【09】 次元の魔王は母に焦がれる
新たな修羅の王となったボクの脳内に、星の記憶や太古の闘争の記憶が流れ込んできた。
それは神の真理の絶対者と呼ばれる未知の存在との悠久とも思える程の長い戦いの記憶。
神の真理の絶対者の正体は不明。目的も不明。どこから来てどこへ帰っていくのかも分からない。
強さの極致に君臨する修羅の王達でさえ、神の真理の絶対者と戦って勝利した事は一度も無かった。
「バ、バカな……攻撃力3万を超えた一撃だぞ……!? 何故かすり傷ひとつ与えられぬのだ……ッ!?」
「ヤツに触れた時の感触が全くなかった……。 あれは生物ではないのかもしれない……あれは……」
『UGAAAAAAAAA――!!』
太古の修羅の王達は神の真理の絶対者に傷ひとつ与える事もなく無残に敗れ去った。
ゼロはその気になれば、戦う事もせずに相手を分子レベル以下にまで分解して消滅させる事ができる。
それなのにこちらの攻撃は一切通用しない。通常の物理的な手段では干渉する事さえできないのだ。
『無』そのものであるような不可思議な存在に戦いを挑んで、勝ち目なんてものがあるワケが無い。
仮に億の数値を遥かに越えるような圧倒的な攻撃力を持っていたとしても、それで宇宙や世界そのものといった概念を破壊できるか?……と問われれば答えは言わずもがな。
こればっかりはどれだけ鍛錬を積み重ねても、強さの極致を追い求めてもどうしようもない事なんだ。
修羅の世界の王達は神の真理の絶対者に戦いを挑む事をすぐに諦めた。
かといってゼロに敗北した修羅の人間が、ゼロに怯えて逃げ隠れしているのか?と問われると別にそういう訳でもなかった。
ゼロは積極的に交戦したり、無作為に次元を消滅させに現れるような存在ではないみたいだった。
ただその世界ごとに定められた『数値の上限』や特定の『世界の理』を破る事によって生まれた『矛盾』を排除するために現れる。
もしもその時に生まれた『矛盾』が『世界の理』の深層部分にまで侵食していて『修復不可能』と判断した場合は、容赦なくその世界ごと消滅させてしまうだろう。
その点でいえば修羅の世界の人間が矛盾を生じさせるなんて事は無いと断言できた。とても皮肉な事だけど。
この修羅の世界の様々な能力値の上限は天井知らず。誰1人として未だ能力値のカンストに到達した事は無かった。
修羅の世界最強と呼ばれる『第一の万象の魔王』の【レベル】25000、【ステイタス】オール5万を以ってしても依然それが上限に達する気配はないという。
一説によれば能力値が億を超えていたとしても、それでもまだまだカンスト値には至らないのではないか?とさえ言われている。
それに加えてこの修羅の世界の人間は『チート能力』のような、『世界の理』を無理矢理に捻じ曲げてしまうような歪な能力を極端に嫌う。
ただひたすらに無粋にストイックな修練を重ねて、己の内に敷かれた強さのレールを実直に進み続けるのみ。
こんなだから、修羅の世界の人間が定められた『数値の上限』を超えたり『世界の理』を破って『矛盾』を生じさせる事はない。
ゼロに直接狙われるなんて事はほとんど皆無だと言ってもなんら差支えがなかった。
では何故修羅の世界の人間がゼロと争っていたのか?その原因は修羅の側ではなく、表の世界にこそあった。
表の世界の人間達は喜怒哀楽が豊かで、好奇心や探究心にも満ち溢れている。それなのに世界に対して定められた『数値の上限』が低く設計されている。
もし探究心を逸脱して拗らせ過ぎているような特異な人間が現れれば、その者はあっさりと能力の限界値を超えてしまう事だろう。
また、著しい程に均衡と統制のとれた修羅の世界とは違って、表の世界は世界レベルで考えても調停が維持されてるとはとても言えなかった。
様々な欲望渦巻く混沌とした世界である表の世界は、大きな争いや大変革が頻繁に巻き起こる。その影響を受けてなのか、『チートのような特殊能力』を持つ人間も生まれやすいのだ。
この2つの要素が相成って、度々『世界規模での矛盾』を生じさせてしまう表の世界は、神の真理の絶対者に狙われる原因を自ら生んでしまう。
表の世界は放置していれば、すぐにでもゼロによって消滅させられてしまうような不安定な世界なのだ。
修羅の王達は表の世界をこよなく愛していた。
修羅の世界に住む人間の大部分は強大な星の意志によって管理されているため、人としての豊かな感情が絶望的なまでに欠落している。
なので……。自分の住む世界では、修羅の王達の胸の内に人知れず秘めたる欲望を満たす事なんて不可能なんだ。
それはボクのこれまで追ってきた軌跡を省みても一目瞭然だ。
魔王になって自由と権力を得たボクは、好奇心から修羅の人間の従者にボクの事を愛するように命じた事もある。
でも根本的に心の内に愛情を生み出す方法を知らない彼らは、命じられるがままの機械的な所作しかできなかった。
喜びも怒りも哀しみも楽しみも知らない人形みたいな人間と、形式だけ寄り添っても身体だけ触れ合ったとしても……それがどれだけ虚しい事か。
ただ外見が美しいだけの中身が空っぽな空虚な存在と、予め決められた人形劇のように触れ合っているだけでは、ボクの中の空洞は何も満たされなかった。
ボクはこの修羅の世界の本質を、魔王になって改めて認識したんだ。
ボクにとっても修羅の王達にとっても、己の愛欲や哀傷を思う存分に楽しむ為に、表の世界は無くてはならないかけがえの無いもの。
だから不安定な表の世界がゼロによって消滅させられる様を、むざむざと黙って見ている訳にはいかなかった。
だけど神の真理の絶対者を力で捻じ伏せる事なんて不可能。
なので王達は『矛盾』を生じさせる原因を逸早く察知し、それを排除していく必要があった。
修羅の王の力があれば、表の世界を瞬く間に支配し統治する事で『矛盾』を徹底的に排除する事も可能なのだろうけど……でもそれじゃダメなんだ。
表の世界を修羅の粛厳たる力によって無理矢理に管理してしまえば、魅力的な表の人間達の情性はやがては失われてしまう事だろう。
この世界まで修羅の世界のような家畜が跋扈するつまらない世界にする訳にはいかない。
修羅の王達は必死に考えた。表の世界を守るための最善策を。
『この素晴らしい世界に果てなき自由と裏ラスボスの配置を』
これが修羅の王達の出した表の世界に対する回答だった。
少々行き過ぎた発展を見せる国家や超人的な能力を持つ人間、これを『秘密裏で監視しながら場合によっては排除する』という役目は、絶対的な悪でなければ担えない。
かといって悪として目立ちすぎても結局は世界全体を萎縮させる原因になってしまう。人々に与える恐怖と抑制は程々で十分なんだ。
だからボクらは表向きのラスボスの影に、こっそりと控える裏のラスボスでいなければならない。
ここで重要になってくるのが表向きのラスボス達。
彼らは人類の魅力的な情性の維持と、そこそこの抑制という両面で考えてもこの世界には必要不可欠な存在。
でも決して圧倒的すぎる力を持っていてはいけない。彼らはそこそこの力で倒せるレベルの『かませ犬』でなければならない。
絶対的な粛清は文字通り『次元違いで規格外れな力』を持つ修羅の王が担うべき役目なのだ。
修羅の王達は、表世界の愛を維持するために諸悪の根源以上の『黒幕』になる事を自ら選んだ。
それが愛すべき表世界の素晴らしい未来に繋がる事を信じて。
これが修羅の王が表の世界に秘密裏に君臨し、やがては『次元の魔王』と呼ばれるようになる――全ての理由と戦いの序章の幕開けだった。
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ボクはそれぞれの世界のあるべき本当の姿と、修羅の王の担うべき役目を知った。
本当の愛を手に入れる為には、このボクだって表の世界を守りながらも時には厳粛に管理する立場にならなければいけない。
でもまだ……ボクにはこの修羅の世界でやらなければならない事が残されていた。
ボクは従者を使って調べさせた『ある場所』へと向かった。
そこは一面に渡って廃棄されたゴミの山が積もる名もなき処分場。
偽りの大義名分を与えられ、それなのに何の人情的な存在価値も持たない無機質で酷く寂しい異質な空間。
自然界の力では分解不可能な汚染が膨大な年月を経て何重にも渡って蓄積され、それがこの地の土壌を致命的な毒性へと変貌させていた。
そこから生じた有毒ガスによって、空はいつでも淀んだ橙のような異色に染まっていた。
ここはとても生物が住めるような場所ではない。だが、ボクの母はこの不毛の大地に眠っているのだ。
かといって、ここで無様に取り乱して母の遺したものを探すなんて事はしなかった。
じゃあボクはここに来て何をするのか。いや、何もしない。何もできなかった。何をしていいかも分からなかった。
ただ呆然と立ち尽くしたまま、折り重なっている鉄屑の巨塔を眺めている事しかできなかった。
本当はこの地に足を運ぶ必要も無かった。それでもボクの足はこの地に踏み入る事を望んだ。
ボクは修羅の道を駆け上りながらも、心の奥底ではずっとあの日の母の姿を忘れていなかった。ずっと母の行方を捜し続けていた。
眼前に広がる光景がその答えになるのだけど、この場所を知る前から薄々は勘付いていた。
強制収用された者がどのような顛末を迎えるのか。それはとうの昔に調べ尽くしている事。
本当はその時既に母がどんな末路を辿ったのか察していたはずなのに。
それでも自分のために犠牲になった母の事を忘れて、自分だけが幸せになる事なんて……不器用なボクには無理だった。
(ママに会いたい……あなたがいない未来で幸せになんてなれるもんか。 でもママはもうとっくの昔に死んでいるんだ……。 そんなの分かっていた事なのに……)
ボクが事実を受け入れられないのは、実際にこの目で見ていないからなのか?
では実際に見たからといって、受け入れられるような事実なのか?それは今のボクには分からない事だ。
愛する人の凄惨な末路を見なくて済んだのは幸せな事だと思うべきか。それとも不幸な事だと思うべきか。
ただ空虚に広がる鉄屑の光景がボクの心の隙間を埋める事も無く、吹き荒ぶ冷たい風だけを呼んでいた。
「ねえ。 人は……人の魂は死んだら……一体どうなるんだろうね?」
「はい。 お答えします、修羅の王よ。 人の魂は死後、僅か21グラムの情報を有した霊子エーテルになると計測されています」
付き従う従者が淡々とした様子で答えた。でもそんな事はボクでも知っている。
コイツらに……修羅の世界の人間に人の心を問い掛けても、本当に欲しい答えなんて望めやしないのに。
それでもボクは無意味な問答をせずにはいられなかった。
「これはこの星に必要な事なんだよね。 だとするなら……ボクらみたいな人間は何のために生まれてきたの? 母は何のために死んだの?」
「私には星の真意は分かりません。 ですが、あなたは結果として次元の魔王になった。 それが全ての答えなのではないでしょうか」
それもボクの欲しい答えじゃない。ボクが魔王になるために母が死んだ?母が死んだからボクは魔王になれた?
どっちにしたってそんな答えは望んじゃいない。
それでも心の無い人形みたいな修羅の世界の人間に疑念や不信、怒りを抱いても憎悪してもただ虚しいだけなんだ。
「そう。 教えてくれてありがとう」
ボクは従者を一瞥して答えた。
母を死に追いやった連中の事を恨んでも仕方ない。彼らはただ星の意思に実直に従っていただけなんだ。
それにこの修羅の世界を守る為には、それも必要な事なんだってボクは知ってしまった。
ただボクや母のような感情豊かな人間が生きていくのには困難すぎる世界ってだけの話。
他の大部分の『普通』の人間にとってはこれが最善の環境、最良の世界なんだ。
それを一握りの人間の我侭だけで捻じ曲げていい訳がない。
それは分かっているのだけど、それでもボクは……。
「あの……お前にひとつ頼みがあるんだけど」
感情の無い人形のような人間に、張り裂けそうな胸の内を打ち明けても、己の身体を委ねても何も満たされる事はない。
それでもボクは目の前にいる従者に慰めを求めた。
そうでもしなければ今にも泣き崩れて惨めな姿を晒してしまいそうだったから。
いや。人形に慰めを求めて憂い心を紛らわせてるだけでも十分惨めか。
「修羅の王よ。 これでいいのですか?」
従者は少しぎこちない動きで、ボクの小さな肩を抱き寄せた。
もちろん彼はボクの命令にただ実直に従っているだけなのだから、そこに特別な感情なんてものは一切ない。
それにしたって呆れ返るほどに女の子の扱いが下手くそな従者だった。なんていうか心の距離感がありありと感じ取れてしまう接し方。
フリにしたってもう少しマトモにできないものか。抱き締められているこっちが逆に気を使ってしまう。
見た目だけは壮麗なのに中身はこんなんだから、やっぱり修羅の世界の人間とロマンスに至るのは不可能なんだって思う。
でもこんな2人の虚しい行為もこれが初めての事ではなかった。
ボクは心の中で『虚しい』と言ってバカにしながらも、同じような従者との行為を何度も繰り返してしまっていた。
それは背徳感や後悔を抱きながらも脱する事のできない人形を使った自慰行為と何ら変わりない。
修羅の王になって物理的な強さを得ても、ボクの心は小さくてかよわい子供のまま。何も変わっちゃいない。
「うん。 もう少し……抱きしめる力を強くしてもいい……。 でも頭は優しく撫でて……」
「はい。 了解しました、王よ。 それと、さきほどの魂の話の追記ですが……」
「ん? それは今いう事なの……? まあ一応聞いとくけどさ」
ボクは従者の胸の中で怪訝な表情を浮かべた。
コイツに情緒とかそれっぽいムードを求めても無駄だって事は重々承知の上なんだけど。
後ろに回す手で背中を抓ってやったけど、それでも特に何の面白みのある反応も返って来やしない。
やってるこっちが虚しくなってしまう。
従者はボクのいたずら心を意にも介さず続けた。
「……この廃棄場に棄てられた人間の魂は21グラムになった後、表の世界へと向かうと言われています。 ほら、丁度あそこに」
「へ……?」
従者の指し示す指先とボクの視線の先に、地の底より煌々と溢れ輝く光の柱があった。
ボクは従者に身を任せたまま一緒になって、光の動きをじっと見守った。
光の柱はやがて消え、ふわふわと宙を漂う光の球体が現れた。
「あれが……死んだ人の魂って事?」
「はい。 断定はできませんがそうだと言われています」
光の球体は一瞬だけ眩い輝きを放つと、一筋の光の軌道を伴って星空へと昇り消えていった。
「表の世界へ向かう。 つまり、向こうの世界で転生するという事です。 ウルスラ様の母上殿も或いは……。
転生してあちらの世界で幸せに暮らしているのかもしれませんね……」
ボクは従者の言葉に少し驚いていた。修羅の世界の人間でもたまには気の効いた事が言えるらしい。
それが主人のご機嫌を取る為の巧みな話術に過ぎないのか、はたまた神が齎した偶然の産物なのか。ボクには分からないけれど。
もしかすると修羅の世界の人間でも、それなりの接し方を根気よく続けていれば、やがては何かの心の変革が望めるのかもしれない。
「く、苦しいです……王よ……」
ボクは思わず嬉しくなって、従者を強く抱き締めていた。




