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王達の晩餐  作者: 尭嗣
4/5

一日目(3)

 

 いつだって、向かい風の中を一人で歩いてた。

 

◇◇◇

 

 口の中がざらざらする。そして舌に感じる微かな苦味。

 ぼんやりする頭を起こし、重い瞼を開けば霞む視界の先に自分の指が見えた。直後、目に走った激痛に一気に覚醒した。

 突発的に引き寄せた手で目尻を抑えれば、眼球を圧迫していた異物が落ち、痛みも徐々に引いて行く。同じ動作でもう片方の目からも異物を除去する。

 自分の足元に落ちたソレを涙が滲んだままの視界で捉える。それは小さくて黒く、丸い物体。自分には無くてはならない、コンタクトレンズ。

 落ちたレンズを拾い上げれば、その表面には細かいゴミがびっしりとくっつき、レンズそのものもひしゃげてしまっている。これでは、洗って消毒しても使い物にならないだろう。

「…っあ」

 瞬間、熱風ともいえる風が自分を襲い、条件反射で両腕を眼前で組んで防御態勢を取る。

 細かい何かが服越しに皮膚へと当たる、微かな感覚。

 腕の隙間から顔へと当たるソレが口や鼻の中へと侵入してくる。

 砂だ。

 歯や舌に当たる、ざらざらした質感のそれは紛れもなく砂。異質な苦味と、本能的に嫌悪する感覚に、必死になって呼吸を止める。

 しかし風は吹いてきた時と同じように、突然やんだ。同時に、肺に溜めていた呼気を吐き出すように咳き込む。

 気管や鼻孔に入り込んだ砂を追い出すように、何度も何度も背中を大きく揺すって咳を繰り返した。

 何が何だか分からなくて。

 ただ、今は苦しくて。

 えずく喉が痛みを覚えても、咳と涙は止まらなかった。

 そしてそれは唐突に起こった。

 

【なんだこいつ?】

 

 頭上から降ってきた人の声。

 しかしそれは自分が理解できる言葉ではなかった。

 

【けったいな服きてやがる】

【女か?】

 

 砂地に両手をつき、俯いたままの顔が自分の意志とは関係なく上を向いた。

 髪を引っ張られたのだ。

「い…っ!」

 痛みに眉を顰めるも髪は放されることなく、さらに強く引っ張られた。

 

【見事な黒髪だ】


「痛い…っ!離せっ!」

 瞑ったままの目から涙が溢れる。

 髪を掴む腕を手探りで見つけ、殴ったりひっかいたりを繰り返す。

 

【この髪と服だけでもいい値で売れそうだな…】

【女ならなおさらだ。おい。連れてくぞ】

 

 うっすらと目を開く。涙でぼやける視界が捉えたのは数人の足と馬の脚。確認できたのはそこまでで、ぐるりと視界が一転してパニックになる。

 髪を引っ張られる痛みは消えたものの、次は腹を圧迫する苦しさに呻いた。

 

【また砂嵐が来る前に陣に戻るぞ】

【あぁ】

 

(臭い…っ)

 どうやら野太い声の持ち主…男に、担がれているようだった。男は私を担いだまま馬に跨り、あろうことか走らせ始めた。

 その男の服が臭うのだ。つんと鼻の奥を絞るような異臭に加え、体感したことのない揺れに吐き気が込み上げてくる。

 唯一自由に動かせる手を口元に持っていき、なんとかこらえようとするが、口内に溜まり始める唾液がついには指の隙間から零れる。

(……っぅ…、く…!)

 “ダメだ”と思った時には、もう既に手遅れで。

【ぅわ!この女吐きやがった!】

 馬の足音に掻き消されもしない程の怒声が聞こえた。

【汚ねぇな!】

 何を言っているのかは理解できなくとも、男が怒っていることは分かった。それでも、馬の手綱を引きながら、更には私を抱えている状況ではどうしようもないらしく、苛立ちを隠そうともしない舌打ちがなんだか滑稽で。

 鼻に抜ける吐瀉物特有の臭いに更に嘔吐しようとするも、幸いにも胃の中は空っぽで。

 混乱する頭についていけない体の体力も限界が近い。

 しかし吐き出すものが無いにも関わらず込み上げてくる吐き気に、意識を飛ばすこともできない。食道をせり上がってくる胃液の苦味が舌を刺激し、ついには口内に溜めておける許容量を超えては指の隙間から零れていくのを揺れる視界でぼんやりと眺める。

 それからどれだけ揺られて、どれだけ胃液を吐き出したのか。口元を抑えていた手も力を失い、ぐったりと投げ出されている。

 ぼんやりとする頭が考える事を止め、視界がブラックアウトする虚脱感に安堵しようとしたが、それは見事に中断されてしまった。

 いつの間に止まったのだろうか。気づけば揺れは止まっていて、馬の嘶きと男の声での会話がはっきりと聞こえてきた。

【勘弁しろよ…】

 声と同時に体が投げ出され固い地面に頬を擦りつけるが、もはや痛みを訴える悲鳴すら出ない程にまで憔悴しきっていた。

【あーあー。派手にゲロぶちまけられてんなぁ。ははは!】

【笑えねぇよ!…ったく】

【ま、とにかく頭領が戻ってくる前にこいつを風呂にでもいれておくか】

【お前にまかせるよ。俺自身がこんなゲロくさいまんまで我慢できねぇからな】

【それもそーだ。よ…っと】

 抵抗するのも阿呆らしく、またしても体が浮く感覚にされるがままになる。

 まるで荷物でも運ぶように軽々と私を肩に担ぎ、大股に歩く男はさっきまでの男は違うらしく、服もそんなに臭わなかった。そもそも今は私自身が自分の吐瀉物で汚れ、臭っている。

 布が擦れるような音と共にほんのりと暗くなり、太陽の光が遮られている室内らしき場所へと入ったのが分かった。

 薄暗い室内の隅の壁へと私を寄りかからせ、男が離れていく。その男の動きをぼんやりと目で追っていれば、なみなみと水を湛えた大きなバスタブのようなようなものが見えた。

(……あぁ…フロ…入りたい……)

 男はがさがさとバスタブの周りで布を広げ、いくつかの小瓶を並べたりしている。

 まさかこんなに汚れている私をしり目に、見せびらかすように自分だけが体を洗うつもりなのだろうか。それはいくらなんでも酷すぎだ。

 準備が整ったのか、男がこちらに歩み寄ってくる。

【さて。嬢ちゃん】

 そして、

【綺麗になろうな?】

 ぐいと胸倉を掴まれ、制服のリボンが嫌な音を立てて破れた。

「!!」

【なんだ?脆い布だな…つか、どーやって脱がすんだ?コレ】

 ぶつぶつと何かをボヤキながら男が破けたリボンを床に投げ捨て、またしても手を伸ばしてきた。

【ま、いっか。破いちまえば……】

 ぞわぞわと背筋を這う怖気。

 男の目の色が変わるのが、はっきりと見て取れた。

 リボンが取れて開いた胸元に落とされる視線と、伸ばされる腕。

【少しなら………バレなきゃかまわねぇ…っ】

 “逃げろ”と頭が判断を下す前に、男が私を床になぎ倒し、馬乗りになってきた。

「ぁ…あ…」

 湧き上がってくる恐怖。

 体を痛めつけられる恐怖じゃない、味わったことのない慄き。

「ぃ、…やだ……っ」

 暴れる足が空しく地面を蹴る。

「ゃだ…!いやだ…!」

 震える声が聞き入れられる筈もなく。容赦なく襲ってくる手がシャツを掴み、まるで紙でも破くように引き裂いていく。

 ボタンが弾けて頬に当たって床に転がっていく。

 我武者羅に腕を振り上げ、男の顔や肩、頭に爪を立てるが、何の意味も為さない無力さに涙が止まらなかった。

 肌に直接生暖かい他人の体温を感じた瞬間、眼前に降ってきた“黒い”液体。直後、今まで自分の眼前にあった男の顔が消えた。

 まるでスローモーションのような映像だった。

 黒い液体に塗れた男の“首”が、流れるように宙を舞っていて。

 水風船が弾けるような音でそれが床に着地したのを見届けて、自分の中の何かが千切れた。

 喉が裂ける程の絶叫。

 司令塔を失った男の体を押しのけ、部屋の隅へと這い向かう。が、実際は爪が床をかじるだけで全く体が動かない。

 癲癇でも起こしたように引きつる体が逃げるのを諦めて、ただただ、只管にその場で蹲って顔を両手で覆い、悲鳴を上げ続けた。

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