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【番外】 魔王の小包は

番外。バレンタインのお話。ちょっと寂しそうなウルスラです。


挿絵(By みてみん)



 魔王ウルスラは気付いてしまった。今食べているドーナツがあまり美味しくないという事実に。





 別にドーナツそのものの存在価値を否定している訳ではない。

現時点でリアルタイムに貪っているドーナツは……美味しいと言えば美味しい。でも以前と比較するとあまり美味しくない。


 美味しいんだけど美味しくない。それは矛盾しているようでよくある不思議な話。

あまりにもドーナツを摂取し過ぎて、ドーナツ成分に蹂躙された脳と舌の感覚器官が麻痺してしまったとでも言うのだろうか?


 それともこれまたよくある話で。

初回の売り出し時は高品質かつ赤字覚悟の安価であった製品が、ある程度の固定客を獲得した途端に露骨に大幅なコストカットを行ったとでも言うのだろうか?


 半信半疑な魔王は試しにドーナツをもう一つ手にとって味を確かめてみた。



「もぐもぐ……。 うん……。 普通に美味しい。」



 魔王の脳内でドーナツに対する類稀なき才と、無駄に秀抜過ぎる見聞見識が存分に発揮された。

原材料は変わっていない。いつもの食感。甘味から滲み出る段階的変化・階調(グラデーション)もいつも通り。


 食感から逆算した焼き加減もほぼ同質の判定。更にドーナツの内部まで侵食していくウルスラの食覇王の見聞色。



「……何かが違う。なんか物足りない」



 彼女の無駄に多才なスイーツ脳を以ってしても、愛すべき菓子の謎の変質を見極める事は出来なかった。

魔王はとても悔しいと思った。好敵手との戦いに敗れる事よりも、誰かに卑下の視線で蔑まれる事よりも遥かに屈辱的だった。


 慣れ親しんでいたはずの甘味がある日を境にすっかり変貌してしまっていたのだ。

それは盲目的に執着依存していた恋人に、突然裏切られた時の気持ちに似ていた。


 ひとつも恋愛経験がない魔王なのでそれは予備知識と妄想から生まれた架空の感情ではあるが。



「ううううう……」



 魔王は薄っすらと瞳に美しい透明の雫を浮かべていた。よほどショックだったのだろう。



『ドーナツに裏切られた。ドーナツに女の子の内なる秘匿を好きなだけ弄られて、弄ばれるだけ遊ばれて、最後にはあっさりと捨てられた』



 そんな意味の分からない被害妄想に囚われて、1人で空気と虚空に翻弄されながらふて腐れる魔王はとても面倒くさい女の子だった。



 種を明かせば『本来のドーナツ生産者』が解任された時点でドーナツの味は変わっていた。

それはナノミクロン未満の原子が視覚化された世界でしか判り得ない極微妙な変化。機械では決して再現できない人の手の微妙な匙加減の違い。

その変化に気付けるだけでも魔王の味覚は秀抜なのだが。



「ふぐううううう……」



 頬を真っ赤に染めて微涙を頬に滴りつつもドーナツを食べる事を止めない魔王。

まるで恋に敗れて自暴自棄になって甘いものを暴食する乙女のように。


 ドーナツの裏切りの真意や自身の未知なる感情を、誰かに問い掛けようにもウルスラの傍にはもう誰もいない。

こんな面倒くさい気持ちを理解してくれる人物も思い浮かばない。



 だが、何故だかパッとル・グウェインの顔がウルスラの脳裏に現れた。


 いや。どうしてそこで機械のような無感情執事の姿が現れるのか――。

あいつほど女の子の気持ちが分からない人間もいないだろう、と魔王はそう思った。


 それでもきっとル・グウェインが傍にいてくれれば、魔王は何の疑問を抱く事も無く、彼に自身の思いの丈を存分に打ち明けるだろう。

たとえ執事から乙女が望むべきに相応しい反応が何も返ってこなくても、それでも心は不思議と満たされるのだ。


 本当はお互いにお互いの事を全て理解してなくても何の問題もないはずだった。

相手の気持ちをすべて理解した気になって相手にもそれを無意識に強要して。それは酷く傲慢な事なのだろう。



 言霊に具現化できずとも空虚な心で僅かにそれを感じた魔王。

涙を拭いてドーナツを食べるのを止めてスッと立ち上がり、意を決したように何処かへスタスタと歩き去っていくのだった。







 ■□■□■□■□■□■□■□■□







 クリムゾナはもう半年は滞在している最後の町で正午過ぎの余暇を存分に愉しんでいた。

ナナハが一室の扉を開けて部屋に入ってくる。宿の主人に呼び出されてのほんの一時限りの外出からの帰還だ。



「おねーちゃん。 何か届いてるよ。 誰からだろ?」



「ん。 小包……か。 ちょっと貸して」



 宿の主人を介して届けられた2人宛の包み。その宛名の書体や装飾は手書きで妙な愛着が漂っているのを感じた。

小包の外装からしてもどことなく匂わせる少女趣味。だけども肝心の差出人の名前がない。


 送り主が女の子である事は容易に推測できるのだが、クリムゾナとナナハにはそんな類の小包を女子から贈呈される心当たりに値する節が無い。

女子を装ったおっさんからの贈り物である可能性も否めないのだが、それが真実ならそれは多分におぞましい事例でもある。


 故に。包みの封を切る事を恐ろしくも躊躇って警戒してしまうクリムゾナなのだが。



「うーん……? もしかしたらアタシの事を恨んでる人間から届いた巧みな罠かもしんないしなぁ。 女の子っぽい雰囲気に油断して開けたら、ドッカーン!! ……とかさぁ」



「なのかなあ? でもそれにしたってカワイイ包みだよ。 一生懸命に選んだって感じが滲み出てる」



「いや。仮にそうだとしてもそれも怖くない? そんなん送られる心当たりが全然ないんだけど……」



 闇に住まう者共とも悪縁切り難しな関係のあるクリムゾナは、常に何に対しても猜疑の心を持たずにはいられなかった。


 いや、それはクリムゾナに限らない話なのかもしれない。女性という生き物は元来生物学的に弱い立場であるがために自衛の念が強い。

他者の心の状態を巧みに予測して、それに適切に対応しようとする心理の顕れが豊かな警戒心にも繋がるのか。



「…………。」



 白砂青松のなだらかで穏やかな海線を心に抱きつつも、奇岩が卓越した荒々しい岸や険阻な鋭鋒をも両立して内包する女性の特質。

美ヶ松原かつも大雪尋峡な心で、冷淡にもゴミ箱に小包を放り去るクリムゾナの女心を誰が否定できようか――。





「ん……。」




 ゴミ箱からそっと包みを救出するナナハの姿もまた、入瀬渓流のような女性の心を巧みに著していた。

それを横目で流しつつも止める事はしない姉もまた女坂。


 繊細な指の動きで封を切るナナハの表情がパアッと明るくなったのをクリムゾナは見逃さなかった。



「あっ……。 カワイイ……」



 妹の驚嘆に割って入った姉の細い指が、包みの中に可愛く鎮座しているチョコの一つを奪い去って、奪取のままに軽快に口に甘味を運び含ませた。



「もぐもぐ……。 ふむ、毒は……入ってないみたいだけどね」



 未だ猜疑の念が心に強く残る姉の淡白な表情からは、肝心の甘味の評価を推し測る事はできない。

姉に対抗しつつも、寄り添うかのようにチョコを手に掴んだナナハも甘味を存分に味わう構え。



「ん……。 普通に美味しいね。 すっごいちゃんとしてる」



「買ってきたモノ……でもないか。 まさか手作りなのかあ? いやでもさあ。 誰やねん……って話よね」



「うふふ……。 誰だろうねえ。 おねーちゃんの隠れファンかな?」



「いや、ファンが付くのはアタシじゃなくて、あんたの方でしょ」



 そんな淡々とした会話を繰り広げつつも、黙々とチョコを頬張る2人の周囲にはしっとりとした甘い空気が満ち溢れていた。

クリムゾナの警戒心はすっかりと消え失せていた。それもまた美しい百名山のような様々な色を見せる乙女の心。


 まるでいたずらっ子のような表情で妹の手の内にあるチョコを奪い取り、それを自分の口に放り込むクリムゾナ。

それと同時に妹ナナハの口に別のチョコを捻じ込む姉の所作は、端からみればただ仲睦まじくも妹とイチャイチャとしている姉の微笑ましい姿だった。


 謎の小包の未知なる送り主の真意は謀らずのものか。それとは異なるものなのか。

それを差し置いても2人の笑顔が今や満開に咲いているという――。今はその事実だけで十分なのかもしれない。



挿絵(By みてみん)




 そうして、姉妹に届いた小包とほとんど同じ物が勇者達の元にも届いた。修羅の王達や追放された執事の元へも同じくして届いた。

その後はやはり姉妹と同じように、小さな幸せが彼らを存分に甘味の世界へと(いざな)った。


 その中の誰しもほとんどが、この素敵な小包の未知なる差出人の姿を思い浮かべるには至らないのであるが。




挿絵(By みてみん)




ただ唯一『異形の姫君』であるアルカナと『追放された執事』のル・グウェインだけは、何かを察したかのような微笑みを湛えていた。


 ル・グウェインの心の中で秘かに生まれた未知なる感情。それはとても温かいものだった。ふと呟けば不思議な気持ちで心が満たされ微笑が溢れ出す。

それは修羅の世界の誰にも、彼自身にも想像し得ないような未知なる変化なのだった。



 

 そんな執事の心の大きな変化を知る由もない魔王ウルスラ。

遥か遠き地の修羅の王の宮殿にて荒野の吹き荒ぶ風の中に身をおいていた。美しい金色の髪と小さくて華奢な脚を風に流し任せながらも。


 何処からともなく漂ってくる大気とは異なる温かい感情が魔王を僅かな熱に浮かせた。

秘かに微笑を浮かべつつも特別な何かを夢想する事も無く、誰を思うという訳でも無く。



 ただ不思議な感情の只中に身を任せる彼女の心は、少しだけ大人への第一歩を歩み始めるのであった。















みなさんが幸せに過ごせますように。


シロナちゃんもそう祈ってくれるでしょう


挿絵(By みてみん)

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