迷宮―3
「そう言えば、一組が無理に中層に行って怪我人を出してましたね。幸い軽症だったので二、三日休めば戻っては来れるでしょう」
怪我自体は軽いから数日で戻っては来れるけれども、恐怖心なんかが残ってしまって戦いの足を引っ張る可能性はあるってことだな。
こればっかりは焦った指導者が悪い。知識も無しに迷宮を歩けば、トラップに引っかかるのも仕方がないし、相手のことをある程度は知らないと戦闘の時に足を引っ張り合うだけだ。
「この調子だと、育て屋の一人勝ちになりそうですね」
「どうかな。俺の努力だけでは何ともならないのが教えるということだ。彼女達が伸びるかどうかは彼女達次第だからな」
「さすがは育て屋ですね。言うことが違います! あ、書き終わったみたいですね」
そそくさと仕事に戻るアネティが、紙を回収して抜けがないか確かめる。
もう知り合って数年が経つが、アネティは俺のことを高く評価しすぎだ。ことあるごとに持ち上げてくるが、俺はそんなに出来た人間ではないんだがな。
「問題ないですね。登録証を作りますが、少し時間がかかります。先に迷宮に潜られますか?」
「今は迷宮に潜るのはやめてお──」
「潜ります!」
元気よく割り込んできたのはリコ。俺の視界を埋める茶色い頭をぐっと押しのける。
「まだ宿も決めてないだろう。今日は宿屋を探して、アイテムを買って終わりだ」
「なんでよ! 装備だって整ってるし、アイテムくらいあなたが用意しているでしょ?」
確かに国からもらっている装備は新人には勿体無いくらいだ。アイテムも上層なら俺は必要ないから手持ちの分で問題ないだろう。
「宿はどうするんだよ。暗くなったら探すのも面倒だぞ?」
「師匠の家広いんですよね? 三人くらい余裕で泊まれるだろうってキースさんが言っていたので、荷物も全部持って行ってもらってます」
無言でキースを睨めば、視線を逸らして頬をかく。
こいつも敵かよ。別に人を家に泊めること自体は良いんだが、女の子三人ともなれば、家主である俺の方が居場所が無くなりそうだ。
「諦めた方が良い。一緒に住んでいる方が効率が良いのは確か」
そこは効率だけで考えて良いものなのか?
わざわざ待ち合わせをしたり、早めに迷宮から出て作戦会議のようなものや知識を教えたりする必要も無くなるのは一緒に住むことの利点だ。
それに、宿代が浮くとなれば、俺に入ってくる金も多くなるから話としては悪くない。
だが、それを年頃の女の子が許可していいところなのか?
「諦めろってことだ──って、うぉい!?」
鼻先に掠るくらいのパンチを繰り出せば、大袈裟に避けて距離を取って戯ける。
次は少しだけ当ててやろうかと踏み込んだが、近づいてきた足音に、それを止めることにした。
「貸し一な。今回はそれで許してやろう」
「わ、分かった」
コクコクと首を振るキースから視線を外し、近づいてくる足音に振り返る。
「やあ、ヘイレン。戻ってきたばかりみたいだけれど、もう迷宮に行くのかい?」
「お久しぶりです。この間は短期間で育成して頂いたおかげで人手に余裕ができ、スムーズにレッドドラゴンを狩ることができました。いつもありがとうございます」
振り向いた先にいたのはグランシーカーの二トップ。この二人がここにいるということは、あの重装備のグループはグランシーカーのクランメンバーだろう。
グランシーカーがあれだけ人を揃えるということは、かなり下層の方に行くはずだ。
「これから、説明がてら軽く上層を見に行くつもりだ。スイとザイザラがギルドに来ているということは、これからかなりの大物を狩りに行くのか?」
この二人が戦場に赴く、いや、赴かないといけないということは、相当な大物を狩りに行く。もしくは最下層付近に行くかと言ったところだろう。
「後者が正解かな。そろそろ最下層に手を出そうと思ってね」
俺だけでなく、近くにいた声が聞こえていたであろう奴らが目を見開いてキッシュを見る。
俺の考えを読んだのだろう。長い付き合いだから隠そうともせず分かりやすく考えていれば分かる。それにしても最下層か。もう数ヶ月今の階層で停滞していたから、ここを攻略できればかなりの話題になるだろう。
「一緒に来て。と言っても、来てくれはしないだろうけれど、何かあったら手伝ってはくれるかな?」
「スイがいて、手に負えない何かがあることなんてそう無いだろうが、俺が手伝えることなら、その時は手伝ってやるさ」
スイの実力は、コストパフォーマンスさえ考えなければ、マインベートでも三位内に入るだろう。
グランシーカーがアイテム専門と言われながらも、上位クランに名を連ねているのはスイの実力のおかげだ。
対して俺は、最近育成ばかりだったから下層にすらしばらく行っていない。
「僕の場合はアイテムが切れたら終わりだからね。剣でも良いから使えたら良かったんだけれど」
錬金術師という極めて稀なジョブを名乗っているだけあって、スイのスキルも実力もアイテム作成とアイテムの使用に特化している。
アイテムに頼った戦いのせいで、卑怯だとか金の力で今の地位にいるなんて言われることもあるが、素の実力も低くは無いし、アイテムをあそこまで上手く戦闘に組み込んで使うのも立派な実力だ。
伊達にプラチナランクを持っているわけではない。
「君に言う必要は無いかもしれないけれど、勇者の育成頑張ってね」
「スイも最下層の攻略頑張れよ。良い報告を期待してる」
「はは。死なないように頑張るよ」
迷宮の入り口に立つ三人を後ろから見つめる。ギルドに入る時と同じようにおどおどとしているが、それも仕方ないだろう。
ちょうどここに来る時に、迷宮から全身傷だらけの探索者が担架で運ばれてきたのを見てしまった。ギルドの時と言い、運が悪いと言いたくなるが、最初に厳しい思いをすれば舐めてかかることも無くなるだろうから、心が折れさえしなければ良い経験だとも言える。
「行きましょう。立ち止まっていても時間の無駄です」
「そうね。どうせ入るならさっさと行った方がましだわ」
「……それに危なくなったら助けてくれる」
教育を任された身としては、うっかりなんてことが無いようにさせてもらうさ。
今回は、初めてということもあるから、危なくすらさせるつもりはないけれども。
中に入ろうとする三人を止めて、迷宮の中では言うことを聞くように伝える。
「キースが先頭を歩いてくれ。上層なら一人でも問題ないだろう?」
「ああ、大丈夫だ。ここ数日はゆっくりとさせて貰ったから体力も有り余っている」
俺が先頭でも良いのだが、盾持ちのキースの方が前衛は合っている。それに、迷宮について教えないといけないから、前で歩くよりは後ろにいた方が説明しやすい。
先頭をキース。真ん中に三人を挟み、後ろが俺という並びで迷宮に入っていく。
「地下のはずなのに明るいですね」
迷宮の最上層と言えども、入り口は下に向かって伸びていた。地上には迷宮が見当たらないから、一層から地下であるはずなのだが、外からの光が届かないはずの位置まで来ても足もとに影ができる程には明るい。
「迷宮にもよるが、マインベートの迷宮は基本的に明るい。一部の部屋や、トラップによって暗くなる場所はあるが、灯りを持たなくて良いのも初心者向けとも言われる理由の一つだ」
手に灯りを持ったまま移動し、戦闘になれば薄暗い中で戦う。なんてことをしなくて良いのは有難い。
迷宮について説明しながら、武器も構えずに歩くこの姿を遠くから見れば、探索をしているのでは無く、観光に来ている姿に近いかもしれない。
「本当に魔物が全然いないわ」
十分以上は歩いただろう。部屋も幾つか通り過ぎたが、探索者の姿は見れども、魔物の姿は戦闘中だった探索者の背中越しに見えた一度きりだ。それも、通路の奥だったせいで魔物の姿はほぼ見えなかった。