8 吸血鬼?
「咲さぁん!!」
秋も後半、霜も降りようかというくらい、冷え込む朝。登校してきた咲に、親友の鈴音が飛びついてきた。
「ど、どうしたの?」
「ごめんなさい咲さん!私、吸血鬼に咲さんの部屋番号教えちゃいました!」
「は…?」
意味が、分からない。
泣きじゃくる鈴音をなだめ、聞くところによると。
昨日の夜。
街灯はほとんど無く、寮の明かりだけが人魂のように揺らめく。
外出から帰った鈴音が寮の門の暗闇に、人影を見つけた。
「どうされました?」
鈴音が尋ねると、人影は振り返らずに、
「人を探してるんだ。伝えたいことがある…」
低い声で囁いた。
「探してる?どなたです?叶中の方ですか?」
「ああ。咲ちゃんって言うんだけど、知ってるか?」
「咲さんですね。寮にいると思うので呼んできますよ。」
無防備にも、鈴音は言ってしまった。
「寮にいるのか。何号室だ?」
「そ、そこまではちょっと、お教えしかねるといいますか…」
人影は、こちらを向いて鈴音の肩を掴んだ。
ひんやりと冷たい手。
「教えろ。でないと…」
「ひっ…」
その顔立ちは、
人間では、なかった。
真っ赤な鋭い目、大きな牙、口元には固まった血。
吸血鬼、そのものだった。
「…というわけで、私、怖くて。言っちゃったんです、部屋番号…」
「は、はぁ…」
それ吸血鬼っつうか、ただの不審者…だろうけど、怯える鈴音が何だか可愛くて、ヨシヨシと撫でてやる。
「それで、咲さん。吸血鬼にお知り合いは?」
「いるかっつーの!」
そのあたりで、
「「「ぶっ…あははははっ!」」」
周りで聞いていた同級生達が、一斉に吹き出した。
「何だよソレ!笑わせに来てんのか!?」
「やだぁ、咲ちゃんてば!妖怪の類いにまで、モテモテだなんて!」
「咲を襲ったところで、吸血鬼の方が返り討ちでバラバラにされるよなぁ?」
「ねぇ、今夜咲の部屋で女子会でもやっちゃう?」
「吸血鬼が本物だったら、サインもらおうよ!」
「あほくさ…やめてくりー…」
(またクラーヌに頼んで迎撃かな?ううん、面白そうだから自分でやっつけちゃおう…)
吸血鬼の話は、すっかりスターターたちのオモチャにされてしまった。
その夜。
キンと澄んだ風、暗闇、アパートの屋上、人影。
人影は、ふわりと跳躍すると、マントをたなびかせて夜の空を舞う。
月明かりに映えるそれは、まさにコウモリの羽で飛ぶ吸血鬼の姿だ。
吸血鬼は、寮の三階の部屋に狙いを定め、
窓の鍵を念力のようなもので破壊する。
窓を開けて部屋に入ろうと……
「うぉあ!?」
吸血鬼の足が引っ張られる。
すごい力で、下の階の部屋の窓から引きずりこまれる。
「なっ…」
「へっへっへー。吸血鬼捕まえたー。本当に空飛ぶんだなぁ。」
吸血鬼は知らなかったが、
咲の部屋の真下は男部屋。
しかも、叶イチのパワーバカの、住まう部屋。
吸血鬼は、まんまと部屋に連れ込まれ、
窓際にあるベッドに倒され、勇に馬乗りされるはめに。
「ん?これ仮面じゃん。」
「ばっ、やめ…」
吸血鬼の仮面を剥がすと、
見たことある顔が、出てきた。
切れ長の目、細くて筋肉質な首や腕。だらしなく伸びた金髪。頬には、切り傷の跡。
「おま、え…カンリュウ……?」
「だから、イヌイだイヌイ!木々原てめぇ、またオレの邪魔しやがって…オレの足は猿回しの棒かよ!?」
勇は、笑いを通り越して呆然とする。
「えっ…何これ、コスプレ?こんなカッコして、恥ずかしいとか、常識はずれとか、ないわけ?」
「こいつに常識とか言われると腹立つ!」
「あとさー、さっきの空飛ぶとか鍵開けるとか、どうやったの?」
「空気使いなめんな!オレ様は器用なんだよ!」
そうこうしているうちに、
「ちょっと勇!私の獲物取ったでしょ!……って…」
バン、と、勇の部屋のドアが開く。
咲が入ってきて、
ベッドの上で竜を組み敷き、押さえ込む勇の姿にフリーズする。
「…あんた、そっちの趣味もあったの?」
「バカ!んなわけあるか!!」
「あれ、こいつ見たことある。前に勇にボコられた竜とかいうやつ!」
「う…ひどい覚え方…」
勇から解放され、竜はマントと仮面を片付けて、たたずまいを正した。
「で、こんなカッコして、夜中に何してんの?ハロウィンなら、こないだ終わったよ??」
「決まってんだろ、夜這いだよ、夜這い。」
「ヨバイ?」
「咲、聞かなくていい。ちょっとこいつボコって捨ててくる。」
竜は、勇には反応せず、咲を見上げた。
「まぁ、なんだ。オレ、女の相手すんの下手だし、不器用でさ。咲ちゃん…あんたに会う方法が、これしか思いつかなかったんだよ。」
どういうわけか、神妙な表情で。
「そのくらい、咲ちゃんのこと、気になってて…友達から、どうかな?オレ、真剣だぜ?」
「…っ」
咲は、そんな展開になるとは思わず、息を飲んだ。
「それは…困る……」
「そっか…」
竜も、真顔のまま立ち上がり、咲に背を向けた。
黒いタンクトップから、細身な割に筋肉質な肩甲骨が覗く。
「そうか…そうかよ…そんな猿より、オレの方がイケてるし、頭もキレる…はず、なのに……くそっ…くそッ!!」
「誰が猿だ!俺を差し置いて咲を口説いたからだバーカ!」
竜は、喧嘩を買わず、
振り返りもせず、
そのまま窓から飛び降りた。
「竜!」
「大丈夫、あいつ飛べるから。」
「じゃなくて、さっき侵入者迎撃アラーム鳴ってたから…」
パパパ、という軽い破裂音。
銃声に聞こえなくもない。
続いて、竜の断末魔の悲鳴。
「…寮のスタッフって何スターターなんだ?」
「さぁ…」
沈黙。
冷たい夜風が、部屋を凍らせる。
「…ねぇ勇。俺を差し置いてって、どういうことかな?」
「えっ…その…」
赤面する勇。
これは、もしかしてアタックチャンスなのか…?
なんて夢妄想も、つかの間。
「10年早いわ!」
「ぎゃあああ!!」
ざっくりと、KO負け。
「…ったく、バカなんだから。シチュエーションくらい考えろっての。」
気絶した勇に言い捨て、殴り書きのルーズリーフを背中に貼る。
『本物の吸血鬼へ。
バカの血です。どうぞ飲んでください。ただし、お腹を壊しても責任を負いかねます。』
遠くから、コウモリのような羽音が聞こえた気がした。
天邪鬼な夜風が、そんな気配を運んできたのかもしれない。
吸血鬼の噂は、色々に姿を変え、のちに叶中の怪談となっていった。