17 エピローグ
「まさか、こんな助かり方があるなんてなぁ。」
勇の傷の縫合を終えた宍原先生が、肩を竦めた。
「奇跡だ、奇跡。無意識にスターター能力を応用して筋肉を増強して、傷を塞ぎやがった。知ってるか?心臓も筋肉の塊なんだぜ?」
「はぁ…」
「つまり、もう心配ねぇってこと。あ、念のため1週間は、トレーニング禁止と、抗生物質と輸血とキャンの特効薬のハイパー点滴責めってことで。通うのサボったら、鼻の穴とケツの穴から薬ぶち込むからな。」
「…」
勇は立ち上がろうとして、
「なぁ、先生。聞きたいんだけどさ。」
そう、振った。
咲から聞いた。宍原先生は、かつての死神を知っていると。かつての死神は、殺鬼と同じだったと。
「死神は、なんで灰になっちまったんだ?」
「おそらく、あいつの身体は、とっくに死んでたのさ。
死神の能力は、奇術の道具強化。あいつは、自分自身の身体を奇術の道具として強化し、かつての野望が変質してしまっているのも忘れて、悪霊のように彷徨っていた。
お前に心を崩されて、能力が解除され…本来の朽ちた姿に戻っただけだ。」
先に向こう側に行っていたクラウンは、変わってしまった相棒に泣いていたのだ。
「…木々原、サンキューな。クラウンとプルートを、救済してくれて。」
「…え?」
宍原先生の表情が、
嬉しそうに、悲しそうに、くしゃりと歪む。
まるで、少年少女だった、あの頃のように。
「クラウンは、オレたちのかつての友だった。あの時、クラウンを救うことが出来てたら…ずっと、悔やんでた。だから、礼を言う。」
「先生…」
勇は緩々と立ち上がり、医務室を去った。
治療が終わると、すでに日が暮れていた。冷たく湿った風が、今にも泣き出しそうで。雨雪を孕んでいる気がした。
寮のロビーに入ると、
「うお!?」
パン、パン、パパン!!
拍子の抜けた、爆竹の音。弾けるクラッカー。
ロビーには、クラスメイトが勢揃いしていた。寮に住んでない奴まで。
カラフルな折り紙の飾り付けの騒がしく、暖房に揺れる。大きな横断幕には、
「祝!スターターマスター木々原勇・爆誕!!」
と、書かれていた。
「…そーいや俺、スターターマスター倒してた…」
「いっちゃん!おめでとう!!」
「ぐぁあっ!?」
ユウに抱きつかれ、傷口が引きつり激痛が走る。
「今度、改めて校長から任命と説明があると思うけど…でも今はお祝いだ!食堂に、パーティーメニュー頼んであるんだ!行こう!」
「木々原!今夜はお前が主役だ!」
「お前はいつかやる男だと思ってたぜ!」
はしゃぐクラスメイトの中に、咲を探す。
「咲ちゃん、まだ眠ってるって。でも、今夜くらいには目を覚ます、大丈夫って、先生達言ってたよ。」
「そうか…」
勇は、ユウに促され、食堂に向かった。
長い、1日だった。
朝、死神の襲撃を受けて。
いっぺん死んで、つぼみを抱きしめて。
死神を、滅ぼして。
スターターマスターなんてものに、なって。
食堂パーティーも大変だった。盛り上がったクラスメイトが決闘を始めそうになり、ユウがクラッカー暴発させ…
…騒いだ奴全員、寮母さんにボコボコに沈黙させられてた。さすが寮のセ●ム、半端ねぇ。
「勇、入るぞ。」
疲れ果ててウトウトしていたら、急にドアが開いた。
入ってきたのは、殺鬼だった。
いつもと同じ冷たい瞳が、今日はゆるゆると揺れている。
「おお、目を覚ましたんだな。身体は大丈夫か?」
「咲は、まだ眠っている。もう少ししたら、起きるだろう。」
身体を横たえていた勇が起き上がる。
その傍に添うように、殺鬼が、ベッドに腰掛ける。
カーテンを開けて窓の結露を手で拭う。結露が涙のようにツウ、と流れる。
外は雨雪が降っていた。
シンと染みる冷たい隙間風と、ふんわり暖かい暖房の風。
「実は…お別れを言いにきたんだ。」
「へ!?」
殺鬼は、泣きそうに微笑んだ。
「保健室のカウンセラーに言われた。もう、人格統合が起きてもおかしくない、と。私自身、これが最期になる予感がするんだ。」
「最期って…くそ、俺に分かるように言ってくれよ…」
意味がわからず、頭を抱える。
「私は、咲の心の傷。咲が傷を乗り越え、心を開ける人ができたとき、私は消える運命だったんだよ。…私も、寂しいけど。」
「…ダメだ、まだ。咲が悲しむ。」
殺鬼は、外を眺める。
「もう、春が来る。雪はいずれ解ける運命。雪解け水が涙となっても、いつかその水で花が咲く。」
それは、
鳥が鳴き唄うように、
幼い子が泣くように。
勇の胸を締め付ける。
「咲を、幸せにするんだぞ。」
「さっ…き…」
きっと消滅は、避けられない定めなのだろう。殺鬼の表情は、寂しそうな泣き笑い。
勇は、彼女を困らせるのを止めることにした。
「…俺も寂しい、けど、ここで俺が泣いてダダこねたら、」
その細身な身体が、もたれかかってくる。その匂いに、暖かな重みに、不覚にも懐が熱くなる。
「…咲を慰める奴が、いなくなっちまう。」
「…そうだな。その通りだ。」
目を閉じて、頬擦るように俯く。
小さな手が、どちらともなく絡ませられる。
「咲を、頼む…ずっと側にいてやってくれ…」
「ああ。」
「…会えて、本当に、良かった。」
「俺もだ。」
「…おやすみ、勇。」
「おやすみ、殺鬼。」
絡んだその手に、暖かな雪解けが落ちた。
どれがどちらの涙なのか、わからないくらい。
小鳥のさえずりに、2人で鼻歌を重ねる。
溶けた雪の塊が、枝を伝ってパシャリと落ちる。負荷から解放された梅の枝が、ピンと跳ねて淡い花を開く。
ほら、庭はこんなに綺麗だよ。
もう、春が来るよ。
私は縁側に座り、部屋にいる彼女と、
取るに足らない、話をしてた。
彼女は頷き、私の話のオチで優しく笑う。
「咲ちゃん!学校いくよー!」
クラスメイトが、呼んでいる。
「咲、何やってんだ、置いてくぞ!」
私は、仕方なく立ち上がった。
「…あれ?」
部屋を振り返ると、彼女は部屋の奥に姿を消すところだった。
姉のように、親友のように、
私を守ってくれた、凛として優しい彼女。
あれは、誰だったんだろう。
咲は、目を覚ましてすぐ、そこが勇の部屋のベッドだと気がついた。
「え、あれ?なんでまた私、ここに?また甘酒でも盛られた??」
「…咲…」
傍で見守る勇が、かつてない程辛そうな、悲しそうな表情をしている。
目の周りが、真っ赤に腫れている。
殺鬼のことを話すと、咲の表情がみるみる強張っていく。
当たり前だ。ずっと支えてくれた半身が、いなくなったというのだから。
「そん、な、殺鬼、私に、声もかけずに…私、お別れ、言えなかった…っ」
声が、涙に呑まれる。
咲は顔を隠しながら、その場を去ろうとした。
「待て!」
「!?」
その腕を引っ張り、抱き寄せるように、
勇は、その胸に咲の顔を押し付けた。
「な、何!?馬鹿勇、この変態、離せっ!」
「だって。お前、昼間のときもこうしてたし、泣き顔…見せたくないんだろ?」
「な…」
「殺鬼は、もういないんだから。お前を1人にしてたまるか。…殺鬼にも、側にいてくれって、言われたんだよ。」
「……。」
咲の頭を撫でると、抵抗が止むのが分かった。胸元に、震える嗚咽が伝わってくる。互いの鼓動が、芯まで響く。
自分の目元も、再びツンと過熱し、潤んでいくのが分かった。
殺鬼との別れも、辛かった。
別れに咽ぶ咲を見るのも、辛い。
さらに、つぼみのことも、連鎖的に思い出してしまった。
もう会えない悲しみよりも、
旧校舎前で泣いたあの日、1人ぼっちだったことが、なにより苦しかった。
ずっと側にいてくれた彼女が、いなくなった実感。腹に穴が空いたような苦痛。
こんなの、咲に味わって欲しくない。
だから、泣く時は2人で。
そう、思ったから。
「…あんた、いつまで泣いてんの。」
「…え」
泣き止んだ咲が、袖で乱暴に顔を拭いて見上げてきた。
泣き顔のままでいる勇を、しげしげと見ている。
「ほら、終わりにしよう!いつまでもやってたら、殺鬼に怒られちゃう!」
咲が手渡してきたハンカチで、慌てて顔をガシガシと拭く。
「どうだ?俺、男前に戻ったか?」
「うわ、鼻水まで拭いたな!?それ、ちゃんと洗って消毒して返してよね。」
「は、はい…すんません…」
咲は、ようやくいつもの調子を取り戻した。
「…そうだ、咲。渡す物があったんだ。」
勇は、机の引き出しから小さな小箱を取り出した。大人っぽいデザインのリボンで装飾してある。
「これ、誕生日プレゼント。まぁ今日は2月29日じゃなくて、3月1日だけどな。」
「え、あ…ありがとう…」
驚き戸惑う咲に、開けるように促す。
「へぇ、勇にしては頑張ったじゃん、こんなお洒落な…」
咲の手が、小箱からアクセサリーをすくい上げ、
ピタリと止まる。
きらきらと輝くそれは、チャームのついたネックレス。
チャームは、白い花が咲くようにデザインされた、雪の結晶。
それは、心の雪氷で出来た、悲しみを司る名前の彼女…その暖かな微笑みの様。
「花みたいだろ?雪の結晶って、六花って言うらしいぜ。」
「…これなら、春になっても溶けないね…」
咲は、贈り物を胸に抱きしめると、愛おしそうに微笑んだ。
出会った頃とは全く違う、心の底から溢れる幸せの、笑顔で。
壁の時計が、やけに大きな音で時間を刻む。
日付が変わったことに気がついて、咲が立ち上がる。
「そろそろ帰って寝るか?」
「うん。おやすみ、勇。」
しかし、ドアの前で立ち止まった彼女は、すぐには動かなかった。
「…咲?」
「あのさ、勇。一回しか言わないから、よく聞いて。」
「…?」
「…ありがとう、勇。大好き。」
暖房と時計の音に混じって、
それは確かに、
そう、聞こえた。
「な…」
バタン、バタバタと、急いで部屋から去っていく。深夜には迷惑なくらい大袈裟な音は、廊下を遠ざかっていった。
「…マジか…幸せ過ぎるだろ……」
火照りすぎた頭を冷やそうと、窓を開ける。
暗闇を、照らす灯。大粒で瑞々しい名残雪が、降り注ぐ。
冬の最後を、惜しみ見送るように。
「おはよう、いっちゃん!」
「おはようさん…」
結局、興奮してほとんど眠れなかった。目元がズキズキ痛み、ユウの高い声が頭の芯に突き抜けるようだ。
「おはよう、ユウ、勇。」
咲も登校してきた。様子はいつも通りだが、
彼女の目元も腫れている。首には、白いチャームのネックレス。
ユウは、何か閃いた様子。ニンマリ笑って、わざと大きな声で、
「わぁ、可愛いね、それ!彼氏からのバースデープレゼント?」
咲を、からかった。
「…あのねぇ、ユウ。朝からおふざけはやめて。だいたい、あの勇が、こーんなセンスのいいプレゼント、出来ると思う?」
「あーれれー??僕、彼氏とは言ったけど、いっちゃんとは一言も…」
「…っ!!!」
墓穴を掘ってしまった咲が、みるみる真っ赤になる。
クラスメイトたちが、ざわざわと耳を向けてくる。
「2人して眠そうで真っ赤な目だし、さては昨日の夜、何か進展したんだねっ!キャー、みんな聞いて!今夜は食堂にお赤飯を注文しなきゃ!!」
「ば、馬鹿っ!何言ってんのユウ、怒るよ!!」
「良かった、良かった。ようやくくっついたかー」
「こら、そこ!和むな!スズ、感極まって涙ぐむなっ!!ああもう、いいかげんにして!!!」
咲が旋風を起こし、クラスメイトを物理的に沈黙させようと試みる。
「むぅっ負けない!えいっ、柳花火!!」
かわしたユウが、綺麗な尾をひく爆薬を炸裂させる。
「おお、ドンパチか?加勢だ!」
「いいぞいいぞ!景気良くいけ!」
またたくまに、教室に飛び交う手榴弾、はじけるマシンガン弾、青く迸る静電気、どこから飛んできたのか小鳥、コンビニ一軒分のロックアイス、勝手に走る無人自転車、なんかの分厚い本、はりせん…
いつもの、叶中の、朝だ。
「なんつうか、逆に安心するわ…」
勇は、ただの悪ガキから龍の力を継ぐスターターマスターになった。
咲は、傷を乗り越えて、ちょっとだけ大人になった。
クラスメイトたちは、ちょっぴり強くなり、死神の襲撃を生き残ったことで、絆はとても深まった。
それでも、なにより、
この騒々しい日常が変わらないことが、幸せだった。
「っても、そろそろ止めないとまた説教タイムだな…」
勇は立ち上がったが、自分で思っている以上に身体がダウンしていたのか、
「うぇ!?」
ドタン、と、前のめりに、転倒、
しかも、
目の前にいた咲を巻き込み、
あろうことか胸元に顔をうずめた形で。
「…やべぇ…」
「…っンの…」
「こ、これは、違う、その、転んで…」
薄いわりには柔らかい、なんて感想が頭をかすめ、次の瞬間には、やっちまったと絶望する。
「ド変態野郎ぉッ!!!」
「ぐあっ!?」
咲は、飛び退いた勇をハイキックで吹っ飛ばした。
吹き飛んだ勇は、階段を転げ落ちて、乱闘現場を突っ切り、黒板下の壁に激突して止まった。
「あーらら。いっちゃん大丈夫ー?ていうか、なんかデシャヴ??」
ユウはクスクス笑い、
「ま、このくらいなら放っといて大丈夫かな。殺されても死なないスターターマスターさん!」
悪魔のように言い捨て、乱闘に戻っていった。
先生の足音が聞こえる。おそらく1限目は全員説教だ。
勇はいっそ、このまま気を失って、保健室でぐっすり眠って、2限目以降に目を覚ましたい気分だった。
変わらない、非日常的な日常。
変わらない、彼女の非情な仕打ち。
変わらない、みんなの笑顔。
でも、風向きは変わったようだ。すぐそこに、芽吹きの春を連れて。
END