7 悪夢
鈍色の曇り空に、街路樹の金木犀が薫る。衣替えを勧める天気予報が、電気屋のテレビから吐き出される。
「咲。こんな駅前に、隠れた名店なんかあるのかよ?」
「大丈夫だって。咲ちゃんのスイーツアンテナはピカイチなんだよ。」
勇、ユウ、咲の3人は、駅前のメインストリートから、一本小径へ。
雑居ビルの一階に、小さな洋菓子屋が見えた。
ところが。
雑居ビルの前に、たむろしている邪魔なヤンキー達。見たところ、同じ中学生だろうか。勇達が無視しようとすると、露骨に絡んできた。
「よお、挨拶も無しかよー。あんたら、あんたら、どこ中よ?」
「そういう、おたくらは?」
安い挑発に、勇だけがそう返した。
「中学校はあんま行ってねーけどよお、ここらで地龍塾って言えば有名なんだぜ?」
地龍塾。
その名前、どこかで……
「あっ!カンリュウのいるとこだ!」
「げげ、嫌な名前思い出した…」
そういえば、咲をナンパし、勇に倒されたチャラいスターターがいた。地龍塾の乾竜と名乗ったような……
「カンリュウ?もしかして、りゅっちさんの知り合いか?」
「てことは、お前ら叶中のスターターか?」
「そういうお前らこそ、カンリュウの仲間ってことは、スターターか?」
メンチを切り合う勇と、ヤンキー改め地龍塾のスターター。
一触即発。
早くケーキが欲しい咲は、この状況をどう片付けようか悩んでいた。
その時。
「こーら、トラちゃん、ゲンすけ、やめなさい!」
青年の声が、地龍塾のスターターを制止した。
勇達が振り向くと、ヨーロッパ系の顔立ちのイケメンが立っていた。目深く被ったニット帽から、青い瞳が煌く。
「またそんなところにいて。りゅっちが探してたよ。」
「まずい!特訓場に戻らねーと!」
すたこら退散する、地龍塾のスターター。
それを見送り、イケメンが笑う。
「ごめんね。ケンカっ早い手のかかる後輩でさ。叶中の子達だよね、怪我は無い?」
「いや、ないけど、あんた誰?」
「あ、ごめん。」
イケメンが、ニット帽を脱ぐ。
綺麗に刈られた短髪は、さざ波のような青色だった。
「俺、ファンタ。一応、キャン族っていうスターター少数民族の者だよ。まー今は日本に来て長いし、地龍塾の先輩って立ち位置のが、しっくり来るかなー」
「ドリートと同じ?」
スターター始まりのキャン族。しかし、ドリートと違い、民族の誇りとされる蒼い髪は短く、服装も民族衣装ではなく、そのへんの青年と同じだった。
「ああ、ドリートさんは由緒正しい族長の息子だもんなー。俺はただのスターター。これ、お近づきの印に。」
ファンタと名乗る青年が3人に渡したのは、青い蒼い御守り。
「キャンブルーのポプリ御守り。うちの故郷の特産品なんだぜー」
「何これあんた達の髪で出来てんの?」
「観光地の安いお土産みたーい!」
「なんか乙女チックでキモい…」
散々な言い草に、ズッコケるファンタ。
「ま…まぁ、よかったら身につけててくれよ。じゃ、またなー」
ファンタが去ってから、3人は、何事もなかったように、ケーキ屋に入った。
夜の団地の、帳が落ちる。夜は深く、ほとんどの部屋の明かりが消えると、道と芝生の境目が曖昧になる。
「ここは…」
ユウは1人、そこを彷徨っていた。
そこへ、小さな人影が。目を凝らすと、走ってくる、1人の少女だ。
もう一つ。
それを追うように、達磨のような男。
「……っ!?」
ユウは、雷に打たれたように体を震わせると、一目散に少女の元へ駆けつけた。
「姉さんに近づくな!このクズ野郎!」
少女を守るように、手を広げる。
その表情は、いつもの陽気なユウとはかけ離れて。烈火の様に猛り、氷柱の様に冷酷だった。
「なんだ?これは躾だ、邪魔をするな!」
男は、酒瓶を振って威嚇する。
瞬間、ユウが男の顔を殴りつける。
ドン、という爆発音。
その火力に手加減はなく、ユウは本気でその男を…「父親」を、粉々に殺しつくすつもりだった。
ところが。
男は全くの無傷で、そのまま少女を追いかけ始めた。
「そんな…姉さん!」
足が縺れる。追いつけない。
男が酒瓶を振り上げる。
「姉さん逃げて!姉さんッ!!!」
パチン、と、ユウの頬が鳴る。
「え…」
ユウは、布団を跳ね除けて起き上がる。傍らには、咲。今のは、咲のビンタだろう。
「ゆ…夢…?」
「見たんでしょう、悪夢。」
「うん。姉さんを守ろうとして、初めてスターター能力が覚醒した時のこと…」
咲は、ユウの机からキャンブルーのポプリ御守りを取り上げ、窓から投げ捨てた。
「次はアイツの部屋に行くよ。ユウ、あんたも来る?」
「もちろん!いっちゃんの悪夢なら、心当たりがある!」
2人は、寮の廊下へ飛び出した。
「また、ここにいたんだ。」
学校の中庭に座り込む、勇。
彼女の声に振り向くこともなく、池にパンを千切っては撒いている。
バシャバシャと、鯉の音。
「登竜門って、知ってる?滝を登りきった強い鯉はね、龍になるんだって。ここにも滝があればなぁ、そしたら…」
勇のため息が、その言葉を遮る。
「選ばれし、強い鯉ねぇ。立派立派。
じゃあ、そんな力もってない鯉どもは、ずっと濁った水の中?そんなのクソくらえ。」
「いっちゃん…」
親から期待された力は、勇には無かった。
諦めて、馬鹿らしくなって、
不良とつるんで。
いつしか、頭や要領がいいエリートを憎むだけの、本物の馬鹿になっていた。
しかし、
「俺なら、超ムキムキマッチョな鯉になって、それで、仲間たち全部抱えて飛べる龍になるね。それが強さってもんだよな?」
仲間同士の共感。感受性。
そういう力に、勇は恵まれていた。
だから、不良仲間達も、ここにいる「彼女」も、勇を慕うのだ。
「…いっちゃんらしいね。安心したよ。」
小さく、バイバイ、と、付け足した、
彼女の呟き。
勇は、我に返った。
「…っ、つぼみ!!」
思い出した、登竜門の話。
彼女の名前。彼女の声。彼女の笑顔…
ずっと会いたくて、もう会うことのできない、失くしてから分かった、大事な、大事だった人……
振り向いて、顔を見たくて。
でも、去りゆく後ろ姿しか見えなくて。
何か会話をしたくて。
でも、詰まって言葉が出なくて。
追いかけて、
でも足が縺れて追いつけず。
姿が、見えなくなる………
「つぼみ、行くな、つぼみ!!」
その時。
パァン、と、頬で、何かが弾けた。
勇が起き上がると、そこは寮の自分の部屋。見知ったクラスメイト、2人。
「いっちゃん、大丈夫?悪夢、見たんだよね…」
心配そうに覗き込むユウと、
右手を押さえて、何故か機嫌の悪そうな咲。
「ああ…えっと、その……」
寝ぼけながら、痛む頬に触れてみると、何故か涙の跡があった。
ユウは、勇のポプリ御守りも外に投げ捨てる。
「悪夢を見せる悪いハーブが入ってたみたい。咲ちゃんが飛び起きて薬系スターターの先輩に教えてもらったって。」
「あのチャラ男め!とっちめてやる!!」
『そりゃどうも。』
部屋の中に突然現れる、昼間のキャン族の男。
「ど、どこから入った!?」
『入ってないよーん。幻だよ、幻。』
通りで、ちょっと透けている。
『オレの名前は、ファンシーファクター・キャン。夢幻使いのスターターさ。可愛い後輩のりゅっちをボコった叶中への、戦線布告でした。ハマってくれたようで、何より。』
「そう、楽しい余興をありがとう。」
咲が窓に向かって合図すると、
「次の余興は、あなたのダンスをよろしく。」
『え?わっ、痛え、うわ、わわあっ!?』
ジタバタとデタラメにのたうつファンタ。
「咲、これは一体…」
「外にいる実物のファンタを、後輩に攻撃してもらってる。死角から。」
さすが咲、スターター同士の戦い方に慣れている。
『覚えてやがれ!』
「月並みなセリフありがとー」
ファンタの幻が姿を消すと、咲とユウが立ち上がって帰ろうとする。
「咲、ユウ、その、ありがとな。」
「どういたましてー」
2人の可愛らしい笑顔。
しかし、咲のそれが、会ったばかりの営業スマイルに似ていて、少し引っかかった。
「侵入者の気配があったが、君が追い出したのか?」
寮の木陰に、叶校長が近づく。
「先輩に頼まれたのもありますが…キャンの面汚しは、同じキャンの者が追い出します。」
幼い顔立ちを際立たせる、肩までで切り揃えたキャンブルーの髪。その1束たりとも乱さず、優雅に石を拾い集めて片付けをしている。
「クラーヌ。君の見立てで、木々原のことをどう思う?」
「多分、大当たりです。そこは、兄貴と同じ意見です…彼は、始まりの龍の力を持っていると思います。」
「やはりそうか。いつ、本人に言えばいい?」
「あなたが言う前に、兄貴が言っちゃいますよ。」
校長は、確かに、と頷いた。
部屋に帰り着いた咲は、机の上に散らばったべっこう飴を乱暴に何個か掴むと、へなへなと座り込んだ。
カサカサ、パリパリと、飴の包装を解く音。飴を次々と口に入れる。
(咲…トラウマに負けず、よく頑張ったな…)
バリバリと力一杯噛み砕いて、
少しだけ、沈黙。
「うん…ありがとう、殺鬼。でも、今日はもう寝ないでおくね。」
(眠るのが怖いか?)
「…うん」
素直に頷く。
「もう、悪夢なんて慣れたと思ってたんだけどな。でもダメ。叶中に来て、大切なものを作り過ぎたかもしれない。」
(大丈夫だ、咲。私がいる。それに、今のお前の仲間たちは心配ないだろう。)
「…ねぇ殺鬼。つぼみって、誰だと思う?」
(は?…ぷふふっ、はははっ!)
内側から盛大に笑われ、咲はキョトンとする。
「え、何がおかしいの?」
(ごめん、ごめん。それこそ心配ないよ、咲。彼は私のお墨付きだから。)
「むー…」
殺鬼は、胸を撫で下ろした。
咲が、無自覚ながらに、トラウマよりも今と未来を見ているから。