13 人格の軋むとき
廃墟の窓が、ギシギシと北風に揺れる。
人々から忘れ去られたような廃工場。ここは、地龍塾のゴロツキ達の溜まり場、兼、特訓場所。
「体はもういいのか?」
「ああ。学校医のお墨付きだ。」
今日も、合同練習が始まる。
勇が右腕に力を込める。
溢れるエネルギーが、紅い陽炎のように腕を覆う。
バラバラに襲いかかる、刃、爆音、茨薔薇、銃火器、鉄骨、ゴムボール、雷…
勇はフットワーク軽く逃げ回り、鉄骨を粉砕する。
「ははっ!絶好調だぜ!!」
地龍塾と叶中の合同チーム対、勇1人。
何故なら、一対一ではたいていのスターターは勇に勝てなくなってきているし、唯一張り合える実力のある咲とでは、勇が一対一勝負に抵抗感を示したからだ。
スターターは、生命の危機を乗り越えたとき、能力が向上する特性がある。
勇はもはや、初心者ではなく、指折りのスターターと呼んで差し支えなかった。
今回の自主練には、どこからか乱入したマックが混じっていた。
その笑顔は、化粧抜きに、楽しそうだった。
そのとき、
「てめぇら!そいつから離れろ!!」
工場の入り口に立っていたのは、
見たこともない、凍てついた目をした、
乾竜、だった。
彼が指差したのは、マック。
「やっと見つけたぜ…死神!!」
その言葉に、そこにいる全員が固まった。
この可愛らしい、小さなピエロが。
死神だと、いうのだ。
「…あーあ。茶番も、終わりかぁ。」
笑顔が、かわる。
狂喜が、道化の面を塗りつぶす。
「…その通り。オレの名は、マッドクラウン・プルート。死と狂気の道化師さ。」
マックだった時とは、まるで別人。
もしかしたら、咲と同じく、多重人格なのかもしれない。
その表情に、竜が気圧される。
「死神、てめぇの目的は何だ?」
「オレぁピエロだ。人の笑顔に決まってんだろ。」
狂喜は、ますますケタケタ揺れる。
「人の悲劇は最高の喜劇!一度掴んだ幸せを失う絶望!見ていて興奮するだろ?そして絶望から立ち上がり、1つずつ日常を取り戻す幸福!ほら、オレのもたらすものは、笑顔ばかりじゃないか!!」
「…分かった、もう、黙れ!!黙れぇぇぇっ!!!」
竜は耳を塞ぎ、引きちぎれんばかりに、叫んだ。
死神の足元が、ブラックホールのように歪む。竜から溢れたエネルギーのダイヤモンドダストが、あたり一面に広がり、
「お前こそ、もう、黙ったら?」
「ー…っ!?」
音もない死神の一撃で、
そのすべてが消えた。
「竜!?」
「りゅっち!!」
竜は、己の腹に突き立てられている三本のナイフを見ると、膝から崩れ落ち、力無く倒れた。
「はははっ!大好きだった彼女の所に逝っちゃうのもまた、幸福かもなぁ!?」
とどめを刺そうと、近づいていく死神。やっと我に返った勇達が、制止しようと駆け出した、
そのとき。
「ぐっ!?」
死神が、巨大な突風で弾き飛ばされる。
他のスターター達も、旋風に吹き飛ばされる。
風は風でも、咲のそれではない。
廃工場の入り口に、3人の大人が立っていた。
「こっそりつけて来てみて、正解だったみたいだな、空。」
叶校長が空と呼んで笑いかけた男は、映画に出てくる外国のマフィアみたいなちょいワル親父。
一目で、竜の父親だと分かる顔立ちだった。
父親と、学校医の宍原が、竜に駆け寄る。
「大丈夫だ、全部急所を外してある。ナイフは抜くなよ。このまま119だ。かかりつけは市立病院、ケースS、宍原の扱いって伝えるのを忘れるな。」
「了解!恩に着るぜ、オミ。」
死神は、苦々しく3人を睨みつけた。
「くそ、知ってるぜお前ら。
悟心の賢人、元スターターマスター、竜巻の乾空、プロジェクトS最後の生き残り宍原桜実…
…ちっ、面倒くせぇ、興醒めだ、最悪だ!オレぁ、なんて不幸だぁぁぁッ!!」
ボン、と、カラフルな煙幕。
死神は、奇声を毒づきながら、姿を消した。
乾親子が救急車で去ったあと、自主練軍団は校長に本日解散を言い渡され、咲は宍原先生に呼ばれた。
「なんで、私だけ居残りなんです?勇じゃなくて??」
「とぼけるな。なんとなく、察しはついてるんじゃないか?」
「….。」
咲は、気まずそうに俯く。
「…殺鬼の、こと……」
「ああ。…ここじゃ気が滅入る。車に乗れ。」
咲と殺鬼には、分かってしまった。
死神は、自分と同じ、ちょっと特殊な人格障害だ。
第二の人格は、普通、抱えきれないストレスを分散させて請け負うために生まれる。
しかし殺鬼は違う。
咲の負の感情を、ストレスを、糧にして生きている。まるで、血を啜り生きる魔物のように。
死神からも、同じ匂いがしたのだ。
「ほら、ついたぞ。散歩でもしながら、話そう。」
宍原先生が車を停めたのは、駅の反対側にある大きな自然公園だ。
遊具を見守るように、しっとりとした常緑樹の林が構えている。駐車場側には湿地があり、それに寄り添う丘には風車が回っている。乾いた冷たい風に、軋むように。
「結論から言う。お前たちの成り立ちは、あいつと同じだ。けど、お前たちは、ああはならないだろう。さて、詳しく聞きたいか?」
「…はい」
2人は歩きながら、吹き付ける風の行方を眺める。
「これは伝聞と推測に過ぎないが、死神の生い立ちはこうだ。
マッドクラウン・キャン…彼は、純粋なキャンの者ではないためか、スターター能力が無かった。当時のキャンの若者達は、幼い彼を笑い者にした。
クラウンは、辛かっただろうに、腐ることなく奇術の特訓に励んだ。頑張れば、この技術でみんなを笑顔にできる。頑張れば、いつかスターターになれる。そう信じて。
みんなに石を投げられても、暴言を吐かれても、彼は笑っていた。いつしか、笑った化粧をするようになった。
そうして、彼は壊れていった。
そんな彼を助けるために生まれたのが、冥王という第二の人格。
なんの皮肉か、冥王は強力なスターター能力が使えた。あれほど練習した、奇術絡みの能力を。
クラウンは、すでに擦り切れていた。冥王に、身体をほとんど明け渡して、寝てばかりいた。
嘲笑。侮蔑。仲間外れ。クラウンを蝕むすべてが、冥王の糧となった。いつしかその毒は冥王さえも侵食し、冥王はその在り方を変えてしまった。
人のドン底こそ、笑顔の源である…
そんな歪んだ喜劇に夢中になった冥王は、完全にクラウンとは乖離し…
いつしか、死神と呼ばれるようになった。
あまりの残虐さに、当時のスターターマスターが死神を処罰しようとしたとき。
最期の力を振り絞ったクラウンが、死神を道連れに自害を図った。
しかし、どういうわけか、死神はこうして生きている。歳も取らず、あの頃の姿のまま…残虐な行為と、徘徊を繰り返している。」
「…マックと冥王は、大きくズレてしまったのか…」
いつの間にか表に出ていた殺鬼が、眉根を寄せる。
「そう。求めるもの、守るものがズレたんだ。孤独が…毒が、そうさせた。…さて、立花達よ。」
「…!」
散歩の結果、辿り着いた林の奥。
そこには、とても小さな小さな、滝があった。
「強大にして、無限。滝を…困難の壁を躍り昇るのが、龍の力。羨ましいか?お前達が求めるのは、その力か?」
「…。」
咲も殺鬼も、トップクラスに強い。
しかし、勇と同じことは出来ない。
「…違う。私の力は、風…」
殺鬼が、右手を前に出す。
「…滝なんて、昇らなくていい。」
咲が、右手を振り抜く。
滝は旋風に巻き上げられ、
ビョウビョウと音を立て、水の竜巻をつくり、舞い上がった。
躍り昇る、蒼い龍のように。
「困難なんて、こうやって吹き飛ばしてやる。私より強い奴がいたって、気にするもんか。」
咲と殺鬼、口を揃える。
「じゃ、どうしても昇らなくてはいけなくなったら?」
「当然、勇をパシらせる!」
宍原先生は、さすがに驚いた。
他人を寄せ付けなかった咲と殺鬼が、まさか2人してこんなことを言うなんて。
「…上等だ。これで分かっただろう。お前達は、死神にはならない。理由は2つ。お前達が少しもズレていないこと。そして、大切な人…仲間がいること。」
「…!」
急にスターター能力を解除したため、
ざざぁ、と、大量の水が辺りに落ちてくる。
「うわ、バカっ!!冷た!寒っ!!」
「ご、ごめんなさい!!う、うああっ、冷た!寒っ!!!」
2人は車に戻って、タオルと暖房で身体を乾かす。
「…なぁ立花。お前は、人格が統合される時のことを考えたことがあるか?」
「…え?」
簡単に言えば、
咲の問題が解決され、殺鬼が役目を終えて消滅する未来のことだ。
「…考えたくありません」
咲の髪から、涙のように滴が落ちる。
「だろうな。大切な人といるときに、別れの瞬間のことを考えられる奴なんて、そういないよ。」
「…。」
しかし、咲には予感があった。
最近、殺鬼が眠っていることが増えたのだ。呼び掛けても、一回で応答しないことが多い。
もし、殺鬼が、居なくなってしまったら……
自分は、壊れずにいられるだろうか。
髪が乾き、車が動き出しても、咲は風車が軋むのを眺めていた。