1 プロローグ
…誰から聞いたんだっけ。
滝を登りきった鯉は、龍になるんだってさ。登龍門ってやつ。
じゃあ、そんな力もってない鯉どもは、ずっと濁った水の中?
そんなのクソくらえ。俺なら、超ムキムキマッチョな鯉になって、それで、仲間たち全部抱えて飛べる龍になるね。それが、強さってもんだよな?……
ざあ、と、桜が擦れる。風はグラウンドの砂と花弁を巻き上げ、古びた窓ガラスをバチバチ鳴らす。
彼にとっては、綺麗な桜も、くそったれた学校の象徴だ。ましてや散りゆく花弁なんて、忌々しいことこの上ない。
関東の、とある中学校。
ほとんど生徒は入らない、廃墟のような旧校舎に、響く物音。物置のあちこちをひっくり返し、彼は何かを探している。
着崩した学ランから、ちらつく鈍いチョーカー。無理に固めた、みっともない黒髪。どこに出しても恥ずかしい、いわゆる昔ながらの不良少年だ。
怠学、問題行動、注意した教師を返り討ち。喧嘩の腕っ節だけはピカイチ。
この中学校の鼻つまみ者、
彼の名は、木々原勇。
「こらぁっ!!」
「!?」
突然つんざく、甲高い怒声。
勇はビクッとして思わず荷物をとり落す。足の指にドスッと落ちる、書類満タンの段ボール。
勇は、うっ、と、声にならない悲鳴で呻く。
「…っ、何だよ、つぼみ…」
「それは私のセリフ。いっちゃん、物置で何してんの?」
つぼみと呼ばれた少女は、淡い色のボブショートが可愛らしい、勇の幼馴染だ。教員を呆れさせる勇を「いっちゃん」と呼び、上から説教ができる、ただ1人の最後の良心でもある。
「決まってんだろ。明日の小テストの答え探してんの。また0点だったら小遣いゼロになっちまうんだよ。」
「またこのおバカは…それ、不正!だったらほら、家庭教師してあげるから、さっさと帰るよ!」
「バカはおめーだよ、つぼみ。俺が一日で数学を理解できると思うか?知ってるだろ、九九だって怪しいんだぜ?」
「威張るなアホ!」
つぼみの平手ツッコミが、足を痛めた勇を転げさせる。ぎし、と、古い校舎と棚が軋む。
いつものやりとりで、ふっと、表情が和らぐ勇。ため息をつく、つぼみ。
そんな日常は、
次の瞬間に、
轟音を立てて
暗闇へと、崩れ落ちた。
…勇は森の中にいた。
切り立った崖。滝と新緑が、ざあざあと音を立てる。さわやかな匂いが、顔をかすめる。
勇は、滝の向こうに行きたくなった。
向こう側は、菜の花や桜が今にも満開を迎えそうだ。やわらかな春の香りが、やすらかな風が、向こうには漂っている。
そのとき、
ザンッと、爆発にも似た衝撃とともに、
真っ赤な龍が、
目の前の滝を登っていった。
巻き上がった水飛沫、花や葉を浴びながら、天へ登っていく龍。
美しく、勇ましく、
見ていて力が満ちていくようだ。
「そうだ…戻らないと…」
龍を見送ると、ゆっくりと踵を返し、滝に背を向け、帰ることにした。
……目を開けると、白い天井が飛び込んできた。さわやかさとは程遠い、乾燥した潔癖な匂い。なんとなく、ここは病院だと思った。
「っ…てぇ…」
とたん、感覚が一気にもどってきた。
全身を引き裂く痛み。特に頭が酷い。ズキンズキンと脈打つ頭痛。
体を起こそうにも、あちこちに謎のチューブがついていて、身動きできない。
「なんだ…これ…」
「あっ!木々原さん、意識が!?」
看護師らしいお姉さんが、勇の視線の端で慌てている。
夢か、現実か。
勇は、ぼんやりと意識を巡らせていた。
勇の記憶がはっきりしたのは、それから数日経ってからだった。
あの日、中学校の旧校舎の一部が倒壊し、金属製の物置棚が重なるように倒れたこと。そこにいた生徒2人が下敷きになったこと。
男子生徒は、複数の骨折があり、数日間意識が戻らなかったこと。
女子生徒は、即死だったこと。
喧嘩慣れしている勇は、あのとき、無意識に身を守る体勢を取ったのだろう。しかし、つぼみの方は、打ち所が良くなかった。
(あの夢…
もしかしてあの滝は、三途の川だったのか?赤い龍に邪魔されなかったら、俺は…)
勇は、しばらくの期間、ただぼんやりと過ごしていた。
だんだん軽くなる管やギプスを見つめ、どんどん濃くなる病院の庭の緑と、強くなっていく太陽の光を、ぼんやりと眺めていた。
大切な人がいなくなった実感が、湧かないまま。
あれから、二か月。
鉛のような、重たい雲。梅雨が、近い。
しばらくケガを理由に学校をサボっていた勇。さすがに呼び出され、課題を出しに学校へ。
なんせ、母親の堪忍袋が限界だ。母親がキレた日にゃ、ボコボコにされて病院に逆戻りだ。
以前と変わらない、職員室。
気まぐれで、自分の教室へ。
ここも、きっと、
以前と変わらないだろうと、
安心したくて、来たのに。
「……っ」
ずきん、と、胸が痛む。
目に入ったのは、
彼女の机の上の花瓶。
微笑む彼女の、顔写真。
勇は、歯を食いしばり、その場から走り去った。
どこかで信じていなかった。
つぼみの死を。
どっかの病院に入院してただけで。「もう、心配したんだからね!」なんて、頭しばかれたり、とか。
そんな、淡い、期待、
粉々に、打ち砕かれた。
つぼみは、たしかに、死んでしまったんだ。
腹に大穴を開けるような、絶望の津波。背骨を砕く、ひんやりとした暗闇。鼓動が胸を何度も突き刺し、喉から真っ黒な塊が迫り上がる。
気がつくと、勇は、あの旧校舎の前に立っていた。
青臭い、風。すすりなく虫の音。人の気配は、全くない。
立ち入り禁止の黄色いテープをくぐり、朽ちた匂いのするコンクリートに手を触れる。
「う…ぐ…っ」
勇の喉から、嗚咽が漏れる。
頰を、大粒の涙がつたう。生暖かい。
(俺のせいだ。
俺のせいで、あいつは旧校舎に…
なのに、幼馴染1人守れなかった…
こんなの、
こんな酷いことって、あるかよ…)
「くそっ…ちくしょうッ…」
校舎に顔を押し付け、泣きながら、壁を殴る。
ささくれたコンクリートの角が拳に刺さっても、血が滲んでも、殴る。
何度も、何度も。
もう、会えない。
もう、終わってしまったのだ。
あの笑顔にもう会えないなら、
もう、時間を戻せないなら、
せめて、力が欲しい。
もう、誰も、巻き込まない。巻き込んでたまるか。
もう、誰も、死なせない。絶対に、守る。
何者にも負けない、
誰よりも強い、
どんな脅威もぶち破る、
そんな力が欲しい。
「くっそぉおッ!!」
渾身の力をこめて、校舎に拳を叩き込んだ。
このとき、再び、
彼の日常は、
爆音を立てて崩れ去るのだった。
あれから、数日。
梅雨の中休みか、朝から息苦しい蒸し暑さ。身体が、汗で重たい。
勇は、髪も固めず、ジーパンに白ベースのTシャツというダサい私服で、その学校の敷地へ踏み込んだ。
スーツケースを、引きずって。
「ここが叶中学校ねぇ…」
あれからすぐ、勇は転校が決まっていた。
そのいきさつは、こうだ。
勇の在籍していた中学校。校長は頭を抱えていた。
とんでもない問題児、木々原勇。しばらくケガで入院していた間は学校がとても平和だった。
と、思ったら、復帰早々、一部損壊のため立ち入り禁止にしていた旧校舎を“大々的”に全壊させたのだ。
どこかから重機でも持ち込んだのか、
半壊だった建物は、
木っ端微塵だった。
反省?しているわけがない。ふてくされた顔で、弁解していた。
「殴ったら崩れただけ」
なんて戯言を。
どうやったら、素手で建物を粉砕できるというのか。頭の悪い言い逃れだ。
「校長先生、お客様です。私立叶学園中学校の叶さま、と…」
隣町にあるエリート私立叶中学校の、校長だ。
何も、アポは、ない。事務員に、首を振る。
「木々原勇という生徒について悩んでおられるなら会ってほしい、と、おっしゃるんですが…」
「!?」
校長は、にわか信じられない、という表情で、客人を通した。
叶校長の話は、こうだ。
勇のような生徒を集めている。
この中学校には、校舎の建て替え費用を。木々原さんには、奨学金と、寮での生活を。それぞれ約束しよう。
そのかわり、彼を、こちらに転入させて欲しい。
校長にとっては、最高に一石二鳥の話だった。問題児がいなくなり、校舎は建て替えられる。
校長は、二つ返事で、握手をした。
いきさつ、以上。
「しかし、なんで俺なんかを欲しがるんだ?叶中学校っつったら、私服制だったり寮あったり何かとスゲーし、世界レベルの若い天才を次々出してる超エリート校だよな?
俺、ローマ字で名前書けないんだけどなぁ…」
考え込む勇。
そのせいで、背後の怪しい気配に気づくことができなかった。
「いっちゃーん!久しぶりッ!」
「うおっ!?」
背中に勢いよくのしかかる、なにか。
恐る恐る振り向くと、
「お…女の子…?」
人懐こい、イタズラ好きの小動物みたいな笑顔。淡い色の髪は肩まで伸びる。面識は、多分、ない。
「忘れちゃった?僕だよ!ユウだよー」
「あ、なんだユウかぁ、久しぶ……ユウ!?!?」
ユウ、とは、勇の旧友、中野優。
小学生の頃は、仲が良かった。
勇と正反対のタイプだが、それが逆に良かったのかもしれない。
この私立中に進学したきり会っていなかったが、あの頃はしっかり男子らしい装いをしていた。
「ユウが女に…なんて恐ろしい学校なんだ…」
「ちょ、ちょっとイメチェンしただけだよ。
……それより、聞いたよ。つぼみちゃんのこと。」
ユウも、つぼみと仲が良かった。それを思い出して、勇の胸がズキンと鳴る。
(言ってしまおうか…俺のせいだ、って…俺が旧校舎で悪さしてたから…)
「…夜寝ようとすると、頭がつぼみちゃんのことで真っ黒になって、涙が出て、眠れなかったんだ。
…でも、いっちゃんだけでも、助かって良かった。いっちゃんが目を覚ましたってママさんから聞くまで、僕、怖かったんだよ。2人とも死んじゃったら…って。」
「…ああ…」
「それでね、いっちゃんが転入してくるって聞いて、ビックリしたんだ。もしかして、つぼみちゃんが、僕たちが悲しまないように、再会させてくれたのかな、って…。
会いたかった。ずっと……」
懺悔、できなくなった。
…生きていてくれて良かった。
会いたかった。…
そんな、言葉を聞いてしまったら。
久しく聞かなかった、
心が浄化されるような、力が満ちるような、やさしい、気持ちに、触れたから…。
「あ、そうだ、君のスターター能力のことも、聞きたいしね。」
「…?」
その、やさしい、気持ちは、
さっそく、
よくわからないワードによって、
白く塗りつぶされた。
「すたーたー?」
「あ、まだ何も聞いてなかったんだ?」
フリーズする勇。ユウは得意げに微笑んだ。
「スターター。一種の超能力者だよ。この学校の生徒は、みんなそうなんだ。生まれつきの人もいるし、あとから目覚める人もいるよ。いっちゃんは、あとからタイプだね。」
「お前も?超能力者だったのか?」
「うん。小学生の頃は、内緒だったけどね。この学校でなら、隠さなくていいから楽だよー」
ユウは、右の掌を、水をすくうような形に、すぼめてみせる。
その掌を、左手で蓋をするように覆う。1、2秒ほどで左手を引っ込めると、
右の掌の中に、いくつかの赤いタバコのような筒状のものがあった。
「手品?それ、爆竹だよなぁ?」
「これが、僕の能力。手から爆発する物を出したり、爆発させたりできるよ。ほら!」
「ちょ…」
パパパパン!!
景気良い破裂音。
勇は、至近距離での突然の爆音に、心臓が止まるかと思った。
「アハハ、びっくりした?
スターターは、一つのものだけを操れる超能力者なんだ。
ほら、やけに評判のいい気象予報士さん、いるでしょ?あの人は天気使い、ウェザースターターだし、僕は爆発使い、ボムスターターだよ。
さて、いっちゃんは何使いかなぁ??」
勇は混乱していた。
当たり前だ。
世の中には妙ちくりんな超能力者がいて、この学校は能力者だらけで、
旧友のユウがその能力者で、
まさかの、
勇自身もそうだというのだから。
「おお、いたいた。中野君。その子が木々原君かい?」
校舎の方から、スーツのオッサンが走ってきた。
「あ、校長先生来たー。」
校長だというその男は、校長という職にしては若いが、趣味の悪いメガネと額の広さで、やけに老けて見える。
能力者だらけの学校の、校長。
勇を引き抜いた張本人。
こいつも、能力者かもしれない。
勇は、反射的に身構え、校長を睨みつけた。
「中野君、木々原君の荷物を寮母さんに預けて、先にホームクラスに戻っててくれ。私が校内を案内するから。」
「はーい。」
ユウがスーツケースを引いて姿を消すとのを待って、校長が勇に向き合った。
「はじめまして。私が校長の叶だ。
これから、聞きたいことはたくさん出てくると思うが、すべてに、誠意をもって答えるつもりだ。
さっそくだが、校内を見て回りながら話すか、校長室でゆっくり話すか、どちらがいい?」
「さぁな。お好きに。」
正直、校長室は好きではない。引きず込まれて説教された記憶ばかりで。
「そうか。では、校内を歩きながら。ついておいで。」
校長がゆっくりと歩き出す。勇は数歩後ろからついて行く。
「それから。失礼のないように先に言っておく。私は人の心が読めるからね。なるべく読まないように前を歩くよ。」
「はぁ!?」
あまりの発言に、勇はギクリとした。
「大丈夫。怒っていないよ。似合わないおしゃれ眼鏡も、若ハゲも、事実でしかない。」
やっぱり、根に持ってた。
予想以上のくせ者。
でもまあ、悪いタイプとか、自己中とか、そういう大人じゃなさそうだ。
校舎は新しくてきれいだ。ただ、ドアやトイレなど、所々修理中の箇所が多いのが気になる。
「能力のこと、この学校のことは、中野君から聞いたか?」
「ああ。俺も、なんかの能力者だから、あんたに引き抜かれた…ってことだろ?でも俺、別に普通の不良少年だぜ?」
「普通の不良少年は、素手で建物を粉砕できないよ。」
「…!」
思い出した。
つぼみの遺影を見たあの日、悲しみに任せて旧校舎を殴り壊したっけ。
ガラガラと、轟音を立てて、崩れた旧校舎。素手でバラバラなんて、あれ、相当、老朽化してたんだなーって、思ってた。
もしかして、あれ、俺の力…?
「こっそりデータは取らせてもらった。筋肉組織の瞬間的な強化と、エネルギーの特異的代謝。
名付けるなら、そうだな。
ストレングス・スターター。筋力使い。
男らしく、腕っ節一本勝負。君らしいと思わないか?」
「えぇ〜…」
勇は、がくっときた。
「もっとこう、カッケェのが良かったなぁ…火を自在に操るとか、口から雷が吐けるとか、手から木が出せるとか…」
「そう言われましても…」
「腕っ節が強いだけじゃ、今までと変わんねーよ。俺、もっと特別な力が欲しいんだ。」
「特別?」
「ああ。ぶっちぎり、最強、無敵のやつ。」
校長は、勇を振り返る。
目が、合うと、
一瞬、悲しそうに表情を曇らせる。
「そうか…。もう何も、失わないために。守るための、力か?」
今度は、勇が表情を歪めた。
「あぁ、いや、すまない。また読心をしてしまった。君の気持ちなんて分からないくせに、分かったような口を聞いてしまった。
一つ、弁解させてほしい。
この学校にいる生徒の半数程度が、似た傷を抱えているんだよ。
なぜなら。
後天性…後から目覚めたタイプのスターターは、生徒の半数程度。
覚醒のきっかけは、命に関わる怪我や、大きなトラウマ、ストレスがほとんどだから。
君も、そうだろう?」
勇には、思い当たる節が、ありまくった。
「半数が…って?」
「きっかけは様々だよ。親や仲間から酷い仕打ちを受けた者。命に関わる事件や事故に遭った者。大切な人との離別。
君だけじゃない。
綺麗事は言いたくないが、悲しみや苦しみは人を強くする。スターターは、そういう能力者だ。
君は、そういうものに、生きる力を、もらったんだ。」
思い出す、意識を失っていたときの夢。
美しい龍が、俺を呼び戻し、力をくれた。
思い出す、大切な…
いや、失ってから、大切だったのだと、気づいた人……
(もし俺が本当に、スターターとやらの能力者だとしたら、その力は、
つぼみが、俺にくれた、チャンス……
クズだった俺が、生き直す、チャンス……)
途端、世界が違って見えた。
くすんでいた廊下が、輝いて見える。
修理中のドアが、なにかの遺産に見える。
大嫌いだった学校が、
大人が、世の中が、
少しだけ、まともに見えた。
「ここでは、もとの学校や親元から離れ、さまざまな人と出会い、ともに生活する。しかも、そのほとんどがスターターだ。
きっと、その経験のすべてが、君を大きくする。
今まで通り普通の不良少年でいるのも、強いスターターを目指すのも自由だ。好きなように育つといい。
もし強さを求めるなら…
出来る限りのバックアップを、約束しよう。
……さあ、君のホームクラスに到着したぞ。」
これで校舎や寮を一周したのか、勇は2-HRと書いてある教室に案内された。
大学みたいに、階段のなかに机椅子が備え付けられた、大きな部屋だ。
勇は、促され、教室に向けて踏み出した。
冷房の効いた階段教室の中では、たくさんの生徒が談笑しながら、こちらを見ている。みんな私服で、どこか個性的。
よく見ると、ユウの姿もあった。
この生徒、全員が、スターター…。
「この学年は48人。ホームクラスはひとつだ。代わりに数人ごとの班や縦割り班で活動することが多い。
君は、中野君と同じ6班にしたから、色々聞くといい。」
校長は、そう促し、去っていった。
弾けるような笑顔で手を振るユウ。なだめながら、近くに座る。
「ユウ!そいつが転入生か?」
「なんやーヤローかいなー」
「あら、まあまあイケメンじゃん!」
「木々原君て、ユウの友達なんだよね?」
近くの生徒が、好き勝手にくっちゃべる。ユウがあらかじめ紹介していたのだろう。
勇にも、小さな声で紹介する。
「いっちゃん、班のことは聞いた?
よく一緒にいる、われら2年6班の仲間たちだよ。
そこの勘違いイケメン風が、やっちゃん。金髪関西人が、ヨッシー。後ろの女子で、声がでかいのが理江ちゃん、小さいのが奈々ちゃん。その隣の森ガールが鈴音ちゃん。あと…」
それぞれ紹介が辛辣だ。
しかし、その感想は、
勇の激しい鼓動で、打ち消された。
「最後に、咲ちゃん。
…似てるよね。名前といい、外見といい。あ、でも中身はすんごい別物だから、気をつけないと大怪我するよ。」
咲、という女子は、
あの時失った幼馴染に、どこか似ていた。
整った美しい童顔。ハーフかクォーターなのか、柔らかな色のブロンズをショートカットに揃え、目は薄茶色。細身で身長は小さめ。
こちらに笑顔で手を振ってくれる。しかしその笑顔は、あの幼馴染の親しみ深いものとは程遠く、
誰にでもわかるほど、
営業スマイルだった。
「やんのかコラ!?」
「上等だコラ!!」
突然、近くで怒号。
さっきの同じ班の男子同士が、互いにメンチ切っている。早々に、ケンカだ。
「転入生歓迎会なら駅前のマッ○だろ!」
「いーや、サ○ゼがいいに決まっとる!」
(まじか…元気だなぁ…)
「おっ、いいぞー!!」
「よっしゃ、本日初ファイトだ!」
(え……)
ケンカ男子2人が、階段を降りて黒板の前へ。
互いに胸ぐらを掴むと、
かたやナイフを、
かたや銃器を、取り出した。
(えぇえええ!?)
まさかの展開に、ケンカ慣れしている勇さえ、ドン引きする。
「やっちまえ金森!」
「吉本!負けんなよ!」
「よっしゃ加勢だ!」
「私も〜!」
「中野!景気付けに一発花火!」
「もっちろん♪」
パァン、と、
朝日のように、弾ける花火を合図に。
銃声。鉛を弾き飛ばす刃の嬌声。火薬の匂い。羽ばたく折り鶴。床から生える宿り木。どこから来たのかドーベルマン。うなるハリセン。
勇は、めまいを覚えた。
「スターターの大乱闘…半端ねぇ…」
「スターターってむやみに好戦的な人多いからねー!」
花火で煽った張本人が、あっけらかんと言う。
「とはいえ、そろそろやめさせないと朝のHRがお説教とお掃除になりそうだね。咲ちゃーん、お願いしていい?」
「おーけい!」
咲は立ち上がると、乱闘現場に歩み寄っていく。
「お、おい!そっち行くとあぶねーぞ!」
「大丈夫だよ、いっちゃん。」
咲は右手を前に出すと、大きく息を吸う。
「つむじ風よ!」
右手を傾けると、ビュウ、と、風の音。
巻き上がる、教室のチリ埃。
つむじ風はどんどん大きくなり、
乱闘現場の人や武器を、散り散りに吹き飛ばした。
「すげぇ…」
「咲ちゃんは、多分2年生で一番強い、風のスターター。このくらいのケンカ、へっちゃらさ。」
咲はこっちを振り返ると、また営業スマイルで手を振る。
「そこのペチャパイ!邪魔すんじゃねー!」
「なんですって!?」
崩れる営業スマイル。まさかの咲まで参戦かもしれない…そのとき。
光る、刃。
勇に、走る、
酷い胸騒ぎ。
(血が逆流する。沸騰する。手足が熱い。まるで、飛行機のエンジンがついてるみたいだ。だってのに、体は、すごく軽い。
胸騒ぎが、加速する。
急げ。急げ!守れ!守れ!!!)
体が、勝手に動く。
勇は、見えない糸に引かれるように飛び出して、咲に覆いかぶさった。
倒れこむ2人。
その上を、ヒュッと、
刃が飛んでいく。
壁に、タンッと、
綺麗に刺さる。
勇は、ほぼ脊髄反射的に、咲に飛びかかり、誰かが投げたナイフから守ったのだ。
大事故未遂をやっちまったことで、ケンカは止んで、みんな硬直。
「わぁお、危機一髪ぅ。そしていっちゃん、それはまずいよぉ。僕しーらない…」
ユウの一言で、
「こ…これは違っ…」
華奢な少女を組み敷いていた勇は、自分のやらかしに気付いて跳びのき、
「っ…この…ど変態野郎っ!!」
押し倒されたことに気付いた咲は、激昂し、パニック半分に、
「ぐえっ!!」
勇をハイキックで吹っ飛ばした。
吹き飛んだ勇は、階段を転げ落ちて、乱闘現場を突っ切り、黒板下の壁に激突して止まった。
「信じらんない!何あいつ…!!」
「咲ちゃんストップ!あれ見てー」
ユウが助け舟を出す。指差すは、壁のナイフ。
「いっちゃんはね、やっちゃんの投げたナイフから、咲ちゃんを守ってくれただけだよ。やましい気持ちは、ないよ。多分。きっと。」
「あ…」
咲は我に返り、慌てて勇に駆け寄る。助け起こしながら、
「ご…ごめん、木々原君…助けてくれたってのに、私ったら……」
営業スマイルを崩し、素の表情で謝ってきた。
彼女の素は、まるで、
今にも泣き出しそうな、雛鳥のような……
その弱々しさと、可愛らしさ。ギャップに、勇は毒気を抜かれる。
「いや、いい。それに、俺のことは勇でいいよ。」
「…!」
咲は、すんなりした勇の態度に、少し驚いたようだ。
バツが悪そうに、小さく、答える。
「…私のことも、咲、で、いい…。」
消え入りそうな、照れたような、
可愛らしい、返答だった。
「…そうだ!やっちゃんこと金森康秋ぃ!!」
「!?」
…前言撤回。
「誰に何投げたか分かってんの!?殺し返してやる!!」
「ぎゃああああっ!!!」
呼ばれてびびって、固まる彼は…
ユウいわく、同じ班のなんちゃってイケメン。
問答無用、張り手のような風で吹き飛ばされ、風圧マックスからの、必殺のかまいたち。
八つ裂きにされるクラスメイト。
「あーあ、やっちゃった。朝のホームルームは、早速お説教と片付けだなー」
ぬけぬけと笑うユウ。
席に戻る生徒たち。
(これが、日常なのか……)
勇は戦慄しながら、これからの学校生活と、
彼女との折り合いについて、
頭を抱えるしかなかった。