2 裏山の攻防
キリッと肌を焼く、7月らしい澄んだ日差し。冷房の風が心地よく、うとうとしてしまう。
勇は、意外にもサボらず登校していた。というのも、敷地内に寮があるため、サボりようがないのだが。
服も着崩さなくなったし、疲れ切って夜遊びも出来なくなった。段々と、不良少年を卒業しつつある。
とはいえ、基礎教養の授業は寝てばかりいるのだから、更生したとは言い難い。
「勇、また寝てたの?ったく…先、行ってるからね、バーカ」
あきれたような、咲の声。
放課後、生徒の多くはスターター能力の鍛錬をしている。能力を工夫して使うための研究をしたり、練習をしたり。咲やユウのような攻撃性の高い能力者は、裏山や体育館でトレーニングをすることが多い。
「へいへい…」
勇は乗り気でない。
なぜなら、あれからうまく能力を発動出来ていないからだ。
物を殴ろうが蹴ろうが、粉砕するような威力は出ない。どう頑張っても、出ない。
(俺、本当にスターターなのかな…)
自信なさげに、
「ほーら、咲ちゃんはとっくに行っちゃったよ。本気で振られる前に、早く!」
ユウに、引きずられていった。
叶学園の裏山で、ざわざわと風が鳴る。首筋の汗を、心地よく冷やす。
「…うん。大丈夫。今日も、調子いいよ。」
咲は、誰かと話している様子だったが、その目は閉じている。
まるで、自分自身と対話するように。
「いくよ!必殺、かまいたち!」
ざん、と、音を立てて木が一本倒れる。
この裏山には、木が倒されて出来た一本道がある。その広い道は、咲が自主練で切り開いたものだ。
それだけの木を、彼女は、これまで一人で黙々と倒し続けてきたのだ。
ずしん、と、木が倒れる音に、
「おお、なかなかの手練れがいるじゃないか。」
軽薄な、男の声が混じった。
「…誰?」
咲の知らない生徒だった。
ひょろりとした長身、長い手足。爬虫類を思わせる切れ長の目、左頬に切り傷の跡。だらしなく伸ばした茶髪。
蛇みたいな、男だった。
男は口を開いた。
「オレ、乾竜ってんだ。地龍塾に通ってる、ごく平凡な中坊ってとこさ。」
「その平凡な中坊が、こんなところに何の用?」
咲には分かっていた。
地龍塾とは、駅前にあるスターター養成所だ。そこに通っている者が叶学園の敷地に入ってきたということは、
よほど自信のある、道場破りのスターターだ。
しかも、昔ながらのスターターにとって「竜(龍)」には特別な意味があるという。
以前ちらっと聞いたが、最初のスターターは龍から力をもらい、ごくまれに、その最初のスターターと同じ特別な力を使えるスターターがいるとか。
おそらく、この男は、由緒正しいサラブレッドのスターターだ。
「何の用かって?もちろん、君に会いにきたのさ。」
「つまり、そこそこ楽しく戦えそうなスターターに、ってことね。」
「ご名答ぅ!おまけに察しが良くて可愛いときた。今日のオレぁツイてるね!」
「そりゃどうも。で、道場破りに何を賭けてくれるわけ?」
スターター同士は、何かを決めるときや賭けるときに決闘をすることが多い。得てして好戦的な者が多いからだ。
御多分に洩れず、咲もワクワクしていた。叶の2年生では、ほぼ敵なしになっていたからだ。
「そりゃもう、地龍の評判でしょ。トップのオレがこんな可愛い子に負けたなんて広まったら、看板取り下げ必須だって。代わりに、オレが勝ったらキミの名前と連絡先、ね。」
「いいよ。じゃ、やろうか。」
風が高鳴る。
青い草の匂いと、熱い砂利が舞い上がる。
そのとき、
「キミ、まさか風使いか!オレはなんてラッキーなんだ!!」
竜は、ハイテンションに笑った。
「この勝負、もらった!」
竜がその長い腕を広げると、
すべての風が、止まった。
勇とユウが裏山の登り坂を歩いている、その頃。
「…なんか、上の空気がおかしくねぇか?」
「え?そう??」
勇は、戦いの匂いを感じ取ったのか、表情を曇らせた。
「また喧嘩か?」
「まさか。上の方で自主練してるとしたら、咲ちゃんだし、咲ちゃんに挑むなんて…まさか上級生かOBかな?」
「急ぐぞ!嫌な予感がする!」
「ちょ…」
勇は、ユウを追い越して坂を駆け上がった。
その場に到着した勇の目に、
「なっ…」
この夏の空気のように咲にベッタリと付き纏う、ヤンキーの姿が映った。咲は、心底迷惑そうな顔をしている。
「な…っ…何してんだテメェ!咲から離れろ!!」
「んー??」
蛇のような動作で、咲から離れると、こちらを睨みつける男。
「い、勇…あのね、これは違っ…」
「何って。口説いてんの、分かんない?ほらコレ、咲ちゃんのメアド♪」
男はポケットからメモを取り出し、ニヤニヤしながら見せびらかす。
「咲ちゃん!まさか…」
ユウには、事態が飲み込めたようだ。
「ユウ…ごめん、心配かけて。実はその、まさかなんです…」
「あちゃー…」
ユウは、頭を抱えて、勇に耳打ちする。
「スターター同士は、よく何かを賭けて決闘するんだ。多分咲ちゃんは、あのオオトカゲ男に負けたら連絡先を教えるとか、そういうバトルをして、負けたんだと思う…」
「何だと!?」
勇は、呆れ半分、心がざわついた。
咲が納得して交わした決闘だし、
咲が誰に口説かれようが、
そんな仲良くもない、ただのクラスメイトの勇には、関係ない…
はずなのに…
なんだろう。
とても、許せない気持ちになった。
「ユウ。その決闘システム、俺もやってみるわ。」
「え?」
勇は、蛇ヤンキーに向き直って、
「俺が相手だ。俺が勝ったら、そのメモをいただくぜ!」
そう、メンチを切った。
「「はぁあ!?」」
一同の、素っ頓狂なリアクションがシンクロした。
ユウや咲にとっては、「無茶な、初心者には無理だ」という叫び。
竜にとっては、「なんだこいつ、面白いじゃん」という高揚。
「で?受けてくれんの?それとも、そのメアド持って、ケツ振って帰るか??」
「はっ!いいぜ、やってやるよ。そのかわり、オレが勝ったら全裸土下座な。」
「ゔっ…。わ、分かったよ。」
咲とユウが慌てて止めようとするが、勇はもうやる気だ。ヤンキーだからか、スターターだからか、戦いの空気に酔っている。
「ハハッ…面白い。面白いよお前!名前は?」
「木々原勇。そっちは?」
「乾竜。地龍塾のトップ張ってる男だ。」
「カンリュウ?」
「活字ボケ禁止!イヌイだイヌイ!」
竜が両手を広げる。
熱気が、喉を焼く。
汗がチリチリと沸騰する。
空気が、塊になって、勇を飲み込む。
勇が拳を振り上げ、襲いかかる。
拳は、力無く空回った。
続いて脚、
蹴り上げようとした脚は、ほとんど持ち上がらなかった。
整えようとした呼吸は、ゼイゼイと、
うまく、続かない。
(何だこれ…体がうまく動かねぇ…)
「ネタバレしてやろうか?オレの力は、空気。エア・スターターさ。」
「空気…!?」
「ああ。風を封じるのも、猿を窒息させるのも、空気圧を変えるのも、自由自在ってわけ!」
咲が早々に負けたのも、
体が動かないのも、
合点がいった。
しかし、やっかいだ。勇は、こんな状態で喧嘩をした経験なんて、なかったから。
「ぐっ…!!」
竜の回し蹴りが、勇の腹に入る。続く脚を、拳を、かろうじて避ける。
防戦一方。
「ざまぁねーな!マッパ土下座コースかぁ?ハハハッ!!」
「くっ…そ…」
自分が怪我をするのも、服を脱ぐのも構わない、が……
「つまんねーの。さっさと終わらせて、咲ちゃんとデートでもするかな!」
咲がこいつに口説かれるのは、
何故か、許せなくて…
咲を、守りたくて……
守らなきゃ、いけない、から……
「くそっ…くそぉッッ!!」
息を止めて、全身にめいっぱい力をこめた。
血が沸騰する。全身が熱い。急に軽くなった体が、燃え上がるようだ。
頭に本能が呼びかける。
倒せ!守れ!守れ!!!
「おっ?少しは本気になったか?」
勇が姿勢を整え、竜に拳を構える。
ボクサーのように、軽快に飛び出す拳。
竜はサッと距離を取り、
「これはどうだ?空気砲!」
空気の塊を勇にぶつける。顔に命中して鼻血が吹き出すが、勇は動じない。勢いよく、竜に襲いかかる。
顎に、腹に、ヒット。
「ぅ、ぐふっ…!」
竜がよろめく。
長期戦なら、勇の呼吸を制限できる竜が有利だ。しかし、接近戦になると、素手の喧嘩に慣れている勇が、一枚上手。
「うるあぁあっッ!!」
「ぐぶっ!!」
渾身の一撃。とっさに空気圧の盾をつくった竜だったが、なんせ建物を粉砕するストレングス・スターターのパンチ。勢いを殺しきれず、
ドサリ、と、地面に崩れ落ちた。
「勝っ…た…」
勇も、疲れ果てて、そのまま倒れ込んだ。
「すごい!勝っちゃった!僕、叶中の先生呼んでくるね!」
ユウが走り出すのを見送った咲は、倒れている2人に近寄り、
竜のポケットから出したメモを、勇のポケットに押し込んで、
「…無茶なんだから。でも…ありがと。」
そう、呟いてから、ユウの後を追った。