05 マルセルの城
風が吹く星空にローターと推進プロペラの音が響いている。狐色の機体をワイヤで吊り下げ、輸送ヘリは飛行を続けていた。機体修理のためと本部からの要請もあり、移動先は遠い。ルナールはバレットフォックスのコックピットにいる。砂漠地帯をとうに抜け、外は山と平野がひろがる地域になった。人工の明かりがぽつぽつと地上を流れていく。
アルテミスが話しかけた。
『現在の時刻、二〇時ちょうどになります。目的地への到着予想時刻は二三時ごろに……。聞いていますか、マスタ?』
「……ん、ああ、すなまない」
『大丈夫なのですか。やはり変ですよ』
心配をしたアルテミス。頭上のヘリからも通信がはいる。
〔俺もお嬢さんとおなじく気になりますぜ。ルナール、きょうあんたはずっと無口だ。何かあったのか?〕
『お気遣い感謝しますサイモン氏。しかしながら今件はわが社の秘匿事項です。また、何度も言いますがわたしをお嬢さん、などと呼ぶことはやめていただきたく。わたしは支援ユニットですので』
〔へいへい、わかりやした。……こりゃ頭の固えお嬢さんだこと〕
アルテミスは黙る。サイモンという男が、彼女は苦手だった。
サイモンは続けた。
〔まったくよ、あとから入ったのにしれっと馴染んじまって。この女声がいない最初の二年間が、ほんと懐かしいぜ俺は〕
『……二年間? あなたとルナールの付き合いは、もっと古いものと踏んでいましたが』
〔いんや、違う。悔しいがな〕サイモンはため息をつく。
〔ルナールと出会ったのは五年前なんだ。ええと、ちょうどバレットフォックスがふたたび表舞台に現れてすぐのときでよ、〕
「サイモン、もういい。操縦に集中してくれ」
彼のひと言にはどこか鋭いものがあった。サイモンは〔へいへい〕と返し、シートにもたれる音が聞こえる。
〔ほんとあんたは昔話を嫌うよな。話したこともない〕
サイモンの言葉に、アルテミスはカメラ越しにルナールを見つめる。
ルナール自身も、その視線を感じていた。
時刻が深夜二三時をまわったころ、まだ距離はあるものの、眩しいほど無数に明かりが集まった場所が見えてきた。広大な敷地を占めるように建つ、堅牢な外観の建造物がそこにある。
I.I社・第二支部基地――ここが目的地だった。
基地のサーチライトたちに照らされるなか、狐色の機体は地下ドックの入り口、昇降装置の床にゆっくりと両足をつける。懸架するワイヤーがはずされ、輸送ヘリ乗りのサイモンはルナールに挨拶をして基地を飛び去っていった。
『移動お疲れ様でした』
「ああ、ありがとう」
ゆっくりと背伸びをしてみる。だが、気休めにしかならないとルナールにはわかっていた。
――地下ドックへと運ばれるバレットフォックスから降りて、基地内の廊下を歩いていく。操縦時のスーツ姿でいるために目立ち、すれ違った職員たちはみな振り返る。「伝説を作ったあの男だ」とか、「目が合った」とかいう色めき立つ声が、俺の背後から聞こえる。
彼らが送ってくれる好意的な視線はここにきた三年前とほとんど変わらない。だがそれを、俺はやはり素直に受けとめられなかった。
きょうはよく考えごとをしている。作戦時も輸送される時も……アルテミスに心配をかけてしまうほどに。だがそれは、きょうに限ったことじゃなく、いつも頭の隅にあったことだ。
あのマルセルが死んで半年、俺はとあることを決めかねている。彼がいない今この企業でもはや親しい間柄なのは、アルテミスだけ。
『人気者ですね。マスタ』
振り返る職員たちの反応に、アルテミスは首もとで俺に語った。俺はふだん通りの口調でそれに応えた。迷いを悟られぬように。
彼女にいつかは話すべきなのだ。生みの親のマルセルは知っていた、俺のことを。
……アルテミスは俺に失望するだろうか。
強化型七〇二式のパイロットが最期に言った言葉が、頭をよぎった。
そんなときに向こうから見覚えのある男がきた。俺のコードネームを口にして冷たい笑みをうかべながら。取り巻きを四人ほど従えている。
「やぁルナール君。作戦ご苦労だった」
ノエル・フィンチ――I.Iの現社長だ。痩せた体格を着飾るぴかぴかの黒い背広と横に流した髪型は、おそらくいつもの取り巻きがいなくともすぐに見つけられるだろう。
俺は上っ面だけの丁寧な口調で話した。
「どうも。珍しいですねフィンチ社長。あなたが第二支部の基地にくるとは」
「すこし用があるんだ。とはいえここにきてもう三週間か」フィンチは退屈そうに眉尻を下げる。
「前社長の古巣、……この基地はまったくもって無粋なところだな。さすがは、ぽっと出のワンマンらしい城だよ」
顔をゆがませるフィンチに、俺は黙ったまま彼を睨んだ。
この第二支部基地は、約半年前まで『本部基地』の名前をもつI.Iの拠点だった。しかしマルセルが死んで格下げとなったのだ。経営陣も体制も、文字どおり一掃されたことによって。
I.I社ことインペリアル・インダストリズは、マルセル前社長が八年前に起業した旧K社と、フィンチらが所属する巨大企業の旧G社が合併したことにより生まれた企業だ。新参ながら破竹の勢いだった旧K社が、新規事業に失敗し極度の経営難だった旧G社を誘ってI.Iは立ち上がった。基本的な経営と製造はマルセルの旧K社側が、巨大企業だった旧G社側は長年広げてきた販路や研究開発を担い、双方のノウハウを共有する。I.Iは盤石の地位を得た。
だが当時の社長マルセルを快く思わない人間が旧G社側に大勢いた。旧G社のプライド、経営方針への不満……渦巻くものはさまざま。彼らの筆頭になったのがフィンチであり、フィンチはマルセルの死後、その機を見逃さなかった。
いまのI.Iは経営もなにもかもを旧G社側が手中におさめている。マルセル前社長が築いたものはほとんど取り払われたと言って良い。彼らの経営色は今後さらに強まっていくはずだ。
この基地は当時の旧K社が本拠地としても使った、いわばマルセルの城だ。
フィンチの目には相当嫌な建物として映っているだろう。そして、マルセルに取り立てられた俺にも然りだ。
「ようやく例の件も目処が付くようになった。今回も君の作戦で得た戦術データは資料としてありがたく頂くよ。伝説は、後世に残さないといけないからな」
「……フィンチ社長。その用件とはなんです?」
「ふっ、また伝えるさ。もう寝たまえ」
ニタリと笑ったフィンチは俺の左肩に手を置いて、そのまま取り巻きとともに通り過ぎていった。
彼らがいなくなったことを確認した俺は、左肩に残る感触を手で払った。
『素直な反応ですね』
「お前も黙っていただろう」
俺はアルテミスに言った。彼女はマルセル謹製の戦闘支援ユニットだ。フィンチにとっては忌々しい存在、と同時に喉から手が出るほど欲しい技術だろう。
しかし彼女の設計図もプログラムも、マルセルとその部下が独自に組んだもので、資料はすべて処分済み。彼らが手出しできないブラックボックスと化している。
「さあいくぞ」
俺たちは廊下を進んでいった。
廊下を抜け、第二支部基地で俺に割り当てられている休憩室に入った。長いソファーやテーブルがある少し広めの部屋だ。
遠征が続いたためここに帰ったのは一ヵ月ぶりだろうか。我が家のような安心感を俺は感じている。
仮眠もできるソファーに何気なく腰をおろす。だがすぐに立ち上がった。決めたんだ。きょうは落ち着くわけにいかない。
「すまんアルテミス、お前と会話する回線以外の通信を遮断してくれ。休憩室とつながるものぜんぶだ」
『承知しました。……しかしなぜです?』
「いいからやってくれ」
アルテミスは怪訝な反応をしたが、俺の言うとおり自分以外の回線を遮断してくれたようだ。地下に格納されたバレットフォックス経由で会話するアルテミスがこんな芸当をできるのは、第二支部基地がマルセルの城であるからに他ならない。
ソファーから離れ、俺はテーブルに近づく。一枚の写真がそこに立て掛けてある。ドック内のバレットフォックスを背景にして俺とアルテミスの端末、そして『白髪混じりの男』がうつった写真だ。
この男がラウル・マルセル。
唯一、俺の過去を見抜いた男だ。
『あらためて伺いますマスタ。なぜ外部との通信を絶つのですか』
「……お前だけに話したいことがあるんだ。マルセルは知っていた、だからお前にはいつか明かすべきことなんだ」
「アルテミス。俺は、あの伝説の『ルナール』じゃない」