やさぐれ英雄と最初の村
冷たく張り詰めた空気の中を昇り始めの日差しがゆっくりと進む。大地に降り注ぐその光は、土とその中の空気とを温めた。畑は耕され、まだ作物はこれから芽吹きの時を待つように沈黙を守る。そんな田舎道に似つかわしくないガシャリ、ガシャリという音がお世辞にも整備されているとは言えない道の上を歩いていた。
音の主は二人組で、先頭は背の高くがっしりとした身体つきの男だった。鎧下の上に刺繍入りの羽織を着けていたから余計に身体は大きく見えた。背中には大盾とズダ袋を背負って腰にはロングソードを下げている。ガシャガシャという金属のぶつかりあう音はズダ袋の中から聞こえていた。
男の顔は無骨さをうかがわせるものの髭は綺麗に切りそろえられている。髪はさほど長くもないが、しっかりと後ろに撫でつけられていた。目は細く、遠くをみているようにも、何も見ていないようにも思われた。しかし表情は穏やかで、時々後ろを振り返ってはもう一人の方を見ていた。
後ろの男は連れよりも背は低かったが、低すぎはしないようだった、ちょうど人間としては高すぎず、オーガーよりは小さかった。後ろの男は革鎧を身に付けていた。腰には細身の剣を下げ、背負い袋を背負っている。背負い袋は頭の影を受けて隠れていたが、日の下で見てもさほどたくさんの物が入っているようではなかった。革のブーツがザクザクと小石を踏みながら道を進む。彼はボサボサの髪に、髭はすっかり剃り落としているようだが、行儀がいいでもなく、何かうんざりしたような浮かない顔をして道を見ていた。
早仕事の農民たちが、鍬を振るう手を止めて歩いている二人を見ている。陽をしっかりと受けた土が湯気をふわりと空気に吐き出す。
「村へ行きなさるのかね。」
深く皺が刻まれた口もとがもぐもぐと動き、近づいて来た男達に話しかけた。
「村へ行きなさるのか、ボーダー村に」
「ああん?」
後ろの男がひと睨み、老人の農夫を見やる。老人は目がよくないらしく、若者の凄みには動じもしなかった。
「カイト、おやめなさい。」
大男が後ろの男を制した。カイトと呼ばれたモジャモジャ髪の男は、バツが悪そうに頭をかきむしった。
「すまねえ、オレは、いや、しばらく食べてなくてな。無礼は詫びる。」
老人は殊勝な態度にいたく感じ入ったのか口をもぐもぐと動かしたあと、何か言いかけてやめた。
「すみませぬ、ご老人、私はガドルード、こちらは連れのカイトです。我ら、訳あって旅をしてまして。」
「ボーダーは何も無い村じゃが、旅人を冷たくあしらったりはせんじゃろう。気をつけてな。」
一方的に話してしまうと老人は二人から目を離し、鍬を振るい始めた。ザクリ、ザクリと柔らかい土へ歯が刺さる音だけが残った。ガドルードがカイトに視線を向けると、カイトは肩をそびやかし、手を振って先へと促した。ガシャリガシャリと二人は歩き始める。老人を振り向くと大地に覆い被さり土を掘っている。視線を前に戻す。見たところではボーダー村はまだまだ先のようだ。
村の入り口へ来ても、人々の喧騒は聞こえず、村はひっそりと静まり返っていた。
「まだ朝だからだろ。」
不安そうな表情でこちらを振り返ったガドルードに向ってカイトが答える。まだ辺りを見回しながら歩いているガドルードを押しのけてカイトが先に立った。
村と言っても建物は少なく、石から切り出した煉瓦造りの長屋やら、材木で組まれた倉庫、あとは何に使うかわからない"あばら"のような建物ばかりだ。道は土を踏み固めたようなもので、足跡ばかりで轍が無い。乾いた土が歩く度にカサカサと音を立てた。
しばらく村の中心の方へ向って歩くと、ひときわ大きく、人目を引く建物が目に入って来た。看板には<INN>(宿屋)と書いてあり、ヒゲ面で足の短い男がジョッキを掲げている様が浮き彫りにされていた。
「酔いどれドワーフ亭か。」
看板を見てカイトが言う。ガドルードは石のように黙っている。
「おい、まだ金はあったか?」
きた、とガドルードは思った。カイトは、酒に目が無いのだった。しかし、金があればとっくに食事にだってありつけていたはずだし、徒歩じゃなくて馬での旅だってできたはずなのだ。
「もうお忘れですか?私は不要と申し上げたのに、回避魔法のかけてある鎧をお買い上げになって財布をカラにした事を。」
ガドルードが怒るでもなくゆっくりとした口調でカイトに応える。
「それでもいくらか残ってんだろ。」
カイトは反省する様子も無く、さらに金の無心をした。彼の目は既にジョッキを掲げているドワーフに釘付けだ。
「酒を飲むくらいの手持ちはありません。」
カイトはガドルードをじっと見つめる。
ガドルードはしばらく黙っていたが、
「銅貨でも食事できるか訊くだけきいてみましょうか。」
無言の抗議に屈するかたちになった。
空腹も忘れ、酒の事しか頭に無いカイトを置いてガドルードは店の扉を開いた。
店に入るとアルコールの匂いが、鼻腔をくすぐった。
朝だったが、何人かがテーブルを囲んで座っている。スキンヘッドで大柄な店主が腕を組んでホールを睨んでいる。
ガドルードは店主のところへ迷わず行くと出し抜けに尋ねた。
「銅貨数枚でも男二人食事はできるでしょうか?」
こういうときは物怖じしないのがコツだ。単刀直入に訊く、それが肝心なのだ。
店主はふっさりとした片眉を持ち上げるとゆっくりガドルードを頭のてっぺんからつま先まで見た。
そして店のテーブルに腰掛けたカイトも見やる。
「ハッキリ物を言うお前さんのことは嫌いじゃねえ、だが、銅貨数枚じゃせいぜいベーコンの切れっ端とパンの耳くらいだぜ。」
ガドルードは少し落胆したようなそぶりをしたが、改めて店主を見ると
「それでかまいません、用意してもらえますか」
言い、懐から出した小さな革の袋から銅貨を3枚、カウンターの上に落とした。
さすがに面食らったのか、店主は頭を撫でながらカウンターの上に転がり落ちた銅貨を眺めていたが、溜め息を小さくひとつ吐くと、
「メイナ!厨房で切れっ端をかき集めて持ってくるんだ!」
とホールにいたウェイトレスにがなり声を立てた。
ウェイトレスは濃いオレンジ色の舐めし革のエプロンを着け、少しくすみがかった金髪が歩くとたなびき、花のような香りが鼻をくすぐる。
メイナと呼ばれた彼女はカウンターに来るなり二人のいかがわしい男たちを交互に凝視した。男たちは彼女の大きな目に見据えられて居心地の悪さを感じ、首をすこしばかり竦めたのだった。
「ふーん……。」
メイナは特にカイトを凝視する。カイトは気に留めないふりをしてこっそりと彼女を眺めた。目が大きく、唇は薄い、しかしどこか色気を感じさせる彼女の容姿はこんな田舎には似つかわしくないように感じられる。
「早く行け」
店主がカウンターごしに言う。メイナは頭を振ると、
「はぁい。」
と言うなり、カウンターを乗り越え、奥の調理場へ行ったようだ。
「カウンターに乗るんじゃねえ!」
店主がどやす。
カイトが改めて店内を眺めると、テーブルに座っている人間はさほど多くない事に気付いた。
「町中に人はいねえ、店にも座ってる客はいねえ、この村はどうなってる。」
「何か、問題があるのか」
店主は興味なさそうにカイトに答えた。カイトはテーブルの天板をコツコツと叩くと、店主の顔をマジマジと見た。
「答えたくなきゃ別にいいんだがよ。」
ガドルードもテーブルに腰かけた。
「カイト、今は先を急がねば。」
ガドルートがカイトを制した。ガドルートの視線はカイトがテーブルの天板を叩いているのを見つめている。
「実はね、この近くにゴブリンが住み着いて村を襲っているのよ。」
「メイナ!」
店主が狼狽えてメイナに強く制止の声を上げた。いつの間にかキッチンから深い皿を二つ抱えたメイナが二人の座るテーブルにいたのだ。
ガドルートはメイナの言を聞くと頭を抱えるように額に右手を当てた。カイトはメイナの顔を見る。値踏みするように、また相手の真意を測るようにも見える。
店主はその強面に似合わず諦めたように一息つくと、二人のテーブルに座った。
「ここの所、家畜がやられた、畑がやられたって話が絶えねえんだ。俺たちだって、遊んでる訳じゃねえ。だが、ゴブリンども徒党を組んで盗みを働きやがるんだ。そこが動物と違うやらしいところなんだが。結局のところ、戦うことに慣れてねえ連中じゃ相手にならねえんだ。」
店主は話を切ると二人の顔を見る。顔色を窺っているようでもあった。
「なあ、こんなつまんねえ飯でも、一飯の恩と思うならなんとかしてくんねえか。」
「つまんねえ飯って思ってて出してるのかよ。」
カイトが口に出してしまっていた。
「い、いや、つまらない飯ではござらん。」
ガドルートはあわてて店主の機嫌を取ろうとして口調がおかしくなっていた。カイトがガドルートを見る。
「お前ら……。」
店主は頭を振ると再び口を開こうとした。しかし、カイトが先を制して言う。
「食ってから考える。」
ガドルートも頷くと、皿を引き寄せた。二人が食事をする意思を見せたことで、店主もウェイトレスもテーブルを立ち、離れていった。
「実際、飯も食ってしまったことだし、断ることはできんと思うのだが。」
カイトが憂鬱そうな顔をしているガドルートに言う。ガドルートも食事をしてしまったことに後ろめたさがあったのだ。
「仕方ありません。」
店主はまた眉毛を持ち上げる。その顔は満足そうでもあった。
メイナがテーブルの二人に話しかける。
「素人って訳じゃないんでしょう?」
カイトとガドルートは顔を見合わせた。
「素人どころか。」
「我々はプロです。」