10 聖なる夜に
冬休みに入ると、校舎も寮も、人の気配が消えてしまった様に寂れかえる。
勇は、自主練の舞台を、学校敷地全体に移していた。
「とうっ!」
駐輪場の屋根から前転しながら跳躍する影。木から木、木から寮の壁、室外機に飛び移って着地。
「…ふっ。俺ってば、ス●イダーマンか仮面ラ●ダーみたいで、カッコよくね?」
カンリュウが、スターター能力の応用で空を飛んだ。勇は、それを見て、真似したくなったようだ。
足に力を込めるだけじゃダメだった。体幹、膝、足の筋肉に分散させたり、着地に込める力を調整したり。
うまく跳躍できるようになった勇は、調子よく飛び回っていた。
ヒーローもの、というより…マダガスカルらへんにいる、跳ぶ猿のようだったが。
「特訓おーわり!自分へのご褒美は、駅前のケーキ屋にするか!」
駅前に行ったせいで、勇は気づいてしまった。
今日が、クリスマスイブということに。
「家族は仕事だし、彼女もいねぇ…1人でケーキ買いに来たオレって、もしかして超可哀想な男…?」
引き返そうとした勇だったが、
「スイーツ飛行艇の特製クリスマスケーキ!いかがでしょうかー?」
「…?」
聞き覚えのある声に、振り返って路地を進む。
以前、咲に紹介された、駅前路地裏の隠れた名店、スイーツ飛行艇。
そこでも、クリスマスケーキフェアをやっており、
「げ…っ」
「咲、お前…何して…」
ケーキ屋の前で客引きをする、卑猥なコスプレ、ミニスカサンタ。
その正体は、クラスメイトの咲だった。
「ば…バイト。おばあちゃんにお小遣い前借りしちゃって…それに、終わったらクリスマスケーキ1個くれるって…」
「バイト?お前、歳いくつだっけ?その格好、いろいろ…」
「うるさい!言うなっ!」
スカートを引っ張り下げて内モモを隠そうとする、その仕草がよけいにエロい。
…という指摘をすると、八つ裂きにされそうなので、勇は黙って目を逸らした。
「うぅ、なんで俺、こんな格好…」
うなだれる、全身タイツのイカれたトナカイ。
結局、割りのいいバイト代とケーキ1個に釣られ、勇も加勢することになった。
寒い中、順調に売れる、ケーキ。
そのとき、
ひときわ冷たい北風が、
雨雪の匂いのするツンとした空気が、
2人を襲った。
「まぁ、下品な格好のバイト!下品そうなケーキ!」
「…!」
高圧的な女の声。
息を飲む程可憐な、金髪美女。それなりの歳に見えるが、誇り高く胸を張る様子は、そのへんの奥方様には見えない。
モンペだかクレーマーだか知らないが、その態度が、あまりに勿体無い。
「まぁ、下品なバイトちゃん達が不憫だから、1つ買って差し上げるわよ。うちは主人と娘が1人だから、このサイズでいいわよねぇ?」
「…はい」
咲が、小さめのホールケーキを包む。
震える、手。
凍った、瞳。
明らかに、様子がおかしかった。
勇は、任せろ、と耳打ちして、ケーキを包装して女に手渡した。
「あぁ、手際が悪いわね!下品な女に、トロい男!あんた達、ずいぶんお似合いだこと!せいぜい、がんばるのよ!」
ケーキをひったくって、女は姿を消した。
「ったく。なんだ、あの厚化粧ババア。咲、大丈夫か?」
女が完全に消えたのを確認して、勇が小声で気遣う。咲は冷や汗を拭いて営業スマイル。
「さんきゅ、勇。よーし…あの人の話は、後にして、とっとと売るよ!」
首を振って、深呼吸。
風が、かわる。
透き通った歌声が、路地を包む。
「咲…?」
クリームのように甘く溶けると思いきや、イチゴやオレンジのように澄んだ余韻。
幼い日の家族写真を懐かしむような切なさ、恋に恋するようなもどかしさ。包まれるような、愛しさ。
歌詞は英語で分からなかったが、その歌は、心を、魂を揺さぶり、勇は鳥肌が立つのを感じた。
殺鬼が歌うのを聴いたことはあったが、全くの別物だ。
一曲終わると、足を止めた人々が一斉に拍手。
「すげーな、あのサンタのお嬢ちゃん!」
「歌うますぎ!プロ?」
「いい歌だったね!ケーキ、ここで買いましょう!」
咲の客寄せサービスにより、予定より早くケーキは完売した。
「やっぱり美味しいなぁ。」
「うん、これこれ。間違いない。」
スイーツ飛行艇のイートインスペース。お土産のケーキとは別に、ボーナスとして支給されたミニフルーツタルトを頬張る2人。
「咲、お前、あんな特技があったんだなぁ。」
「ふふふ、昔とった杵柄ってやつよ。私、これでも芸能関係の生まれなんだよ。」
咲は、少し逡巡した後、少しだけ掠れた声で続ける。
「あのムカつくおばさん、誰だか知ってる?」
「え?やっぱ有名人なのアレ?」
「うん。昔流行ったアイドルの、福富ハナ。今は結婚して、立花ハナ。あんたが大好きな、やまとなでしこの、お母さんだよ。」
「…!」
殺鬼から聞いてはいたが、ついに咲の口から告げられてしまった。
どう返答すれば良いか分からず、勇は黙り込んだ。
「そう、立花。…気がついた?」
「咲、お前…」
「…実力主義者なの、あの人。妹は出来がいいから、良い子。私は、パッとしない、要らない子。ま、こっちから願い下げよ、あんな若作りババア。」
開き直っているように見せかける咲だが、やはり寂しそう。相変わらず天邪鬼だ。
しかし、そういえば、
ババア改め元アイドルのハナ…態度こそツンツンしていたが…
ケーキ買ってくれたし、お似合いって言われたし…
小さなケーキも、もしかして「うちは3人で食べるから、あんたは遠慮なく彼氏や友達と好きに食べなさい」という意味なのかもしれない。
(咲と同じで、天邪鬼なツンデレなのか?)
帰り道、咲は寮とは別方向へ。祖母の家に帰るようだ。
「あ、そうだ、これ、あんたに。」
可愛らしくラッピングされた紙袋を、勇に押し付ける。
「昨日、あんた誕生日だったでしょ?ユウから聞いた。プレゼント、ありがたく頂戴しな。」
「…マジか!サンキュー、咲!」
とめどなく、にやける口元。幸せそうに、紙袋を抱きしめる。
その姿に、咲も微笑んだ。
営業スマイルではなく、穏やかで柔らかな、満たされた微笑みだった。
「咲、お前の誕生日は?」
「聞いて驚け、2月29日!私、4年に1回しか歳とらないのよー」
「マジか!どレアじゃん!よーし、期待しとけよー!」
ケラケラ笑い合い、手を振り別れる。
暮れる空は、今にもこぼれ落ちそうなポッテリした雲で覆われていた。
実家に戻った勇が紙袋を開けると、赤いパーカーが入っていた。
「誕生日おめでとう。
いつも薄着でいるから、これ、着なさい。あんたが風邪でもひいたら、誰がカンリュウから私を守るの?少しは自愛しなさい。」
ツンデレ満載な、可愛らしい手紙付きで。
(もしかして、咲のやつ、小遣い前借りって……)
外を見ると、闇の中、街灯に照らされ、チラチラとした白い光が舞う。
珍しいことに、ホワイトクリスマスだ。
交通機関が心配な親たちは、早めに帰ってきそうだ。
勇の家も大概、似た者親子だ。だからこそ、勇は反発してグレてしまった。
「…ちぇっ。素直になれないのは、お互い様か…」
咲に感化されたのか、
叶中で能力と向き合ううち、反抗期を乗り越えたのか。
勇は珍しく親の帰りを待ち、土産のケーキを一緒に食べることにした。