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王達の晩餐  作者: 尭嗣
2/5

一日目(1)

 

 それこそ、

 

 “ありがとう”

 

 って言いたくなるほど。

 

◇◇◇

 

「はかなちゃん、信号が赤の時は渡っちゃだめよ?」

 やんわりと手を掴んだ先生が、穏やかな笑みを浮かべながら少し慌てて私の足を止めた。

 周りの子達もくすくす笑いながら、何の疑問も持たずに横断歩道を渡ろうとしている私を笑っている。

 いつもの帰り道を、いつもの時間、先生に誘導されて数人の生徒達に交じりながら家への道を歩いていた時だった。

 みんなが横断歩道を目前にして足を止めたのだ。

 偶然と言えば偶然で。

 たまたま、その日に限って私は生徒達の先頭で先生の隣を歩いていた。

 周りの子達が口々に「いけないんだ」とか、「はかなちゃん、あかはとまれだってば」等と囃し立てる。

 意味が分からなかった。

 …と、言うのは少し言葉が足りないかもしれない。道路の仕組みは幼稚園児の私でも流石に理解していたから。

 車道に飛び出すなとか、横断歩道を渡る時は左右を見て車が来ていないかどうかを確認してから渡るとか………

 その時までは、信じて疑わなかった。

 みんながみんな、自分と同じ景色を見ているだろうと。

 みんな、自分と同じ“世界”にいるだろうと。

「せんせ、“あか”ってなに?」

 

***

 

「いい加減にしてよ!また近所のばばぁが警察に電話でもしたらメンドーでしょ」

 覗き込んだ鏡越しにこちらを見やり、一生懸命にメイクをする女が小さく叫んだ。

 ふぅふぅと鼻息も荒く、未だ怒りがおさまらないらしい男は仕上げの一発と言わんばかりの渾身の蹴りを私の腿に打ち付けてから、それでもようやく大人しくなった。

「どーでもいいけど、早くラーメン作ってよ。仕事に遅れちゃう」

「……分かってるよ。…おい!」

 蹲ったまま動けないでいる私の目の前に、ひらひらと一枚の紙幣が降ってきた。

「さっさと起きろ!邪魔だっ!」

 台所に向かう床のど真ん中に私をはり倒したのはお前だろ。…言えば、この前みたいに灰皿が飛んでくるかも。

「煙草買ってこい。…聞ぃーてんのかぁ!?」

 のっそりと起き上がり、震える手でしわしわの千円札を握りしめる。

 力の入らない足で立ち上がり、乱れた制服をそれとなく整えてからよろよろとした足取りで玄関に向かう。

 靴を履くために屈んだ拍子にスカートの裾が少しめくれあがり、たった今あの男に蹴られた部位が視界に入った。

 ほんのりと“黒く”なっているその部分。きっと、明日になれば思い出したように今以上の痛みが襲ってくるだろうと、容易に想像できた。

 それでも、骨が折れていないだけマシかもしれない。…と、心中ひっそりと、自分に言い聞かせるように囁く。

 軋む蝶番の音を背中に聞き、街灯も少ない道へと出る。

 白く濁る息が目の前を邪魔する。

(…タバコ買えたって……制服じゃ買えねぇよ…)

 自分の鼻をすする音が人通りの少ない道にやけに大きく響き、それがなんだか笑いを誘った。

(それもいいかも)

 手ぶらで帰えれば、それこそ鬼の形相で怒る男が目に浮かぶ。

 …が、回避する方法はいくらでもある。

 コンビニの店員に体の痣を見せて同情を買うとか。

 適当におじさんを見繕って、“代償”と引き換えに煙草を買ってもらうとか。

 …………正直、感謝はしてる。

 ここまで育ててくれた恩もある。

 人の気配や気持ちを敏感に察知する事もできるようになった。

 自分のツラの皮も厚くなった。

 一人で歩く方法を見つけられた。

 逃げ道を見つける狡猾さも身についた。

 痛みを拡散させる方法も知ってる。

 誰にも頼ることなく、一人で立てる強さを教えてもらった。

 

 

 ………思ってる以上に、悪いことばっかじゃないんだ。

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