5 決心の、滝
夏の終わり。朝晩はだいぶ、しのぎやすくなってきた。
セミの代わりに少しずつ現れたのは、鈴虫、コオロギ、松虫。涼しげな音色に、少女のラブソングが混じる。
「綺麗な声。…いい夜ですね。」
寮の庭で歌っていた咲のもとに、小さな人影が近づく。
「頼まれてた、ラブレターの返事、預かってきました。」
「ありがとう、クラーヌ。」
咲が手紙を受け取ると、
「あの、先輩…本当に、会うつもりなんですか…?」
「うん。やっぱ、心配されるよね。でも、決めたことだから。」
おどおどしている後輩の頭を撫でた。
サラサラと、清流のような蒼色の髪が指を滑る。
「先輩、死んだりしないでくださいね。」
後輩の念押しに、
何も答えることが、できないまま。
4人の生徒が、2両しかないローカル列車に揺られていた。
朝の爽やかな風が、窓から入ってくる。行楽には、最適な快晴だ。
「すごーい!四方八方でっかい山!発破したーい!」
山にはしゃぐユウ。
「緑が濃いと、心が安らぎますねー。」
咲の親友で、同じ6班の女子、鈴音。
「しっかし、俺たちだけで旅行なんて、どんな風の吹き回しだ?」
とか言いながらニマニマ楽しそうな、勇。
「あら、文句あるなら帰れば?チケット貰ったんだから、勿体ないじゃない。」
毒づきながらも、やっぱり楽しそうな咲。
九月の行楽日和。咲が手に入れたというチケットで、日帰り温泉旅行に来ている仲良しメンバー。
「温泉の前に、見てみたい所があるんだ。もちろん付き合うっしょ?」
咲は、飾り気なく微笑んだ。
タクシーを降りて、森の中を川沿いに進む。蕎麦屋を越えて、見えてきたのは、小さな滝。
ざぁざぁと舞う飛沫が涼しげだ。
「滝?この滝がどうしたってんだ?」
「ここ、ただの滝じゃないんだよ。ほら!」
岩から岩へ飛び移り、
滝の向こうへ消える、咲。
「この滝、内側に入れるんだ。」
「すごーい!いっちゃん、行こう!」
4人して滝の裏へ飛び移る。
一瞬、首筋に弾ける、鋭く冷たい飛沫。
裏から見る滝は、みずみずしい力のカーテンのようだ。
水の匂い、苔むした緑の匂い、
ザバザバと、滝壺から沸き立つ、水草と魚たちの生命の踊る音。
この小さな滝に、
確かに、チカラは、感じられる。
「素晴らしい場所…。心が洗われるようです。」
「滝って、スターターの力と深い関係があるらしいよ。登竜門っていって…」
「あ!知ってるー!確か、滝を登った龍の話!」
「馬鹿ユウ。登るのは鯉だ。滝を登った鯉は、龍になるんだよ。」
勇の思わぬ博学に、逆に引く3人。
そう言った勇自身、
自分に驚愕していた。
(鯉?龍?滝?
なんで俺、知ってんだ?
こんな話…どこで聞いたんだっけ…)
「…えっとね、キャン族の後輩に聞いたんだけど。キャン族の最初のスターターに力をくれたのが、滝を登りきった龍だったんだって。」
「龍の力を継いだスターターは、特別なチカラがある、でしたよね。ロマンティックですよねー!」
咲と鈴音が話を戻すが、勇は上の空だった。
タクシーで温泉街に戻り、昼食と日帰り温泉を堪能。ついでに卓球も。
一同が休憩室でウトウトしていた時、事件は起きた。
「木々原さん!中野さん!起きてください!」
揺すっても起きない2人を、
「起きてってば!」
ついにキレた鈴音、いつもの嫋やかさはどこへやら、
「起きろーっ!!」
「「ぎゃああッ!?」」
取り出したトゲ満載のイバラで、2人をしばき起こした。
「いたた…どうしたの、鈴音ちゃん?」
「咲さんが消えたんです!こんな書き残しが…」
「何だって??」
鈴音が手にしていたのは、
「オススメ!でも今日は来ちゃだめだよ!」
という、天邪鬼な書き込みのある、
この近くの大きな滝のパンフレットだった。
「本当に来てくれたんですね。」
「招待ありがと。温泉、楽しんできたよ。」
咲が1人佇むは、観光名所の大きな滝の中腹にある崖の上。
滝の上に浮いている、人間離れした男を見上げる。スターターマスターの、ドリートだ。
「このあたりは滝が多い。スターターにとって、滝は特別なものです。特にこの滝は幾度の滝と呼ばれ、何度会っても可愛らしい貴女にぴったりです。本当は、高級旅館の宿泊をプレゼントしたかったのですが…」
「中学生にセクハラ厳禁。最低。」
「…すいません、取り消します。それで、部下お誘いの答えは?」
咲は微笑むと、崖を数歩、ドリートに近づいて、
右手を大きく、振り上げた。
突風が滝を巻き込み、青白い水竜巻となって、ドリートを襲う。
「これが答え!決闘に賭けるのは、私の命よ!」
咲の選択は、
マスターの座を賭けた、ドリートとの決闘だった。
バシャ、と、鋭い水音。
弾丸のように飛び出してくるドリートを、風を圧縮した空気砲で弾き飛ばす。
樹に掴まって態勢を立て直したところをに、大きな風の刃。
寸前でかわす。
民族衣装の裾が、樹ごと、ざっくり切れている。
ドリートが咲を指差すと、滝の水が持ち上がり、蛇のように、咲に襲いかかる。
咲のビンタで突風が吹き、水蛇の軌道はずらされ、崖をえぐる。
「すごい!パワーもテクニックも一流ですよ!中学生とは思えません!」
「無駄口、聞くなっ!」
つむじ風に乗った大量の砂利が、ドリートの顔面に注ぐ。散弾銃のような攻撃。咄嗟に、目も口も閉じる。
その一瞬、
風に乗った咲が間合いを詰め、
「かまいたち!」
右手を振り抜く。
散らばる青。飛び散る赤。
致命傷は避けたが、耳とロングヘアに、切れ目が走った。
ドリートの顔から、笑みが消える。
「…ここまで追い詰められたのは久しぶりです。でも、貴女も限界でしょう。もう決着をつけていいですね?」
「…っ…バレたか……」
咲は、真っ青な顔をして、息を切らしていた。
(咲、投降しろ。キャンの誇りの髪を切ったんだ。奴はキレてるぞ。殺される。)
内側からの声を、咲は、
「もとから、そのつもり!」
聞かずに、右手を振り上げる。
「残念です!」
ドリートは、両手を広げる。
すべての風が、止まる。
(空気使いの技…!これまでか……)
振った右手を弾かれ、
首を、締め上げる、ドリートの大きな手。
息が、止まる。
「…さようなら。美しく強いスターターでしたよ。」
咲の意識は、そこで途絶えた。
意識を手放した咲を、そっと大地に横たえる。
沈黙。滝の流れと、木々の揺らぎだけが遠く響く。
しかし、
その音が、
どんどん大きくなり、
「ここかぁっ!?」
沈黙は、破られた。
滝の下から、岩から岩へ、踊り騰がり、
青い飛沫を纏う影。
それはまるで……
「始まりの、龍……!?」
目を奪われたドリートは、一瞬、反応が遅れ、
バキッという、嫌な音。
勇のキックが、ドリートの右腕に命中した。
「ぐっ……!」
右腕を押さえてうずくまるドリート。防御が間に合わず、大怪我を負ったようだ。
「ざまぁみろ誘拐犯!」
「…木々原さん、あなたでしたか…。全く、わきまえなさい。猿が登るのは滝ではなく、樹ですよ。」
「知るかボケ!咲はどーした!?」
ドリートは、側に横たわる咲を指した。
「大丈夫です。殺してはいません。」
「倒れてるじゃねーか!」
「誤解しないでください。彼女から挑まれた勝負です。」
「は?」
「僕は、彼女を接待旅行に誘い、部下に勧誘したんです。彼女の答えは、決闘でした。」
「…!」
勇は理解した。
咲は、自分を止めてほしかったのだ。
こうなったとき、助けてほしかったんだ。
自分で決闘を決めたからこそ、素直に助けてと言えず、
自分なりに、仲間を旅行に、滝に誘ったのだ。
「じゃあ、次は俺の番だ。ドリート、俺と戦え!」
「嫌です。もちろん左手一本であなたに勝てますが、僕は早く治療を受けたいので、もう帰ります。」
よく見ると、ドリートの右腕は大きく腫れていた。顔色も少し悪い。
左手でピースサイン。その二本指を額に当てると、
ドリートの姿は、一瞬で消えた。
「すごいや!ドリートを追い払った!」
遅れて到着したユウがはしゃぐ一方、
「咲さん……!」
鈴音の一声は、鬼気迫っていた。
2人が駆けつけると、咲の顔が青ざめているのが分かった。呼吸も浅い。
「たいへん!私、観光客の人達を呼び集めてきます!」
「僕、ケータイ持ってるから、電波入るとこに降りて119してくる!鈴音ちゃん、先にAED見つけたら持ってきてて!」
「分かりました!」
急いで駆け出す2人。取り残される勇。
「ええと、落ち着け俺!こういうときは…そうだよ、前にバイクの免許取った先輩が言ってた……心臓マッサージと人工呼吸!
って、人工呼吸!?」
緊急事態とはいえ、女の子の、
しかも、気になる子の、唇……
勇の中の恥じらいと、理性とが戦争に入る。
「…って、悩んでる時間なんてあるか!覚悟、俺!!そしてゴメン、咲!!」
頬を両手で叩き、咲の一次救命作業に入った。
「…嘘でしょ…」
病院で目を覚まし、一部始終を聞いた咲。
気まずそうに顔を赤らめる勇。
青くなる咲。
「……おぇっ…」
「おいッ!そこは恥ずかしがるとか照れ隠しのビンタとかだろ!?吐き気とかショックすぎるわ!」
「うっさいボケ!唇の無念を喰らえ!」
「ぎゃあああ!」
病室をうなり、勇を引き裂く風の刃。
「ここ一応病院だからねー。はい僕とめたからねー。僕悪くないー。」
ナースコールを押すユウ。
「ごめんなさい、私が残って手当てしてれば…」
謝りまくる鈴音。
「…ううん。その、ごめん、助けてくれて、ありがとう…」
我に返った咲は、
「勇も、ホントに、ありがとう…」
小さく小さく、そう、つぶやいた。