プロローグ
なんか、ドキドキする
コツコツと、コツコツと男…向坂膺は倉庫外を歩いていた。
2月中旬の夜中、雪が降っていないだけマシかと思いながら悴む指先にちらりと視線を向けた。
白い
いや、青白い。まるで死人の様だと思い、それもそうかと考え直した。
壁に体を預けてズルズルと座りこむ。
体に奔る痛みに苦笑しながら胸ポケットから煙草を一箱取り出す。左手に持っていた使い古した軍用のナイフを股の間に置き愛用のzippoで火を付けた。
吸い込んだ煙に噎せる筈も無くゆっくりと吐き出す。呼吸を出来る事は有りがたいが、その分長く苦しみが続くのはどうもと、紫煙を見つめながら思う。
(殺すならスマートに殺ってくれよ。たっく…)
近頃の若い者は成っていない。
そう吐いた。
それがせめてもの礼儀と言うモノだろうに。自分は人を殺した事はない。間接的に、遠まわしに殺した事は幾らでも有るが…まぁ、運び屋なんて事をしていれば当たり前だろう。
生みの親は売女で誰の種で出来たのかは分りもしない。
生まれてすぐ捨てられなかったのは幸運…いや不幸だったか。あの女の事だ母乳が出る様に成ってから上客が増えて喜んだ事だろう。
育ててくれたのはヤクザ者の中でもハグレ者で厄介なおっさんだった。
ツルリとしたスキンヘッドに趣味の悪いスーツ。ゴミを漁っていた俺を見つけての一言は今でも覚えている。
「…野生が滾ってるな」
そんなのはどうでもいいから飯をくれと返したら、思いっきり笑われたのを覚えている。
今や形見となった軍用ナイフはそれから五年後の形見分けで俺が迷わず選んだモノだ。今思えば、あの頃は楽しかった。
碌でもない女から逃げ出して、野良犬みたいに生きていた二カ月は苦しかったが生きていると感じられた。
義務教育なんてモノは受けた事が無いまま三十五になってしまったが、あれが生きると言う事だと学んだ。
おっさんに拾われてからの五年は驚きに満ちていた。飛行機に乗った船に乗ったバイクに車に新幹線に乗った。
おっさんの仕事が無い時は日本にそれなりに近い南の観光地に何度も足を運び、いろんな事を教えて貰った。
やれ、銃を打つ時は正しい構えで
やれ、ナイフを使う時は半身になれ
やれ、人を打つ時はまずは胴を狙え
やれ、女を抱く時は愛してやれ
やれ、ハードボイルドを忘れるな
碌でもない事ばっかりだった。まぁ、その御蔭で戸籍にも顔にも困らなかった。その点は感謝している。死ぬ時はあっけないモノだった。自分の組織の頭の盾に成って十五発の銃弾を胴と手足に喰らって、そのまま倒れ込まずに愛用のナイフで鉄砲玉三人の首を掻き切って頭の無事を確認してから弁慶宜しく立ち往生。
壮絶だがあっけない。死ぬとはそういうモノなのだろう。そう言うモノで有って欲しい。
それからはおっさんの残した伝手を伝ってフリー人間と組んで十四まで大麻の運び屋をしていた。子供の自分と大人で黄色人種のインスタントパートナー。傍から見れば親子連れに見えたのだろう。
胃や直腸の中にブツを詰め込んでいるとも知らずに余裕で船や飛行機に乗り、品物を運んだ。
十五に成って人を扱い始めた、中東から運んだりそれこそ日本から運んだりした。
薬の担保に差し出された人間が居れば、戸籍も無い人間だから容易く運べた人間も居る。
金持ちの異常性癖や嗜好の為に運んだ事もあるし、ソレに付き合わされた事もある。
そんな事をしながら傭兵もしてみた。マトモに生活してみようかと考えた事は有ったが一カ月挫折した。まず、話し相手がいないし何を話していいのか、話しても何処で笑えば良いのかが微妙に分らなかった。
二十から二十五まではイタリア人と組んでマフィアに武器を卸していた。偶に女を運ぶ事もあったがそう言った商売の人間だったあたり、俺達が仕事を請け負っていた組織はそれなりに良識がある所だったのだろう。
(そう言えば結婚して子供が出来てたな…今や清掃会社のたたき上げとは)
人生何が在るかは分らない。
走馬灯のように自分の生きた軌跡を思い出すと中々に退屈の無い碌でもない人生だったと思う。濃いが薄い。
名前は七度変え、顔は八回弄った所為で元の顔を覚えてはいない。 中国人だった事もあるし、タイ人だった事もある。流石に西洋人だった事はないが…まぁ、合衆国のスラムは中々に住みやすかったのは覚えている。
久しぶりに日本で一仕事と福岡まで船で来てみたが…まぁ、結果がアレだ。
腹に一発、右の太ももに一発、右肩に一発の鉛玉を叩き込まれた。今更直接人を殺す事になるとは思わなかった。傭兵なんて事もしていたが、俺がして居たのは銃器や救急キットの手配や運送だ。戦うのは他の奴等がやってくれたし、チキンな俺はそんな事はしなかった。
「死ぬ直前の行動がおっさんに似るとはな…ハハ、やっぱあの人に憧れてたか?」
無事を確認したのは荷物だし、全然違うが…仕事のアフターケア位はちゃんとしないといけない。それが、俺のルールだ。
アタッシュケースをやっとの事であけてzippoに火を付けて中に入れる。後はオイルの蓋を開けて中のモノを燃やすだけだ。
煙を吸うと痛みが遠くなった。
視界はぼんやりと暗くなる。どうやらこのまま眠れそうだ。それに安心する。死ぬ時ぐらい安心して楽しい気分で死にたい。
死に顔は薬の所為で碌でもない表情だろうが、まぁ今までの人生を考えれば妥当な…いや、幾分かマシな死に方だろう。
うっすらと、景色が変わって行く。幸せな幻覚が見れそうだ。此処まで来ると恵まれ過ぎているのではと考えてしまうが、誘惑に負けるのも良いだろう。
知らない人間が俺に子供を抱かせる。幻覚の中の俺はそれをおそるおそる受け取って涙を流していた。
(あぁ…こういう人生も在ったかも知れないか…)
まぁ、もう遅い。
そろそろ、碌でもない人生も終わりだ。地獄が在るとしたらどれだけの罪状を叩きつけられるか…それを考えると少し、笑えた
そして、男は静かに息を引き取った。
血と糞尿を垂れ流し、涎を垂らしながら幸せそうに死んでいる男は翌日の朝に発見され当たり前のように解剖され、無縁仏として燃やされた。
プロフィール
名称不明
年齢:35
性別:男
職業:運び屋
副業:売人
家族:不明
其処らに普通にある不幸の中で育った中年。飄々とした様に見えるが、実は慎重である。学は無いので体で学んだ経験で判断する節が在る。
悪ぶっても臆病な所が在るので今一感じである。
人間の好き嫌いは特にないが、一生懸命な人間には少々感じる所がある。
次回より、始まります。