面接
「どうぞー」
「失礼します」
ドアを2回叩くと、中から大きな声が聞こえて私はドアを開けた。
「……11時にお約束していた、朝妻もみぢです」
高3の夏に受けた就職セミナーの面接シミュレーションを思い出しながら中に入る。あの時は18歳、今の私は34歳。あまり細かいことは憶えていないのだが、私は今、上手にできているだろうか?
――夫が失踪しておよそ一ヶ月が経過した。
しかし現在の私は書類上、以前と何も変わらないごく普通の既婚女性である。だからといって収入の面まで、これまで通りというワケにはいかない。夫からの収入は望めない分、私は今までのアルバイトより高収入の仕事を選ばなくてはならなくなった。私はこれから、息子を1人で養っていかなくてはならないのである。
失敗や挫折の連続で殆どスキルらしいものを習得してこなかった私が、たった一つ持っているものがこの大型免許である。トラックの運転なんて考えただけで死ぬほど怖い。けれど、20代のあの頃よりはいくらか落ち着いて、自分の不注意や緩慢さを抑えることが出来るようになってきた。何より息子を1人で養うためには、私はこれを職業にするより他ないのである。
ここは地元の小さな運送会社『典正サービス』本社オフィスだ。従業員は3名、一般の小包は取り扱わず、業務内容は製函会社『ミルフィーユ紙工業』の商品輸送のみ。
前もってネットで地図を調べてきた所、ミルフィーユ紙工業の本社と支社は田舎ながらも幅員の広い市道沿いに立っており、その間は2桁台の国道で結ばれている。本社と支社を行き来するだけなら広い道しか使わないので、運転が下手な私でもトラックを走らせることが出来そうである。
典正サービス本社オフィスは、決して大きな建物ではない。しかし会社の規模から考えれば小さいとも言えなかった。
入り口に入ってすぐの所にテレビと応接セットとドラセナ・マッサンゲアナ。私の背丈ほどの高さの衝立をはさんで向こう側はねずみ色のキャビネットや事務机など、いかにもなオフィス家具がずらり並んでいる。ところで社員が3人しかいないのに事務机が5台も置いてあるのは何かのギャグだろうかなどと、余計なことも考える。
「入社希望だったね。履歴書は持って来た?」
作業服を着た背の高い男性が応接セットの最奥の席に座っている。どうやら彼が今日の面接官らしい。ソファに深く腰をかけて随分砕けた調子で話しかけてきた。
「はい、こちらに!」
私の方はと言うと緊張のあまり無駄に大きな声を出してしまう。まさか、入り口くぐったその場で面接がはじまるとは思わず焦る。
私はハンドバッグから履歴書の入った封筒を急いで取り出すと、丁寧に見えるようにそれを両手で持った。そして、何も無いところでつまづかないように足下に注意を払いながら、応接セットの外側をまわって面接官の所まで歩いて行く。履歴書を手渡せる距離まで残り1メートルという所で、私が顔を上げると、面接官の強烈な視線と私の視線がぶつかった。
――おっ、と
私は思わず一歩下がった。
面接官は近くで見ると、相当のイケメン親父おやじであった。それも漫画でしかお目にかかッたことが無いような大人の色気たっぷりの長髪イケ親父である。その程よい顔の小ささと、キリリと整った眉毛、美しく伸びた鼻梁……個人的にはこれだけでもイケメンと呼ぶには十分なのだが、上品な二重まぶたとくっきりとした涙袋の合間から覗く存在感のある黒目は、その視線だけで生娘を殺せそうだ。着ているものこそ作業着だが、何故こんな美男が芸能事務所では無く地方の小さな運送会社で面接をしているのか甚だ疑問である。と、まぁ。そんなイケ親父に穴が空くほどガン見されて私の方がたじろがない訳がない。
――だが落ち着くのだ、私。そしてよく考えてみろ、私。
こちとら酸いも甘いもかみ分けた三十路過ぎの主婦である。簡単に甘いマスクに惑わされはしない。それに今のは恋やら愛やらの熱を帯びた眼差しでは無かった。『面接官』が『入社希望者』の一挙手一投足を細かに観察する、という当たり前の行為だったはずである。たぶん。
気を取り直して、私は試験官を見つめ返した。
「こちらが履歴書です」
面接中の私は、言ってみれば会社が欲しいと思う人材を演じる女優だ。
観客である試験官には好きなだけ猫をかぶった様子を見せてやれば良い。試験官なんて所詮カボチャなのだから。そして、カボチャがいかに美しかろうと私には関係ないのだ。
私は履歴書入りの封筒を持った両手を前ならえの様に差し出し、軽くお辞儀をした。
「合格。明日から来て」
?
封筒を受け取りながら、試験官がおかしなことをさらりと言った。
いくらなんでも採用の判断が早過ぎる。まさかブラック企業なのだろうか?
……ブラック企業では肉体や精神を病んだ社員が次々に離職するため、いつでも人手不足だと聞く。ろくに精査せず希望者を入社させる所も多いという。
「……履歴書はご覧になられないのですか?」
全力で訝しみながらも、当たり障りの無さそうな質問だけ口にする。
「……そうだな……早まった、履歴書を検めよう」
早まったとは?
面接官は、封筒から履歴書を取り出した。
ここはどうにも居心地が悪かった。オフィスの中にこの面接官以外の社員がいないのだ。たとえこれがビジネスシーンだとしても、そして私が所謂イイ女というヤツじゃなくても、初めて会う男性と二人きりと言うだけで身構えるのは性分なのである。その上、破壊力抜群のイケメンの目力でガン見されたとくれば、それだけでとんだ圧迫面接である。
入社面接は基本的に「入りなさい」と言われなければ部屋に入れないし「座りなさい」と言われなければ座ることも出来ない。発言だって、挨拶や礼以外の言葉は基本許可待ちで行うものだ。だが、どうにもこの面接官の側に控えているのは気まずさがあり、私は気づくと踵を返していた。因みにこの会社の応接セットは、長方形のローテーブルの四辺をそれぞれ1人掛けと3人掛けのソファで囲む形に配置されている。面接官はその中の最奥、上座側の所謂『誕生日席』にいる。なので、受験者は何か言われるまでその正面にある下座の『誕席』あたりまで下がっていてもそれほど不自然では無いハズである。
ところが、私が下座に向かって一歩踏み出すや否や、面接官が焦るような「ちょっと待った」という声をあげ、私の左手を強く握ってきた。前方に踏み出す力と後方に左手を引っぱられる力とが反発し、私の体はバランスを失う。
どっしゃー
左向きに半回転しながら私の体は盛大に床に崩れ落ちた。いや、顔面だけは面接官の座っているソファの肘おきにめり込んだ。
「あっちゃー、大丈夫かい?」
と、面接官。
完全に他人事だな、この面接官。
私は転んだ際に無様に開いた足を揃え、太ももの下の方までまくれ上がったリクルートスーツのスカートを直しながら怒りを堪えた。もし私がもうちょっと美しければラッキースケベ的な何かだったかも知れないが、現実ではただの恥ずかし損である。そしてもし、私が物語のヒロインであれば王子様が転ぶ前に背中を支えて助けてくれただろうアクシデントも卒無くソロでこなした。――私、偉い。でも全身痛い。
「やぁ、ごめんね」
面接官はソファから立ち上がって、私に助けの手を差し伸べた。
「……」
親切ぶってるけど私が転んだのお前のせいだって忘れてないからな、と思いながら私はその手を取って起こして貰う。
「さっき、合格だって言っただろ?」
「は?」
かけられた言葉に、思わず怒気を孕んだ不躾な声を上げてしまう。しかしもっと不躾なのは面接官の方だった。彼は私の脇の下にすっと両手を差し込み、子どもを抱き上げるように持ち上げた。
「◎△×□~~~~!」
私は言葉にならない叫びを上げる。しかし面接官は我関せずといった様子で、子どもを高い高いする要領で天井に向かって高く翳した。……本当に高い!高いから!やめれ!
「だからさ。今さら、逃げられると思わないで欲しいんだよね」
そう言って面接官がふんわりと目を細めて笑った時、私はジャパニーズホラーのようなじわじわと迫る得体の知れない恐怖を味わったのである。
――ブラック企業確定。
きっとこの会社は労働基準法違反で社員を使い潰してる上、パワハラとセクハラのてんこ盛りに違いない。
「……私を下ろせ」
あまりのことに、私の目からは涙がはらはらと溢れ出した。
これはなかなか理解して貰えない話なのだが、私は感情が高ぶると、喜怒哀楽関係なく涙が出てしまう体質をしている。
何が言いたいのかというと、――私は、今、超絶に怒っていた。
「早く、下ろせっつってんだよ。このタコ!」
私の声を聞いてか、涙を見てか、面接官はそれまでになかった焦りようで、私をすぐ近くの長椅子の上に下ろした。
***
「――で?あなた、なんなんですか?」
すっかり反省しきりの私は態度を改める事にした……悪い方に。
息子を養うため、息子の幸せのために志望したお仕事である。私を使い潰して、息子を不幸にするような会社に入社する気はない。こんな面接官に慇懃な態度を重ねてきた自分が情けない。
「社長の黒瀧だ……」
面接官はさっきまでの態度が嘘だったかのように、元いた席で小さくなっている。
一方の私は長いソファにこれでもかという程尊大な態度で座っている。
「では、黒瀧さん。何故、私が採用なのか教えて下さい」
「……ちょっと、焦りすぎた」
「答えになっていません」
「……」
黒瀧は何か言いづらい事でもあるように、言いかけては口を噤むような様子を見せている。
こういう時の対処法は簡単である。WH疑問文で答えられないなら、Yes/No疑問文で答えやすくしてやるまでだ。
「ズバリ、あなたの会社はブラック過ぎる労働環境で社員がすぐに辞めてしまわれるのではないですか?」
「……そんなつもりはない。他の社員に聞いて貰えれば分かる……そうだ。給料はなるべくはずむようにする」
給料はずむの所で、思わずガタッと立ち上がりそうになるのを堪える。
「では、私のような人材が御社には必要という解釈で宜しいですか?」
「……そうだ」
「まさか顔採用ですか?」
「それは違う!」
これは即答、――分かってて聞いたけど、ちょっと殴りたい。
顔採用というのは、面接官が受験者の実力の優劣ではなく顔面の良さで採用を決定する事である。セクハラ云々が厳しく言われていなかった時代には、社長が愛人として囲い込むためにあえて美女ばっかり採用した企業もあったそうだ。
当然、私は美人というワケではないので、はじめから顔採用などの路線で採用はあり得ない。それならば何故、黒瀧はこの会社に私が必要だと言うのか。黒瀧の私に対する言動を考えると、顔採用ぐらい、訳の分からない理由の方が逆に簡単に説明がつくのだが。
ブラック企業だと分かった時点で面接を中断して帰る事はできた。しかし、黒瀧はさっき私が少し離れようとしたら手を握ったり、抱き上げたりしてきた。――あれは本当に怖かった。この世には、イケメンに手を握られるとか抱き上げられるとかで喜ぶ主婦もいるかも知れないが、私はどちらかというと夫以外のイケメンとは握手もしたくないし、もっと言えば液晶画面から出てきて欲しくもない派である。ああいうのは、御免被りたい。――そんなわけで、私は無理に逃げるのは止めて、これでも穏便に不採用になって家に帰して貰う手段を探っている所だったりする。
「……全く、これじゃどっちが面接官か分かったもんじゃ無いな」
黒瀧が自嘲するように呟く。
そう言って少し項垂れてる黒瀧の斜め45度の横顔は、美しい鼻筋と少しだけ伏せた睫毛が強調されて大変美しい。だが、こちらにはその憂い顔に全く需要が無いので、そんなスチルを供給されても困るというものである。
「……そうですね。なんならたった今、不採用をご案内下されば宜しいかと」
さあ、ムカついて不採用を言い渡しなさいと言わんばかりの私。
相対する黒瀧は大きな手で自分の後頭部の髪をガシガシと掻き乱している。見ている限り、私と同様、黒瀧も憤懣がたまっていて苛立っているご様子だ。
「いや、それは出来ん」
それでも尚、彼が私を不採用にしない理由に心当たるものが何もない。
「では、私の方から辞退いたしましょうか?」
「――松浦もみぢ」
黒瀧が少し食い気味に名前を呼んだ。
私の心臓がびくんとはねる。
松浦。それは朝妻以上に、長きに渡り私が慣れ親しんだ姓だった。
先ほど、私は確かに朝妻もみぢと名乗ったハズだ。
ならば履歴書を書き損じたのか?この会社に就職しないことを考えれば大した失敗ではないのだが、前もって何度も確認した履歴書が間違っていた事は純粋に悔しかった。
「松浦もみぢ。面接のアポの電話を貰った時点で、もしかしたら、同一人物じゃ無いかと予想はしてたんだ。君はこの会社の創立当初からずっと目をつけていた人材だ。――だから、これは懇願だ。怒らせるような事をして悪かった。どうか我が社に入社して欲しい」
そう言って静かに黒瀧がローテーブルに置いた私の履歴書には、間違いなく朝妻もみぢという名が記されていた。
【2桁台の国道】
元・一級国道。国にとっては大事な道だが、道幅が広いとは限らない。
【ドラセナ・マッサンゲアナ】
観葉植物。幸福の木。主人公は正式名称を植木屋のバイトの時に憶えた。
【顔採用】
顔の綺麗な人が優先的に採用されること。どこかの会社には本当にある。