東京参勤交代
「父さん、今どこ?」
夜、モニターに映った父は、ひどく疲れた顔をしていた。背景には安っぽいパイプ椅子と、山積みの書類。北辰県庁の知事室だろう。
「あ、蒼士か。……今は、県議会の後片付けだよ。また予算案で揉めてさ。参っちゃうよな」
父は力なく笑って、ネクタイを緩めた。北辰県のトップというよりは、中間管理職のサラリーマンに近い。
「そっか。大変だね」
「ああ、本当に。……東京はどうだ? 母さんは元気か?」
「母さんなら、さっきまでラウンジで他の県の人たちと『情報交換』してたよ。今は隣の部屋で、今日の報告書を書いてる」
「……そうか。母さんは、相変わらずしっかりしてるな」
父は一瞬、画面の向こうで視線を逸らした。その表情には、自分だけが「現場」という名の檻に放り込まれ、家族を東京に人質として残していることへの、申し訳なさと卑屈さが混ざっている。
「なあ、蒼士。勉強は順調か? 特区の学校は、レベルが高いんだろ」
「まあ、普通だよ。父さん、そんなことよりさ」
蒼士は、ずっと喉に引っかかっていたことを口にした。
「俺、一回だけでいいから、北辰に行ってみたいんだけど。……バレなきゃ、新幹線で数時間でしょ?」
画面の中の父が、目に見えて狼狽した。
「馬鹿なこと言うなよ、蒼士。……GPSだって、マンションの警備だってあるんだ。もし見つかったら、父さんは知事をクビになるだけじゃ済まない。北辰の予算もカットされる。そうなったら、県民に顔向けできないよ」
父の声は震えていた。
正義感というよりは、保身と恐怖。
この人は、県を背負っているのではなく、県という重荷に潰されかけているのだ。
「……冗談だよ。本気にしないでよ」
蒼士が冷たく突き放すと、父はホッとしたように「そうだよな、冗談だよな」と何度も繰り返した。その弱々しさが、蒼士にはたまらなく惨めに映った。
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通信が切れた後、部屋に母が入ってきた。
足音ひとつ立てない、完璧な動作。
「父さん、なんて?」
「別に。愚痴と、勉強しろって話だけ」
母は蒼士の机に置かれた原稿用紙を覗き込んだ。テーマは『わたしのふるさと』。
「書きなさい。北辰は、豊かな自然と誠実な民衆に支えられた、誇り高い土地だって。あなたが一度も見たことがなくても、そう書くのが正解よ」
「母さんは、あそこに戻りたいと思ったことないの?」
母は、感情を削ぎ落としたような声で答えた。
「私は、東京であなたを『次の知事』に育てるのが仕事なの。戻る場所なんて、最初からどこにもないわ」
母の言葉には、迷いがなかった。
父はあちらで怯え、母はこちらでシステムの一部になっている。
蒼士は窓の外を見た。
東京の夜景は、どこまでも明るい。
けれど、この24階の部屋から一歩外に出れば、見えない電子の鎖が自分を縛っている。
「……父さん、あんなに怖がらなくてもいいのに」
蒼士は独り言を呟き、原稿用紙の冒頭に書いた「北辰県は僕の故郷です」という嘘を、黒いペンで塗り潰した。
「俺のふるさとは、この24時間稼働の換気扇の音の中だよ」
新幹線の切符すら、自分では買えない。
父の弱さと、母の正しさに挟まれて、蒼士は今日も「行けない場所」の地図を暗記する




