【05】 その姉妹、ゼロを呼び出す
爆炎の中から魔王のバラムスさんが飛び出してきた。
でも……。彼は次元の魔王少女ウルスラによって首を掴まれたまま地面に捻じ伏せられている。
その場に居合わせた全員が、眼前で何が起こったのかを理解できずにただ驚愕したままで立ち尽くしていた。
「グフウ……。 貴様、ワシに一体何をした……? グッ……。 何故だ? 身体が全く動かん……」
「あははぁ。 何をしたって? ボクはただ一発殴っただけだよぉ? でももうキミのHPは『5』しかないんだけどねぇ……」
「バ、バカな……? ワシのHPは3000はあるはずじゃぞ……!? それを一撃でっ!? それはチート能力なのではないのかっ!?」
「んー。 違うよォ。 ただの攻撃力7000の普通の打撃だよぉ。 ただし『手加減』を掛けてるから綺麗に2995だけ削り取ったの。
これも数千年もの間、厳しい鍛錬を続けて得た修練の賜物なんだよぉ? ボク頑張ったでしょ? 偉いでしょ? ねえ褒めて、褒めてぇ。 頭ナデナデしてぇ?」
「ヌグゥゥゥッ……!?」
バラムスさんの恐竜みたいな脳細胞では、ウルスラの説明とか言葉の意味とか色んな要素を含めて理解ができなかったのか。
彼は九尾狐につままれたような困惑の表情を浮かべていた。
私にだってほとんど理解できていなかった。でもウルスラちゃんの頭をナデナデはしてあげたかった。そこだけはハッキリと理解できる。
このロリっ子も姉に負けず劣らずの可愛らしい属性を周囲に激しく放ち続けているのだ。
(もしかすると次元の魔王相手でも、ちゃんと話し合えば分かり合えるのかな?
できる事なら是非とも彼女と仲良くなって『頑張ったね』と言って、あの子をいっぱいいっぱい褒めてあげたい……。 抱きしめてあげたい……)
私は自分の中に生まれた密かな情欲を、露骨な形で彼女に向けていた。
それにしても手加減っていうのは……?それは私達の世界にも普通に存在する言葉。
おそらく攻撃する相手を殺さないようにするための能力……なのかな。
つまり、私達が最初に戦った次元の魔王も本当は四桁ステイタスの持ち主で、彼も『手加減』を使っていたというの?分からない。
でもどっちにしても姉のアイリィの禁呪はカンストに近いダメージを叩き出していたから、それが勝負の行方には繋がらなかったのだろうけども。
ここで下手に『次元の魔王が自ら負けを譲った』なんて言ったら、姉が『もっかい戦わせろ!』って言って怒り出しそうだからね。
逡巡を重ねる私は、ふとウルスラの視線が此方に向けられている事に気付いた。
彼女が向ける綺麗な色彩の瞳に思わずドキッとしてしまう歪んだ性癖の私。
その瞬間、私とウルスラを除いた全ての人間、全ての物体、全ての事象そのものが時間を停止させた。
私の視界すべてがモノクロのようなセピアのような、不思議な世界へと変わっていた。
隣を見ると姉も灰色になって停止していた。
一瞬私の心が何者かにギュッと握りつぶされたかのような悲痛な感覚を覚えて、慌てて姉の肩を掴むけど何の反応もない。
というか触れてもビクともしないし、そもそも干渉できないようだった。でも別段それで何かの害があるという訳でもなさそう。
私はホッと胸を撫で下ろした。
ウルスラがその小さな身体を軽快に弾ませながら、トテトテと歩み寄ってくる。
「やあ。 暴虐の魔女の妹であるナナハちゃん。 はじめまして。 ボクは魔王少女ウルスラだよぉ。 気軽にウーちゃんって呼んでねぇ。
うふふ……。 これでやっと2人きりで話せるね。 嬉しいなぁ……」
「えっ? あっ! う、うん……。 初めまして、ウーちゃん。 私も嬉しいな……。 あ、あの……。 よろしくね」
ウルスラが眩しいくらいの笑顔と共に、その白くて小さくて撫でたくなるような可愛らしい手を差し出してきた。
何の躊躇いもなくそれに返す私の手が彼女の指に紡がれた。
彼女の手はとても柔らかかった。少し冷ややかさも感じた。
何故だか彼女の手をすぐに離せなかった私の手の温度が、ゆっくりと彼女の手にも伝わりウルスラが僅かに頬を赤らめた。
「はあう……うくぅ……。 なんだかドキドキしてきちゃった……。 ねえ。 キミはボクの事を警戒しないの?」
「えっ? うん。 だって全然怖そうに見えないし。 あなたが世界を滅ぼす子だなんて信じられないし。 それに……普通にかわいいもの……」
「はひえっ!? ボクがかわいい……だって? 初めて言われたぁ。ボクの住む次元のヒト達は強さにしか興味ないから……。
でも嬉しいなぁ……嬉しいなぁ……。 うふふ……うふふふふ」
にこやかな微笑みと照れまくりの反応を見せるウルスラを見て、私は瞬時に確信する。
この女の子は愛される事に飢えているのだと。私の中のそっち系のレーダーは凄まじく性能がいいのだ。
それからの私の行動にもはや何の躊躇いもない。
私はウルスラの小さな身体をそっと抱き寄せ、その金色の小麦畑のように流れる美しい艶髪を優しく撫でた。
恥ずかしそうに笑うウルスラが私の背中に手を回してその身を委ねてきた。
それは瞬時に防御無視の特性をもった弾丸に変わって、私の心を撃ち抜いた。
「はあう……。 もっとなでなで……。 もっとしてぇ」
私は何故か次元の魔王を己の好きにできる権利を獲得していた。周りの灰色の景色を見てハッと我に返る。
えっと。私達は一体何をやっているんだろうか……。
皆が時間停止しているのをいい事に、こんな猥りがわしい行為に没頭するなんて。
(ああ……でもかわいい。 本当に尊い。 お姉ちゃんごめんなさい……。 でも……これは違うの。これはそういう卑猥で情欲的な事じゃないの。
ただ目の前の幼女をあくまでも『お姉さん目線』で愛でてるだけなのだから)
幼女。それはおさない女の子を示す言葉。年齢はおおむね1歳から9歳あたりの範囲。
冷静に考えれば私の手の中にいるウルスラは、数千年も厳しい鍛錬を続けるような次元の魔王。
彼女は私よりも遥かに年上な存在な気もしてきた。
でも視覚的にも言動から考えてもこの子は幼女なの。それでいいの。愛し合う女の子同士にそんな事は関係ない。煩わしい事なんて忘却の彼方へ吹き飛ばしてしまえばいい。
私は自分自身にそう言い聞かせると、思う存分に情欲を込めた手でウルスラの小さな身体を愛でる事にした。
「はふう……。 愛しのナナハちゃん。 ボクの心はもうキミのもの……。
あのね? ボクはキミを救いに来たんだよぉ。 キミはもうあっち側の世界に片足を突っ込んでいるから……」
私の腕の中で悶えているウルスラが唐突に言った。
「えっ? 私を救いに……? 私が何で? よく分かんない……」
「うん。 そうだよね、ごめんね……。 ナナハちゃんにも分かりやすく説明するね」
私の困惑の言葉に陳謝するウルスラを見て私の心がチクッと痛んだ。
『謝らなくてもいい』っていう言葉を紡ぐ暇はその瞬間には無かったので、その代わりに私は彼女の頬をそっと撫でた。
「うふふ……。 それじゃ一つずつ説明するね。 あのね。 キミのお姉さんのクリムゾナは気付いてないみたいだけど。
実をいうと前回の次元の魔王との戦いの時、彼女はカンストダメージ9999以上を叩き出していたんだよ」
「えっ……!?」
ウルスラは私に構わずに粛々と語り続けた。
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次元の魔王にトドメを刺したクリムゾナの最終神の極光剣。
カンストに至らず9996で止まっていたかのように見えて、これが実際に叩き出していたダメージは驚愕の38673だった。
本当は9999どころかそれを遥かに凌駕するダメージ値を叩き出していたのだ。
実をいえば最終神の極光剣どころか、禁忌の究極灼神の戦鉄槌や禁忌の絶対氷獄の霊棺の時点でも既に9999には達していた。
では何故それを下回るダメージを出し、最終的には9996で踏み止まってしまったのか。
それは全てナナハの力の影響だった。彼女は無意識に姉が9999を出す事を拒んでいたのだ。
クリムゾナと誓約の鎖で結ばれたナナハの意志は、姉の力の行使にさえ直接影響する。
これまでずっと姉に力を与えていたのも、ナナハの『授与する絆』のスキルのせいではない。クリムゾナの『搾取する絆』のせいでもない。
ナナハは自ら望んで姉のクリムゾナに力を分け与えていたのだ。そして自ら望んで不幸の中へと身を委ねていた。
本来クリムゾナに訪れるべきだった不幸や災難は全てナナハがその身に受けた。だが、彼女にとってはそれが何よりの幸せだった。
強大な力を持つクリムゾナがナナハを守っていたのではない。
ナナハがクリムゾナを守りながら、その強大な力を姉に分け与えていたのだ。
『愛すべき姉に自らの全てを捧げたい、永遠に守っていたい』
そんな彼女の強い意志がスキルという形となって可視化されただけの話。
いや、ナナハだけではない。元々スキルというものはその者が深層意識の中に持つ、強い意志を力として分かりやすい形で顕在しただけのもの。
強く攻撃の意志を求める者は攻撃的なスキルを得る。身を守る意志を持つものは防御的なスキルを得る。
邪な心を持つものは邪悪な能力を得るし、正しい心を持つものは清浄のスキルを得るのだ。
9999ダメージを出したことによって消滅の危機に陥ったクリムゾナは、ナナハの力によって即座に守られた。
それでも最終神の極光剣の38673というダメージは逸脱していた。
更に度重なる不正によってクリムゾナは限界の中の限界、その中でも更なる犯されざるべき領域へと突入してしまい、ついに四倍虚数術というチートスキルを得ていた。
これは全ての【ステイタス】や【スキル補正値】を4倍に増大させる、という無茶苦茶な性能を誇っていた。
これによってクリムゾナの【INT】が2872になった。【MP】も24000を超える値を叩き出していた。
この世界ではダメージや【HP】、【МP】は最大9999、ステイタスはどんなに不正を重ねても999が限界と決まっていた。
決まっている、というかそういう風にしか設計されていなかったのだ。
全ての演算が狂ってしまったクリムゾナの魂に無数の『NULL』という文字列が刻まれていった。
これがやがて彼女の【HP】にまで侵食し【HP】が『NULL』となってしまった時。また様々な身体的数値が『NULL』となってしまった時。
その魂は壊れて人間ではなくなってしまうのだ。
姉の危機を逸早く察知したナナハの『姉を守りたい』という想い。これが『誓約の鎖』を介してクリムゾナの中の『NULL』を回収した。
刹那の時にも姉を正常な値に修正せん、と必死に再計算を試み続けた。
だがナナハの力を以ってしても全てを修正する事は不可能だった。
姉の存在を維持する事だけで精一杯だった。それに結局は9999は達成されてしまったのだ。
ナナハのステイタスを思い出してみて欲しい。
ナナハ
Lv1
HP 35/35
MP 9999/9999
【STR 3】
【VIT 43】
【AGI 1】
【DEX 2】
【INT 2】
【スキル】
不条理の薄幸
誓約の鎖・アイリィ
搾取する絆
9999の真実に抗えず、ナナハの【MP】が9999に達してしまっている。
この世界では9999の次は0と決まっていた。
だが0はその者のステイタスに何も変化を及ぼさない。それは本来単体では存在してはいけない数字。
例えば力が0だという。この時点でもう何かがおかしい。力が無いとは一体どういう事なのか?
有を証明するために無が存在してるだけの話なのであって、『無』そのものは決してこの世に存在してはならない。
これは全ての世界における普遍の定理。
もしもこの定理が破られた時、そこに生じた矛盾は全てを吞み込んでしまう。
どんなに広大な世界でも無限に広がる宇宙でもその存在は刹那の時を以って瞬く間に全てを消滅させる。
この世には抽象的な0は存在しても本当の意味での0は存在していないのだ。
例えばリンゴが0個あるというのはリンゴが無いという事を現わす言葉。
だが厳密に言えば0のリンゴは既に物質として存在している。リンゴが実るべき木は既に存在している。種を作るための養分は既に存在している。
これは無ではない。まだリンゴがリンゴとして形成していないだけなのだ。
何も無からポンッと軽快な音を立ててリンゴが出現する訳では無いのだから。
魔法や呪文の力でも全く同じ事がいえる。
魔法の力を具現化する際に消費されるものは魔素を多く内包する『魔法の秘薬』を除けば、人にとっては不可視なものが多い。
エーテルや大気中のエレメンタルは人の視覚では捉えられない。
そのためか、魔法がまるで虚空から物質を生み出しているようにも錯覚する。
魔法とは大気中の第5霊子と無数の配列からなる魔素を組み合わせて、異なる領域から物質を転送する技術。
実際は大気中の大量の霊子と数千以上にも及ぶ魔素を消費してそれは行使されている。
魔素は厳密には並列魔素と呼ばれ、例えば火の属性だけでも火の100番から8671番といったように型番として存在する。
それを他の属性との組み合わせも加味して考えると、その術式のパターンは無限大にも及ぶとされる。
故にそれを容易く組み合わせて魔法の力として発現してしまう魔法使いは、時に『尋常ならざる賢智の魔素紡ぎ』と呼称される。
神の言葉を用いた詠唱を以ってして組み合わせ、現世へと顕在する神の科学。
それは元より『有』として実証されているのだ。
つまりは結局のところ、この世界に『無』は存在していないという事。
もしこの理が破られた時、どうなってしまうのか。
それが次元の魔王少女ウルスラが此処に現れた理由になるのだった。
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「ナナハちゃんの中の9999は既に彼らに認識されている……。 いや、彼らとも呼べないね。
それは数字の『ゼロ』そのもの。 決してこの世界に存在してはならないもの……。 でも何故だか彼らはボクらの次元にやってくるんだ」
「私の中の数字が、そのゼロを呼び出してしまった……?」
「うん。 でもキミはただ姉を守っただけだから何も悪くない。 ほら。 見てごらん」
ウルスラが軽快な所作で指を回すと、ヴォンといってナナハの【ステイタス】が開示される。
全体的には特に変化は見られないが、ただ【MP】の9999だけがその値をみるみる減少させていた。
「ああ……私の数字が6000、5000になって……。 もう3000だわ……」
「ゼロがキミの中の矛盾を察知して数字を吸い取っているんだ。 ゼロは9999を超えたものを破壊しにくる。
その手段はその時々で違うけど……でもボクがそんな事はさせないからっ!」
「どうして……? 次元の魔王であるあなたが私を守って……?」
「ごめんね。 もうそれを話してる暇はないみたい……。 彼らが来る……! 神の真理の絶対者が……!!」
ウルスラの言葉に応えるかのように虚空が渦を巻いて歪んだ。
何の冗長もなく唐突に現世へと顕在された存在。
それが神の真理の絶対者――。
それは可視化された輝く銀色の数字、『ゼロ』を無数に纏う未知なる存在。
それは人のカタチさえもしていない。酷く無機質な渦巻く虚空そのもの。その中に無数の数字が輪を描くようにして踊っている。
魔王の攻撃にも表情ひとつ変えなかったあのウルスラが微かに震えていた。
「キミは……このボクが……守るっ! そのためにずっと鍛錬を続けていたんだからねぇっ!」
それでも彼女らしからぬ強い意志を、神の真理の絶対者へと向けるウルスラなのだった。