私の前世(中編)
16歳。このまま家にいても継ぐものが何も無かった私はついに家を出ることを決意した。兄弟が耕地や収穫物を分け合って生活すれば、いずれ今よりも困窮する未来が目に見える。私はお義姉さんが双子を出産して以降、村内の大人とよく話をするようになり、世の中には冒険者という誰にでもなれる仕事があると知ったのだ。
ある日の晩、私が自分の決意とかくかくしかじかを食事の席で伝えると、お義姉さんは突然席を立って寝室に駆け込み、そのまま籠もって幼児のように泣きだしてしまった。これには私だけでなく、幼い3人の子どももビックリしていた。
しかし翌日、何事も無かったようにお義姉さんは簡単な書簡と、革袋と、少しの金子とを持たせて私を隣の村に送り出した。まだ準備も出来ていないし、旅立つには早すぎると思ったが、長子の嫁であるお義姉さんには素直に従う。
行き先は隣村にある2本の煙突から煙を出している赤い茅葺き屋根の家だと言われていた。
到着して書簡を渡すと、そこがお義姉さんの生家であることが分かった。その家の主は、現在、お義姉さんの実のお兄さんで、まだ一人前とは呼べない私のことを丁寧にもてなしてくれた。書簡に何が書かれているか、私には断片的にしか分らなかったが、実はお義姉さんのお兄さんも断片的にしか理解できないのだと、頭をかいていた。
お義姉さんのお母さんにあたる人が、鍋で軽く暖めたミルクをカップに注いで私に出してくれた。それから私は促されるまま、お義姉さんの生家の人たちに結婚してから今までのお義姉さんのことをぽつぽつと話しはじめた。お義姉さんの家族は、私の話を日が暮れるまで聞いた。子どもたちが生まれた話なんかはとくに、本当に嬉しそうに涙を流して聴いてくれた。
それから夕飯をごちそうになり、今度は寝るまでこちらの村の事情を聞くことになった。
お義姉さんはこの村でも評判の美人で、幼い頃から皆に愛されて育ったのだという。
15歳の頃、隣の町の商家の息子に見初められ、結婚が決まった。恋愛感情とかではなく先方の方が家格が少し上なので、我が家にしても娘にしても、断る理由が無かっただけだ……と言い訳のような説明をされたが、そこまでうちの兄に気を遣った話し方をする必要は無いと私は思う。
最初の嫁ぎ先ではなれない読み書きや計算をしなくてはならず苦労はしていたものの、そこでもお義姉さんは大事にされていた。しかし美しさが災いし、お義姉さんの最初の旦那さんは結婚して間もなく、その従兄弟に当たるならず者から殺害されてしまった。
犯人が分っているのに証拠は無く、このままだとこの国の慣習としてはお義姉さんは婚家の歳近い別の男性にレビレートされる。その場合、第一候補は旦那さんの1歳下の弟、第二候補がそのならず者の義従兄だ。
お義姉さんの元義両親にしてみれば、大切に教育した息子の美人嫁を腹黒い甥なんかにくれてやりたくは無かったが、改めて弟に嫁がせれば今度は弟も狙われる事になる。仕方なく嫁ぎ先は、お義姉さんを忌み嫁(夫を死なせる呪われた嫁)と罵りながら、実家に送り返して来た。
元婚家がならず者から自分を守るために追い出したとは知らないお義姉さんは、それはもう傷ついて帰ってきた。しかしお義姉さんがなおも追われる身だと承知していたこちらの生家では、暖かくは迎えず、火急に新しい嫁ぎ先を見つけて次の家に追い出す心づもりであった。
嫁ぎ先はたまたま隣の村から来ていた村長夫妻が、うちの次兄を推薦した事で決まった。
有無を言わせず押しつける形になったことは申し訳ないと言っていた。
事情を知ったこちらの村の男衆はお義姉さんを隣村に着くまであくまでも忌み嫁として扱ったという。家族たちは悪役に徹し、二度と行きたくない元婚家と、二度と帰れない実家を演じきった後、死ぬまでお義姉さんに会わないと誓った。
お義姉さんを守るためとは言え、お義姉さんが実家でまで居場所がないと感じ二度傷ついた話は何ともやるせなかった。
その後、ならず者の元義従兄はお義姉さんを諦められず、この村まで追いかけて来て、あろう事か「忌み嫁を貰ってやる。お前たちの恥を濯いでやるから感謝しろ」と家族の前で喚き散らしたそうだ。適当に「当家の恥はすでに焼き捨てております」と言って白骨のような物を見せて帰したそうだが。
その晩、私はお義姉さんの実家に一泊した。
そして翌朝、二振りの模造剣を受け取る事になる。
お義姉さんが、出戻りの際に一緒に持って来た訓練用の模造剣らしく、分厚い鉄板を剣の形にくりぬいたものである。切れ味はゼロだが、これがなかなかの鈍器。剣術の練習中に本気の打ち合いをすれば、骨折不可避の代物であった。
お義姉さんは元義実家を追い出されると決まってから、密かに冒険者になろうと決意していたらしい。微塵も強くない女冒険者なんて、心配なだけで需要がないのでお義姉さんのお父さんが取り上げて屋根裏に隠していたそうだ。
帰る前に、私はお義姉さんの家族に、お義姉さんから受け取った革袋と金子を渡した。
革袋の中には美しい彫刻が施された木製のペンダントトップが大量に入っていた。ペンダントトップは受け取って貰えたが、金子は受け取って貰えなかった。むしろペンダントトップの分の金子を貰ってしまった。
家に帰ってまず、私はお義姉さんに自分が聞いた話を全て伝えた。
お義姉さんは、家族に嫌われてなかったことが嬉しかったのと、二度と会うことのない家族が恋しかったのとでまたグチャグチャに泣いた。
それから私は剣の修行をはじめた。まず模造剣を腰に下げて重さに慣れる練習をした。農作業をしている時も、山羊の世話をする時も、姪や甥の世話をする時も、ご飯を食べる時も、寝る時ですら剣と一緒である。
それから1ヶ月経つと、素振りをはじめた。この頃になると、弟や兄が面白がって一緒に参加した。村には熊匠という、熊や狼を飼い慣らして魔物から村を守るという熊並みに強いおじさんがいたので、農閑期になるとその人の所にも剣を習いに通った。
いつの間にか剣を習いに行く時は弟を連れて行くのが当たり前になり、模造剣のうちの一振りは弟の物になっていた。
【レビレート】レビラト婚。嫁ぎ先で夫を亡くした場合、その兄弟や身内に嫁ぎ直すしくみ。
貴族であれば政略結婚による約束を持続させるため。平民であれば、寡婦に対する福祉的救済の意味合いがあった。
一方で親族の判断で望まない男に嫁がされる可能性もあれば、新しい夫に既に妻がある場合は2人目以降の妻にされてしまう問題がある。
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