六話 一つだけの宝
自分の考えなんて甘いものなんだろうな、と考えていた少女であったが、それすらも甘くておこがましいものだということを戦いが始まるとすぐに理解した。いや、理解させられた。
「開始!」
という試験官の合図とともに、レインは少女目がけて剣を打ち込んでくる。剣を振るった記憶の無い少女は、最初は防御に徹しようと思い、構えていたおかげで何とか防ぐことは出来た。
しかし、レインの剣が放つ威力と空気が少女から闘志を奪っていく。まず間違いなく一太刀で負けていたと思うが、もしかしたら少女が開始と同時になりふり構わず、切り掛かっていればチャンスはあったのかもしれないが、最早少女には攻撃に転じる隙が出来たとしても切り掛かることは出来ないだろう。
それ程までに目の前の心優しさも気弱さも感じさせることはない少年に気圧されていた。
「はぁぁ!」
少女はレインの攻撃を戦いだからではなく、恐怖を感じるから防ぐ。剣と剣が交わるたびに、その衝撃が少女の手のひらの痺れだけでなく、手を伝って脳が揺さぶられるような感覚を少女は覚える。足には力が入らず、地面から足が浮遊してしまっているかのような不安定感があるが、少女にはそれを確認するような余裕はない。
(怖い、怖い、怖い……)
剣なんてもう見ていたくない、目を閉じてしまいたいという気持ちと目を閉じてしまうと、もう痛みから逃れられないという気持ち。
どうせ負けるのなら早い方が楽だという理性と、それでも避けようとしてしまう本能。
相反する二つの感情の中で揺れ動くことも出来なくなるほど、少女は疲労し、呼吸は乱れ、思考は止まる。
そんな状態で長く持つ筈も無く……。
「あっ」
ということを発したのは誰だったのかは定かではないが、その声と同時に少女は足から崩れ落ちる。
レインの剣で、というわけではない。少女の足がもつれたのだ。
少女は自分の状態を理解するまで時間がかかったが、理解するとそれをラッキーだと思った。
(や、やっと終わった……)
少女はうつ伏せの状態のまま、ホッと息をつく。自分の動きを止めてから溢れるように流れ出る汗、息をするのも辛いほどの喉の痛み、身体の芯から燃えるように体は熱く、お風呂上がりのように湯気が上がる。
少女も無我夢中に、最初の思惑とはズレているが、精一杯で戦ったのだ。
「……どうしたの? 早く立ち上がりなよ」
このタイミングで追撃すれば、間違いなく勝てる筈なのに、優しさ故か彼の騎士道だからなのかは、少女には理解出来ないが、律儀に少女が立ち上がるのを待つレインはそう呟く。
勝負を諦めた少女は、勿論その言葉を聞いても立ち上がらず、全身が悲鳴を上げる中、頭の中で逃げ道を―――言い訳を繰り返す。
そして、他の人達の試合も終わり、試験監督者が終わりを告げようとした時だった。
「おーっーーうー」
レインのその途切れ途切れの言葉を聞いて少女は微笑む。自分の意識が遠のいているのだと思ったからだ。
でも少女の意識は消えない。少女はそのことに違和感を感じていたが、それだけではなかった。自分の体の熱も、流れる汗も、自分を冷やす風も感じられなくなる。
そして逆に、うつ伏せで周りなんて見えていない筈なのに、周囲の光景が少女の脳裏に映し出される。
少女は顔だけを上げて、レインよりも遙かに遠くの先の先を見つめる。そこに誰かがいるのを確信しているかのように。
その先にいたのは、数人の男。殆ど全員談笑していて少女の方など見ていないが、一人だけ。その男達の中心に腕を組んで偉そうにして少女を見据える男がいた。
確証なんて無くても、少女は確信していた。
(こっち見てる……)
二人の間には確かに他の人では男の姿を確認できない程の距離があった。しかし、それでもそこに二人だけの世界があった。
少女はほぼ無意識といっても良いほど、自然に立ち上がる。少女には、音も疲れも剣を握った感触も、恐怖さえも無かった。
そして、少女は自分の前に剣を構える。その動作に呆気にとられていたレインもすぐに剣を構え直す。
「はぁぁぁ!」
先に攻撃を仕掛けたのはレインだった。少女は、それをまるで最初からどんな攻撃か、分かっていたかのようにバックステップで躱す。
――少女は、躱した後すぐに攻撃に転じる。今日の最初で最後の攻撃に。
……少女の素人の攻撃など、レインにとって躱すことなど造作も無かった筈なのだ。
「あれ?」
力を使いきっていた少女が、剣をすっぽ抜けさえしなければ。そして、すっぽ抜けの剣程度で倒れるレインは柔では無いのだ。
……男にとって命の次といっても良いほど大事な、急所にさえ当たらなければ。
「い、ぎ、や……」
そして、殆ど言葉としての体をなしていない声を発して倒れる。
「一太刀浴びせ、ちゃった……」
ほぼ同時に、レインを地獄へと叩き落とした少女も疲労困憊で倒れ込むのだった。