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05

 刻一刻と時間だけが過ぎていく。だが決定的な何かを得る事はアレクには叶わなかった。

 それも仕方ないか、とアレクは自嘲気味に苦笑する。調査するにしても自分1人の足ではたかが知れている。アメジストがクリスタに仕掛けた暗殺が、例えばクリスタの自作自演だったとしてもそれを見破るには情報が足りない。

 巧妙に隠されれば簡単に明かす事は出来ないだろう。そして、アメジストの処刑の日が近づいて行く。目覚めるのと同時に太陽が昇った回数を数え、心がバラバラになりそうな痛みに襲われる。

 お前には何も出来ない、と。無力で憐れな存在だ、と。自分ならぬ自分の声が、突きつけるように幻聴が聞こえて来る。それを振り払いながら、聞こえない振りをして来た。それも顕界もしれない。


「……何が王子だ」


 国を導くのが王族の務め。公平にして公正に振る舞い、私的な感情で大局を見誤ってはいけない。その才覚が、その覚悟が王子には必要なのだと教わってきて生きて来た。その誓約こそが何よりアレクを縛り付ける。

 全てを投げ出して逃げてしまいたかった。その選択肢は既に自らの手で振り払ってしまった。逃げない事を選んで挑んでみたものの、先の見えない闇を進むにはあまりにも絶望の虚は深かった。

 それでも足を止められない。何かする事を諦められない。浅ましいと笑われても、自分が何を正しいのか信じているのかわからなくても。アレクは決して抗う事を止めようとは出来なかった。

 そんな日の事だった。“彼”が自分に声をかけてきたのは。


「アレク」

「……ルビオ」

「話がある」


 睨み、挑みかかるかのように瞳に意志の炎を灯したルビオが声をかけてきた。なんとも勇ましい事だ、とどこか冷めたように“友人”を見つめてアレクは肩を竦める。


「……生憎、私はお前と話す事はないのだが。これでも忙しい身だ」

「そんなに言いがかりをつけたいのか?」

「言いがかり?」

「クリスタに聞いた! お前は罪人であるアメジストの方が信じられると、そう言ったと!」


 馬鹿者め、声がでかいとアレクは目を細める。まったくもって公爵家の息子とは思えぬ振る舞いだ。最近、アレクは人目を避けるように人気の薄い所を狙っていたから良いものの、この調子では衆目の面前でも同じ振る舞いをしてしまいそうだった。


「それの何の問題が?」

「クリスタは被害者だぞ!? それも暗殺の憂き目にあった、なのにその言を信用せずにアメジストを庇い立てるなどと……!」

「だから、それの何がいけない?」

「何故だ、アレク!? お前は……お前は人の心を失ったのかよ!?」


 お前が言うな、お前が。思わずそう言ってやりたいのを堪えながらアレクはルビオを見つめる。興奮しきったルビオの顔は紅潮しており、怒りや憤り、そしてわずかな悲しみを浮かべてアレクを睨み付けている。


「クリスタを襲った下手人が確かに証言したんだ! アメジストの指示を受けたと!」

「……証拠は?」


 今度はルビオが黙る番だった。そう、クリスタが暗殺されかかったのは事実だ。だが、その下手人は自らがアメジストの指示を受けたとは言ってるものの、アメジストはそれを認めた訳ではない。

 証拠と言える証拠も下手人から出たものばかりで、アメジスト自身が暗殺を企てたという証拠は何一つ出ていない。少なくともアレクが調べた限りはその筈だった。


「だが、状況証拠から考えてもクリスタを害する動機があったのはアメジストだった!」

「それでは証拠とは言えない。誰もが口裏を合わせれば誰だって犯人に仕立てる事が可能な筈だ」

「何故そこまで人を疑う!?」

「何故そこまで疑えない?」


 それがアレクには不思議でならなかったが、心を奪われている可能性がある者に何を言っても無駄だろうと諦めの気持ちが浮かぶ。

 そこに正しさはない。正しさがあるのだとしても、それは運命の通りに筋書きが描かれる事だけだ。つまり、アメジストが処刑され、クリスタが栄光を掴めば。そこに至れば良いのだ。そう思えて仕方なかった。


「……お前は、本当にアレクサンド・フォン・エルメライトなのか?」

「何?」


 すると、ルビオが奇妙な質問を投げかけてきた。思わず怪訝そうに眉を寄せてしまう。


「お前は、何を知っている? 本当にアレクなのか?」


 何故このタイミングでルビオがアレクの事を本物だと疑うのだろうか、と顎を撫でる。ルビオにとって正しいアレクとは何だろうか。自分は自分を見失ったとは思っていない。しかしルビオはアレクが偽物だと疑っている。

 ただの言いがかり? いや、それにしてもルビオとて王子が本物かどうか疑って何も咎められずにいると思っているのか? 有り得るかもしれない。有り得るかもしれないが、そこでこの疑問への追求を止めてしまうのは勿体ない気がした。


「何故、私を疑う? 私は私のつもりだが」

「お前は公正にして公平な王子として期待される程に有能な男だった! なら、何が正しいのか見極めだって付くだろう!? なのに何故クリスタを疑うんだ……!」

「私とて自分が暗愚なつもりはない。クリスタが正しいという証拠を提示すれば、そこに確固たる根拠があれば私も信じるだろう」

「お前は……クリスタを見て、何も思わないのかよ!?」


 まったくもって支離滅裂だ。それは思考の誘導であって明確な証拠ではない。悍ましさを覚えながらもアレクは首を左右に振った。


「ルビオ。私は私だ。アレクサンド・フォン・エルメライトだ。そこに偽りはない。逆に問うが、お前はルビオ・メテオールなのか?」

「何だと……!?」

「まるで突然人が変わったかのようだ。お前はクリスタを信じなければならないという“筋書き”を正しいと思わされてるように見えるぞ?」


 踏み込んだ問いかけを口にすれば、内心でアレクは冷や汗を掻いていた。心臓の鼓動は早まり、ルビオの顔を些細な変化も見逃さないと言うように見つめる。

 返って来たのは――ルビオの拳だった。それをアレクは頬に受けて、一歩、二歩と蹈鞴を踏む。

 肩で息をしながらアレクを睨み付けるルビオは怒りに燃えて、それでいて怯えるように後退るかのようだった。


「……ッ、もういい! お前と話しても……もう無駄だ!」

「そうか。お互い、ようやく共通の認識を得られたようだ」

「……お前の事を、友だと思っていた」

「私もだ」

「……お前の言葉は、何も響かない。俺はもうお前をアレクだとは思えない!」


 だったら私は何だと言うのか、冷めた目付きでアレクはルビオを見つめる。ルビオはそのまま踵を返して去っていってしまう。

 ルビオに殴られた頬が痛む。手で触れてみれば唇の端を切っていたようだ。痛みと血の味が嫌でも耐えがたい現実を突きつけてくる。


「……意に沿わぬから偽物だと言うなら、私は正しく偽物だ。そうだろう? クリスタ」


 呼びかけるようにアレクは声を出して見る。……物陰から、人の気配を感じた。動揺に身動ぎをしたかのように。その気配を察知して、アレクは安堵の息を共に言葉を紡ぐ。


「去るならば去るが良い。お前が確かめたかった事が確かめられたのであればな」

「……どうして、私がいると?」


 姿を見せずにクリスタは声だけで問いかけてきた。


「何、ただの思いつきだ。外れていれば痛い独り言を呟く羽目になっていただけだ」

「……私が、何を確かめたかったと?」

「私がお前に心を奪われぬ理由だ。“運命の筋書き”から外れているのだろう?」

「……あぁ、そう。貴方も“私”と同じだったんだぁ」


 取り繕うを止めたように愛想のない声だった。姿を見せたクリスタは誰にも愛嬌を振りまくような顔ではなく、一切感情を感じさせない無表情だった。

 光もない、淀んだ瞳で胡乱げにクリスタはアレクを見据えた。それから瞳を伏せて、深々と溜息を吐いた。


「……はぁ、頑張って損しちゃった。私と同じなら意味ないもんね。いいや、もう」

「それは、私の推測が当たっていたと思っても良いのかな?」

「キザったらしい言い回しは王子のロールプレイ? もういいよ、そう言うの。あんたも“転生者”なんでしょ?」

「……さて、君の想像にお任せする」


 あぁ、と。アレクは胸中で喝采をあげる。まったく尻尾の掴めなかった事態にようやく手がかりを得る事が出来たのだから。

 そして、その喝采を上回る程の怨嗟と呪詛を心の中に吐き出した。しかし、その言葉を表に出す事はしない。


「“アレクサンド・フォン・エルメライト”が本人じゃないなら、もう私のやる事は終わりかなぁ。……いや、貴方が邪魔をしてくるのかな? ねぇ?」

「邪魔?」

「アメジストの処刑を回避しようとしてたでしょ? 何、アメジスト推しだったの?」

「……そうだな」


 “おし”とは何の事かわからなかったが、処刑を回避しようとしていたのは事実だ。否定する事ではないとアレクは頷いて見せる。

 すると、途端にクリスタの目に憎悪にも似た色が浮かび上がる。黙って微笑んでいれば可憐な表情が恐ろしく歪んでいく。


「……気持ちはわからないとは言わないけど、それをされると私、困るんだよね。あぁもう! なんでこんな面倒な事になってる訳? 意味わかんない!」

「……お前が、アメジストを陥れたのか?」

「アンタが勝手な事をするから“シナリオ”から外れちゃったんじゃない? だから修正したのよ、辻褄を合わせるのに苦労したんだから」

「……よく、そんな簡単に自白できたものだな」


 これにはアレクは驚きを隠せなかった。あまりにも迂闊に過ぎないかと。しかし、クリスタは慌てた様子も見せる事なく、憎悪に揺らめく瞳だけ向けて来る。


「だってアメジストは処刑されなきゃいけないんだよ? アンタがそれをわかってないみたいだから、私が言うしかないじゃない」

「処刑されなければならない……? それは、“運命”……いや、“シナリオ”から外れるからか?」

「そうよ」

「……何故、そこまで頑なに“シナリオ”を守ろうとする。人が死ぬんだぞ?」

「あー、やだやだ、本当にやだ。そんな、さも自分が正しいみたいに喚かないでくれる!?」


 クリスタは髪を両手で掻き乱すように引っ掻く。煩わしい、と言わんばかりに込められるだけの憎悪を込めてアレクを睨み据える。


「だって、仕方ないじゃない。そういう“シナリオ”なんだよ?」

「だから、何故シナリオの通りに進めようとする? そんなに自分が可愛いか?」

「はぁ……? 本気で言ってる……?」


 ゆらり、とクリスタの体が揺れる。そのまま勢い良くアレクに掴みかかり、その胸元を持ち上げようとする。しかし、残念ながら非力の彼女では襟を乱す事しか出来ない。

 本当に、非力な少女だった。このまま首を掴めばへし折れるのではないかと言う程に……ただ、普通の少女だった。


「シナリオから外れたら、何が起きるかわからないでしょ……? だったらそうしなきゃ。だって“そう生まれた”! “それ”が“私”でしょ!? だったら“そうする”しかないじゃない!?」

「何故、そうなる……?」

「じゃあ、あんたが私の未来を保証してくれるの!? 正しい事って何!? 前世で正しい事がこの世界でも正しいって、あんたが証明してくれるの!?」


 激情を惜しみなく吐き出し、アレクの胸元に拳を叩き付けながらクリスタは叫ぶ。


「人を殺しちゃいけません、そうだね! 人を騙しちゃいけません、そうだね! 人を陥れちゃいけません、そうだね!? じゃあお行儀良く守ってたらあんたが助けてくれるの!? くれないでしょ!? 何、今になって私に説教しようとしてるの!? ウザいんだよ、そういうの!」


 まるで子供の駄々のようだ。クリスタの癇癪にアレクは眉を寄せる。

 それでも目を逸らせないのも、彼女を止める事をしないのも。……何か、その彼女の振る舞いにひっかかりを覚えたから。

 彼女は……アメジストの死を望んでいる。それは間違いない。だが、その処刑を望むには必死すぎるように思える。それは描かれた幸せな結末を望むというよりは、追い立てられるように逃げているように見える、と。


「私は“クリスタ・フィロニア”なの。私は、幸せになるの。幸せになるのが“運命”よ。そこから外れたら、私は“ヒロイン”でも何でも無くなる。だったら、何が私を守ってくれるって言うの? 何が私を生かしてくれるって言うの? ヒロインじゃなくなった私が、今の私のままでいられる保証は? その先は? 失敗したら? それでも、この人生が続くなら? あんたが責任取ってくれるの!?」


 突き放すようにアレクから手を離しながら、一歩、二歩後ろに下がってクリスタは震える己の身を抱き締めるように掴む。

 ……その両手が、悲しい程に震えている。どこからどうみても怯え竦みきっているとしか思えない。


「あんたは、自分が死んだ時の事、覚えてる? どれだけ前世の記憶を覚えてる? 私は何一つ失ってない! 全部覚えてる! 私にはちゃんとクリスタなんて名前じゃない、私の名前があって! お父さんとお母さんがいて! 友達がいて! 学校があって! ……でも、死んじゃった」


 震え、俯きながらも。それでも得体の知れない、煮えたぎる程の感情の迸り。


「痛い、痛い、ずっと痛くて、死にたくなくて、でも死にたくて、あはははははッ! わかる!? 死ねなくて死にたくて死にたくなくて、ずっと芋虫みたいに藻掻いてた! 楽になったかと思ったら、別人になってた! もう帰れない! 私は私じゃなくなっちゃった! じゃあ、クリスタになるしかないじゃない!!」

「……だが、それでも君は、君ではないのか?」

「なにそれ、慰めのつもり? 何も出来ないくせに、何もしてくれないくせに同情しないでよ……! この世界はゲームだ! ゲームから外れたら、全部壊れちゃうかもしれないでしょ!? だってそんな“未来”なんて描かれてない!!」


 それは、アメジスト達が語っていたように。運命を覆し過ぎる恐怖に怯えているかのようで。


「嫌よ、もう死にたくない。だからハッピーエンドで終わるの。そこで幸せになって終わるの! 続きはないの! 続きなんていらないの! めでたし、めでたしでいいの!! だから邪魔しないでよ!!」

「……だから、アメジストが死ねば良いと言うのか!?」

「そうよ! だって死ぬのが運命でしょ? 死なないと駄目でしょ!? ゲームのキャラなんだから! そう死ぬって決められてるなら、そう死になさいよ! 私、何か間違った事言ってる!?」

「彼女は……生きてるんだぞッ!?」

「知らない! 知らない、知らない、知らないッ! 私は死んだの、死んだ、だからこんなの“現実”じゃない! ただの“夢”、死ぬまでの、きっと神様が幸せでいていいって私にくれたチャンスなの! じゃあ悪い事しても、許されるわよ。だって、私はヒロインだもの! ヒロインなの! じゃあ幸せにしてよ! あんたが、あんたが邪魔するから全部おかしくなったんだ!!」


 頭を抱えて髪を掻きむしりながらクリスタが叫ぶ。喉よ潰れろと言わんばかりの金切り声だ。耳障りとさえ言える声は、それでも彼女の心からの叫びだ。

 ……どうするべきだ、と。アレクは自問自答する。彼女は気が違っている。それを証明出来れば、アメジストの冤罪を晴らす事が出来るかもしれない。

 事実、手引きしたのは彼女と言うのは間違いない。しかし、事実を突きつけて誰もが正しくその罪を裁けるのか? 皆、彼女が正しいと、ルビオのように盲目になってしまうのではないか?

 それどころか、彼女が……物語の主役である立ち位置から転落した時、アメジスト達が懸念したような世界の崩壊が起きる可能性がある。

 何が正しくて、何を間違いで、何を為して、何をすれば良いのか。アレクにはわからない。わからないから、拳をただ握りしめる事しか出来ない。


「……おかしいよね、全部」


 ……静けさを取り戻したようにぽつりと、クリスタが呟く。

 ぽつ、ぽつと。雨が降り始めた。ここには雨を遮るものがない。小降りだった雨は、まるで泣き出すかのように2人の体を濡らしていく。



「それでも、死にたくないの。あんな思いはしたくないの。せめて、最後ぐらいは幸せになりたいの。だから……殺すから。邪魔したら、殺すよ。でも、殺させないで。ずっと、全部忘れて、ただ馬鹿みたいに幸せになって……一緒に終わってよ」


 

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