02
「……これは、どういう事だ? アメジストが2人……?」
アレクは眉を寄せて唸るように呟く。アレクの前には2人のアメジストがいる。1人は囚人服を着て牢屋の中で座っている。もう1人は顔を隠した黒装束を纏っている。それは先程までアレクと行動を共にしていたアメジストだ。これは一体どういう事なのか?
戸惑うアレクを見て、黒装束を纏っていた方のアメジストが顔を露わにする。やはり鏡合わせかのようにそっくりだ。唯一、違いと言えるのはその紫水晶の瞳だ。それも良く見なければ見分けがつかないだろうと思える。
囚人服を纏ったアメジストはただ静かに、黒装束を纏った方のアメジストは眉を寄せて唇を噛みしめている。その些細な違いが、彼女達がそれぞれ別人なのだとアレクに認識させる。
囚人服のアメジストは深々と頭を下げ、静かな声で謝罪を告げる。
「突然の事で大変驚かせたと思います。まずは非礼と、今日まで何もお伝えする事が出来なかった事を謝罪させて頂きます」
「……アメジスト、で良いんだな?」
「はい。私達はどちらもアメジストです。……まずは、そこからお話するべきでしょうか?」
「頼む。頭が混乱しそうだ……」
額を押さえながらアレクは呻くように呟く。それに囚人服を纏った方のアメジストが答える。
「まず、私達は2人で“アメジスト”です。片方が替え玉、と言えばわかりやすいでしょうか」
「……どちらが本物なのだ?」
「……それについては何とも。私達は何度も入れ替わっていますので」
「何? ……では、10年前に出会ったアメジストはどちらだ?」
「それは私です」
囚人服のアメジストが片手を上げて頷く。それを見てアレクはアメジストの瞳をジッと見つめる。それから黒装束のアメジストの瞳を見る。
些細な違いだが、確かに囚人服のアメジストが最初に自分が見惚れたアメジストなのだと思う事が出来た。
「ならば学校に通っていたのは?」
「学校には時折、入れ替わりながら通っていました」
「……再会した時に会ったのは?」
「それは……私です」
黒装束のアメジストが目を伏せて答える。つまり10年前に出会った囚人服のアメジストであり、その後学校に通っていたのは黒装束のアメジストという事になる。
思えば、再会した時にアレクがアメジストに感じた違和感。それは彼女達が別人だったからではないかと。そう思えば自然と納得する事が出来た。
しかし、だからこそアレクには疑問が浮かぶ。何故2人のアメジストは入れ替わるような事をしていたのか、と。
替え玉にしては、ただの替え玉というのにはしっくり来ない。一体全体どういう事なのか、と。
「戸惑うのは無理もありません。私達は、少々特殊な事情を抱えていますので」
「……こちらのアメジストは私の妹なのです、アレク様」
黒装束のアメジストが苦しげに答える。アレクは目を見開かせる事となる。それはアメジストの事情を知るが故にだ。
「妹だと!? 馬鹿な、幼少の頃に死んだのではなかったのか!?」
そう、アメジストは双子の姉妹だった。それは誰もが知る事である。そして双子として生まれてしまった為に体が弱く、片割れだった妹は病に倒れて命を落としたと言われていたのだ。
なのに、この囚人服を纏ったアメジストはその妹なのだと言う。突然の事にアレクは驚きを露わにする事しか出来ない。
「何故、そのような事を……」
「……これより話す事は突拍子のない話です。それでもお聞きになりますか?」
「何……?」
「私としてはどうかお聞きにならず、この国から離れる事をお勧めいたします」
「私は王子だ。何故私が国を離れなければならんのだ!?」
「……聞かなければ納得頂けないと言うのであれば、私は語らなければならないでしょう」
「……納得するかどうかは私が決める。話してくれ、アメジスト」
睨むような視線でアレクは囚人服のアメジストに告げる。彼女は暫し、アレクを見つめ返していたが不意に視線を逸らす。その先には“姉”のアメジストがいる。彼女もまた静かに頷き返す。
はぁ、と。気怠げな溜息を吐く“妹”のアメジストは出会った時を思わせる空気を纏っていた。まるで、今にも溶けて消えてしまいそうな儚さだ。
「私は、未来を垣間見ました」
「……何?」
「正確に言えば、この国の、ある特定の人物の辿る未来の可能性を知っていたのです」
「……ふん。確かに突拍子もない話だ。未来が見えるだと? 世迷い言の類ではなくてか」
胡乱げにアレクは“妹”のアメジストを見つめる。……嘘をついているようには思えない。だが、だからといって本当に未来が見えているとも思えない。そんな事が起き得るのか? アレクの疑問は募るばかりである。
そんなアレクの様子を見ていた“妹”のアメジストは、その紫水晶の瞳を伏せるように閉じて朗々と語り出す。
「貴族学校に入学したアメジスト・ファルカス侯爵令嬢は、高飛車で傲慢なご令嬢でした」
「……何?」
「その身分の高さ故の、自分が一番でなければ気が済まない。王家から王子の婚約者候補として名を挙げられる程に優秀であった彼女は、全てを手にしなければ気が済まなかったのです」
「……何だ、それは。一体誰の話をしている」
「私が何も語らず、何もせずにいれば生まれていただろう本来の“アメジスト・ファルカス”です。……続けても?」
「まだ続きがあるのか?」
正直に言えば胸糞が悪い。傲慢? アメジストが? そんな訳がない。今、こうして2人いる事に困惑はしているものの、どちらのアメジストも傲慢と言う言葉とは程遠い印象を受ける。
ならば、“妹”のアメジストの言う未来では。そのまま何もせずにいればそんな傲慢な少女に育っていたというのか? その真相を確かめる為には、続きを聞かなければならないだろう。
「アメジスト・ファルカスは全てを手に入れなければ気が済まない令嬢でした。そんな彼女が、終生の敵と定めた少女が現れます」
「……終生の敵?」
「その少女の名は――クリスタ・フィロニア男爵令嬢」
クリスタの名前が出た時、アレクの眉はこれ以上ない程に寄った。そもそもアメジストが牢獄に入る事となった原因の令嬢だ。
アメジストが語る“与太話”に遂に彼女の名前さえ出来た。これが、本来辿る未来だとして、ではクリスタが終生の敵だと言うのはどういう事なのか。
「クリスタ・フィロニア男爵令嬢は、平民から召し上げられた身分ながら努力を怠らず、周囲を魅了する可憐な少女でした」
「……確かに努力家だとは思うが」
平民ながら素質は高いとは思う。しかし、そこまで言葉を飾る程の少女だっただろうか? と首を傾げてしまう。
「クリスタはその魅力で数多くの男性を射止める、そんな複数の未来の可能性を持っていました」
「……複数の未来?」
「未来は1つではないのです。些細な行動から、その未来は大きく変じていくのです。例えば……クリスタがアレク様を射止め、王妃の座を手に入れる未来」
「……笑えない話だ」
本当に笑えない話だとアレクは呆れてしまった。王子である自分が男爵令嬢という身分の低い令嬢を迎え入れるか? 出来なくはない、だが限りなく難しいと言うべきだろう。
王妃はそんな簡単に選べるものではない。確かな能力や家の発言力も大きく関わってくる。でなければ臣下や民が納得しないだろう、と。
「あくまで可能性の1つです。そして、どのような未来であれアメジストはクリスタの敵として立ち塞がります。そして……命を落とすのです」
「……何?」
「アメジストは必ず、クリスタが射止めようとした男性に恋い焦がれ、そして嫉妬に狂って暗殺を企てるのです。そして暗殺が失敗したアメジストは処刑され、クリスタは意中の男性と幸せな結末を迎えるのです。そのお相手がアレク様であったり、また別の殿方であったりしますが、アメジストの結末は大きく変わりません。必ず、その罪を贖う形で死を迎えるのです」
アレクは言葉を失ってしまう。胸中に広がるのは怒りの感情だ。思わず牢獄を隔てている鉄格子を掴んで“妹”のアメジストを睨み付けてしまう。
「それが、お前の語る未来か? ……作り話にしても、面白くない話だ」
「ですから申し上げました。突拍子もない話だと。……私達は、ずっとその未来を回避するべく動いていたのです」
馬鹿馬鹿しい。そう言うのは簡単だった。だが、その一言をアレクが口にする事が出来なかったのはアメジスト達の瞳に嘘はないと思えてしまったからだ。
“妹”のアメジストはただ全てを受け入れるように静かに、“姉”のアメジストは唇を硬く引き結んで黙り込んでいる。
「……本来であれば、“アメジスト・ファルカス”に妹は存在していません」
「……何?」
「もっと正確に言えば、私の垣間見る未来ではその存在は語られてはいないのです。辿る可能性の未来、そのどこにも“アメジスト・ファルカスの双子の妹”は存在しないのです」
「だが、お前はここにいる」
「アレク様。私の語る未来は……本なのです」
「……本?」
「預言書のようなものです。しかし、その預言書は幾つもあるのです。そして、その本のどれを選ぶのかを決めるのはクリスタなのです」
「まるでクリスタが特別な存在のような言い分だな」
「はい。彼女は間違いなく特別なのです。彼女がこの国の行く末を左右する。そんな……神ごときの運命を有している可能性があるのです」
……“妹”のアメジストはただ真剣だ。嘘はやはりないと思う。だが、嘘がないからと言って飲み込めるかと言えばそうではない。苦い表情でアレクは眉を寄せる。
「私は、どのような道筋を辿っても死を迎えてしまう姉様を助けたかった。私の知る“可能性”に私という存在はいない。上手く立ち回れば、姉を救う事が出来るかもしれない、と」
「それが何故、自らの存在を死んだ事にしてまで入れ替わりなどしたのだ? クリスタに関わる事で己が破滅すると言うなら関わらなければ良かったのだ」
「……えぇ、“関わっていません”よ」
「……何?」
「お気づきになりませんか? アレク様。私達がクリスタに直接何かしましたか?」
紫水晶の瞳に何の感情も浮かばせずに“妹”のアメジストは呟く。そこでアレクは記憶を思い返し、背筋に氷でも差し込まれたかのような悪寒に襲われる。
そうだ。アメジストはクリスタには何もしていない。そもそもクリスタとアメジストが一緒にいる姿を見かけない。見かけても、ただ会釈をする程度で言葉を交わしている所は見ていない。
クリスタがいる所にアメジストはいない。己の知る限りでは、まず間違いなくだ。
「アレク様は先日、私を問い詰めましたね。あぁ、その時は妹の私でございます」
「……影で、取り巻きを使ってクリスタを陥れようと噂が立っていた。私は信じていなかったが、お前が何も抗弁しない事を不思議に思っていた……」
「では、その取り巻きというのは……誰なのでしょうか?」
「…………」
取り巻きと言うぐらいならば、アメジストを慕う誰かなのだろう。では、それが誰かと言われればアレクには思い付かない。アメジストは、1人だったからだ。
誰か親しい間柄の人がいるのかと言われれば、それは自分だ。それ以外に誰かいるかと思考を巡らせても、誰もいない。
「……しかし、アメジストが2人いるなら。片方が何も知らない顔で過ごし、もう片方がクリスタを害そうとしたと言われても否定出来ないぞ」
「そればかりは、確かに」
「……そうだな。だが、言ってなんだがそれはあり得ないと思う」
「あら」
「“未来を変える”と言うなら、それが自分にとって絶対的に死を招く相手ならもっと早く暗殺に踏み切る事だって出来た筈だ。……ルビオや俺に気付かれずに背後を取ったようにな」
少なくとも“姉”のアメジストには出来るとアレクは見立てを立てていた。“姉”のアメジストは先程から黙り込んで何も語る事はない。
「……殺せない理由があったのか?」
「はい」
「それは、何だ?」
「……時に、ルビオ様は随分とクリスタと仲がよろしいのですね」
「何?」
「ルビオ様がクリスタを庇う為に声を荒らげる事も少なくはありません。余程、入れ込んでいる事なのでしょう。例え、証がなくても。思い込めばそのように振る舞えてしまうのでしょうね。昔からそのような方でしたか?」
「馬鹿な、ルビオは公爵家の跡取りだぞ。そんな短絡的な振る舞いが許される筈が…………そうだ、アイツは公爵家の跡取りだ。そんな振る舞いが許される筈が、ない」
自分で口にして、アレクに疑問が浮かぶ。そうだ、ルビオは公爵家の跡取りだ。それ相応の相応しい振る舞いというものを身につけていた筈だ。従兄弟であり、親友だと思っている相手だ。
だからこそ最近の行動は目に余ると思っていた。しかし諫めても耳に入れようとしない。そしてアメジストを悪しきように扱き下ろす。……ルビオは、そんな事をする男だったか?
「恐らく、これは“観測”の視点を持たねば抜け出せないのです」
「抜け出せない……?」
「“運命の強制力”……そう呼ぶべきでしょうか」
「運命の強制力だと……? なんだ、それは。つまりは、そういう事なのか?」
アレクの脳裏に浮かぶ想像は、あまりにも吐き気を催してしまいそうなものだった。
否定して欲しい。笑い飛ばして欲しい。そんな馬鹿な事があるものかと。知らず縋るように視線を浮かべていたアレクに、“妹”のアメジストは無慈悲に突きつける。
「はい。選ばれた“運命”は絶対なのです。例え、それがどんなに荒唐無稽であっても。自分はそう思わない、と思っても、自分ならざる思考によって結末は定められるのです」
「……馬鹿な」
「それが、クリスタが“特別”の由縁なのです。彼女が選んだ結末は……絶対なのです」
そして、と前置きをしてから告げる“妹”のアメジストの言葉は。
「だから“アメジスト・ファルカス”の死も、また逃れられない運命なのです」
まるで、死刑宣告のような響きを伴ってアレクの胸に突き刺さった。
言葉を失うとはまさにこの事か、と。絶句しながらもアレクは思ってしまった。
「……姉様、そろそろお暇した方がよろしいでしょう」
「……えぇ、わかったわ。また来るわね」
「お止めになってください。……もう、良いのです。私は、これで良いのです」
「……ッ!」
「問答は不要です。……アレク様をよろしくお願いします。アレク様も、どうか姉上を」
「待て。……お前は、お前は!」
「長い間、謀っていた事をお許しください。ですが、私は、私達が“1人のアメジスト”だった事もまた事実なのです」
鉄格子で遮られた距離が遠い。手が届く事はない。アレクにはこの距離が、もう縮まらない距離に思えて仕方が無かった。
問いかけを口に出来ない。それを口にしてしまえば、もう逃れられない現実となってしまいそうで。
そんなアレクに、“妹”のアメジストはゆっくりと立ち上がって鉄格子を握っていた指を優しく解いていく。
「心よりお慕いしております。ですので、どうか。“運命”などに翻弄されず、貴方らしく、貴方のまま……幸せになってください」
さようなら、と。柔らかく微笑んで告げるアメジストに見惚れて、アレクは呆然自失としてしまった。
自分がどうやって自分の部屋に戻っていたのか。それすらもわからない内に、彼女との距離は隔てられてしまっていた。
* * *
アレクが“姉”のアメジストと再会したのは、次の日の夜の事であった。
昨日の今日で学校に行く気にはなれず、しかし思考も纏まらないまま自室に篭もっていたアレクの下にメッセージカードが届けられたのだ。
『“あの子”との出会いの場所でお待ちしています』
時間が指定されたメッセージカードの文面にアレクの心臓は大きく高鳴った。それを丁重に燃やして証拠隠滅をし、指定の時間に誰にも見つからないように秘密の場所へと駆け抜けていく。
あの日、舞踏会があった。幼いながら王子として、世継ぎを産んで貰う伴侶を探さなければならないと言いつけられていたのだ。
そんなアレクに迫ったのは、王妃の座に憧れた令嬢の群れ。あまりの騒がしさにこいつらはひよこの群れかと辟易してしまった事を覚えている。
その空気が嫌で、だから抜け出した。舞踏会の会場、その傍に隣接していた庭園の中。その奥まった“秘密の場所”はアレクにとっても特別な思い出の場所だ。
「……あぁ、良かった。間違っていたのではないかと不安だったのです」
肩で息をしながらアレクは、その秘密の場所に駆け込んだ。
そこで“彼女”と初めて出会った時を繰り返すように、“姉”のアメジストは柔らかく微笑んだ。
「お待ちしておりました、アレク様」
彼女は、――“あの子”じゃない。