15 甘くて苦い
「おはよーさん!…おぉ?」
勇がホームルームクラスに入ると、その雰囲気は、普段とどこか違っていた。
甘く浮ついているのに、ピリピリと張り詰めている、おかしな二極性。
「おは…うわぁ、どうしたユウ!?」
「あー…いっちゃん…おはよー…」
熱に浮かされたようなトロけたユウ。頭からヒマワリでも生えそうだ、2月半ばなのに。
「うおお金森ぃいい!?」
同じく6班の金森も、同じように溶けていた。
反面、同じ6班でも吉本のように殺気立った表情の者もいれば、女子は女子で牽制し合うようにソワソワしている。
勇は、思い当たった。今日の日付けは…
2月14日。
「そういうことか…ということは、ユウてめぇ!誰に貰った!?吐け!!」
「ふふふー。ごめんよいっちゃん。僕は一足お先に大人の階段を登ったぞ…」
ダメだ、使い物にならない。
「金森ぃ!てめーは!?」
「えぁ?何だよー、木々原。お前はこっち側じゃねーの?咲ちゃん、どーしたよ??」
「うぇあ!?」
あの夜の告白から数日。
気まずくて…まあ、咲が忙しかったのもあり、まともに会話をしていない。
加えて、今朝なんか、寮の外出届に咲の名前があった。この浮かれた日に、まさかの家事都合欠席である。
(このまま自然消滅…なんてこと、ないよなぁ…)
「うわ、珍しい!勇くんが凹んでる!」
「バレンタインマジックね。」
その日の放課後。
6班女子の理江と奈々が、ニヤニヤしながら近づいてくる。
花畑か戦場か、というクラスメイトが多い中、いつも通りの能天気さだ。
「ああ、警戒するなって。あたしらはお互い友チョコ送り合って終わり。他に義理も本命も要らんの。あとのバレンタインはクラスメイトのキューピッドに徹する予定だから。」
「まさかの、咲不在だもんね。この非常事態に、一肌脱ごうってわけ。」
どうやら、首を突っ込んで引っ掻き回してやろうという女子らしい魂胆のようだ。
ていうか、この2人、いつもベタベタしてて自主練にもあまり来ないし。
…百合か?百合なのか??
「なんだよ、一肌脱ぐって。俺たちに何をしてくれるわけ?」
「お互い躊躇してるんでしょ?あたしたちのアドバイスを聞いてくれたら、咲の背中を押してあげる。」
アドバイス。
それはありがたいかもしれない。
恋愛のテクニックや駆け引きのコツ…そういうの、あるんだろうけど、全然知らない。興味なかった。今まで、恋愛なんて軟派な奴のすることと思ってたから。
「で、お前らの望む見返りは?」
「何も。あんたら、見ててムズムズすんのよ。とっとと正式にくっついて欲しいっつーか。」
「主人公とヒロインがくっついてはじめて、脇役にスピンオフ恋愛ストーリーが回ってくるっていうか。」
メタ発言はスルーするとして。
素直に、頷くことにした。
理江が、満足そうに笑った。
「2人からのアドバイス。それは、乙女が自分に何を求めるか推理せよ!」
「バァカ、分かったら苦労しないって。」
「そう難しく考えなさんな。少女は誰だって、お姫様扱いして欲しいもんなのよ。例えば、雨の日の道を一緒に歩いてるとき。あんたは、歩道のどっち側を歩く?」
「は?どっち歩いても同じだろ?」
「喝!そこは車道側でしょ!!」
「レディに車の跳ねた水が、かからないように。勇くんの場合、スリップした車とかが突っ込んできてもレディを守れるしね。」
「なるほど!そういうことか!」
つまりは、過剰なくらい、咲を気遣えってことだな。それなら、なんとか叶いそうだ。
「次、わたしから。このまま2人がくっついても、長続きはしないでしょう。成人する頃には破綻するかも。なーんでだ?」
「奈々お前、不吉なことを!」
「じゃあ聞くけど、勇くん、将来の食い扶持のこと考えてる?九九も怪しい勇くんは、どうやって咲と暮らせるの??」
「う"…。」
不良時代の先輩にも、勇と同じような成績だった人がいる。
どいつもこいつも、現場監督と揉めて無職になったとか、パチにハマって借金まみれとか…
あ、これ、確かにやばいかも。
「えと、その。頑張ります…せめて九九くらい…」
「その意気よ。」
「最後に、2人からのアドバイス。モテる男の先輩にも、話を聞いてみましょう。これで、理江と奈々の恋愛講義を終わります!」
「お代は、ホワイトデーに飛行艇のタルトで結構。」
「やっぱり報酬むしりとるんじゃねーか!!」
日没寸前。
2人のアドバイスに従い、オレが知る限り一番モテキャラな先輩の所に行くことにした。
学校近くの開けた芝畑に、大きな犬と大きな青年。
「だいごせんぱーい!」
勇が手を振ると、彼は犬と一緒に走ってきた。夕日を背負って走るイケメン、とても絵になる。
大吾先輩。寮で隣の部屋の3年生。転入したての勇を、色々助けてくれた気さくな先輩だ。動物使いで、パートナーのでかいハスキーを中庭で飼ってる。見た目はチョイワルイケメンなのに、動物にデレデレなギャップが女子に人気。
(俺も何か、ギャップがあったらもっとイケてるかなぁ…)
「珍しいな。お前が恋愛相談とか。ウケるー」
「うっせーっすよ。こっちは結構マジなんで。先輩モテるんですから、アドバイスくださいよ。」
隣のハスキーが先輩と一緒にハフハフ笑ってるのが気になるが、あえて見ないことにした。
「っても、最適解なんて人それぞれだと思うぜ。女の子の攻略に王道無し、っつうのが持論だな。」
「うわ、先輩が言うとカッコよく聞こえるー。でも何のアドバイスにもなってねー!」
でもな、と、先輩が付け足す。
「動物使いとしてのアドバイスなら。ほら、人の恋愛感情って、限りなく動物的だろ?オレはさ、仲良くなりたい動物を、すごく観察するよーにしてんの。そうすると、その子がオレに何を求めてるのか、どうしたいのか、分かってくるんだよ。」
「はぁ…」
「要するに、その子をよく見てあげて、聴いてあげてって、こと。これでいいか?」
「んー、なんとなく。サンキュー、先輩!」
ハスキーが退屈そうに欠伸をしたので、勇は頭を下げて立ち去ることにした。
寮に戻る頃には、日が暮れていた。
鼻歌混じりに、部屋のドアを開けると、
「お、おかえり。」
「うぉ!?」
部屋の中に、まさかの、
咲が、いた。
「あはは、ごめん。鍵開いてたから、部屋、入っちゃった。」
イスでくるくる揺れながら、照れながら笑う咲は、やっぱり可愛い。
…とか、妙なことを口走る前に、
「咲、お前今日欠席だったよな?何かあったのか?」
話題を変えてみた。
「おばあちゃんが倒れたって聞いて、私とおばちゃんが見に行ったの。そしたら、ただのギックリ腰だって。拍子抜けしたけど、せっかくだから、おばちゃんとお菓子作りしてお喋りしてから帰ってきた。」
「そうか。おばあちゃん、悪い病気じゃなくて良かったな。」
どこか、他人行儀な言葉が出てしまう。
アドバイスは、まだ消化不良。
咲が何を求めているのか、自分にどんな気遣いが出来るか。何を頑張れるのか。
よく、分からない。
「…それで、さ。」
咲が、絞り出すような声で言う。見ると、そっぽを向いて耳まで赤くなっている。
勇は何も言わず、ベッドに腰掛けて咲と目を合わせる。
「おばちゃんと、作ったお菓子。あげる。」
咲が差し出したのは、可愛らしくラッピングされたガトーショコラ。
「すげー!うまそう!サンキュー、咲!」
「でしょ?おばちゃんは駅前で喫茶店やってて、そこのスイーツも絶品なんだよー。自信の一品です。」
目を輝かせてガトーショコラを見つめる勇。咲は、再び赤くなり、椅子を回して身体ごと勇に背を向ける。
「今日、バレンタインでしょ。その、遅くなって、ごめん…」
「遅いもんか。まだ夕方だぜ?」
「そうじゃ、なくて…」
ほんの短い沈黙が、何分にも感じられる。
暖房の音が、耳鳴りのように、胸に響く。吸い込んだ空気が、暑いくらいだ。
「私が、それ渡したの、勇だけだから。…こないだの、保留だった返事。そういうこと……」
「へ!?」
勇も、やっと理解した。
遅くなった、告白の、返事。
それが、唯一1人にだけ用意した、甘くて苦いバレンタイン。
恥ずかしがり屋の咲からの、120%の明確な回答だ。
「…さ、き…」
勇も動転し、パクパクと言葉を失う。
耳鳴りは胸の鼓動を巻き込み、あまりの煩さに気を失いそうだ。
顔がブワッと熱くなり、汗が止まらない。
咲も同じなんだろう。固まったまま、その耳だけが真っ赤なのが見えるだけ。
「…ああもう、馬鹿!あんたが黙ってどうすんの!」
「う、え、ああ、悪い!嬉しすぎて何も言葉が出なかった!」
気遣いだとか、将来のことだとか。
そんなアドバイス、今だけは頭から吹き飛んでいた。
ただ率直に、幸せ。
ただ愚直に、幸せにしたい。
「…その、サンキュー、咲。受け入れてくれたからには、俺、頑張るから、よろしくな。」
握手の手を差し出すと、パチンと激しいタッチ、のち、手を握ってくれる。
「当たり前よ!せいぜい、私と釣り合う男になりなさいね!」
照れ隠しを吐き出す咲は、いつもの調子で。それが、更に嬉しい。
「というわけで、ホワイトデーは分かってるんでしょうね?」
「手作りオンリーワンのチョコとか、プライスレスじゃねーか。その三倍って、どんだけボッたくるつもりだ?それこそ飛行艇のスイーツ棚ごと全部とか言い出す気か?」
「ちぇっ…ダメか…」
「おい…」
暖房が、暑いくらいに2人を暖める。
やってくる夜は、次の朝を連れてくる。
身を裂く北風は、次の春を連れてくる。
2人の関係と、新しい季節を進めるために。