16 闘龍者(とうりゅうもん)
冬の終わり。梅の香りを運ぶ風が、少し暖かく感じる。
今夜は寒波が到来し、雪の予報。それでもきっと、春はすぐそこにやってきているのだろう。
出会いと別れを、孕んだ風と共に。
「けーんじん!何それ自分!?うける!!」
朝の光を、硬い曇天が覆う。
銅像の手入れをしていた叶校長に、明るすぎる声がかかる。
「…死神か。何の用だ。」
校長は、振り返って侵入者の思考を読むことなく、冷ややかに尋ねる。
どうせ、奴がクラウンのフリをしているときは、内側は混沌としている。理論立った思考なんて読めやしないんだから。
「やだぁ、つめたいー!マックたいくつー!ちょっとね。ここの生徒さんと遊びたくなったんだ!」
「放課後に出直してくれ。木々原は、これ以上授業を抜けたら進級出来なくなる。」
「んーん、違うよ!木々原くんじゃなくて…」
「…!」
しまった。
叶校長は、思い当たった。
銅像の胸部の蓋を開け、ボタンを押す。敷地内に、アラームが鳴り響いた。
死神を睨みつける視線は、その狂った思考を拾いすぎて、キリキリと痛む。
「貴様の狙いは、立花か。」
「…さすが、賢人。ナイスアイデア、だろ?」
死神が、可愛らしい少年の仮面を外す。狂気的な笑みに、化粧が歪む。
(死神が木々原を狙う限り、状況は拮抗していた。堂々闘えば、勝機が無いわけではなかったから。
しかし、周囲の人間を狙うとしたら…彼は、仲間を庇いながら闘えるほど器用では無い。
加えて、もし立花が死神と契約を交わしていたとしたら…)
「そのアイデア、阻止させてもらう。」
「お前が?クソ弱いくせに??」
死神が投擲したナイフは、校長にすべて避けられる。
「…その通り。私は弱い。だが、軌道を読むことは出来る。ほら、うかうかしていると、警備担当の職員が集まってくるぞ?」
「…ははっ!少しはウォーミングアップになりそうだな!!」
アラームと、死神の狂喜が、木霊した。
「侵入者アラーム、やまないねー…」
朝のホームルームの時間なのに、校内に轟き続けるジリジリという爆音。地龍の連中のイタズラなら、とっくに制圧されているはず。
ならば避難訓練かと思ったら、
「2年生48名全員いるな?これは訓練じゃない、クラスから出るな!」
担任が、出入り口を封鎖した。
「あれ、関ティが言うならマジな奴だ。」
「ますますおかしい。叶中の先公ってほとんどスターターだろ?こんなに手間取ってるなんて、相手はどんな…」
その騒めきを、
ヴンッ、という、空を斬る弾丸が、
ゴッ、と担任に食い込み倒す音が、
ひっくり返した。
弱くはないスターターの教師を一撃で沈めたのは、何の変哲もない紫色のゴムボールだった。
「派手なゴムボール!?まさか!?」
察しがついた6班の何人かが、立ち上がる。
その予想は、正解で、
「みーつけた!」
ガシャン、とバリケードを散らして、死神が入ってきた。死神は、勇や咲たちを見つけてニッコリ笑った。
「賢人も、他の先生たちも弱いんだもん。つまんなかったー。ねぇ、ぼくをもっと、楽しませて。」
狂気をひた隠す少年の笑顔は、
「…ぼくと、あそぼうよ、…立花さん!」
「…!」
それでも、生徒たちを、震え上がらせた。
「な、なんで私!?」
「前に、言ったでしょう?…願いを叶えてあげるかわりに、大切なものを失うかもしれないよ。その覚悟は、ある…って。」
「…!!」
思い当たった咲は、怯え切って、一歩、後ずさった後、
「…分かった。代わりに、クラスの皆には手を出すな…!」
脚を踏ん張り、凍りついた目付きで、死神を睨みつけた。殺鬼と交代したらしい。
「殺鬼、よせ!」
「みんな、下がっていろ!」
殺鬼が右手を振り上げると、風圧で窓ガラスとドアのガラスが弾けた。
きらきらと散るガラスが、風に舞う。まるでダイヤモンドダストだ。
「そうこなくっちゃな!」
死神は、楽しそうにタロットカードの束を取り出した。
投げられたカードが、風で弾かれて机に突き刺さる。
踊るように繰り出される短剣。とっさに距離を取った殺鬼が、手の甲を狙って空気砲。死神が短剣を取り落とす。
その隙に、風の刃。死神の帽子が裂けて落ちる。
若白髪混じりの荒れた青髪が姿を見せる。
「立花ぁ。お前、オレと同じだろ?」
「…違う」
若白髪に加えて、グローブを外した手を見せつける。ミイラのような真っ白な細さ。
「よく見ろよ。これがお前らの末路だ。まるでドライフラワーだろ?人の悲劇喜劇がねーと、干からびそうでなぁ!!ひゃはははは!!!」
「違う!私たちはズレていない!」
「今はな!」
死神が、投げ輪をいくつも投げる。ブーメランのように不規則に飛ぶそれは、ぶつかったコンクリートの壁を削り取る。
殺鬼は、それを避けるときに、バランスを崩して尻餅をついた。
「しまっ…」
目の前に、死神の剣が迫る。
やられる、と、目をつぶって空圧の壁をつくる。
「…?」
空圧を解除すると、
真っ赤な背中と、熱い血の匂い。
「な…」
目の前に立ち塞がった勇の背中から、剣が生えているのが見えた。
心臓のあたりを一直線に貫く剣は、鮮血に濡れていた。
ジュ、と、嫌な音を立てて、剣が引き抜かれる。
つんとした、生臭い血。
「ばっ…勇っ!?」
何かの冗談かと思うくらい、
彼は、
緩慢に、
崩れ落ちた。
「やっぱりな!立花を狙えば確実に殺れると思った!どうだ立花ぁ!お前の大切な男は、このオレ死神が奪ってやったぞ!!」
「…。」
彼女は、無表情のまま固まっていた。
死神が剣を放り投げる。
その音を合図に、背後のクラスメイトが、何人かケータイから119、何人かが医務室に走る。
その喧騒も、目の前の現実すら、彼女の目も、耳も、通り過ぎていく。
「ダメだ、咲、待て…」
両手が、顔を覆う。
「…ゆる、さない」
両手が、顔から離れる。
その顔は一転、絶望に染まり、
「死神、も、よわい、自分も、許さない!!」
咽び泣く悲鳴のような、突風。
ゴウコウと生徒の鞄が宙を泳ぎ、文房具や教科書がビュンビュンと乱れ飛ぶ。
パチパチ、空色の稲妻が走る。
溢れて弾けるエネルギーは、怒り、悲しみ、絶望、虚無。
咲の右手から溢れ、教室中を暴れ回る。
稲妻が触れた机が、パックリと裂ける。
「…ハハッ!いい感じに壊れてきたじゃねーか。木々原ぶっ殺して正解だったなぁあああ!!」
咲は、あまりの激情に、殺鬼を押し除け、その能力を暴走させていた。
彼女を止められる者は、もはや、ないのだ。
前にも、来たことがある。
切り立った崖。滝と新緑が、ざあざあと音を立てる。さわやかな匂いが、顔をかすめる。
傍に咲く菜の花や桜が、今にも満開を迎えそうだ。やわらかな春の香りが、やすらかな風が、漂っている。
そのとき、
「いっちゃん!」
懐かしい声がして、振り向くと、幼馴染の少女がいた。
「つぼみ…」
「久しぶりだね。いっちゃん!あっちに、もっと桜が咲いてるんだよ。お昼寝すると気持ちいいんだ!ねぇ、行ってみない?」
ふわふわしたショートカットのブロンドは、咲よりも柔らかい毛質みたいだ。とろけるような笑い方は優しく…引かれたその手は、暖く感じた。
「つぼみ…ここって…」
「ここ?…うん、そう。いっちゃんは、私たちのところに来てくれたんだよ。」
勇を引く手が、強くなる。
「後悔しても、仕方ないよ。それに私、ちょっとだけ、嬉しいんだ。また、一緒にいられるから…」
「…っ」
勇は、思わず、その手を振り払った。
つぼみは、振り返ると、勇の表情を眺め、
くしゃり、と、悲しそうに俯いた。
「…ひどい、顔。何か、未練を残してきたの?」
「そう、そうなんだよ!俺、死神にやられて…くそ、咄嗟に飛び出しても、何にもなんなかった…このままじゃ、咲が、みんなが……」
結局、また、間違えた。
守れなかった。
みんなで強くなると誓ったのに。
「…そっか。」
つぼみは、滝の上を指差した。
その滝は大きく、高く、頂点が見えない。
「いっちゃんでも、辿り着けるか分からない。届かなかったら、滝壺に叩きつけられて粉々になっちゃう。それでも、行くの?」
「行けなくても、行くしかねぇ!俺は、まだ死ねない!!」
勇は、飛び出そうとして、
「…。」
躊躇するように、立ち止まり、
涙を堪えて俯く彼女の方を、振り向き、
「ひぇっ!?」
つぼみを、思い切り、抱きしめた。
めいっぱい。一生分。
伝えられなかった、「ありがとう」と、「大好き」を、込めて。
「ありがとうな、つぼみ。ガキの頃からずっと、ずっと、助けてくれて。お前がいなかったら、俺、もっと早くに、のたれ死んでたよ。」
彼女の温もりが、呼吸が、わかる。
幻だと分かっていても、離したくない。
「俺、お前の気持ち、ちょっとは分かってきたんだよ…出来るなら、ずっと、一緒にいたい。それだけは、本当だから…」
頬を涙が伝うのが、
照れ臭くて、気持ち悪い。
震える小さな手が、背中をポンポンと慰めてくれる。それが、心地いい。
「…ありがとう。いっちゃんは、もう、あのころの駄々っ子じゃないね。きっと毎日頑張って…いつのまにか、とっても素敵な男の子に成長したんだ。
…さぁ、もう行きなよ。もし向こう側に戻れたら、大切な人を、こうして抱きしめてあげて。」
暖かな手が、勇の頬をゴシゴシと拭う。自分の涙は、そのままに。
「…じゃあな、つぼみ。いつか、また。」
「バイバイ、いっちゃん。大好きだよ、ずっと。」
勇は、息を吸い込んだ。
胸が酷く痛むが、関係ない。
脚に、これまでで一番集中して、エネルギーを込める。
今回ばかりは、龍の力とやらを信じるしかない。
どのくらい高いのかわからないけど。
どのくらい遠いのかわからないけど。
この滝を、越えなきゃいけない。
大切なものを、守るために…!
絶対、戻る。今度こそ、守るんだ!!
膝から崩れ落ち、倒れる咲。
傍に倒れる勇の体に、すがるように。
「もう、やだ…もう、負けでいいから、私も、殺して……」
エネルギー切れで、指一本も動かない。
「嫌だね。心を許しかけた男を奪われ、目の前でクラスメイトを皆殺しにされ…どうだ?壊れちまいそうだろ?ほらぁ、オレと同じとこまで、堕ちてこいよ、立花ぁ!」
「ふざけるなっ!!」
ドカン、と、爆発音。
「いっちゃんは死なない!きっと戻ってくる!みんな、いっちゃんと咲ちゃんを守るんだ!」
その爆発を合図に、クラスメイト達が次々立ち上がる。
「ユウに続け!」
「ここで玉砕してこそのスターターや!」
「吉本玉砕すんな!ここはみんなで守りきるぞ!!」
6班だけではなく、
「皆様!己が戦うばかりがスターターではありません!補助が出来る者はわたくしの所へ!」
戦闘向きでないクラスメイト達も、立ち上がった。
「みん…な…」
その気配に涙を流し、咲は意識を手放した。
加えて、
「楽しい楽しい、道場破りだ!」
「北村、ちゃーんと、りゅっち押さえとけよ!」
「分かってる!」
「叶の奴ら!騒ぎは聞いたぞ、助っ人だ!」
地龍の旗のもと、りゅっちと仲間たちが学校に乗り込んできた。
「なんつうか…面白い展開じゃねーか…!」
死神が、楽しそうに笑う。
戦いは、ほんの数分だったのかもしれない。
大勢対1。一見、卑怯なくらいの袋叩きだ。しかし、死神の力は、それをも凌駕していた。
ダイナマイトも、真空も、雷も。
何も、死神にとっては致命傷にならなかった。
数分でも持ち堪えたのが、奇跡的な程。合同訓練が、彼ら彼女らの命を守ることになった。
「はは、飽きてきたぜモブども!そろそろ皆殺しでいいかぁ?」
拮抗が崩れそうになる、
その、刹那。
「…おい死神!」
「ぐっ!?」
死神の頬に、右ストレートが食い込む。
普通なら、全身丸ごと吹き飛ぶような、交通事故レベルの右ストレート。
死神にとっては、たいした衝撃ではない。
しかし、心理的には、そうではなかった。
殺したはずの相手が、反撃してきたのだから。
「…木々原ぁ、貴様、死んでたハズだろぉ!?」
「おう、死んだ死んだ。あの世は綺麗だったぜ。三途の川の向こう側で、故人を抱きしめたりしてきたさ。でも、戻ってきちまった。守らなきゃいけないモンがあるんでな。」
へへ、と、笑う勇。
どよめく、クラスメイト。
勇の胸のその傷は、ほとんど塞がっていた。
「て、め…殺し直してやる!!」
短剣が、勇を襲う。その短剣を、勇の回し蹴りが弾く。
頂点の、攻防。
段々、死神のキレが、落ちてきている。
咲を含め大勢を相手にして、スタミナが切れてきたのと、
思いもよらない勇の復活に、混乱しているのと。
「…っああ、くそ、不愉快だ!虫唾が走る!オレぁ、なんて不幸だっ!!」
「お前が不幸なのは、人を不幸にするからだろ!」
「違う!オレは…オレは、人を笑顔にしてるんだ!!」
「…!」
汗で落ちた、笑顔の化粧。
苦しそうに涙を浮かべる死神の顔に、見覚えがあった。
「お前、滝壺の…」
あの夢の、
水の中で泣いていた少年。
あれは、死神の、死んでしまった魂の片割れだ。
あの子が止めたかったのは、涙じゃない。死神だ。
じゃあ、あの子の伝えたいことって…
「…っく…」
腹部に、蹴りが入る。
ついに、死神が武器を落とし、膝をついた。
勇は、駆け寄って、倒れ込んだその身体を抱き抱えた。
間違いない。死神は、あの子だ。
「あっちにいた、お前自身から、伝言を預かってる。お前を、止めたがってたぞ。」
「…!」
死神は、目を見開く。開ききった瞳孔に、勇の顔が映る。
「ありがとう。会えてよかった。…ってさ。」
「くら…うん…?」
死神の、乾いた瞳孔が、潤み始める。
「クラウン…そうだよ、オレたち、一緒に、みんなを笑わせるって、約束したのに…くそっ、どこでズレちまった……」
涙が、頬の化粧を、完全に洗い流す。
そこにいるのは、恐ろしい死神などではなく、泣いている幼い少年そのものだった。
「くっそお、クラウン、なんで、もう会えねぇ!!オレは…オレはなんて…」
「不幸、だったな。もう、やめていいんじゃねーか?…もう、休めよ。」
「うぅ、あぁあ、くそおっ…クラウン…ごめん…ごめ…ん…」
泣きじゃくる少年は、その涙に溶けるように、
サラサラと、チリになって消えた。
「倒し…た…っそうだ、咲!」
倒れている彼女に駆け寄り、外傷を確認する。
「…い、さむ…?」
揺すられて目を開けた咲が、あまりの驚きに飛び起きる。
「な…なんで!?あんた、死んだかと思ったじゃん!!」
「おお、死んだ。でもって、戻ってきた。お前のこと守るために頑張るって、決めてたからな。ほら、死神も、もう、いないぞ。」
「う…そ…」
咲は周囲を見廻し、安心したのか、
ポロリ、と、大粒の涙を落とす。
「この、馬鹿!次こんな無茶したら、ただじゃおかないから!!」
勇の真っ赤な胸元に額を擦り付け、泣き顔を隠してしまう。
しがみつくように、抱きつくように。
「馬鹿、ばか…次、また死にかけたりしたら…私があんたをコロし直してやるんだから…っ」
医務室からスタッフが駆けつけてくる頃には、咲は再び気を失っていた。