入社
「何故、私の旧姓を知ってるんですか?」
「それは俺が、高校生だった頃の君を知っているからだ」
……ストーカーなのかな?まさかね?などと、少し動揺しつつ私は話を続ける。
「なるほど……わりとその頃に、この会社は設立されてましたよね」
確かにこの会社が出来たのはその頃だっただろう。
その昔、田舎の国道沿いにはドライブインという――丁度、今で言う道の駅を小さくしたようなものがいくつも点在していた。それは少し高速道路のSAに寄せて作られており、長距離ドライブをする一般の旅行者やトラック運転手が、食事休憩やトイレ休憩を気軽に取ることができる民間の施設だった。例えば、おにぎり屋、喫茶店、ラーメン屋、雀荘、素泊まりの民宿、民芸品店など……業種は様々であったがどれもバブルの崩壊やコンビニエンスストアの普及などの煽りをくらい、私が小学生になる頃にはその殆どがシャッターを下ろしていたという。
典正サービス・本社オフィスはそういう廃ドライブインを買い取って作られている。10代の頃、ずっと廃屋だと思ってた国道沿いの洒落た建物に、急に看板が上がったなと思った事がある。その頃は典正サービスってどんなサービス業なのかなと思っていたワケだが。
「どこで、私を知ったんですか?」
「今は、それについては話せない。それについて話すには2階の社長室まで行く必要がある」
――え。なにそれ、怖い。
ただでさえ、いきなり手を握ったり抱き上げたりするような男と一緒にいるのである。2階がどんな風に使われているのか知らないが、ここでホイホイ着いて行くのは初めて会った男の部屋に上がるのと同じぐらい危険である。行くわけが無い。
しかし、私は気がつくと、じと目を向けながら黒瀧にこう言い放っていた。
「――黒瀧さんが私に働いた無礼を考えれば2階までご一緒する事はできないのですが、正直、予想外の展開が多すぎて一周まわって話ぐらいは聞いてやってもいいと思っています」
黒瀧は私の不遜な態度に呆れたのか、それともただ疲れたのか、ため息まじりでこんな提案してきた。
「……他に社員を呼ぼう。その様子だと俺と2人じゃ無ければ、落ち着いて話も聞いてくれるんだろう?」
黒瀧は、私が返事するのも待たずにポケットからスマートホンを取り出し、残り2人の社員を呼び出した。
通話中、黒瀧のスマートホンの上の宙空には組み合い角という紋のモチーフによく似た蒼く輝く小さな魔方陣が浮かんでいるのが見えた。
***
「どうしたんですか?」
「モミッチ先輩、大丈夫ですか?社長に何か酷いことされました?」
スマートホンで呼び出されたのは、社長と同じ歳ぐらいの眼鏡男性社員と、20代後半と思しき女性社員だった。2人は黒瀧とよく似た長さのロングヘアをしていて、髪を後ろで束ねている。
私はと言うと、初めて会ったハズの女性から突然モミッチと懐かしい名で呼ばれ――はてな、こんな後輩いただろうかと思い巡らせていた。しかし、彼女は中高の後輩と言うには、どう考えても年が離れすぎている。
「酷いこと……されたかも……」
ボソリと私が呟くと、
「きゃー、社長サイテー!」
女性社員は女子学生の如き、ノリの良い悲鳴をあげる。
「いきなり手……握られたし……」
「ありえなーい!」
「そんで、こかされた……痛かった……」
「やだー、鬼畜ー!」
ちなみに私は考え事をしている時いつもこんな喋り方になる。
考えることと話すことが同時に出来ないタイプなので、余所事を考えながら無理に話すとこうなってしまうのだ。別に根暗キャラを作っているワケでは無い。
その考え事というのは、まるで少女のような相づちを打ってくるこの女性社員の顔に少なからず既視感があるせいなのだが、それがいつどこで会った顔なのかがどうにも思い出せない。
「あと、最後に体……触られた……」
「ちょっ、言い方――!」
「社長は黙ってて下さい!」
女性社員は、社長の頭をその辺の雑誌を丸めてパコッと殴った。
「有り体に言えば、抱き上げられた……」
「最悪ぅ、完全に変態じゃないですか!」
「……まぁ、あばらのあたりから……ひょいって持ち上げられただけなんだけど……」
「あばらって、バストの横じゃないですか!そんなのバスト触られたと言っても過言ではありませんよ!」
女性社員は、パコパコパコと社長の頭を調子よく3回殴った。
私のために怒ってくれるのはとても嬉しいのだけれど、流石にそれは過言である。
しかし兎にも角にも彼女の登場で、私の心のザワザワ感が落ち着きを取り戻す。それは黒瀧の方も同じで、私が心を和らげたのを見て明らかに胸を撫で下ろしている。
「私、伊集院里子って言います。リコって呼んで下さい。私がお供しますので、とりあえず2階で続きは話し合いましょう。大丈夫、先輩は私が守ります!」
「イジュウイン?あなた、イジュコ――伊集院知子の妹?」
伊集院知子は、私と高校が同じでとくに仲の良い厨二病仲間であった。
そして、彼女の前世はスクロールである。言われてみればイジュコと顔がよく似ているのだが、背格好が大分違っていた。そりゃ、思い出せそうで思い出せないワケである。
「正解です。ほぼほぼ初めましてですね、モミッチ先輩。私が美実に入学したのは、モミッチ先輩が卒業した直後になります。先輩たちが姉ちゃんの部屋でパジャマパーティしてた日に、チラッとだけ会ってます」
彼女は思ってたよりも私と歳が近かった。その見た目の若さに思わず感心してしまう。
「よろしくリコ」
「こちらこそ、よろしくモミッチ先輩」
リコと私の挨拶が終わったところで、眼鏡社員も会話に加わってきた。
「私は澤村です。社長の補佐とトラック運転手をしています。社長はこの通り、他人との距離感を測り間違えてる系のコミュ障なんで、今日の分だけはご容赦頂けると助かります……よく言って聞かせますんで」
澤村と名乗った社員は眼鏡のせいか、話し方のせいかそこはかとなくインテリ臭が漂っている。
そして言っては悪いのだが、ワイルド感ゼロで、純日本人顔の彼には長髪がそれほど似合っていない。
っていうか、社員が3人もいるなら、コミュ障にだけは面接官させんなよ、典正サービス。と、心の中でつっこんだのは秘密である。
「さ、社長も。2階に行きますよ」
澤村は黒瀧の腕を背中の後ろでひねり上げ、引っ捕らえられた下手人よろしく自分の会社の社長を連行して行く。おそらく社長に対して怒っているというよりは、私を安心させるためのパフォーマンスだろう。
その様子がなんだか男子中学生の戯れのようで、おかしくて笑ってしまった。
ここまでされたら、私も2階について行けない理由はない。私は澤村に案内されるままにオフィスの左奥の扉をくぐった。そこはコンクリートの壁に囲まれた倉庫のような階段室で、金属の簡単な折り返し階段がついた殺風景な場所だった。
そこを2階に上がると今度は古びたアルミの玄関扉がある。ここから先は、おそらく昔ドライブインで1階の店舗を経営していた人物の元・住居スペースだろう。澤村がその玄関扉に鍵を入れて回すとピキーンと、聞いたことも無いような音を響かせて扉が開く。
玄関に入って最初の6畳には、下足を脱ぐスペースとトイレ、洗濯機置き場、ミニキッチン、ベランダに繋がる框ドアが全部詰まっていた。その奥に6畳の押し入れ付き和室、さらに奥に入ると小さなクローゼットがついた8帖あまりの洋室がある。そして私はリコから、この8帖の洋室が社長室だと説明された。
「ここ。生活に必要なものほとんど揃ってますけど、お風呂だけは無いんですね」
何気なく思ったことを呟くと、
「いやぁ、ちゃんと1階の給湯室の中にあるぞー」
……と、下手人の姿勢を保ったままの、黒瀧が答える。
それは、間取り的にどうなんだ?
私の実感としては最後のこの部屋が一番狭い。
何故ならこの部屋は、どこぞの王城にあるような天蓋付きの巨大ベッドやら、ロココ染みた猫足の戸棚やらと、部屋の大きさに見合わないゴージャスな家具を詰め込み過ぎなのである。天井の低い昭和の日本家屋にはちょっと荷が重いだろう。ベッドの天蓋に至っては完全に天井を破壊している。逆にどうやってこの部屋に搬入したのか気になる所である。
リコはその洋室の中の家具が置かれてない狭いスペースに、和室から持って来た座布団を円く4つ並べ、その1つに私を座らせた。リコは私から見て左側、黒瀧は正面、澤村は右側に座る。
全員が揃うと澤村は猫足の戸棚から出してきたえらく凝った意匠の燭台を4人の中央に設置した。
よもや怪談話を始めるのではという空気の中、黒瀧が胸ポケットからだしたジッポで燭台の蝋燭に火を灯した。すると、燭台の下に黄色い光の魔方陣が浮かび上がり、それは私たち4人が座る座布団の下にまで広がって消えた。
魔方陣は見たことも無いスタイルで、まるで異世界から来たような見知らぬ文字が大きく四文字配置されていた。丁度、古銭の永楽通宝を思い出すデザインだった。
この世界にもやはり魔法は存在していたのだな。驚きや一種の感動と共に蝋燭の燭台を見つめていると、黒瀧が真剣な面持ちで、ゆっくりと語り始めた。
「今、火をつけた燭台は盗聴防止の魔道具だ。ここで会話したことは強力な認識阻害魔法により、この輪にいない他者に決して聞かれることは無く、また盗聴盗撮によって傍受されることも有り得無い。松浦……いや、朝妻もみぢ。お前さんに正直に話して欲しい、お前さんには家族以外に話したことの無い大きな秘密があるだろう」
確かに、黒瀧の言う大きな秘密には心当たりがあった。
「人より注意力が散漫なことですか?」
嫌な汗が流れて背中が冷える。
まさかとは思っていたが、この人たちは私の転生について何か知っているような気がする。
「残念だが、お前さんがウッカリ者だってことぐらいは、お前さんの旧友たちもよく知っていた事だよ」
と、黒瀧。眉尻を下げながら頭を振る。
「自分たちは17年前、美実に通っていた松浦もみぢという少女に絶対的な信頼を置いていました。彼女は10代の心が不安定な時代にあっても、友人の前世の記憶について一切他人に漏らしたことは無く、自分自身が転生者であることもまた誰にも話したことが無かったからです」
と、澤村。
バ、バレとるー?……と、脳内はパニック、しかも逃げられる状況ではない。
「え、前世って言うのは分かりますよ。でも、転生者って何ですか?――転校生、的な何かですかね?」
と、これは私の最後の悪あがき、もう一度だけしらばくれてみる事にする。
「そう。俺たちが17年前に声をかけた時も、――お前さんは一言一句違わず、今と同じ言葉でしらばっくれてみせたっけなぁ」
そう言って黒瀧は、懐かしむように言葉を零した。
なんと、私はこの人と17年前に会話しているらしい。
だとしたら、この人たちの正体は1つだけ思い当たった。
「あなたたち。異世界とか異能に憧れる青少年を捕まえて、悪の道に引きずり込もうとしてた、あの時の危険な大人たちですね?」
黒瀧と澤村は私の言葉を聞いてきょとんとした顔を見合わせ、吹き出した。
「もみぢさんの中で、自分たちはそういう認識だったんですね。納得です」
「だが、それも違いねぇかもな」
2人はそう言いながら、気を悪くした様子も無くクツクツと笑いを堪える。
「……典正サービスは表向きは小さな運送会社だが、それは世を忍ぶ仮の姿。本当は転生者による、転生者のための会社だ。主に転生者の保護と育成、この世と異世界の往来をサポートする事業をしている。俺は『鑑定眼』のスキルを使ってこれまで沢山の転生者を保護してきた」
「鑑定眼の力があれば、その人が転生者かどうかぐらい簡単に分かります。鑑定眼で得られる情報があれば、交渉を有利にすすめる事も出来ますし、億単位の人間を統率するヒントにもなります。これは地球では記録上まだ2人しか発現させていない特殊なスキルです」
――そんな、オカルト的な『記録上』の数なんてどうやって知ったのか
あるのか?『異世界転生者ジャーナル』みたいなヤツが?
「社長が世界に認められればこれで3人目となるのですが、そうなれば、社長は世界各国から命や身柄を狙われる存在となるでしょう……」
2人の言葉をリコが補足する。
「つまりここは、お姫様ならぬ社長をお守りするための会社でもあるワケです。そこで弊社は、口も堅くて信頼できる先輩をずーっと獲得したいと思ってたワケなのですが、先輩ドジっ子のわりに用心深くて近づけなかったらしいんですよね。こちらとしても、秘密を打ち明けてこない転生者の意思を無視することはできませんからね。しかし、本日、先輩は自分の意思でこの会社にいらっしゃいました」
「随分と重い話になってきましたね」
情報が多すぎる。脳内を一度デフラグしなくては……
……私は、ゆっくり、ゆっくりと深呼吸をした。
私は息子を養わなくてはいけない。今日、ここに来た目的はそれを解決する収入を得るためである。あの頃の厨二ごっこをやり直すために来たわけでは決してない。
だけど、このような地球上における冒険のようなお話に全く関心が無いわけでもない。
ここは冷静に、メリットとデメリットを整理するべきだろう。
「私が転生者である事を誤魔化すのは、ここでは諦めます。ですから、もしよろしければ皆さんの考える、御社に入社した際の私にとってのメリットデメリットを教えて頂けますか?」
すると、黒瀧が右手を挙げて「それは俺から答えさせてくれ」と、宣う。
「俺の鑑定によると、朝妻もみぢは旦那に浮気の末逃げられ、息子を養うためにここに仕事の面接に来たようだな。
お前さんには高い運転スキルと本物の大型一種のライセンスがあるが、それを台無しにして余るほどの失敗者でもある。もしお前さんがこのままトラック運転手の仕事に着けば、いずれ必ず大きな事故を起こす事になり、大事な息子も養えなくなるだろう。
そこで弊社が自信をもってお勧めするのが『異世界トラック』だ。こいつは見た目だけは普通のトラックだが、もし人をはねても被害者は死ぬことも無ければ大怪我を負う事も無い。ただ異世界送りになるだけだ。しかも、認識阻害魔法で事故を起こした事実も全て無かったことにできる。これは他社では、絶対にマネ出来ないことだな。積極的に人をはねる必要は無いんだ。もしはねちまった時の保険だと思ってくれ。俺たちなら必ずお前の社会的立場を守れるハズだ。
それから通常業務に対する正当な給料は保証する。
デメリットは、そうだな……生活がガラリと変わる。息子にも親にも、大きな秘密が出来る。それからお中元前の6月~8月と、お歳暮前の10月~12月はミルフィーユ関係の仕事で残業も増えるし、土日出勤も有り得るので覚悟はしておいて欲しい。後、給料はなるべく払うが、うちはボーナスが少ない」
情報が多かった。しかしながら、私がウッカリ人をひき殺さずに済みそうという件については、一番心配していた事だったので、私はこの会社への入社を決意する。
3人は私の入社をとても歓迎してくれた。
ただ、あまりにもサラリと聞き捨てならない事を述べられたので「うちの夫はちょっと一ヶ月ほど失踪しているだけなんです。浮気なんてしてませんよ」と、そこだけは訂正しておく。
澤村とリコはなんとも言えないような顔をして、社長に助けを求めるような視線を送った。
すると黒瀧は、何でも無いことのように、サラリとその視線に応える。
「ああ、そうか。――朝妻もみぢの【称号】の欄にだな、異世界転生者、口を閉ざせし者、希代のファンブラー、などがあるんだが、その中に『サレ』って言うのもあってだな。ようするに浮気された人を表す言葉だな。間違いないぞ」
ばしっ
「――言葉を選びなさいと言ってるんです」
「社長。最低かよ」
2人のツッコミが炸裂する。
つまり私にとっては、社長が何かの間違いで浮気なんて言葉を口にしたワケでは無い。彼のスキルを知る社員の間ではそういう認識と言うことである。
この日私は、新たなる就職先を見つけると共にえらく塩っぱい結婚の現実を受け止めなくてはいけなくなったのだった。
朝妻もみぢ、夫が浮気の末の失踪をして、そろそろ一ヶ月になるらしいです ←NEW
信じられない、私の小説にブクマが1つつくなんて夢みたいです(;;)
過去の分を修正しながら、投稿しております。
精一杯頑張ります。
修正しました。