ハニーシロップドラゴン
ヒカリゴケがほのかな光を放ち、艶やかな岩肌以外の金銀のコインがその光を照り返して幻想的な光景を作り出す洞窟で、裸体の女の子がゆったりと積み上げられた貨幣の上で寛いでいる。
彼女の髪は僅かな光明を与えている苔の光を吸い込んでしまうかのような、艶の無い黒。
そしてその髪を後ろに押し流すようにこみかめの辺りから一対の、頭部の半分ほどの長さの角が生えている。
耳は平人と呼ばれる毛無しの猿よりほんの少しとがり、その円やかでおうとつの無い体はまだまだ少女に至る前段階で、柔らかそうなお尻の少し上には短い尻尾が生えていて、リラックスした持ち主の気持ちを表すようにくてんと垂れている。
彼女は幼い竜で、本来なら手足の先端の黒い鱗が生えた体を、二メートルほどの体高の横幅は成人男性一人半ほどのはばの竜体も取れるのだが。
幼いながらに生まれた時に稀に神が与えると言われる祝福の力……彼女の場合は雨を降らせるという単純なものだ……でもって近隣の農村を治める領主から報酬として巻き上げた金銀の貨幣の山に飛び込んだとき、幼い少女の体に変化した方がなんだかお得な気分になるという理由で多くの時をこの姿で過ごしている。
そんな今日も大好きなお宝の寝床でうとうとしていたそんな彼女に、今日は珍しく領主以外の来客があった。
ぴくん、と体を動かし、尻尾をのそりと動かしていたいけな金のどんぐり蛇眼を開いて見る見る彼女の体は鱗が全身に広がり、医学では説明できない骨格の変形をし、竜体を取る。
先ほど前の柔らかそうな幼女の体から、薄くとも堅牢な鱗に包まれた筋肉質な、強靭な緩やかな台形の体型に変化し、翼が生える。
顔も平人のものから竜人や犬人といった亜人種のような鼻から顎にかけてが大きく突き出したような形になり、可愛らしい目元も頭蓋を守るように分厚くしかめ面に作られた獰猛な獣の相に換わる。
角もこみかめから眼の上の額の上へと移動し、頭部を守る。
変化を終えた彼女はふすん、と憤りの鼻息を漏らして考える。
良い気分だったのに邪魔が入った。
臭いも領主じゃないし、金属の香りもしない。
これは懲らしめないと気がすまない、という幼い思考だ。
彼女はヒトの友達なんか作るより、お金の上でごろごろしている方が好きだし、ご飯は気が向いたら近隣の村の家畜を好きに食べて良いとも言われている。
だからそれ以上望むものなど今まで無かったのだが。
ヒカリゴケの灯りに影を作って現れた牛を食べに行くときに彼女が見かける村人とは違う変わった服を着て、奇妙な背負い袋を着けた平人の子供は一味違った。
「うぉ、マジでドラゴンだ。でも思ったよりちっせー」
「ヒトの子よ、わいしょーなのはお前の方だろう。竜をばかにするなとお母さんに教えてもらわなかったのか?」
卵を産んで孵った娘に最低限の知識だけ与えて去っていった母竜に教わった、小さいを難しく言う矮小という言葉を使って優位に立とうとする幼竜。
だがその後のお母さんとか、馬鹿にするなとかいかにも幼い物言いのせいで威厳を作るのに見事に失敗していた。
だからかどうかは解らないが、少年はにやにやしている。
「まぁまぁ、それより良い話をもってきたんだけど」
「なんだ。私の雨呼びの力で金を稼ぐとかそういう話か?」
「いや、もっと君にとって良い話だよ金を溶かした飲み物を俺は持っている……正確に言うと用意できるかな」
「金を溶かした飲み物?ばっかみたい!あんたからは金の臭いなんてしないじゃない」
「知らないのかな?金って溶かすと花みたいな香りを出すんだぜ」
ふふんと鼻で笑う少年に、彼女は一声ガオっと吼えた。
たとえ思ったより大きくなくとも、蛇よりも彫りが深く厳つい大型爬虫類の顔に吼えかかられたのは動揺を呼んだのか、少年が僅かに怯む。
「ばかにするなって言った!金は溶かしても花の香りなんて出さないの!きっともっと金臭くてぴかぴかーってかんじの臭いがするの!」
「ぴかぴかーって感じの臭いってなんだよ」
「え?それは……ツーンと鼻に来て気分がウキウキして……そーゆー臭い!」
「ふーん。まぁいいや。とりあえずこの溶かした金の液体を味わってみてよ」
そういうと彼は左手を前に差し出して、手のひらを下に向ける。
すると彼の左手からどろりと濃厚な、金色の液体が流れ落ちた。
ソレから漂う濃密な匂いを竜の鼻腔は捉えたが、それを形容する言葉を彼女は知らなかった。
鋭い嗅覚にねっとりと入り込み、頭の奥を痺れさせるかのような芳香。
気がつけば甘いという感覚を知らない子竜はあんぐりと大きな顎を開いて瞳を瞑り涎をたらし始めた。
ソレを見て少年は、笑みを深める。
幼いとは言え竜を手玉に取り微笑む少年だが、良く見ればこの地方では少し珍しい黒髪はさておき、少しやつれているようだ。
彫りの浅い顔つきに、その体の細さ……普通の平人の子供と比べたら虚弱と言って良い……も特徴的だ。
「どうだい?この溶かした金、欲しくないかな?」
「……味見」
「いいとも、ただしどのくらいあげるかは俺の決めることだから。とめても噛むなよ?」
「うん」
ひくひくと大きな鼻の穴を蠢かせながら少年の左手に貌を近づけて、長く硬質で分厚い舌をちろりと液体の金に這わせる。
その瞬間、嗅覚を強めようと無意識に閉じていた小さな黒竜はこれ異常ないというほど眼を見開いた。
後は無心で少年の手を舐めまわし、先ほど少年がたらして見せた分の黄金液……蜂蜜を貪欲に貪る。
散々岩肌まで舐めまわしたのに、なおも未練がましくぴちゃぴちゃと液がたまっていた場所を舐め。
もうすでに味がしないと解ったら未練がましく少年の左手を見つめる幼竜を前に、少年はしてやったりという表情を浮かべた。
「なぁ、溶けた金の味はどうだい?」
「わかんない……舌がじんじんして、何にも考えられない……私の頭どうなっちゃったの?」
「ソレは甘いって言うんだ。金は溶かしても最高だろ?ドラゴンは金大好きだもんな」
「おかしいわ、金を齧ってもこんな味しないのに」
「俺のは特別なのさ。それでさ、俺と召喚契約しないか?」
「しょーかんけいやく?」
「それも俺の祝福さ。誰でもってわけじゃないが、珍しいことじゃないだろ?」
「……うん。私も持ってる。雨降らすの、祝福」
「召喚契約っていうのは、俺に誰かが従うと納得して誓いを交わせば、俺が好きな時に呼び出せるようになるのさ」
「私が一緒についていくんじゃダメなの?」
会話の間に何とか思考を取り戻した雌竜は、一緒に居ればいつでも溶かした金を舐められるという短絡的な考えで旅の同行を提案したが少年はすげなくそれを断った。
「別に良いよ。俺はお前を必要な時に呼んで、いう事聞いてくれればそれでいい。お前みたいなトカゲ連れ歩いても邪魔だし」
トカゲ、と呼ばれたことで蕩けかけていた竜の頭脳に怒りが走る。
「竜をトカゲっていうな!食い殺されたいか!毛無し猿!!」
鼻梁へと続く目元を激しく盛り上がらせ、目つきをするどく、牙をむき出した彼女の怒声に少年はヘラヘラと笑って頭を下げた。
「悪い悪い。お前とは仲良くしたいからな。トカゲは取り消す。全面的に俺が悪かったよ。ごめん」
「二度目はないからね」
「解ったよ。で、召喚契約はどうする?」
「……結ぶ。呼んだ後はあんたが帰してくれるのよね?」
「そりゃ当然。使った相手は元いた場所に戻すよ。お前もそこの金の寝床が一番落ち着くだろ?」
「うん。じゃあけーやくの前にもう一度、あの金を溶かした液を舐めさせて。それをけーやくの証にしていいでしょう?」
「契約成立の証な。いいぞ。ほら舐めろよ」
「わぁい!」
少年が刃物のような牙が並ぶ口の中に慎重に手を突っ込んで、とろりとした蜂蜜を注ぎ込む。
小さな黒竜はがちんと牙をかみ締めないように苦労したが、なんとか少年を傷つけずに存分に蜜を味わった。
その後は少年が契約の儀式と証する名付けの儀式……彼女には母から与えられた名前があったが、それとは別につけられた……を済ませ、主従となった。