【02】 その姉妹を、早く追放しなさい!
勇者ソーマは苦悩していた。
紅蓮の魔女クリムゾナは、ついに大っぴらに禁呪を行使してしまった。
それによって次元の魔王を撃退できたのは確かだし、彼女の功績を認めていない訳ではないが。
でもいくらなんでも今回は無茶苦茶過ぎた。
その一節を詠唱するだけでも天使が忠告しにくる程の禁忌を、立て続けに4回も使用してしまった。
最後の『最終神の極光剣』なんて……。
あれは神が神の力の領域を侵す、愚かな人間を断罪する為に行使される禁呪中の禁呪だ。神の力そのものだ。
それを一応は人の身であるクリムゾナがいとも容易く唱え、行使してしまうなんて。
そんな神を冒涜するような行為が許される訳が無い。人界最高位に君臨する教皇の娘であるシロナだって黙っちゃいない。
次元の魔王との一戦は、世界にとっての命運を賭けた戦いでもあった。
天界の神々も、神都に鎮座する教皇も、魔界の王達でさえもその動向に一斉に注目していたのだ。
これではクリムゾナが様々な勢力から目を付けられるのは避け難い必定。
このまま勇者の僕が彼女に対して何もしないでいる、というのも色んな意味で不味い。
僕達は世界最強の勇者パーティーとして、世界の均衡を絶対的に保つ存在でなければならない。
同じパーティーメンバーのヴェインやシロナだってクリムゾナを追放する事を望んでいる。
でも、あの紅蓮の魔女クリムゾナをパーティーに引き入れたのは他でもない。この僕自身だ。
僕は敵対関係であったはずの彼女に不思議な魅力を感じてしまったのだ。
それはまっとうにしか生きられない僕らには生まれない、自由奔放なクリムゾナの内にしか生まれない未知なる力。
それが僕達を更なる高みへ連れて行ってくれるのではないか?そう思って彼女をパーティーに誘ったのだ。
そして僕の考えは正しかった。彼女が加入してからというものの、僕らパーティーの勢いは留まる事を知らなかった。
それに勇者の身ではとても実行不可能な汚い仕事だって、此方から頼まなくてもクリムゾナが勝手にやってくれる。
暗黙の了解の内の『悪』が僕らには必要だったのだ。
そんな僕が彼女に一切の情も抱かずに、何も意に介さず良心の呵責にも苛まれずに冷淡に追放する事など出来ようものか。
それでも僕はパーティーのリーダーとして、世界が注目する勇者として、全員の意志を汲み取りつつもパーティーと世界のために最良となる決断を下さなければならないのだろう……。
そうなると、もう既にどうするべきかの答えは出てるのだが……。
それでもやっぱり僕は苦悩する。
ぶっちゃけてしまうと僕はクリムゾナの妹、ナナハに惚れていた。もうかなりのベタ惚れだった。
平素はそれとなく振舞っているが、本当はいつも胸が張り裂けんばかりの思いで彼女と接していた。
僕の本心がメンバー達や彼女自身に、いつか知られまいか?とヒヤヒヤしながらこの三年間を過ごしてきたものだが、それでも僕は彼女に抱いた恋心を掻き消す事ができなかった。
ナナハの生い立ちといえば『薄幸』という言葉が絶対的に似合うくらいに薄幸な少女。
それなのに彼女はいつだって笑顔を絶やさない。姉からどんな暴虐を受けようとも平気で笑っていられるような子だ。
彼女自身は何の特質した力もない。どれだけレベルが高くなっても、どの【ステイタス】の一つでさえも50に達する事は無かった。
戦力としては全く期待できなかった。むしろ足手まといなくらいだった。
だが戦いを終えて帰還し、疲弊している僕達を優しい労いの言葉と、眩しい程の笑顔で迎えてくれる彼女。
その存在の全てが僕にとっての最高の癒しであり、パーティー全体にとっても無くてはならない貴重な存在だったはずだ。
容姿はお世辞にも美しいとは言えない普通の女の子だったが、それでも僕は彼女のその性格に惹かれ続けた。
それなのにこの前の『クリムゾナがロリっ子化事件』が起きてからというものの、ナナハの美しさは増すばかりだ。
もはや僕は彼女の顔を直視する事さえできない。
たまに気付かれずにその横顔を眺める事のできる瞬間が訪れるのだが、それは僕の心をいっぱいに満たす至福の時間となる。
彼女が僕の勇姿を見ていてくれる。それだけで自分の力が何倍にもなって溢れてくる気がした。
そんな彼女にぞっこんな僕が、彼女の姉であるクリムゾナを追放する事など出来ようものか。
『クリムゾナの追放 = ナナハとの離別』なのである。
彼女のいない未来を耐え切れる自信が今の僕には無い。
もし離別ともなれば、おそらくでもなんでもなく僕のモチベーションは駄々下がりする事だろう。
それでも僕は意を決して判断しなければならなかった。
「それではこれより第6回クリムゾナ姉妹・追放するか?しないか?会議を始めます! 一同……。 礼!」
「「「よろしくお願いします!!」」」
僕は粛々と開会の宣言を告げた。
自分の本当の意志とは裏腹に追放会議を開かなければならなかった。誰かに僕の心中を察して欲しかった。
本当は一番にナナハに察してもらいたいのだが、それだと同時に僕の慕情までバレてしまうので、そんな事は望めなかった。
シロナの表情が活き活きとしていた。彼女はクリムゾナを追放したくて堪らないのだろう。
クリムゾナと犬猿の仲どころか宿敵となりつつある彼女は、いつだって追放会議の議長の役目を自ら買って名乗り出る程だ。
でもそうなるとおそらく確実に『追放ルート』になってしまうので、議長は中立の立場でモノが言える僕が担う事にしている。
会議が第6回目なのは、これまでも幾度となく追放会議が開催されてきたから。
まあその原因の最たるものは言わずもがな、全てがクリムゾナ本人による暴虐行為のせい。
第3回目が開催された時のクリムゾナの暴虐は『シロナの入浴シーンを超巨大スクリーンに投影して敵軍勢の眼前に流す』だった。
それは数分の間も敵の視線を釘付けにして逃さなかった。絶対的凝視、圧倒的活目だった。『プロヴォーク』としては絶大な威力を誇るものだった。
ただし裸体を無許可で、しかも無修正で晒された本人からすれば、たまったものではないのは確か。
あれは眼福だった、などと言おうものならこの僕でさえシロナに全力でぶん殴られそうなので、それは記憶の片隅に留めて後で1人でこっそり楽しむ事にする。
第5回目が開催されたのは記憶にも真新しい最近の出来事だが、その時のクリムゾナの暴虐は『ヴェインの入浴シーンを超巨大スクリーンに投影して全世界に流す』だった。
何故そこまで彼女が入浴シーンに拘るのかもよく分からないが、よりにもよって筋骨隆々のヴェインを被写体として選ぶとは。
この時、世界が被った精神的ダメージの程は想像にも難くなく。
これが発端となって国々が争いを始め、戦争とさえなりかけた。
勇者である僕が不眠不休で問題の諸国を駆けずり回って、土下座しまくる事によって何とか事なきを得たが……。
何故そんな愚かな真似をしたのか?とクリムゾナに問えば、それは『然るべき敵対勢力の精神力を削ぐため』だったらしいが、様々な側面から推測してもそれはただのヴェインへの嫌がらせだとしか思えなかった。
まあ愛すべき妹のナナハが被写体に選ばれなかったのは、僕からすれば本当に幸いな事であった。
「ではいつもの通り。 まずは全員の表決から。 ヴェイン議員から順にお願いします」
僕は無駄な雑念は捨てて、追放会議を推し進める事にした。
ヴェインが腕組をしたままで口を開く。それからシロナ。最後に僕、という順番だ。
「戦士代表のヴェインだ。 クリムゾナは……まあ追放だな。 さすがの俺も今回ばっかりは庇いきれん」
「教皇の代弁者のシロナです。 クリムゾナさんは……追放ですね。 あんなに躊躇いもなく禁呪を唱えまくるなんて本当に信じられない。 たとえ私が許しても神は絶対にお許しにはならないでしょうね……フフフ」
「クリムゾナよ。 アタシも追放がいいと思う。 だってこんなクソ雑魚どもに助けられるなんて、アタシのプライドが許さないもの」
「えっと……ナナハです。 お姉ちゃんがそう言うなら私も追放……かなぁ。 どっちにしても私はおねーちゃんから離れられないし。 離れる気もないし……」
ちょっと待って。追放されるクリムゾナ本人達も割り込んできて、しかも自分で追放って言ってるのはどうなの?
そこはちょっとは抗って欲しかった。ノリでもいいから嫌がって欲しかった。
じゃないと何の捻りもなく満場一致で『追放』になってしまう。
それは不味い。色んな意味で不味い。それに僕の精神だって不味くなる。ナナハとはやっぱり離れたくない。
どうにか上手い言い訳を考えてこの場を収めなければ……!
「はん。 今まではお前のその火力を宛てにしてただけだ。 本当は俺らだけでもやれたんだ。 なのにそんなチンチクリンな能無しのロリっ子になっちまいやがって……。 足手まといもいいとこだぜ」
ヴェインが吐き捨てるように言った。
チンチクリンなロリッ子だと……。この男は何も分かっていないな。それがいいんじゃないか……。
かつてのクリムゾナはいささか妖艶な美女すぎて僕の趣味ではなかったが、今のクリムゾナはぶっちゃけて言うと最高にかわいい。
そのロリっぷりが堪らない。美女が逆行して幼くなったとか最高のシチュエーションじゃないか。
何と言われても僕はこの意見を絶対に譲る気は無い。別にロリコン勇者と言われても構わない。
もっとぶっちゃけてしまうと、僕は密かにクリムゾナの事も好きだった。
彼女のやる事はすべてが無茶苦茶だけどそれが僕にとってはいい刺激になっていた。
本当の僕はずっと『真面目な勇者なんてクソくらえ』だと思っていたのだ。
それに僕は2人の艶かしい秘密だって知っている。
クリムゾナとナナハ姉妹が、実はとんでもないくらいに仲がいいという事を。
2人が夜は同じベッドを共にしてる事も知っている。手を繋いで寝てる事も知っている。
たまに2人の寝室を覗いている僕が言うのだからそれは確かな情報だ。
妹のナナハの胸に埋もれて幸せそうな顔で寝息を立てている美しいクリムゾナ。
なんて尊い姉妹なのだろう。それを見た時の僕の胸は一瞬で張り裂けそうになるのだ。
クリムゾナとナナハがいまだに一緒にお風呂に入ってる事だって知っている。
さすがに風呂場は覗いてないけど、壁際で思いっきり聞き耳を立てている。浴室から聞こえてくる楽しそうな声で分かる。
くそう。羨ましい……。
でも僕は絶対にそんな2人に介入してはならない。仲睦まじい2人を傍でそっと見守っているだけで十分なのだ。
そんな2人が僕のパーティーからいなくなるなんて……もしそうなったら僕の心は暗黒面に堕ちて闇側の勇者になってしまうかもしれない。
やはりこの場は何とか上手い事誤魔化して全力で2人を追放しない方向に持っていかなければ――。僕は決意を固めた。
何かいい策がないものかと必死に思索した。
そんな僕の思考に割って入ってくる声が複数あった。
「追放などでは生ぬるい! その女を今すぐ天界へ引き渡せ! そいつの犯した罪は決して許されるものではないのだ! このセイファー・マグヌスが直々に引導を渡してくれようぞ!」
「なんじゃとッ!? ふざけるなッ!この天使風情がッ! ワシの愛しいクリムゾナちゃんとナナハちゃんをそんな目に合わせるなど、この恐怖の魔王バラム・デウス様が断じて許さんぞッ!」
「ちょっとちょっと! 追放なんて困りますよ! クリムゾナさんはうちで飲み食いしたツケがまだ10万シルヴァは残ってるんですから! その前に勇者さんパーティーが責任を持ってツケを払ってから追放して下さい!」
「追放なんて絶対ダメです! 勇者パーティーはそんな悪魔みたいな女をこの世に解き放つおつもりですか! 最後まで責任を持って飼い続けるべきなんじゃないですか!?」
「追放には反対だ! そんなかわいいロリッ子と美少女を野に放つなんて勇者パーティーは鬼畜ですか!?」
「追放ダメ、絶対!」
おお!いいぞ。理由はどうあれ、追放しない方がいいという意見が多く囁かれ始めた。
そうだもっとだ。もっと言ってやれ。我らの『クリムゾナ姉妹愛』を思い知らせてやるのだ!ワハハハハ!
ん……?でもちょっと待てよ?なんでこんなに追放会議の議員が増殖してるんだ?
僕はハッと我に返ると、慌てて周囲に視線を向けた。
いつのまにか僕達の追放会議は、大勢の人間によって囲まれていた。
会議の中央に、偉そうな顔でドンと降臨している六枚の羽根を持つ天使の姿。それを見た途端に重い眩暈が僕を襲った。
彼は天界の最高位の存在。碧空の熾天使セイファー・マグヌス。その後ろには大勢の天使兵達の姿が見える。
それも当然といえば当然か。クリムゾナの犯した禁忌が彼らを此処に呼び出したのだろう。
くそう……。こんなにも早く天使達が出てくるなんて思わなかった。
だが、絶対にこの姉妹を追放なんてさせない。天使に引き渡すなんて勇者である僕が絶対に許さない。
こうなったら刺し違えてでもコイツをぶっ殺して……。
いや、でも以前僕らが倒したはずの魔王までいるのは何だ?
彼は過去にクリムゾナの手の内でいいように操られていた恐怖の魔王バラムデウスだ。
確かバラムデウスは僕らに敗れた後にすぐ改心して、世界の果ての孤島に送られていたはず。
恐竜みたいな顔の気のいいおじいちゃんと化した彼は、みんなから『バラムスさん』なんて変な愛称で呼ばれながら、惨めな隠居生活を送っているはずだった。
それなのに一体何故……。いや、だがこれは願ってもいないチャンスだ。
このアホな魔王をどうにかしてアホの天使どもにぶつける事ができれば、勇者である僕が暗黒面に落ちる必要はなくなる。
よし、今回はその手でいこう。
これが上手くいけば、今回もクリムゾナ姉妹を追放しなくて済む事になりそうだ……。クフフフフ。
他にも酒場のオヤジやら宿屋のオヤジがいるが……。コイツらは別にどうでもよかった。
関係ない人間が乱入してくるな、と僕の心が叫んでいた。
あと貸付屋に、懸賞金ハンター、暗殺者風の謎の人物など、如何わしくもそれっぽい面々がずらりと並んでいる。
クリムゾナは意外とそっち方面での人望があるのだろうか?それとも単に彼女に恨みを持つ面々?
よく分からないが、これでこの場はどうにか誤魔化せそうだ、と胸を撫で下ろす僕なのであった。