9 敵討ち
ゲーセンを出ると、キンと差し込む、夕方の風。耳と鼻が痛くなる。この寒気は、やってきた冬の気候のせいだろうか。
「えへへ、勝っちゃった。」
「ぐぬぬ、やはり元鍵っ子にはゲームでは勝てないか…」
ホクホク顔のユウに、うんざり顔の勇。手のひらで、可愛らしい猫のストラップを転がす。ゲーセンのキャッチャーで取れたものだ。
「可愛い戦利品だね。咲ちゃんへプレゼント?」
「な、なんでそうなる!」
「じゃなきゃ、いっちゃんがそんなストラップ狙わないもんねー。」
そんなやり取りの途中、
公園から、聞き覚えのある怒号が。
「やんのかワレ!?」
「てめーこそ、やんのか!?」
「ねぇ、これ、ヨッシーとやっちゃんの声…」
「あれ見ろ、前に駅前で会った地龍のゴロツキじゃねーか。」
なんてこった。
うちの6班メンバーが、他所のスターターと一触即発になってる。
「いっちゃん!参戦しようよ!」
「そう言うと思ったよ…」
スターターは好戦的なやつが多い。それはユウも勇も、同じ。
あわや、そのへんの公園で、スターター大乱闘騒ぎ、というところで。
「みんな、待ってくれ!」
地龍サイドの、ジャージ姿の小柄な少年が飛び出してきた。
「北村?どうした?」
「あいつだけは、譲ってくれ。竜の奴には、許可もらってる。」
「はぁ?北村、危ないぞ、戻ってこい!」
「やばい、北村がやられる!りゅっちに連絡!」
北村と呼ばれた少年が、勇の方に駆け寄ってくる。
「おまえ、木々原で間違いないな?」
その目は、狂おしいほどに、
怒りと、殺気に、満ちていた。
「そうだけど。なんだ、お前?」
「勝負しろ!負けたら兄貴に土下座して謝れ!!」
「はぁ?」
北村が言うには、
しばらく前、北村の兄が入院する程の怪我をした。今でも、松葉杖が手放せないらしい。
兄が言うには、「木々原という男にやられた」、と。
だから、スターターである自分が、兄の仇打ちをする、というのだ。
「えーやだ、いっちゃんてば、鬼畜ぅ。これだから不良は…」
「北村?そんな奴、そんなにボコったっけ…?人違いじゃねーのか?」
「覚えてすら、いないなんて…!覚悟っ!」
北村が拳を突き出す。呼吸を整える。
キシキシと、筋肉が軋む音。
瞬間、勇の腹に、その拳が食い込んでいた。
「…っ!!」
咄嗟に防御したからよかったものの、その一撃は、酷く重い。
「お前、も、ストレングス・スターターか?」
「だったら何だ!」
次のハイキックは、避ける。
「俺も、そうだよ!」
「…!」
距離を取ろうと重心をずらした北村に、タックル。
倒れ込んだ北村は、すぐに体勢を整えて飛び退く。
「なるほど、そりゃ兄貴も大怪我するわけだ。スターターじゃない一般人をあんな風にするなんて、やはりお前は卑怯者だ!」
「だから、なんか勘違いしてるって!」
その言葉も届かず、北村が飛び出す。
ユウに向かって。
「ひゃんっ!?」
ユウの首に巻きつく、力強い腕。
「卑怯者には卑怯な手だ。負けを認めろ。仲間の首をへし折るぞ。」
「てめぇな…」
勇はため息をついて、
「…で?土下座だっけか?そんなもん、いくらでもくれてやるよ。」
お辞儀をするように、上半身を俯かせる。
刹那。
「…なーんてな。」
「!?」
その姿は、北村の後ろ。その力強い手は、北村の首根っこを掴んでいた。
勇が体勢を低くしたのは、足にパワーを貯めて、一瞬で跳躍するためだった。
「どうする?諦める?」
「くっ…殺すなら殺せ!」
「殺さねーよアホ!」
北村は、ため息をついて、ユウから手を離した。
その時。
「リン、落ち着け!!」
公園の入り口に、松葉杖のごっつい男が立っている。
「兄貴…?」
勇には、その男…北村の兄に見覚えがあった。
「ああ!お前!セブンスターズのヘッドだった…」
「縄張り荒らしの木々原!久しぶりだな!」
事の真相は、こうだ。
ギャングのヘッドだった、北村兄。まだスターターとして覚醒する前の悪ガキ勇に縄張りを荒らされ、ボコろうとしたら返り討ちにあったのだ。
だが、その怪我は極めて軽かった。
北村兄は、悔しさのあまり、酒に手を出した。そして、フラフラになって、車に接触したのだ。
ガキ1人に喧嘩で負け、あまつさえ、未成年飲酒、交通事故。
そんな真実を言えるわけがなく、北村兄はこう言ったのだ。「スターターと思わしき、木々原という男に襲われて、重傷を負った」と。
「いやー、あんとき俺、荒れててさ。悪いことしたなー」
「いや、いい。喧嘩は男の華だ。それより、リン!」
ばつが悪そうにしている弟に、諭す。
「嘘を言って悪かった。だからリン、卑怯な真似はするな。お前はスターターだ。真っ直ぐに、強くなれるはずだぞ。それに、友達みんなに心配かけるな。リンが吹っかけたその男は、スターターマスターを退散させた実力者。竜の奴、泡食って俺に連絡してきたんだぞ。」
「う…」
そりゃ強いわけだ、と、うなだれる。
北村兄は、ユウに頭を下げる。
「悪かったな、お嬢さん。うちの愚かな妹が迷惑をかけた。」
「ぼ、僕は男!って、待って、妹!?きみ、女の子!?」
北村…リンは、赤い顔を背ける。
「も、文句あるかよ。でも、その、ごめん。」
少年にしか見えない、その顔は、
それでも、可愛らしかった。
「きみ、つよいね!」
公園に集まっていたスターターが解散してから。
1人の影が、勇に近づいてきた。
異様だ。毒々しい、ピエロの格好をしている。白く塗られ模様がペイントされた顔からは、表情が見取れない。
「うわ、なんだお前!?」
「ぼく、マックっていうんだ!キャンの道化師だよ!」
開いた手のひらをパチンと合わせ、開くとそこから花束が飛び出した。
「ぼく、つよいスターター大好き!つよいスターターをさがして、世界を旅してるの!こうして、みんなを笑顔にしながらね!」
「すごーい!君、手品ができるの?」
「わぁい!ほめられた!」
ユウが花束を受け取ると、少年…マックはクルクル回り、バク転を繰り返して木の枝に飛び移った。
「ぼく、しばらく日本にいようっと!また、会えるよね!」
「うん!ばいばーい」
ユウが笑って手を振るのを、勇はドン引きしながら見ていた。
今日はこういう日なのだと、半ば諦めて。
その様子を見ていたのが、もう1人。
「寅吉、どーした?」
「…。」
地龍塾のスターター1人が、唇を噛んで帰路を急いだ。
悪寒に似た北風が、帰り道に差し込んだ。
これは、
だれのゆめ?
だれの、きおく?
「きみ、つよいの?」
強くなんて、ない。兄貴どころか、そのへんのスターターにさえ、歯が立たないんだから。
「もっと、つよくなりたいの?それとも、みんなに認められたいの?」
「…!」
オレの願いは、
どちらなんだろう。
「大切なものを失う覚悟があるなら、その術を教えてあげるよ。」
「上等だ。失って困るもんなんか、ねーよ。」
ちいさな神が、意地悪く微笑んだ。
こんな神も、自分も、シーンも、
オレは、知らない。
あれから、数日。
身を裂くように寒い、真冬の黄昏時。
あくびをしながら塾に来たファンタに、後輩が挨拶に来る。
「先輩、新しいアロマ調合してくださいよ。」
「なんだ、りゅっち。夢見が悪いのか?」
「悪いってゆーか、知らないシーンばっかりで胸糞悪ぃ。もっとさ、お色気に振った夢とか、ねーんすか?」
知らないシーン?
ファンタのもたらす夢は、過去の幻影。
実際の出来事のはず。
知らないということは、彼の、封じ込めたい、トラウマに結びついた記憶…
「わかったよ。なんか作ってやるから。」
深くは追求せず、ファンタは頷いた。
同じ頃。
「あれ?お前たしか…」
下校してきた仲良し6班を校門で待っていたのは、刈り上げ金髪のヤンキー。確か、地龍塾のスターターだ。
彼は、両手を挙げて敵意がないことを示す。
「木々原に話がある。時間をくれ。」
「あー、その話って長い?難しい?」
彼が頷くと、
ユウが助け舟を出した。
「スターター歴が長い僕と、実技主席の咲ちゃんが同行する。それで差し支えない?」
「ああ、助かる。」
思い詰めたような表情。
刺すような、痛々しい程冷たい空気が、黄昏に吹き込んだ。
「実は、りゅっちに内緒で、お前たちと共同戦線を張りたいんだ。」
近くのファミレス。
寅吉と名乗った地龍塾のスターターは、カフェラテを傾けながら、そう打ち明けた。
「大きな理由は2つ。この日本に、タチの悪いスターターが来てる。1つ目の理由は、被害を食い止めるために、バラバラで立ち向かうよりは情報共有して、まとまってた方がいいからだ。」
「待って。そういう時、マスターのドリートや先生方が先に動くはず…」
遮ったユウに、寅吉が頷く。
「もう動いてる。こないだ、ドリートが本気で身体の調整してんの見た。あくまでも、自衛の話をしてる。」
「そっか。もう1つの理由は?」
「りゅっちは、相討ちになってでも、そいつと1人でやり合うつもりだからだ。あいつを、止めたい。あいつまで失ったら、オレ達は…」
「あいつまで?」
「どういうこと?昔、地龍で何があったの?」
「…。」
寅吉は悩んだ末、オフレコだぞ、と断って、その事件のことを話し始めた。
オレ達が中学生になった頃、りゅっちは酷く荒れていた。
それもそのはず、あいつの親父は地龍塾の塾長。おまけに、あいつの兄は、神童と呼ばれ、当時のスターターマスターだった。グレない方が不自然だ。
見かねた地龍塾の先輩が、オレ達をグループに誘ってくれた。その中に、莉奈さんっていう女の子がいた。
莉奈さんとりゅっちは意気投合して、いつも一緒だった。姉弟のような、熟年夫婦のような、微笑ましい関係。
自信をつけたりゅっちは、ドリートのもとで鍛錬し、学年トップの実力に躍り出た。元々が仲間想いで明るい奴だから、みんなを惹きつけるリーダーになった。
幸せが壊れたのは、その数ヶ月後の冬だった。
莉奈さんが、惨殺されたのだ。
やったのは、死神と呼ばれる海外のスターター。
天災のように突然現れては、何かを奪っていく、恐ろしく強いスターターらしい。代々マスターがそいつを追っているが、なかなか尻尾を掴めない。
りゅっちは、また死神が現れた時のために、鍛錬を重ねている。
命を差し出してでも、仇を取るために。
あの時から、りゅっちは本音を出さなくなった。
頼れるリーダーとして明るく、時には女を口説いたりして、チャラけて振る舞ってるけど、本当は……
「オレがこんなことしてるの、りゅっちが知ったらキレるだろうな。余計なお世話、とか、危ないから関わるな、とか。
でも、りゅっちが死んだら辛い奴は、少なくないんだぜ。
だから、頼む…」
悲痛な依頼。咲とユウは、互いを見合わせて眉根を寄せる。
ズズズ、と、ジュースを吸い込む剣呑な音。
「…っし、分かった!お前、ドリートと連絡取れるか?」
コーラとメロンソーダを混ぜた、妙な色のジュースを飲み干した勇が突然口を開いた。
「ただ手を組むだけじゃダメだ。あいつに頭下げて、特訓つけてもらおう。冬休み中も、なるべく自主練!…ちょっとでも、生き残る確率を上げるんだ。」
「勇、あんた、あんなにドリートに従うのは嫌だって…」
「緊急事態なんだ、そのくらい俺でも我慢する。」
誰も、死なせない。
今度こそ、守るんだ。自分だけが強くなっても意味がない。
みんなで強くなって、生き残る。
誰に言うでもなく、口だけで、自分に言い聞かせた。
「…うん。僕は賛成。みんなで強くなって、そいつを追い返そう。」
「私も賛成。6班のみんなには、私たちから説明しとく。」
「よーし、早速、自主練だ!咲、ユウ、裏山行こうぜ!寅吉だっけ?お前も来いよ!」
「…恩に着る。」
裏山に向かう道、北風を切って歩く勇の姿に、寅吉は追憶を重ねた。
「…地を這う龍。それがオレ達だ。
底辺で結構。キャン族の伝説みたいな、滝を登る龍なんて、オレ達が寄ってたかって引き摺り下ろして食いちぎってやればいい。
あっちは一匹。こっちは群れだ。それが、地龍のオレ達の力だ。」
りゅっちは、皆で地に足をつけて強くなることを目指した。
こいつは、
皆で滝を、恐怖を、困難を、超えることを目指している。
過去を、追憶を、超える。
生き残る。
スターターの原点を、
たしかに、その背に見た気がした。