は続けた。
『わたしは、ずっと望んでいたことがありました。ルナール、あなたと戦いたい。相棒としてではなく、敵として、いちパイロットとして……。叶うわけがないと理解しつつ、それでもずっとわたしは戦いに、あなたに憧れていました。そしてきのう、フィンチに言われたのです。「我われの機体に乗らないか」と』
『悩んだのは一瞬だけ。決めたいま、悔いはありません』アルテミスは、一歩前に踏み出る。
青く透き通った瞳で俺を睨みながら。
『旧G社の彼らに、あなたが語ったことは秘匿しました。だって必要もありませんから。あなたは大いなる伝説を残したまま、このアリーナで堕ちてもらいます』
〔フッ、そういうわけだルナール君。懸念材料だったクラッキングをせずに済んで我われは安堵しているよ。まさか支援ユニット自らが闘争を望んでいたとは〕フィンチは続けて言う。
〔君から得たこれまでのデータはネオフレームの構成物として永久に残り続けるわけだ。私はきのう言ったよな。――伝説は後世に残さないといけない、と。……新たな時代に立ち消えてこそ伝説は伝説になる。マルセルが掲げた、『EA乗りとともに生きる自由な世界』なぞという世迷い言を私は絶対に認めない。このネオフレームを用いて我が企業がすべてをにぎり、EAを根絶やしにしてやる。ルナール、お前もだ!〕
かすれた怒号、激しい語気。その異質な憎しみが込められたフィンチの声色は、しかしすぐに潜んでいた。
〔おっと、すこし熱があがったな。ははは……『死なない狐を、狩りの女神が殺す』。じつに良き終焉じゃないか。ルナール殺しのネオフレーム、このコピーは売れるぞ〕
「……狂ってる」
『いいえ。誰しも狂っています。これがいまの世界です』
『始めましょう。……ようやく夢が叶う。あなたたちの世界を、わたしは見ます』
白亜の機体――アルテミスの背中と脚部から薄青色の炎が伸びる。EAの推進器よりはるかに長い寒色の炎によって、彼女はふわりと浮きあがる。
彼女の俺に注ぐ眼差しは、対峙したパイロットたちとおなじ、まさに狩人のそれだ。
もう戻れない。操縦桿に力がこもる。
悟った。戦うことだけが、選択肢と。
『戦闘を開始します。敵目標、バレットフォックス、ルナール機』
アルテミスが、構えた右腕から青く光る弾丸を連射する。ばら撒かれるそれをルナールは推進器の方向転換で避け続ける。
後退と上昇、左右、上下……直撃は回避しつつもすべてが間に合うぎりぎり。ルナールもアルテミスへ突撃銃の白熱した弾雨を叩き込もうとするが、その全弾が、軽い動きで避ける彼女のうしろへと流れていく。
……すべてが速い。照準が間に合わない。
八の字状に回避するアルテミスにかろうじてロックオンを済ませる。三発のミサイルを飛ばす。
大きく弧をえがき回り込もうとする鉄の矢は、だがしかしアルテミスに届くまえに爆発した。
爆煙はすぐに晴れ、そして白亜の機体の周りには、まるで欠けた環のように配置された五つの青い光が浮かんでいた。まさかあの欠けた分がミサイルを落としたのか。
アルテミスが腕を伸ばした途端に、光の塊五つがルナールへと迫りだす。青色の帯を引きながら光たちはその軌道をふくらませ、全方位の挟撃を図る。
ルナールは機体を右にずらしつつその身をよじる。襲う光塊の帯たちは、狐色の機体に衝突することなく交差。背後の壁にぶつかった。回避のさなかにアリーナの壁を見やる。光の塊が撃ち込まれた壁に銃痕はなく、そこには高温の揺らぎをまとう赤色の点が五つある。
「……エネルギー弾か」
鉛弾と爆薬をつかわない次世代の超高温弾。噂には聞いていたが誘導性さえあるとは……。次世代機を謳う機体だ。彼女の武装はすべてがエネルギー兵器と考えて良いだろう。バレットフォックスの電磁シールドがどれだけ効くか未知数だ。
空中でアリーナを滑空するなか、ルナールめがけ不意撃ちの直進弾が飛び込む。右腰に衝突した二発がバレットフォックスの着弾部を赤く染めた。
HUDの計器を見る……電磁シールドの減衰七〇パーセント、熱暴走寸前、ダメージは――
『敵目標、推定ダメージ二三パーセント』
「くっ!」
シールドの回復作業と冷却装置を最大出力にする。
あれだけ饒舌だったフィンチの声がいまでは聞こえてこない。やつは俺たちの戦いを高みの見物でいるはず。
だがこんな状況でも俺はまだ迷っていた。彼女に、連れ添った相棒に照準をあわせることを。
それでも、俺はやらなければ。伝説の男を騙った俺がここで死ぬわけにいかない。
アルテミスは左手から、ブレード状の青い光を伸ばし迫ってくる。
スピードが速い。間に合わない――
とっさに右手の突撃銃を捨てて、アルテミスが振り下ろしたブレードをつかむ。右手アームが赤く熱を帯び始める。
しかし、アルテミスは右手に止められたブレードをオフにする。邪魔な右腕をすり抜けたうえでブレードを再起動。袈裟懸けに斬りつける。バレットフォックスに赤い線が刻まれた。
続いて繰り出された突きをルナールは右へ避けた。電磁砲を撃ちながらアリーナの地面に降り立つ。
『敵目標、電磁シールド九〇パーセントの減衰、ダメージ増加とみなします』
アリーナの林立する柱にまぎれながらルナールは疾走する。ビル群のような場所を縫うようにその隙間から電磁砲を放つ。
流れていくビル状構造物の合間からは、火花を散らす白亜の機体が見える。
しかし、接近してきたアルテミスは青色光のブレードを引き出した。長さは先ほどの比ではないほど長く、輝きも強い。
白い腕がブレードを横にひと薙ぎする。その刹那、ルナールを隠していた林立する構造物は一気に両断された。狐色の機体は露わになり、続けざまに崩れる構造物のなかをルナールはかろうじて駆け抜ける。
ひらけた視界に、迫る白亜の機体。青色光のブレードにルナールは高周波ブレードをぶつける。
高温同士の鍔迫り合い。互いの力が拮抗する。
だが、しだいに高周波ブレードが軋みの悲鳴を上げる。
もはや抗えない。……どうすればいい。どうすれば。
刃同士が離れ、アルテミスのブレードがふたたびオフになる。右方向へ急いで推進器で回避する、
『――だと思いましたよ』
アルテミスの左脚がバレットフォックスの横腹に襲いかかる。蹴り飛ばされた狐色の機体は、宙を舞う。
むこう側の壁へ当たる直前で推進器による制御を終え、力なく壁に巨躯を委ねる。衝撃で意識が飛びかけながら……。
――おいマルセルなんだこのでかい部品は。バレットフォックスに入れる気か?
私たちの技術の結晶、戦闘支援ユニットのアルテミスだ。搭載後、初起動時からお前は彼女のマスタになる。
また変なものを。どうせ俺の監視用だろ。
兼ねているのは事実だな。だがお前の力になる。
私にとって娘のような存在だ。どうか、大切にしてほしい――
死を意識したのか、当時の出来事がよぎっていた。
明日で三年になるわけか。ずいぶん遠いところに行ってしまったようだな、アルテミスは。
しだいに戻りつつある意識は、去来する記憶の数々を薄れさせていく。
けれども、
――期待していますよ、マスタ――
あのときの言葉に、俺は気がついた。
『一〇秒経過、動きなし。……これまでのようですね』
アルテミスが左腕を構える。青色に輝くエネルギーの塊は、彼女の手元で肥大化する。
『いままで、ありがとうございました。――っ?』
薄青のカメラアイに相手の推進器が火を噴くのを認めた。すぐさまエネルギー弾を放つ、しかしバレットフォックスは急発進で回避、その機体はアルテミスの左へ、つまりルナール視点の右へと進んでいく。
『また、ですか。戦うのなら結果はおなじです』
上昇し、旋回を続ける狐色の機体はアルテミスに電磁砲を撃ち込んでいく。
避けるアルテミス、時おり着弾する一撃に火花が舞い飛ぶ。
アルテミスの撃ち出した直進エネルギー弾を回避したルナールは、彼女へと迫っていく。
青色光のブレードを伸ばし、アルテミスは右腕を振りかぶる。エネルギーの出力を引き上げて。
ルナールのブースターがかすかに動いた。回避行動を読んだ、方向は――
ルナールの、右へと振り降ろした。
『……っ!?』
そこには、狐色の機体はなかった。
スリット状の赤いカメラアイは、左側にいた。
無防備なままでいたアルテミスの右腕をバレットフォックスは掴む。白亜の機体が弧を描く。ルナールが彼女を振り回すことによって。
狐色の機体は手を離し、同時に高周波ブレードが彼女の右脚を斬る。アルテミスはアリーナの地面へと勢いのまま叩きつけられた。
白亜の機体は、右脚部をつけ根から切断されていた。仰向けのまま動けなくなったアルテミスに、ルナールは近づく。
狩りの女神に、言った。
「満足かアルテミス。……これが、お前の『目的』だったんだろう?」