興ハレの日、ケの祭り
ヨイが街を包み込む。境内に張り巡らされた石畳とアスファルトの脇に、橙色に煌めいた出店が並ぶ。赤だけじゃない提灯の揺らめきと同じ周波数の太鼓囃子に合わせて現代的な靴の音を弾ませながら、その浮かれ上がった道を歩く。
あくびを許さない歌声が吃って、私の聴覚が奪われた。
宴の熱から掛け離れた冷たいスマホを覗く。返事は何もない。まあ、あいつはいつもスマホを見ないし、遅刻をしても平気な顔をするし、勝手に歩き回るし。今更気にすることもない。あいつが来るまで一人で楽しんどけばいいんだ。元々、一人で行動するのは好きだから。
一年に一度の興、折角だから何か出店で買っていくのもありだ。
すぐそこに有った屋台の錆びた看板を見る。
わたアメ、五百円。
やはり、祭りの食べ物は高い。しかし、これは決して祭りという舞台の価値に漬け込んでいるわけではない。出店料や機械のリース料、綿飴を包む袋とか、意外に掛かっているはずだ。もしかすると、赤字かもしれない。
だから、惜しむことなく購入する。そうでなくても、あえてこの熱を冷ますようなことはしない。
右手に握ったそれは遠くから見れば今季の雲、近くで見ればダウンパック、または蜘蛛の糸、またはイヤフォン。
人混みに押されなが、出店より更に奥の、少しだけ光が届かないところへ出る。カチカチとした地面に、太い木の根が盛り上がっている。黒塗りされた足元だと、迂闊に動くと躓きそうだ。
綿飴のてっぺんあたりに齧り付く。
ザラメの甘さに甘さを重ねたざらつき、そして、それが口の中の唾液に混ざり溶けた。小さくなったカリカリを噛んで飲み込む。あれほど大きいのに、実際に食べる分はあまりにも少ない。
ざわめきの方を見る。突然、太鼓の音が鳴り止んだ。
こちらを見ている輝いた一対の目に気が付いたからだ。
「おー! 風友梨、久しぶり」
歩く方向を変え、元同級生がこちらに向かってくる。彼の両手には何も握られていない。
「あっ、久しぶり」
彼は中学のときの同級生だ。二年生、三年生で同じクラスだった。一年生のときも委員会が同じだったので何かと出会う機会は多かった記憶がある。
彼はどちらかというと抜けていて、少し間抜けとも取れる性格だった。
「一人? 俺は大嶋と石井と待ち合わせてるんだけど」
大嶋と石井というのは彼と同じく中学の同級だ。彼と仲がいいのは当然であるが、私ともそれなりに仲がいい、と思っている。
あまり人付き合いが得意ではない私にしては、かなり親密になれた方の人間……だと思っている。
「私も藤浪と待ち合わせてるんだけど……探しても見当たらないし、LINEの返事もないしで困ってたところ」
「あいつらしいじゃん」
藤浪と彼は仲が良いのか悪いのかイマイチよく分からなかった。お互いにお互いの罵倒を聞いたことがある。いや、人間関係なんて0と1では決まらないのだけれど。と、他人に対してなら考えられる。
「わた飴買ったん?」
彼は綿飴を曖昧に指差した。
「せっかくだから祭りっぽさを楽しもうと思って」
「わた飴なんて、普通食べる機会ないからな。コンビニとかで売ってるとこ見たことない」
「私も……あ、でも、うちの祖父母の家の近くのスーパーに売ってた。なんかスタバみたいなカップに入っててカラフルだった」
「あー、そういうタイプも祭りでたまに見るかも」
彼は石畳の道の方を見る。どこから来て、どこへ向かうのか分からない人々が流れ続けている。
「俺もなんか買おっかな」
「どうせならね」
そのまま彼はどこへ向かうのか分からないまま歩き出した。躓かないか、少しだけヒヤヒヤする。
私もその後ろを追いかけた。
「でも、祭りってなんでもかんでも高いねんな。値段見ると買う気も失せる」
「まあね。安いのにしな」
彼は土塊でもあったのか一瞬立ち止まった。私はそのまま濁流の前まで辿り着いた。もう、あなたの歩幅に合わせる意味は無かったから。
「それでいて特別感のあるもの」
ちょっとだけ小走りで近づいた彼は、「焼きそばにでもするか」と呟いた。その響きだけでお腹が鳴ってしまいそうだ。
「それならあっちの方にあったよ。五百円で」
二手に分かれている道の片方を指差す。いや、実際指差せたものは不特定の人だったのだが。
太鼓はそのままに、笛の音色の雰囲気が変わった。より、音の高低の変化が激しくなった。
「マジ? ありがとう。行ってくるわ。風友梨は?」
「私は……」
私は彼の顔か、首か、胸あたりか、自分でもイマイチよく分からないところを見つめていた。中学の頃とは違って、彼の服装は幾分も『オシャレ』になっていた。『オシャレ』のことはよく知らないから、そういう印象を受けただけだけど。
ガッシリとした素材のズボンを、彼が履いているところは想像できなかったのに。
「……藤浪が来るかもしれないし、集合場所に行くよ」
自分の肩にかかった髪を人差し指に巻きつけ絡めた。最低限、梳っただけの乱れた髪。それを特に恥ずかしげもなくぶら下げて歩いている。自分を彩る必要性はないのだから、恐ろしくない。
「分かった、じゃあまた」
彼は振り返り、石畳を踏んだ。ワックスを付けていることには今の今まで気付かなかった。
「はーい。また、会えたらいいね」
彼は手を振った。一度だけ振り返った。私はずっと提灯の揺らめきと同じリズムで右手を揺らし続ける。
そのとき、突然上空の方から破裂音が聞こえた。腹に響く音だった。おそらくこの場の皆が同時に空を見上げたと思う。その視線の先は白い大輪の花だった。
そういえばこの時間から花火が上がるんだった。そこまで規模の大きくない祭りだから、ほんの数発だけだけど。
初弾が散って蛍火のようになるとすぐ、二発目は上がった。同じ色の花弁だった。
花火の光が暗鬱とした雲の輪郭を洗い出している。
視線を下に落とすと、彼はまだ人波の中にいた。花火を見ていたからではなく、立ち止まった人をどう避けて進もうかと困惑しているからだ。ようやく進路を見出した彼は、軽い足取りで歩みを始めた。
その姿が人に揉まれて見えなくなったとき、次は花火の音が鳴り止んだ。喉の奥から何かが出てきそうになった。
押し込むように綿飴を齧る。
ねばり気のある糸が口に纏わりついた。それを拭うものは、あいにく持ち合わせていなかった。




