【06】 その姉妹、ラスボスを倒す
妹のナナハは次元の魔王によって本来の力を取り戻していた。
ナナハは何故だか魔法を使う事ができない。その理由がアタシにはずっと分からなかった。
別に才能がない、とかそういう訳ではなかった。むしろ才能がないだけなのであれば、素質以上の努力でそれを補うことができる。
うちの戦士、ヴェインのクソ脳筋でだって、努力次第では魔法を行使する事は可能なのだ。
ただしそれは理論上の話であって彼の場合は、魔素を流暢に紡ぐための知能が絶望的に足りない。
それに本人にも全くその気が無い。だからそれは土台無理な話だけども。
でもナナハはそうじゃなかった。何か先天的な理由で魔法が使えないのだ。
妹の事は好きだ。一度も言葉で伝えたことは無いけれど、アタシの心の中にはいつも妹がいた。妹でいっぱいに満たされていた。
大切には……できていなかったかもしれない。むしろ酷い事ばかりをしてきた。それでもアタシの心は常にあの子の傍にあった。
ナナハはアタシの妹であるはずなのに、まるで母親のように、いや母親以上にも感じていた。
あたしの心と身体と魂、その全てを妹に許し委ねていた。
でももっと深い心の奥底、絶対に開かれることの無い深淵の領域では、密かに妹の事を不可解に思っていた。
妹について分からない事があまりにも多すぎた。アタシの探究心というものは自分でも制御が効かない。
それでもナナハの事に関してだけは、その謎を本人に問い質す事が出来なかった。
彼女の秘密を無理矢理に暴く事で、知らなければよかったものを知る事が怖かったのかもしれない。
禁忌を犯す事も、神に逆らう事も、『9999』を暴いた後に巻き起こる未知の現象でさえも怖くなかった。
一見すると怖いものナシのように見えるアタシなのに、ナナハの秘密にだけは密かに畏怖の念を抱いていたのだ。
おかしな話かもしれないけど、それが家族ってものなのかもしれない。家族とは強い絆を生み出すものだけれど、時には諸刃の剣にもなるもの。
ナナハを失う事なんてとてもじゃないけど耐えられる気がしない。想像だってしたくない。秘密を暴く事で2人の関係が壊れてしまうかもしれない。
そんな思いがアタシを弱くした。多少の事なら何が起きたって平然としていられるのに。
ナナハの事となると激しく取り乱してしまう。時には恥も無く涙を流してしまう事もある。
そんなアタシが妹の秘密を暴けるのか……?答えは言わずもがな否。
アタシとナナハには幼少期の記憶が無かった。それに物心ついた頃には既に2人の間には『誓約の鎖』があった。
搾取し、搾取される関係が成り立った上でのアタシ達2人だった。何故そんな関係に至ったのかアタシにはずっと分からなかった。
どれだけレベルを上げても能力がほとんど増えない妹。それはまだ『授与する絆』というスキルの影響だと安易な説明がつく。
ただその他の学術的だったり技術的だったりする能力でさえも、彼女は全く習得する事ができなかった。
魔素の紡ぎ方も配列の仕組みも、第五の霊子を認識する技術だって、ナナハはアタシ以上にその理解が深かった。
問い質せば怖ろしいくらいの知識量を誇るナナハなのに、それが全く実践に活かされない。
試しに適当な呪文を詠唱させてみても何故か呪文は不発を繰り返すばかり。
魔素を紡ぎ、詠唱で神の式を呼び、力を発現するまでの段階は一瞬。
その部分だけを取り質してもナナハの素晴らしい賢智と魔法の才能は一目瞭然。それなのに何故だか最終的には失敗に終わってしまう呪文。
それはよくよく考えてみれば、とてつもなく不自然な事だった。
その不可解だった妹の、真の姿をアタシは今この目で確かめているのかもしれない。
身体を自由に動かす事ができないアタシの視線の先で、ナナハが怖ろしい程の身体能力を発揮していた。
その容姿も若干変貌しつつあった。未知の装束を纏うナナハ。それに続くかのように追従する次元の魔王ウルスラ。
ウルスラがナナハを守っている?いや。これは全く、その逆なのではないか?
ナナハの見せる鋭い動きは、自身の目的を害する事も無くウルスラへのサポートだって難なくこなしている。
おそらくナナハがウルスラを守っている。今のナナハの【ステイタス】はウルスラでさえも凌駕しているのだろう。
ウルスラが神の真理の絶対者とか呼んでた意味不明な存在が、虚空より呼び出した劣兵達。
それぞれ数字が刻まれた不可解なカタチの生物たち。厳密にいえば生物とも呼べないかもしれないのかもしれない。
ナナハとウルスラは劣兵達にも及ばない程の絶大な力を誇っていた。
あるものは銀色の液体だった。その全身に『86』という数字が浮かび上がっている。
厳密に何を示す数字かアタシには分からないけれど、それがソイツの名前なのだろう。
『86』はその身体を自由自在に操る事ができるようだった。だが一定の形がない。常に姿形がふわふわと変動している。
もはやスライムとも呼べないそれは驚く程に奇天烈な動作をする。物理法則を全く無視して動いているかのようにも思えた。
重力の影響も受けないのか、不自然な挙動で反復運動のような所作を繰り返しながら宙を飛翔していた。
ナナハが銀色の液体、『86』に拳の一撃を加えんと舞い上がった。
だが『86』は輪のような形態へと自身を変化させて拳をすり抜け、そのまま空中で2つに分裂。
先端を刃物のように尖らし、生まれたのは二対の銀色の刃。無防備に宙を漂うナナハに、反撃を仕掛けんと猛然と迫る。
それを難なく回避してしまうナナハ。
ナナハは虚空を力強く蹴って無理矢理に身体の軌道を修正していた。空中を弾丸のように跳ね回っていた。
もはやそれは身体能力が高いという理由では何の説明も付かない。彼女も物理法則を無視するかのような異常な能力を見せていた。
だがやはり『86』も不可解さでいえば負けていなかった。
ある一点でパッと消えたかと思うと、全く反対の方向から姿を現わし、銀の刃の一撃を加えんとしてくる。
それを今度は手の甲のみで受けるナナハ。傷一つ負っていない。
更に残った片手で銀色の身体を掴むと、その手から未知の光が『86』へと流れ込んだ。
そのまま地面に『86』を叩き付けるナナハ。
『ピギィッ』っという小動物のような呻き声をあげる銀色の液体。
ナナハが液体の中心に手を突き入れ、その内部から未知の球体を引きずり出した。
球体には『86』という刻印が成されている。それを片手で粉々に砕くナナハ。
その途端に銀色の液体、『86』から急速に色彩が失われていき、やがて横たわる地面をうっすらと透過して静かに消滅していった。
「うわあぁ。 すっごぉい。 さすがだね、ナナハちゃん。 ボクなんかが守るなんて……少しおこがましかったかなぁ? テュヘヘ。
でも本当にカッコいいなぁ……うっとりしちゃう」
そう言って恍惚の表情を浮かべながらナナハを賞賛するウルスラ。
その足元に『97』という番号が刻まれた不可思議な物体が転がっていた。
球体に無数の棒が生えたかのような姿を持つ『97』。だが既にウルスラに敗れた後なのだろう。静かに透過して消滅していく。
「そんな事ないよ。 ウルスラが後ろにいてくれるから……私は攻撃に専念できるの……ありがとね」
「ふえ……!? うん、うんっ! 後ろはボクに任せてっ! よーし!ボク、はりきっちゃうぞ~!」
この魔王少女は元いた次元では、ほんの些細な他者からの感情にさえも飢えていたのだろう。
ナナハの何気ない言葉ひとつひとつに、いちいちワザとらしく感動して見せるウルスラ。
アタシは少しとはいえない嫉妬の念を心の中に渦巻かせながら、それでもナナハとウルスラの姿を眺めている事しかできなかった。
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神の真理の絶対者の領域から再びヌッと生み落とされる数字の劣兵達。
現れたのは目も口も鼻もない細太の身体に、奇妙な針の足を無数に持つ『79』。とても数える気にもなれない程の大量の腕そのものの集合体である『66』。
それを視認する事もなく動き出す二人の少女。激しく地を蹴って弾丸のように敵性へと迫る。
空中より飛来するウルスラの両足が、『79』という名の劣兵を踏みつけ地に捻じ伏せ、そのまま『79』の身体を掴み、別の『66』へとぶん投げた。
絡み合って屈服する『79』と『66』。その両者に更なる暴虐を加えんと飛翔するウルスラ。
「ナナハちゃん! 今のうちにゼロをっ!」
ウルスラに視線だけで答えるナナハ。劣兵達はあのウルスラがなんとかしてくれる。
ナナハの視線の先にあるのは、数字どもの親玉である神の真理の絶対者の姿。
(ゼロにどこまで通用するか分かんないけど……。 おねがい。私に力を貸して。 私の中のもう一つの魂さん……)
力に目覚めた後でもナナハ自身、自分の事をまるで理解できていなかった。
自分とは異なる何かが自分に力を貸してくれているとしか思えなかった。
それでも不思議と未知なる力を操る事はできた。まるで昔から力の扱い方を知っているかのように。
その理由はおそらくウルスラが知っている。彼女はまるでナナハを昔から知っているかのような口ぶりだった。
ただ、ウルスラは魔王バラムデウスの事もよく知っていた。
すべてお見通しだとも言っていた。次元の魔王とは一体どのような存在なのか?世界を滅ぼす存在なのではなかったのか?
それはまだ定かではない事だが、今は神の真理の絶対者をどうにかしなくては。
劣兵を淡々と生み出すだけの『ゼロ』は今のところは何かを仕掛けてくる様子はない。
それでもどちらにしろ、最終的にはナナハの消滅を目論む存在たるのであれば、もはや何の躊躇も必要ない。
ナナハはまだまだ姉のクリムゾナと離別する気は無いのだ。
これからも愛すべき姉を己の腕の中で愛でていたい。守っていたい。自分の中の強大な力を少しでも姉に与えたい。
その活き活きとした行動力に加えての型破りな暴虐。それによって齎される溢れんばかりの2人の笑顔。
彼女の全てを彼女の傍でずっと眺めていたい。それに姉のクリムゾナだってまだまだ自分を必要としている。
2人の関係は常人には決して理解される事のない共依存かもしれない。
それでもハッキリと視認できるレベルで、強い絆で2人は結ばれている。
お互いがお互いに振り回されながらもそれを心地よいと感じているなら何も問題はないはずだ。
どちらにしろ、ナナハは何が起きても姉から離れる気などサラサラないのだ。
(私は……こんなとこで消滅する訳にはいかないっ……!)
一切の迷いもないナナハは瞬間的な爆発力を得た。
刹那の時を待つ事もなく神の真理の絶対者を眼前に捉えるナナハ。
振り上げた拳が眩い輝きをその内に収束させる。
その時彼女の内部では劇的な変化が起こっていた。【ステイタス】の数字がカタカタと音を立てて変貌する。
【STR】が【VIT】が、すべての【ステイタス】が上昇を続ける。【命中率】や【クリティカル率】等の更に内部的な数値も上昇していく。
その全てが実に65535という驚愕の数字を叩き出していた。
それは256を256倍した結果、齎されたこの次元最強の【ステイタス】の値。
ナナハが住む現世での限界は僅か999だったはず。それなのに。
つまりこれは、本来のナナハが此方の世界の住人ではない、という事をハッキリと示唆した数値なのであった。
【攻撃力】65535の威力を持つ一撃が【クリティカルダメージ補正】65535を受け、【命中率】65535パーセントという狂った確率で、神の真理の絶対者に吸い込まれるようにして迫った。
数字は攻撃の只中も変動し、最終的な【攻撃力】は『NULL』を示していた。これはつまり『無』そのものをその拳に宿しているという事。
本来なら【ステイタス】やその内部数値が『NULL』になった時点で矛盾が生じ、即座に流出していくはずの力だが、ナナハはそれを自らの力として行使する事ができる存在だった。
ナナハの『NULL』の一撃をその身に受けた神の真理の絶対者。
ゼロの中で渦巻き不可解に揺らめいていた未知の次元が、注入された『NULL』によって激しく形態を変えて歪んでいく。
『NOoOoNoYoYOoooO――!! NOoOoAoYoZOoooOG――!!』
とても人の思考パターンでは理解できないような不可解な言語で、苦悶の意志を現わす神の真理の絶対者。
パキパキと音を立てて亀裂が生じ、ボロボロと虚空から未知の欠片が崩れ落ちていく。
『OoOoAoYoZOoooOooAoYoZOoNOoOoN――!!』
断末魔と共に神の真理の絶対者は消滅した。
それに呼応するかのように劣兵達も消えた。
「すごい……やっぱりナナハちゃんはすごい子だった。 ゼロを呼び出すどころか、まさかあのゼロを倒しちゃうなんて……」
「私だけの力じゃないよ? ウルスラが私の力を目覚めさせてくれたおかげ……。 それに私の中のおねえちゃんへの気持ちが……力を増幅させてくれてた気がするの」
「それでもすごい事だよぉ。 本当の事を言うとボクだって、途中でキミを連れてゼロから逃げ出すつもりでいたんだから……」
「えっ!? そうだったんだぁ。 でもそうなってたら私は拒絶していたと思うな。 だって私はお姉ちゃんから離れられないし……」
「うん。 もちろんクリムゾナも一緒にだよ。 そうだ。 ゼロを倒したんだからキミに本当の事を話さなくちゃねぇ……。」
本当の事。それは次元の魔王の事なのか、ウルスラの目的の事なのか。神の真理の絶対者の事なのか。
はたまたクリムゾナとナナハに隠された秘密の事なのか。分からない。
だが、今のナナハは急激な進化に加えて、ゼロとの戦いによって大きく体力を消耗し、憔悴していた。
そんな本当の事よりもひとまず身体を落ち着かせたい。そう思うのも無理のない事だろう。
「私、ちょっと疲れちゃった……。 だからその前に少し休も? ウルスラだって疲れたでしょう? 」
「うん。 少しだけ……。 でも今はもっといっぱいナナハちゃんに褒められたいなぁ……うふふふ」
照れ臭そうにだが、自身の気持ちを包み隠さず素直に告げるウルスラ。それをまるで愛しい人を愛でるかのような視線で見つめるナナハ。
2人は手を取り合って、互いの無事と互いの功績を賞賛し、満面の笑みで喜んだ。
崩れ去ったはずのゼロの欠片がそんな2人を見つめていた。結局劣兵を生み出す以外はたいした動きも見せなかったゼロ。
だがそれは神の真理の絶対者の狙い通りだった。
唐突にナナハの脳内に何かが響いた。
それは不可解な単語とナナハでも理解可能な言語が混ざり合った音声。それはゼロと思わしきもの声。
『OoOoOoo――ナナハよ――。 AoYoZO――見事であった。 やはりお前の中の『無』は――OoOoAoYoOoOoZOoo
我々の見立て通りの素晴らしい力だった。 NOoOoAo――そして――。 お前が次の新たなる『ゼロ』となるのだ。』
「えっ!? なにっ!」
「ふえっ! どうしたのナナハちゃん……?」
突然の事に動揺するナナハとウルスラ。だが何の情緒も抑揚もないゼロがそれに意を介する事はない。
欠片の断片から無数の輝く触手を出現させ、瞬時にナナハを締め上げて欠片の中へと引きずり込もうとした。
「きゃああああぁぁぁぁっ!?」
「あああああッ!! 」
すかさず手を伸ばすウルスラ。それと同時にナナハとクリムゾナ、両者の間に具現化する誓約の光の鎖。
ウルスラの手がナナハを掴む。鎖もナナハを現世へ引き止めんと鋼鉄の鞭のように撓る。
だがゼロの触手、それに加えての欠片の吸引力は、まるでポッカリと開いた宇宙への入り口かのように、絶え間なくナナハを欠片の虚空の内部へと吸い込まんとする。
このままでは姉のクリムゾナやウルスラも一緒になって欠片の中へと引き込まれてしまうかもしれない。
ナナハは刹那の間にも目まぐるしく思索を巡らせるが、決断に至るまでの速さは迅速なものだった。
「せっかく素敵な出会いだったのに。 ごめんね、ウルスラ……。 お姉ちゃんの事をお願いします……」
そう言うと、ナナハはウルスラの手を自ら振りほどき、その身に繋がれている誓約の鎖を断ち切った。
「あああああああッ!! やだああああぁぁぁッ!」
ウルスラが叫んだ。一瞬の出来事だった。どれだけ叫んでも、既にそこにナナハの姿はない。
ナナハはゼロの欠片の中へと一瞬で吸い込まれてしまったのだ。
「あああああああッ!! お姉さんをお願いされてもそんな事しらないよぉぉぉっ! ボクは愛されたい側なんだからぁっ! そんな勝手は絶対に認めないからっ!」
ウルスラは何も諦めていなかった。叫ぶと同時に駆け出した。
その視線の先にはゼロの欠片から生じた時空の亀裂がある。
まだゼロは帰還していない。そこにゼロもナナハもまだ存在しているはずなのだ。
飛び出したウルスラが、するりと自身の身体を亀裂の中に滑り込ませた。
「うああぁぁぁぁあああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁッ!」
そこからのウルスラの勢いは凄まじいものだった。別次元の火事場の未知なるクソ力とも言うべきだろうか。
己を全く省みない荒行、怒号と共に、ゼロの内部からナナハを悠然と引っ張り上げるウルスラ。
亀裂より飛び出してきた2人。そのまま勢いよく地面に投げ出された。
やけにあっさりと、ナナハをいとも容易く奪還されたゼロ。だがそれでも何の反応も示さない。何かを告げる事もない。
そのままその姿を元いた虚空へと掻き消して、ゼロは何処とも知れぬ次元へと旅立っていった。
慌ててナナハに駆け寄って激しく肩を揺さぶるウルスラ。だがナナハには何の反応もない。
目を大きく見開いたまま地に横たえるナナハ。その瞳からは完全に元の色彩が失われていた。
「やだああああぁぁぁぁッ! いやだああああぁぁぁぁッ!!」
ナナハの魂は既にゼロと同化してしまった後だった。
目的を達成して新たなる力を得た神の真理の絶対者も何のしがらみもなく立ち去っていった。
ゼロを追走しようにも、今のウルスラはもう一度ゼロを呼び出す手段を何も持ち合わせてはいない。
声にもならない嗚咽と共にポロポロと涙を溢すウルスラ。
その美しい雫がナナハの頬に落ちる。それでも彼女の意識が元に戻る事はなかった。
魂を失ったナナハの肉体が、その指先から足の先から、パキパキと音を立てて亀裂を生じさせて崩れ始める。
「ああッ!?」
それを見て一層の動揺を見せるウルスラ。
その時、ウルスラによって時間を停止させられていたクリムゾナの身体が怪しく光る。
断ち切られていた鎖が再びクリムゾナより伸び、崩れ去りつつあるナナハの肉体に接続された。
鎖からナナハの身体に流入する不思議な力。ナナハの崩壊の速度がゆるやかになっていく。
クリムゾナの中にナナハの魂が僅かに残っていたのだ。
(ああ……そうなのか。 この2人はお互いに魂も少しずつに等分して分け合っていたんだ……)
だが、それでも魂の量が足りなかった。
ナナハという人間、その1人分の生命をありのままに再生するにしては、あまりにも魂の量が足りなかった。
(それでもっ! まだこのボクがいるっ! ナナハちゃんのためならボクは……。)
決意と共に不思議な七色の色彩に輝くウルスラの身体。ゆっくりとナナハの身体に手をかざす。
触れた手を介してウルスラの魂がナナハへと注がれていく。それと同時にゆっくりと光を失っていく。
何故、彼女は初対面であるはずのナナハのためにそこまでするのだろうか?
だが今もその身を消滅させつつある彼女、魂の抜けたナナハ。もはやその本当の理由を知る術はない。
(これでナナハちゃんは救われ、そしてボクは消滅する……。 でも、それでも……ナナハちゃんは完全には元には戻れない。 だからあとはクリムゾナ、キミに任せるから……)
自身の強い意志を形としてナナハの身体に注ぐウルスラ。それが最後に振り絞った力だったのか。
もうほとんど透明になりかけている小さな身体、それをグッタリとさせて地面に横たわった。
(戦いしか知らないこんなボクに、愛を教えてくれてありがとう……。 ナナハちゃん……さようなら)
最後の言葉を残し、ウルスラは光となって消えた。
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時間の流れが元に戻り、再び正常な時を刻み始める。
「はえっ! あれっ?」
「ぬう? 何が起きた……次元の魔王はどこへ……?」
一同は何が起こったのかもすぐには理解できなかった。
眼前に広がるのは魔王バラムデウスの乱心によって完全に崩壊し、荒野と化した街の光景、ただそれのみ。
すぐ近くで魔王バラムデウスが『ぐーすかーぴー』と暢気な寝音を立てていた。
遠くで嗚咽に身を委ねているクリムゾナがいる。恥もなく大きな声をあげて泣き続ける彼女の手の内にはナナハが横たわっていた。
それを見たソーマとシロナの胸にとてつもなく不穏な空気が流れ、何とも言い知れぬ漠然とした不安にその心を支配された。
(あんなに泣き喚いているクリムゾナを初めて見た……。 まさか……ナナハの身に何か……あったのか……!?)
慌ててクリムゾナの元へと駆け寄る勇者達。
「うわああんっ……!! わあああんっ……!!」
「クリムゾナ……!? 無事かッ!? ナナハに……何かあったのか!?」
「ぐすっ……、ふぐっ、 分かんないよぉ……。 生きてはいるけどぉ……。 ううっ……、ナナハが私の言葉に……答えてくれないのよぉ……」
「――――!?」
ナナハは無事だった。ウルスラの尊い犠牲によって消滅は間逃れていた。
だがその心のほとんどをゼロに奪われて、人としての心が完全に壊れてしまっていた。
クリムゾナが何度呼びかけてもナナハは答えてはくれない。
ただその無機質な瞳を大きく見開いたまま何の意志もなく、目的もなく、ただ虚空をじっと見つめるばかり。
「そ、そんな……」
何ひとつ現状を理解できぬまま、悲劇の渦中へと投げ込まれた勇者達はただ絶望にその身を震わせるしかなかった。
密かにクリムゾナとナナハの姉妹を慕っていたソーマとシロナが、揃って嗚咽を漏らしていた。