「私の可愛い後輩くん」
ボートレース水鳥川の今節六日間開催の最終日、十二レースは優勝戦……。
三号艇、三コースからの戦いとなった持筑幸夫選手は、コンマ〇七のトップタイミングでスタートを切ると、先んじて第一ターンマークを回ると、立て直した一号艇と内を突いて伸びてきた五号艇との争いを制してあとは一人旅。
「やっ……たぁあああああああああ!」
白坂ユノちゃんの見かけによらぬでかい声が十二月の空に響いたハッピーエンドで幕を閉じた。なおこの日、もう少し早い時間にも、
「寿ッ……羅あぁあああああああ!」
という後輩くんのばかでかい声が響いていたボートレース水鳥川であった。
持筑幸夫選手はこれがデビューから四十回目、今年三回目、水鳥川では今年六月以来の優勝。レース後には優勝選手が救護艇と呼ばれる船に乗ってファンの前に姿を現すのが決まりになっている。ヘルメットを取った持筑選手は優しい笑みで、外目黒さんに押さえられていないと頭から水面に飛び込んでしまいそうなユノちゃんに手を振っていた。
一方で小熊寿羅選手はデビュー以来初めてとなる「二着」を決めて、先輩に二日連続三回目の万舟券をもたらした彼女も、レース後には、ちょびっと、ぺこっと、頭を下げた。
それを見届けたのちに、酸欠でしゃがみこんだ後輩くんと一緒に屈んで声をかけるのは、
「後輩さんはとてもいい声をしていらっしゃる。見た目よりも声量も大きいのですね」
「うん、後輩くんもバンドやんない? 俺らと一緒にメイド服着てさ」
中寉さんと蒔田さん、宿木橋の「王子様」二人である。
整理すると、この二人の働くお店「緑の兎」のマスター上之原さんが元々ボートレースをやっていて、彼から教わった中寉さんが蒔田さんに教えて以来、この二人の中性的な美青年はよく連れ立って都心から近いボートレース城によく行くのだそうだ。
もちろん、この水鳥川に来たことも一度や二度ではない。
言うまでもなく、この二人はやたらと目立つ。無表情だけど人目を捉えて離さない不思議な容姿の(あるいは「中学生が来てる!」という理由で)中寉さんと、そこにいるだけでキラキラと光の粉をばら蒔いているみたいな蒔田さんであるから。外目黒さんも、今日もスタンドから写真撮影に専心していた汐崎くんも、それからユノちゃんの家庭教師であり外目黒さん汐崎さんの先輩である寺前さんという格好よくておしゃれなお兄さんも、ユノちゃんの付き添いでボートレース場に来ては、ときどき「なんか、すごい人たちがいるな」と思って見ていたと言う。一方で中寉さんと蒔田さんも「気付きますよ、小さな女の子が綺麗なお兄さんお姉さんをとっかえひっかえ」「とっかえひっかえじゃない!」ということで。後輩くんと先輩は、別に繋げなくてもいいところにいた二つのグループを繋げた。
クリスマスは恋人同士のためにだけあるわけではない。年齢不詳の先輩を除くと最年長は二十四歳の蒔田さんと寺前さん、最年少は十二歳のユノちゃん、総勢八人になった大所帯でファミリーレストランに行った。後輩くんにしてはずいぶんと贅沢な食事が二日続いている。昨日の朝は「この菓子パンでどうにかしのごう」と思っていたところだったのに。こんな幸せに過ごせた二日間は、まるで先輩がくれたプレゼントである。
「ところで、そう。……楽しいときにちょっとめんどくさい話をしてしまって恐縮なのだけどね、寺前さん、外目黒さん、汐崎くん、そして了アンド皐醒。昨日もちらりと話したけども……」
先輩は後輩くんを守護する探偵として、必要な話もちゃんとする。
大日氣弥益の勧誘を行っている団体は東英大学にも存在するという話は昨日先輩が確認した通り。
「我々の大学の関係を考えると、籍を置く者が大っぴらに繋がるのは難しい」
先輩の言葉に、
「チルチルとミチルみたい……」
「ロミオとジュリエットね」
と部外者であるユノちゃんと蒔田さんがヒソヒソ声でやり取りをする。
「事実、そうなのです。両大学の間には全くといっていいほど交流はありません。悪しき伝統といえばそれまでですが、僕もお店のお客さんで東英大学のかたがいらしたときはちょっと緊張します」
中寉さんも美しい目元を曇らせて言った。暗い話をするときは涙袋目尻側の赤みが少し薄くなるのだった。
「白湯川さん東英大だよ」
「……マ?」
「マ」
外目黒さんの先輩に、東英大全体のサークル運営に関わっている人がいるという。先輩は学生ではなくあくまで探偵としてその人と、年明け早々にも会って両大学間で協同し、サークルのガワを被ったカルト宗教勧誘団体について実効的な対策を打ち出すこととなった。
「平穏な大学生生活を送りたい子たちが大日氣弥益のみならずだけど、意図せざる苦労をさせられて、貴重な若い時間を費やさなくてはならなくなるというのは、あまりに気の毒だ。早いうちに何とかしてあげないといけないという考えは、大学の垣根を越えて同意してもらえるものと思う」
なんだか大きな話になってきた、と後輩くんは言葉もなく目を丸くしているばかりだった。キャピュレット家とモンタギュー家(言うまでもなく、ジュリエットとロミオの家の名である)が水面に繋がった縁をもとに、水面下で取り合おうと言うのだから……。ひょっとしたら両大学においてはのちのち「マジカルフォーク水鳥川の会合」みたいな(マジカルフォークというのがこのファミリーレストランの名前である)歴史の一大分岐点みたいに語り継がれることになるかもしれない話し合いも纏まって、夕暮れ近い時間にお店を出たところで、後輩くんのスマートフォンが震えた。
ディスプレイに表示された名前を見て、後輩くんは輪から外れて電話に出た。
「……あの」
「先輩!」
元気よく弾んだ声が、後輩くんの鼓膜を叩いたし、
「寿羅くんからだね」
いつのまにやらぴったり後輩くんの背中にくっついていた先輩にも、その声は当然聴き取られてしまった。
「あっ、どーもはじめましてっ、登録番号17116番、赤州出身宝崎支部所属っ、小熊寿羅です!」
最後に会ったときから九ヶ月ぶり、彼女は相変わらず男の子みたいに短く切った髪を金色に染めていた。「小熊寿羅」で検索したときに出てくる写真は男子選手みたいにキリッとしているものだから、先輩が彼女を見たとき女子選手だと気付かなかったのも無理からぬこと。
寿羅くんと再会したのは、水鳥川からまたちょっと都心寄りに戻った北城駅。彼女はこれから新幹線に乗って地元赤州に帰るのだ。スーツケースに、ぱっきりとしたネクタイ。金髪でなかったら出張に行く若いビジネスマンのように見えなくもない。
先輩は珍しく緊張感を帯びた顔で、
「はじめまして」
とお辞儀をしたすえに、少し考えてから、
「……小熊さんの先輩の、先輩をやっています」
という言葉に繋げた。
レース中の選手たちは──彼女たちのやっているスポーツの質を考えれば当然判ることだろうが──外部との接触は断たれる。レース前日の集合の際にスマートフォンを取り上げられてしまい、最終日の競走が終わって管理が解除されたところで帰ってくる。まずするのは、スマートフォンの充電だそうな。いつも同支部先輩と一緒に帰りの電車の中で息を吹き返したスマートフォンで、レース日程の間届いたメッセージへの返信をぽちぽち打つのがルーティーンなのだが、
「先輩が来てくださってたんで、めちゃめちゃ応援してくださってたんで」
という理由で一人、こうしてやって来たということ。
「あ……、じゃあ、声、聴こえてたんだ……」
「めっちゃめちゃ。今節持筑選手と初めて一緒になったんすけど、自分、デビュー前から持筑選手のファンで。同支部の先輩に、都心回りの場に持筑選手が来ると持筑選手のお嬢さんがすっごいでかい声で応援するんだよってって聴いてて、昨日『ほーんあの子かぁ』って思ってたら先輩がもっとばかでかい声で応援してくれたんで、すごい、もう、めちゃめちゃすごい嬉しかったっす!」
ばかでかい声……。寿羅くんは昔と変わらぬ元気いっぱいさ加減である。彼女が夢を叶えたのは、彼女自身の努力のたまものであって、たった一度盤を挟んで向き合っただけの後輩くんが与えた影響なんてものはミジンコの腕相撲ぐらいのものでしかなかったろうに。
後輩くんは怖くて右隣に立つ先輩の顔を見ることが出来なかった。極論、十月に先輩と出会ってから今日まで先輩と一緒に過ごした時間は、中学三年生のときに当時中学一年生だった寿羅くんと出会ってから今日までに積んだそれを、ダブルスコアどころかもう桁が違うレベルで凌駕しているのであるから、先輩が何かを──何か。後輩くんが言語化することが出来ない「何か」である──心配しているがゆえに精神的余裕を失い、他のどんなときとも比べものにならないぐらい精神年齢が幼くなってしまうことについて後輩くんが例えば「心配なさらなくても」なんて言おうものなら、「は? 心配? 私が? 私が後輩くんの何を心配するって言うんだい妙なことを言うよねぇ」と余計に先輩から穏やかさを奪ってしまうような気がして、出来ない。
「それで、ね、先輩。あの、ちょっといいすか」
「なに……、なにっ、なになになになに!」
きゅ、と寿羅くんはとても気安く後輩くんのコートの袖を両手で掴み、その場にスーツと先輩を残して、ずいずいずいずいと引っ張っていく。そのとき先輩がどういう顔をしているか、後輩くんには見えなかった。寿羅くんには見えたはずだが、彼女はそんなことには頓着しない。想像するに、レース中は草食動物並みに四方八方に感覚を研ぎ澄ませているはずだが、いまはもう完全にオフモードである。
ゆえにこそ、
「ね、先輩。先輩はあの人と付き合ってんすよね」
こんな簡単なことにも気付かない。
「……は?」
どうしたらそんな誤解をしてしまうというのか。
「だってあの人、めちゃめちゃ彼氏ヅラじゃないすか」
「かれ……、え、あの、君にはあの人、男に見えるの?」
「え、違うんすか」
……後輩くんはここでひとつの仮説を立ててみる。
外目黒さんとユノちゃんも先輩のことを「探偵のお兄さん」と思っているかもしれない。一方で汐崎くんや寺前さんは「探偵のお姉さん」と思っている説。
「でも、『こいつはおれのだ取るんじゃねー』ってお顔してましたよ」
「ましたよ、っていうのは」
「水鳥川で。見えますよ走ってるときも集中してても、『ウワーあのお兄さんめっちゃ睨んでるー』って。……あれ? じゃーあの人女の人? 彼女? あれっすよね自分より歳下ぐらいっすよね」
「と、歳上だよ、『先輩』って言ったろ、だから僕より歳上……、たぶん……」
女の人かどうかも判りゃしないよ、名前だって知らないんだよ。
ああ、だけど、だけど、だけど。
……後輩くんは先輩と過ごす時間を重ねる中で、「先輩と一緒にいる僕は大丈夫か(先輩の隣に立つのに妥当だろうか)」ということばかり考えて、先輩がどんな様子で、表情でいるか、全く気にしていなかったことに気付かされる。隣を歩いているだけで幸せ、それだけで光栄、嬉しいなあ嬉しいなあ。
先輩がそういう顔でいるなんてこと、……まさか!
「だから、自分はあーよかった先輩にいい人出来たんだぁって。なんか、あの、気分悪くされちゃうかもしれないんですけどずっと心配で……、先輩みたいな、こう、お人好しでぼんやりしてる人が都会に出たら、なんかもう冷たい波に揉まれてぐっちゃぐっちゃになっちゃうんじゃないかって」
なお、こうした寿羅くんの言葉は、端から聴いたらすっごい勢いで口論しているのかしらんと思われるような、赤州弁で行われている。実際には「だっけワーが先輩がんいい人ちゃ出来ゆうが。先輩はほれ気ィ悪がしかんざらぁげワがず肝冷やしきぃ、ミヤコもんが胸ちばさぁ先輩がぁ呑気さでさー鈍いがじゃ、しったらまったらになっちゃらせんがじゃ」という言葉を畳み掛けるようにちぎっては投げちぎっては投げしているのである。
「ま、待って、待って、その、僕と先輩は……」
しどろもどろになって、後輩くんは言い繕う。付き合っているって言えたらどんなに素敵だろう? でもそんなこと、僕の一存で言っていいはずがない。先輩と相応なステップを踏んで……、しかるに後輩くんはまだ、先輩とどういうぐあいにステップを踏んだらいいのかも判らないのである。次のクリスマスまでにはダンスのルールを学べたらいいなあ、ぐらいの悠長なことを考えて。
「呼んだかな後輩くん」
「ピャ」
先輩が寿羅くんのスーツケースを転がしていつのまにかすぐそばまでやって来ていた。
「寿羅くん、君のスーツケースはいいね、車輪がしっかりしているし、軽い」
「どーも。高かったんすよ、でも選手になって最初のお給料で買いました」
「なるほど。それで? 私の話をしていたのかな。彼氏ヅラがどうのという言葉がほんのりと聴こえて来たよ。だいぶ難解な方言だったけどね」
先輩はぴとーっと後輩くんの背中にくっ付いている。背中に回られてしまうと、どういう顔をしているのか確かめようもない。そういえば、寿羅くんのレースのときも先輩は後輩くんの背中にいたのだ。
そして、きっと、……寿羅くんが「彼氏ヅラ」と誤解する顔をして寿羅くんを見ていたのだ。
「やー、先輩と先輩の先輩は付き合ってんのかなぁって思ったんです」
「ふぅん」
先輩の声は淡白だ。けれど、どんな表情を浮かべているのかは判ったものではない。一応あの先輩僕の後輩なんであんまり怖い顔で見ないであげてください。
「付き合っている、というのがどういう状況を指すのか私には判らないが、寿羅くんの目には私たちが付き合っているように映るんだね?」
「わりと」
先輩がどんな顔をしていても寿羅くんは平然としている。あの通り、命がけのスポーツを日常的にやっている子であるから、度胸に関しては凡人のそれを大きく凌駕しているに決まっているのだ。
「では、そういうことにしておくがいいと思うよ。少なくとも私はこの子と付き合っていると、君に思われたとして少しも困らない。私とこの子はそういう事実を重ねた上で今日も一緒にいるのだからね」
ぴとー、と先輩はご自身よりほんのちょびっと広い後輩くんの背中に胸を寄せて言う。そのときの顔が、「彼氏ヅラ」と寿羅くんの形容した顔なのだとして、……実のところそれがどんな顔であるのか、後輩くんには全く想像つかないのだけど、見たいかと問われると、……正直、ちょっと怖い。
いや、それよりも。
付き合っているということにしておくがいい。
「昨日もそうだったけど、日中は楽しく賑やかに騒がしく、そしてこれからの時間は、……後輩くんも私も、君より少しばかり大人なのでね、相応なクリスマスの過ごしかたをするつもりだよ」
「へー」
へー、と言うとき寿羅くんは、先輩と後輩くんの顔を視線で二往復した。その上で、彼女はにっこりと笑った。
「いいっすねぇ。自分もこれから地元帰って、彼氏んち泊まりに行くんすよー」
「えっ」
「えっ……、君は、なに、パートナーが、……いたのか」
「います。中学のときからずーっと。こう見えてねえ、一途なんすよ!」
にひひーと愛嬌たっぷりに笑う。彼女の先輩とその先輩は、それぞれに違った理由でぽかんとするのだ。
後輩くんは、……あっ、あっ、僕やっぱり気持ち悪いやつかも! 自分でせっせと穴を掘って頭から潜り込みたい気持ちである。
「あっ、じゃー、自分そろそろ行きますね! 先輩が元気そうでよかったっす、また応援しに来てください、先輩と先輩の先輩見付けたらきっと気合い入ると思うんで! いや普段から気合い入れてますけどもね! 来年の目標は早いとこ一等取ることです、見とってくださいね!」
後輩くんと先輩が呆然としているうちに、寿羅くんはさっさとスーツケースを転がして、新幹線改札を潜る。もう見えなくなりそうなところで振り返って、
「したらっ、よいお年をー! アンド、お幸せにー!」
くそばかでかい声を、二人に向けて放り投げてきた。
クリスマスの夜にそんな過ごし方をしたんですか、と各方面から呆れられそうだが、後輩くんと先輩はまたあの味噌ラーメン屋さんに行った。そのあとは、「私、駅のこっち側ってあんまり来ないんだよね」と南口の方面を歩き回って、五分も歩いていないのに畑や田圃が広がっていて猪熊はやっぱり田舎なのだということを再認識したすえに駅まで戻ってきた。艶っぽい話は何一つしていない。先輩が寿羅くんにどういうつもりで「付き合っている」と言ったのか、確かめるようなこともしていない。また、寿羅くんは先輩が後輩くんの「彼氏面」をしていると思ったようだが、後輩くんにはいまだ先輩の性別は判らないし、確かめなくてもいいと思っている。
だから、これまでと少しも変わらない、大好きな人と過ごす時間。もし許されるのならば、次もしまた誰かに「付き合っているの?」と訊かれたとき、何の躊躇いもなく──許しを乞うこともしないうちに──「はい」って頷ける自分になりたいし、根拠となる時間をこれから先も先輩と重ねていきたいものだ……。
今朝の夢が、いつかきちんとした輪郭と影を持った現実になる日が来るのだとして。
「そういえば……、それっぽい食べものは結局口にしないままクリスマスが終わろうとしているね」
駅まで戻ってきた。コンコースにある洋菓子店では、必死になって半額になったクリスマスケーキをどうにかして売り捌こうと声を上げている人の姿。
「後輩くん、なんならお父さんにお土産を買っていってあげてはどうだい? お金なら君とユノちゃんと寿羅くんのおかげで当たった舟券のぶんがまだたんまりとある」
「リスクを払って舟券買ったのは先輩ですし、それは先輩の欲しいものを買うために使うべきですよ」
「私が君のお父さんにプレゼントしたいと言っているのだけど」
先輩からのプレゼントをもらう資格なんてない人だ。でも、丸二日放ってしまったこともある。ケーキあげるから働いて、と釣られてくれるほどお手軽な人でもなかろうけれど……。
「性格悪い考えかたかも知れないけどね、自分より下だと思っているものからケーキなんてご馳走されてしまうと、特に一定程度年齢を重ねた男性はね、すごーく複雑な気持ちになってしまうものなんだ。意地ってものがあるからね、なんとかしてもっといいものを返そうと思うに決まっているさ」
先輩の言うことはだいたい正しい……、と精査の手間を省いて後輩くんは思うことにしている。先輩が男性だったとして、「一定程度の年齢」になったとき、後輩くんからのプレゼントを素直に受け取ってくれるだろうか、あるいは、なにかもっとすごいものを返そうとして無理をしてしまったりしないだろうか……。後輩くんはそんなことを考えつつ、それなりに繁盛している洋菓子店へ目を向けた。今日が終わるとまた一年近く仕舞われてしまうのであろうサンタクロースのコスチュームを来た大学生のアルバイトの中に、トナカイの被りものをして、鼻を赤くしているおじさんが混じって、四苦八苦しながらお客さんにお釣りを渡しているのが見えた。
瞬間、思わず先輩の腕を掴んで引き寄せてしまった。
「なっ……なに……、どうした後輩くん……」
お父さんだ。
お父さんが、自分の息子や娘の世代の学生たちに混じって、トナカイの格好をして、ケーキを売っている。なぜって、考えるまでもない、アルバイトをしているのだ。
大急ぎで、先輩を抱き寄せたまま、ずるずるずると柱の陰に身を隠す。……気付かれなかったはずである。まったく危ないところだった、うっかり先輩が買ってくれたケーキを、このあと後輩くんより遅く帰って来ることになるであろうお父さんに渡したら、あとあとまで胃に尾を引くもたれが残りそうだ。
「んずっ、ずい、ずいぶん大胆な真似をするんだね後輩くん……」
先輩をびっくりさせてしまったことについては、事情を話して謝ればその場で解決する。
「……ははぁ、なるほど、あれが後輩くんのお父さん……、なるほど、ちょっと面影があるか……」
「ないほうが嬉しいんですけど……、あ、すみません」
軽々しく背中に回していた腕を解いた。
けれど、先輩は離れない。むしろ、両手で後輩くんのコートをぎゅーっと掴んで、くつくつ笑っている。
「もうすぐ今日が終わる」
先輩は、やんちゃな笑みを浮かべて言う。
「大学ももう年明けまでないからね、君と次に会えるのは大晦日だ。約一週間後。ああ、それはとても寂しいことだなぁって思っていたところだ」
男の子みたいな、でも、女の子みたいな、……そう考えてしまう時点で自分より歳下だと思ってしまっていることを認めざるを得ないのだが、後輩くんはやっぱりこの人を尊敬してやまない。名前もまだ知らなくていい、ずっとずーっと「先輩」って呼んでいたい。
ずっと胸が苦しかったのだということに、後輩くんは気付いた。寂しいような悲しいような気持ちを、先輩と一緒にいるあいだ、ずっと催し続けていたことに、いまこの瞬間。
先輩と一緒に過ごす今日がもうすぐ終わってしまう。
「……明日、……明日は、僕、アルバイトです」
「私も仕事がある。といっても事務所の大掃除だけど」
「それは、何時ぐらいに終わりますか」
「一応、十時に入って五時に上がるつもり。大掃除なんて一日だけで終わるものではないからね、残業はしないさ」
「……じゃあ」
両手を、こんどは急にぎゅーっとするのではなく、そうっと、……細くて華奢な背中に回す。すっかり回してしまってから、許可を得るのを忘れたと思って。
でも、先輩はちっとも嫌がらなかった。
後輩くんよりももっと強い力が背中を縛る。後輩くんが今さらのように許可を求める言葉か、さもなくば謝罪を口にするよりも先に、微笑みの形を唇が形作るのが判った。
「いいよ、明日も会おう」
どっちだろう。
するん、と後輩くんの腕から抜けた先輩が、軽やかに踵を返して、ひらひらと手を振る。突っ立ったままの後輩くんの視線の先、もう五歩進んで振り返って、
「おやすみ、私の可愛い後輩くん」
どれだけ柔らかく温かいかを教えたばかりの微笑みを、先輩は改めて微笑ませて見せた。




