37話 災厄
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ダナフ王国とタクナの街が正式に友好関係を結んだ翌日。
フェアドキア王国の王宮にて、オデッド・ロベスは憤慨していた。
大理石の床に映る自分の顔が怒りで紅潮しているのを見て、オデッドはなおさら激昂した。天井近くの彩色ガラスから差し込む陽光は、まるで彼女の苛立ちを逆なでするかのように煌めき、王宮の従者たちは誰もが息を潜めて視線を逸らしている。誰一人として軽々しく声を掛ける勇気を持たず、広い謁見の間は、彼女のヒールが床を打つ乾いた音だけが反響していた。
彼女が玉座の肘掛けを爪で叩くたびに、古びた白金の装飾がかすかに揺れ、小さな澄んだ音を立てる。普段なら耳に心地の良いその音色も、今は苛立ちを増幅させる要素に過ぎなかった。
(ダナフ王国が、下等な魔物ごときと友好関係を結んだ?この妾より、このフェアドキア王国よりも先に!?フェアドキア王国が、その魔物ごときよりも下だとでも言いたいの!?)
オデッドが望んでいるのは、ダナフ王国との貿易を結ぶこと。
しかし、ここ数百年それは叶っていない。
何故なら、数百年前とある国――ロードネス帝国が、ダナフ王国に戦争を仕掛けた際、ロードネス帝国に武具などの援助をしていたのが、フェアドキア王国だったからだ。
そしてロードネス帝国はダナフ王国による報復で滅び、それを知ったフェアドキア王国はダナフ王国との敵対ではなく貿易を狙ったのだ。
しかし、まだ明確とは言えないものの、ダナフ王国に敵対行動を取ったフェアドキア王国との貿易など許されなかったのだ。
あの戦争の折、フェアドキア王国はロードネス帝国の栄華に目が眩み、返礼として莫大な利益が転がり込むはずだと踏んでいた。しかし、結果は逆だった。帝国が滅びた直後から、各地の交易路は寸断され、戦費として積み上げた借款が雪崩のように王国の財政を圧迫した。それからというもの、宮廷では「愚かな先祖の遺産」と囁かれ、後世の王たちはその汚名をそっと封じ込めようと画策してきたのである。
そして、数百年ダナフ王国に貿易を結ぶことを呼びかけ続けた。
しかし、それは無視され続けた。
その時入ってきたのは、最近ルーデの森にて造られた魔物の街が、ダナフ王国との友好関係を結んだ、という情報だ。
他の国々ならともかく、魔物をフェアドキア王国よりも優先して友好関係を結ぶなど、オデッドにとってはあってはならないことであった。
(忌々しい下等な魔物ごときが、調子に乗りおって!いっそ、その魔物の街を攻め滅ぼしてやろうかしら……)
だが、報告によれば相手は進化した魔物。更に、数体のAランクの魔物も確認している。
下手な戦力では、魔物に返り討ちに会ってしまう。
それに、その魔物も街はダナフ王国と"友好関係"を結んでいる。
理由もなくその魔物の街を滅ぼしたとなれば、ダナフ王国が黙ってはいないだろう。
それに、悔しいことにその魔物の街の方がフェアドキア王国よりも優れた技術を持っていることは確かなのだ。
攻め込むのではなく、その魔物の街と友好関係を結ぼうか、とも考えたが、
(いや……相手は下等な魔物なのよ?あんな何を考えているか分からぬ得体の知れぬもの、信用できるわけがないわ。いつか必ずフェアドキア王国の国民を襲うに決まっているわ)
と考え、友好関係を結ぶ、という選択肢は無くなった。
となると、選択肢は三つ。
今まで通りダナフ王国と貿易を結ぶことを呼びかけ続けるか、魔物の街を滅ぼすか。
そして、その魔物の街を我が物と、奴隷とするか。
報告によれば、その魔物の街は食、武具、住居などのレベルがかなり高い。
キッチンや風呂――オデッドには何のことやら分からなかったが――とやらが全ての家に設置されており、さらに、様々な料理が開発されているとのこと。
以前、その魔物の街にこっそり潜入した者が持ち帰ったステーキとやらを食べてみたのだが、同じ肉を焼いた物なのに、この世界の最高級料理を上回る味だった。
ステーキの表面を覆う香ばしい焦げ目、小さく踊る肉汁、そして口に入れた瞬間に広がる濃厚な旨味。脂の甘さを引き締める謎の黒い粉――どうやら胡椒と呼ばれる香辛料らしい――が絶妙な刺激を与え、思わず彼女は無意識に舌鼓を打ったほどだ。王国一の料理長が腕によりを掛けた最高級ローストでさえ、比べれば灰を噛むような味気なさだと痛感させられた。
更に、スカートとかジャンパーと魔物の街で呼ばれている服も見てみたのだが、どうやら絹で作られているらしかった。
絹は、服の材料の最高級品。
絹製の服は、一品だけで金貨数枚になる。
しかも、魔物の街で作られた服は、ただの絹ではなく魔力を大量に含んでおり、大抵のスキルや炎によるダメージをかなり下げる効果を持っていた。
このような効果が付いているとなると、魔物の街で作られている服は、一品金貨数十枚~数百枚ほどの価値がある。
これらのフェアドキア王国では一年かけて一個作れるかどうかという超高級品を、その魔物の街では全員がそれを食べ、それを着ている。
その高い技術力を我が物とし、それを高額で他の国に売り付ければ、国として、経済面でかなり有利となる。それに、魔物ではなく人間の方が、その技術を上手く使えるに違いない。
オデッドはそう考えたのだ。
(その魔物の街を我が物……奴隷にするには、何かきっかけが必要。どんなきっかけを作ろうかしら……?)
重要なのは、魔物の方から人間を襲った、という事実。その事実さえあれば、魔物の街を"報復"という名目で滅ぼすことも、奴隷とすることも可能になる。
例え、その事実が作られたものだったとしても。
その事実が本当だと、魔物の方から人間を襲ったと他の国々に思い込ませるのだ。
幸いなことに、相手は魔物。下等な魔物と、人間の言うこと。どちらの言葉が他の国々にとって信用に値するか。
それは、言うまでもなく人間の方なのだ。
魔物の方が悪い、そう他の国々に思わせることなど容易い。
そして、虚偽の証拠を捏ね上げる作業だが――密偵長を呼び出して、辺境や商隊の中で口が軽い者の名前を洗い出させ、噂を撒くための経路を綿密に設計し始めた。
商人の口から「聞いた話だが」と漏れれば、人々は案外簡単に信じ込むものだ。さらに不安と恐怖を煽る細工として、偽装された襲撃現場に焦げ跡や獣の爪痕を残す手筈も整えるつもりである。
『最近、ルーデの森にて造られた、魔物の街の魔物がフェアドキア王国の人間を襲ったため、報復する』
そう他の国々に流しさえすれば、あとはその魔物の街を好きにできる。
それに、魔物の街がフェアドキア王国の奴隷となるなど、他の国々にとってはどうでもいいことなのだ。
むしろ、巻き込まれるのを防ぐため、戦いに関与するのを嫌がる国がほとんどなのだ。
なので、他の国に関しては、そう深く考えなくてもいい。
そして、あとは魔物の街を襲う戦力について。
相手はそのへんの野良ではなく、進化した魔物。たかが魔物と見くびる訳には行かない。
そして考えた結果、投入する戦力は国軍五万人全てと、フェアドキア王国の虎の子である三人のAランク上位――通称、三原色と呼ばれる者の内、二人を動かすことにする。
魔物十万体に対して兵士五万人と、数では負けているものの、平均Bランクの兵士が五万人とAランクが二人。
それに戦闘などろくにしていない魔物が勝てるわけがない。
(これだけあれば十分ね。あとはその時を待つだけ……)
こうして、魔物の街に災厄が降り注ぐことになったのだった――。
要するに、戦争です。