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07

 エルメライト王国。ここ最近、この国は目覚ましい発展を遂げていた。

 古い慣習を捨て、独自の新たな政策を導入していく。技術革命、生活水準の向上、その政策は多岐に渡り、近隣の諸国が動向を注目している。

 しかし、栄華を極めつつある反面でエルメライト王国では良からぬ噂も広がっている。王が打ち出す政策は華々しさの裏側に民への圧政があると。

 王は人の心を忘れてしまったのだ、と悪し様に訴える者もいるという。王に逆らった貴族も簡単に処刑され、誰も王に逆らう事はない。次は自分の番だと、例え苦しくても王の意志に従う他ないのだ。


 貴族学校を卒業して即座に王位を継承、革新的な政策を打ち出す前人未踏の偉業を達した王であり、その裏側で恐怖で人を支配する王こそ、アレクサンド・フォン・エルメライト。

 彼は何を目指しているのか。その心の内を知る者は……最早、誰もいない。



 * * *



「お待ち下さい、陛下! 陛下、何卒私の話をお聞きください!」


 王城の廊下。その廊下を進むアレクに頭を垂れるのは小太りの貴族らしい格好の男だった。頭を垂れ、汗を流しながらも足に縋り付かんばかりの勢いの男の姿は必死さを伺わせる。

 その男を見下ろすアレクは、年の頃はもう20半ばを数えようかという頃。青年だった彼は1人の男へ、そして王へと成長した姿を堂々と晒していた。

 その顔には何の表情も浮かべず、アレクはただ淡々とした声で頭を下げる男へと声をかける。


「くどい。何度言わせるつもりだ、クレビタ子爵」

「陛下、何卒、何卒! 陛下の定めた税はあまりにも高すぎます! このままでは我が領は干上がってしまいます!」


 男、クレビタ子爵は己の人生をかけてこの場に臨んでいた。

 アレクサンドが王になってから早数年。目覚ましい発展を遂げるエルメライト王国は、その輝かしい栄光の裏で生活が困窮する程の納税を迫っていた。

 このクレビタ子爵領もその例外ではない。技術革命で登場した動力機関、それを搭載した“車”や“鉄道”といった画期的な発明。しかし、その発明を活かす為の整備の為に途方もない金額が飛んでいく。


「何度も説明したであろう。苦しいのは一時だけ、未来への投資だとな」

「しかし! それは今の民の生活があってこその事! これだけの税を納めれば、民は干上がってしまいます!」

「ほう?」


 アレクは初めてそこで表情を浮かべた。口の端を持ち上げるかのような笑みだ。


「時に子爵。貴公は大変良い暮らしをしていたと聞いている。子爵家でありながらその羽振りの良さはさぞ誇らしい事であっただろう」

「な、何を……!」

「ならば、取れる所から取るまで。貴様も我が臣下であれば一時の苦境を共に乗り越えようではないか? それに民が干上がるといったな。それは正確ではない。車や鉄道を活かす為の整備は国家事業であり、事業に従事する者には十分な食事と作業の間の住居をも約束している。その住居も志願者の数に合わせて建てただけの事。そこまでは国庫からの資金提供をしている。子爵領に負担はない」


 つまり、民が干上がるというのは正確ではない、とアレクは切り捨てる。

 国家事業の志願者には、事業の終了まで労働力として自由を拘束される事となるが事業に従事する為の生活を保障する制度も同時に施行されているのだ。

 志願者は自由の代わりに安定した生活を得る事が出来る。裕福とは言えぬだろうが、生きて行く事は出来る。この事業への参加者は数多く、民の中には喝采の声を上げる者がいる事をアレクは知っている。


「し、しかし、それでは農家達はどうなるのですか! 次々と若い働き手を失い、生産量が落ちると……!」

「全ての領にてこの国家事業が施行されている訳ではない。必要ならば他領から買い付ければ良い。農家を続けられぬと言うなら国家事業に志願すれば良い。……それの何の不都合があるというのだ?」

「そ、れは……」

「何。国家事業が続く限り、民がその領から離れる事はない。給金もないが、それは生活の安定で還元する。……領には金が入らぬ領民を抱えたくはないか? クレビタ子爵?」

「そ、そのような事は……!」

「私には優秀な“右腕”がついている。……私とて心が痛むよ。欲というのは人が誰しも持つものだが、欲に塗れた貴族ほど醜い人はいないと思う程だ。私が見たくない、といっても我が右腕は全てを詳らかにしてしまう……」


 ガタガタとクレビタ子爵が跪いたまま震え出す。

 アレクサンド王は無慈悲なる王だ。公正にして公平、そして“苛烈”。

 国の為と謳い、汚職の証拠があった貴族の首をいとも簡単に刎ねた。

 長い歴史を持つ家であろうとも、不適格だとあれば領地を削り取った。

 貧困を訴える民が暴徒となれば、これを眉1つ動かさずに殲滅させた。

 全ては国のために。この国に生きるものは国に仕え、そして国の為に死んでいく。

 いつからそんな国になったのか。いつからアレクサンドはそんな王となったのか。

 不満を持つ貴族は多い。しかし、アレクサンドは殺す。容赦なく、徹底的に、己に刃向かう者を許しはしない。

 そんな彼が唯一、信を置いている“右腕”。それこそがアレクと並んで恐怖の代名詞として国に君臨する者であった。


「陛下、こちらでしたか」

「クリスタか」


 クリスタ・フィロニア。男爵令嬢という身分でありながら、アレクが王となったと同時に彼の副官として召し上げられた女傑である。

 その才覚は目覚ましく、数々の国家事業をアレクと共に打ち立ててきた。近年のエルメライト王国の生活水準を押し上げたのは、間違いなく彼女であると囁かれる。

 その立ち位置から、アレクとの仲を疑われているが2人は婚約をしている訳ではない。ただ陛下と、その王に仕える右腕という関係なのだ。

 それでも寝室を共にしている、という話もあって男爵令嬢という身分故に公にしていないだけではないのか、とは言われている。

 しかし、そんな周囲の推測をよそにこの2人は王と臣下以上の振る舞いを見せた事はない。


「では、クレビタ子爵。まだ私の決定に不満があるなら次回の査察の際に聞く事とする」

「へ、陛下!」

「クレビタ子爵、それでは失礼致します。……忠告ですが、身綺麗な男こそ女性に好かれると思いますよ。噂など立てば目も当てられません。黒い噂などは、特に」


 すぅ、と目を細めたクリスタに見据えられたクレビタ子爵は憤怒に顔を真っ赤に染めた。


(――この、薄汚い女狐めが!)


 クリスタが平民の出だと言うのは既に世間に公開されている事実である。それが紆余曲折あってフィロニア男爵家に迎えられた。

 その出自を考えれば、王が信頼を寄せる右腕という立場にいるのは納得がいかない。平民の女が、王の権威を片手に貴族である自分達を見下すのだ。

 その振る舞いに多くの者が口を揃えて言う。女狐め、と。学生時代も数多くの男を誘惑し、手玉に取っていたと言うのだから始末に負えない。

 だが、悔しいが彼女の能力は高い。その教養の高さ、平民出身の男爵家の令嬢とは思えぬ程の才覚を見せ付けたのだ。故に表立って彼女を罵倒する事は出来ない。

 そんなクリスタが次々と貴族達の不正を暴いて、その罪を追及してくるのだから彼女は国から蛇蝎の如く嫌われている。王の愛妾でなければ抹殺してやりたいと思われる程に。

 アレクと肩を並べて去っていくクリスタの背を、クレビタ子爵はただ忌々しげに睨み付ける事しか出来なかった。



 * * *



 クリスタ・フィロニアは“転生者”である。

 そして彼女の持つ知識は、この国の技術を大きく発展するのに貢献していた。

 生まれ変わる前の世界で教育を受けていた事もあり、貴族として学び、コツを掴んでしまえば有能な秘書へと早変わりしたのだ。更には彼女の知識から国家事業として企てられた事は数知れず。

 エルメライト王国の裏で支配する影の“女王”。それこそがクリスタの真の姿と言えた。


「……クリスタ」


 机に向かっていたクリスタは顔を上げた。自分の名を呼んだのはこの国の王、アレクサンドである。すっかりと板についた無表情のまま、その瞳が自分を見つめている事に気付いて大きく舌打ちをした。


「何か御用ですか、陛下」

「少し休め」

「……わかったわよ」


 大袈裟なまでに溜息を吐いてクリスタはペンを置いた。クリスタのこなしている仕事量は膨大だ。それこそ1人で回しきれるものではない。普通であれば、だ。

 だがその常識をクリスタは覆した。いいや、覆さなければならなかった。それもこれも誰のせいかといえば目の前の男のせいなのだが。


「すっかり板についたな。しかし一日中机に囓りついていると体に毒だぞ」

「そうでもしないと終わらない仕事を振ってくるのは誰よ?」

「私だな」


 罪悪感も感じさせない平坦な声でアレクは答えた。そんなアレクに忌々しげに鼻を鳴らすクリスタ。

 この2人が今のような関係を築いたのは、あの“アメジスト・ファルカス”の死が切っ掛けだった。

 アレクの狂乱が始まったと言われるあの事件の後、アレクは学校を卒業するのと同時に玉座を継いだ。そこにどんな陰謀があったのかはクリスタは知らない。

 そしてアレクはクリスタを自分の右腕とした。そして、膨大と言えるまでの仕事をこなさせるようにしたのだ。


 最初こそ、クリスタは抵抗しようとした。アレクには多大なる罪悪感があったものの、だからといって死ぬような仕事をこなせる筈がない。

 それでもアレクはクリスタを逃がさなかった。共に執務をこなし、監視し、管理する。最初こそ、殺して欲しいと何度喚いた事かわからない。

 政治なんてクリスタにはわからない。それでも政治を覚えなければ仕事が出来ない。仕事が出来なければ……何も起きなかった。


 アレクは叱りもしない。ただ仕事を山のように積み上げていくだけだ。そして自分の仕事も同じ量をこなしていく。

 お前はやらないのか? と。ただ無感情に問いかけてくる瞳にクリスタは屈した。

 クリスタの今の地位は、確かに才能はあったのかもしれない。前世の教育が功を奏した結果かもしれない。だが、それは下地にあるだけでそこから這い上がってきたのはクリスタの血の滲むような努力があったからこそだった。

 貴族の汚職を見つけられるようになって、その仕事は増えた。アレクから意見を求められた内容に自分の考えを述べたら責任者にされた。何気ない雑談で零した前世の知識を実現する為に地位を与えられた。


 来る日も、来る日も、来る日も。国の為の歯車となって馬車馬のようにクリスタは働き続けた。前世で言えばブラック企業も真っ青なブラックさだ。最早闇である。

 だが、それはアレクも同じだった。この男はあの日から、何かに取り憑かれたように仕事をしている。国の為に、罪を犯した者を苛烈なまでに見せしめにして。恐怖を以て支配する孤独な王へとなった。

 あれから、アレクが皮肉げに笑う以外の表情をクリスタは見なくなった。


「……落ち着かない」


 もう慣れてしまった。アレクと一緒に居るのも、仕事に追われている自分も。

 エルメライト王国は、自分が学生だった頃にはもう考えられない程の発展を遂げていた。数百年分とも言える技術の先取りをしたのだからそれもそうだろう。自分の知識がそれを為したとしても、その実感はクリスタにはなかった。

 クリスタは知識を与えただけで、それが生まれるまでの道筋を作り上げたのはアレクなのだ。この男はとんだ非凡なのだろう、とクリスタは思う。自分はせいぜい賢しい小手先の技で彼の仕事を減らす事ぐらいしか出来ない。

 “前世の知識”が無ければ、自分はそんなちっぽけな存在だとクリスタは嫌というほど痛感している。何が“ヒロイン”だ、と今では過去の自分をせせら笑う程だ。ヒロインが仕事に追われて、死因は間違いなく過労死になるだろう、なんて言うものか。


「……」

「……」


 会話はない。いつもの事だ。日常的な、心温まるような会話などアレクとクリスタの間には存在しない。事務的な話をするか、互いに何も言わないか。或いは皮肉を言い合うか。それぐらいだ。

 アレクがクリスタを囲うようになって、クリスタは人と関わる事が無くなった。あっても世話を焼く侍女との接触、そして自分を仇敵のように睨む貴族達との会談ぐらいだ。

 ルビオを始めとした、クリスタが“運命”のままに虜にした男達とはもう何年も顔を合わせていない。合わせたいとも、思っていない。

 じくじくと血が吹き出るように胸が痛む。息が苦しくなって、目の前がちかちかする。息苦しさに心臓を掴むように抑えれば、そっと背中を撫でる感触に目を見開いた。


「……ッ、触らないで」

「また発作か」

「……ふん」


 クリスタは別に体のどこかが悪い訳じゃない。これは、精神的なものだろうとクリスタは結論づけている。

 アメジストの処刑からずっと、この心には刃が突き立てられたように癒えない傷がある。この傷はいずれ自分を殺すだろう。そして傷を開き続けているのは、背をさすっているアレク当人だ。

 これは優しさなんかではない。ただ、自分を生かし続ける為だけの延命処置だ。そんな情は2人にはない。互いに死んでも、あぁ遂に死んだ、と思う程度の関係だ。

 それでも2人は一蓮托生でここまでやってきた。……なんて人生だ、とクリスタは鼻で笑った。


「今日はもう休む」


 それだけ言えば、アレクはクリスタを横抱きに抱き上げる。クリスタは抵抗はしない。ただ忌々しげに歯を噛みしめながら、表情が見えないように俯くだけだ。

 執務室から出て、2人が向かったのは寝室だ。そう、アレクとクリスタは同じ寝床で眠っている。それはクリスタがアレクの右腕として仕えるようになった日から変わらない習慣だ。


(……これで女として相手にさせられてるなら、私だってちょっとは……)


 同じ寝床で寝ていても、アレクはクリスタをそのように扱った事はない。

 ただ背中合わせで眠るのだ。それだけだ。最初の頃こそ、抵抗してろくに眠れなかったクリスタもいつしか慣れてしまった。

 あまりの生活に自暴自棄になって女として迫った事もあった。だが、彼は何の抵抗もせず、何も感じず、何もしてこなかった。その時からクリスタの心の中で何かが折れてしまった。

 時に苦しくて、罪悪感に傷口が暴かれて眠れない日もあった。そんな日は嘘のように優しく何も言わずにいてくれるアレクに縋ってしまう事もある。

 それでもアレクは何もクリスタには情を抱かない。ただ生かして、ただ国の為に生き存えさせる。それが彼なりの復讐だと言うのなら、実に陰湿で周到な復讐だとクリスタは思う。


(ただじゃ死なせないって事でしょ。良いわよ、だったら……死ぬまで働いてやるわよ。やりたいようにやって、それでいいんでしょ?)


 しかし、その国の為にと言いながら彼は国という“枠”しか見ていない気がする。

 心を置いてきたように人に関心を向けない。ただ天秤のように推し量り、裁定を下すだけ。

 そんな人にしてしまったのは、間違いなく自分だろう。そしてこのままであれば人心は離れていく。そんな風に思えて仕方ない。


(……だからって、今更)


 今更、人を愛せなどと。誰がどの口で、彼に言えるのだろうか。

 彼の最愛の人を奪ったのは、紛れもなく自分なのに。

 この傷はいつか己を殺すだろう。この傷が癒える事をアレクは望んでいない筈だ。

 クリスタはただ、己の罪と向き合い続けながらアレクに付き従う事しか出来なかった。



 * * *




 人の心を忘れた王に、人は従わない。それはいつだって当然の摂理だ。

 崩壊の序曲は遠く彼方に。そして、終焉への行進曲は高らかに響き渡るのだ。

 

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