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わたしのことみえるかな【夏のホラー2025】

作者: 江渡由太郎

 暑い夏の日、あつしは十三階建てのマンションの一室で独り、ぐったりと床に寝転がっていた。三十八歳。職を辞めて三ヶ月、転職先も見つからず、妻とはすでに別居中。定期的に送られてくる無言電話と、部屋の湿気と、なぜか止まらない水音が、日々じわじわとあつしの神経をすり減らしていく。


 ある朝、台所の蛇口をひねると、まず濁った水が流れ、その中から長い黒髪がぐしゃりと吐き出された。


 「……なんだ、これ」


 排水口には髪の毛の塊が詰まっていた。それを割りばしで引っ張り出すと、髪の束はどこまでも伸びてきて、それは淳の手首に巻きつき、引いたはずの髪が逆に彼の腕を締め上げた。咄嗟に引きちぎって蛇口を止めるが、黒髪の感触は皮膚に染みついていた。




 数日後、シャワーを浴びていると、浴槽の排水口から髪の毛がにゅるりと這い出てきた。それは濡れた蛇のように彼の足首に絡まり、ふくらはぎ、腰、凹凸のある腹筋から大胸筋へそして喉元まで這い上がってきて――


 「やめろっ!」


 悲鳴を上げてあつしは浴室から転げ出る。鏡の曇った表面に、ひとつの指文字が浮かんでいた。


 《みえる?》


 ──見える?

 それとも……見ようとしていないだけか?



 不動産業者に連絡を入れたが、管理会社からは「水道には異常なし」との回答だった。だが、マンションの掲示板には小さく貼り紙があった。


『屋上貯水タンク清掃のため断水します。

ご不便をおかけしますがご協力をお願いします。』




 貯水タンク――。


 嫌な予感がしてネットで検索をかけると、五年前の古いニュースが出てきた。


 「十三階建てマンション屋上の貯水タンクで女性の腐乱遺体」


 身元不明。二十代から三十代。黒いロングヘア。腐敗が激しく、身元は特定されなかった。遺体は一週間以上タンク内に沈んでおり、住人たちはその水を日常的に使用していた――。


 「まさか……」


 台所へ向い震える手で蛇口から水を出してみた。今度は茶褐色の濁水とともに、髪の毛の束と、歯が一つ、音を立てて排水溝に跳ねた。


 「うわああああああっ!」


 その夜、布団にくるまって震えるあつしの耳元に、女の声が囁いた。


 「わたしのこと……みえるかな……?」


 身体が金縛りにあったように動かない。天井から髪の毛がぽたぽたと滴り落ちる。見上げると、逆さに吊るされた女の顔が、あつしを覗き込んでいた。


 白濁した眼球。溶けかけた頬。なのに、口元だけがにやけている。


 翌朝、あつしは警察に通報した。屋上の貯水タンクを開けてもらうよう懇願した。


 だが、タンクはすでに新品に取り替えられていた。中に異常はなかった。




 管理人に連絡して宅内配管を調査して欲しいと伝えた。後日、専門業者の訪問があった。


「貴方の部屋だけ、妙に水圧が高いようですね」


 業者が言った。


「この部屋、前の住人も……妙なことを言ってました。女の声が聞こえるとか」




 その晩、またも天井から濡れた音が聞こえる。うつ伏せになって耳を塞いでも、声が脳内に直接響いてくる。


 「……ねぇ、ねぇ、ねぇ……」


 「ほんとうに、わたしのこと、みえるかな?」





 一週間後、あつしの部屋からは大量の水が漏れ、下階に浸水が発生。管理人が駆けつけたとき、部屋の中には誰もいなかった。ただ、蛇口からはずっと――長い黒髪と濁った水が、止まることなく流れ続けていた。


 壁には、指で書いたような黒い文字。


 「みつけてくれて、ありがとう」




#ホラー小説 #短編

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