20 クロちゃんがいない
「馬鹿にしているのか?」
乗馬を習うために厩舎を訪れたブライドとエリザベートだったが、初めてほっかむりとマスクを外したため、王子と公爵令嬢だとばれてしまった。
そんな二人を見た騎士科の生徒からそんな言葉が聞こえてきた。
「そもそも王妃が騎士を貶めたのに、素性を隠して近づくなど、何を企んでいる?」
「掃除などして、我々の何を探ろうとしていた!」
次々と怒りの声が続く・・・。
「リザ、皆かなり怒ってしまっているな」
「そうですね」
「どうしようか」
「とりあえず、お話してみるしかないですね」
二人がそうやってこそこそ話していると、
「でも、二人はそんなに悪い事を企むとは思えないな」
誰かがそう言うと、
「二人が身分を隠していたとしても、結構真面目に掃除をしてくれていたじゃないか」
「そうだ、始めはよろよろで、バケツも持ち上げられないし、何度も転んだしな」
「そうだよ、ライなんて馬が戻ってくると泣きべそ掻いていたしな」
「そうそう、固まってしまうから、馬から逆にからかわれてな」
「馬のいななきでひっくり返ってな、ひっくり返ったライに馬が近寄って笑ったんだよな」
二人の、というより、主にブライドの恥ずかしい歴史を披露されている。
「「「それでも、毎日きちんと手伝ってくれていたんだ」」」
数人の騎士科の生徒がそう言ってくれたことで、怒っていた生徒達も何となく黙ってしまった。
少し落ち着いたところで、ブライドが頭を下げた。
「身分を隠していたことは申し訳ない」
エリザベートも一緒に頭を下げていた。
王族が頭を下げた?
目の前の光景にざわめきが起きる。
「決して馬鹿にしてこんな事をしたわけではないんだ。
その、恥ずかしい話だが、私は動物が苦手、というか、生き物と触れあったことがなくて、当然だが、乗馬もしたことがない。
それで・・・・・・エリザベート嬢に相談したんだ。
彼女は子供のころから乗馬をしていたそうだから。
それで、まずは厩舎の掃除から始めて、ちゃんと馬の事を知ろうと思ったんだ。
あまり鍛えていないから失敗が多かったと思うが・・・」
ブライドの言葉に誰も返事をしない。
「王妃が、我が母上が私の入学前にしたことで、騎士科の皆に嫌な思いをさせてしまった。
そのこともあって、身分を隠して手伝わせてもらうことにしたんだ。
騙していたようですまない・・・」
誰も反応しないので、ブライドの声は段々小さくなっていく。
エリザベートはそっとブライドの背中に手を当てた。
「きちんと謝罪をしている者に対して、何か言うことはないのか?」
いきなり大声で割って入ったのは、何と騎士団団長だった。
「貴様ら、騎士科に身を置き、騎士を目指しているというのに、謝罪をしている者に対して何も言わんのか?騎士はいつからそのような狭量であることを良しとしたのだ。
何を習ってきたんだ、貴様らは」
「騎士団長・・・」
「何故学院に?」
「今日から乗馬を練習されると聞いてな、生徒同士では危険もあるだろうし、学院の先生では殿下に何かあったときに対応が遅いだろうと思ってな」
がはは、と笑いながら騎士団長は私たちに向かい合った。
「殿下が、王妃殿下の行為にひどく心を痛められていたと、陛下とギルギット公爵から伺いました。
妃殿下の行った所業を止められず、騎士団にも嫌な思いをさせたことを謝罪いただきました」
「ああ、王家の一員として、私も謝罪を・・」
「必要ありません、殿下は王宮の厩舎の掃除も時間を見てはやってくださっていたそうですな。
学院でも厩舎の掃除を黙ってやってくださっていたと聞いています。
ここまで真摯に対応してくださった、その1点だけで我々騎士団は王家への信頼を取り戻しました」
騎士団長の言葉に、ブライドもエリザベートも認めてもらえたことに安堵し、王家と騎士団との信頼関係が戻ってきつつあることをうれしく思った。
その日、乗馬の練習を始めたブライドは、一人で馬に跨がれるようになった。
エリザベートはそんなブライドを横目に、久々の乗馬で早足までこなしていた。
対照的な二人に、騎士団長も騎士科の生徒達もついつい笑いがこらえきれなかったらしい。
【アンナちゃん、厩舎の掃除からようやくブライド様が乗馬できるようになったのよ。
王家と騎士団との和解もできたし、陛下が騎士団への予算を大幅に増やして、隊舎や食堂を建設することになったの。もちろん定期的に補修工事もできるように、騎士団に所属する工兵も増やすのだそうよ。
あんなに何もかもを制限されていたのに、たった一人、王妃様がいなくなっただけで、随分と世界が変わったわ。アンナちゃんが私とノートのやり取りをしてくれたおかげね、本当にありがとう】
*******
【ところで、アンナちゃん、学院の名簿にあった’アンナ’さん達に会ってみたけれど、誰も図書館の奥に行ったことはないそうなの。あなたは一体どこの誰だったのかしら?
是非会ってお話がしたいわ】
「残念、会うことはできないわね」
アンナはそう言ってノートを閉じた。
世界が変わった、とエリザベートが書いていたが、アンナにとっては歴史が大きく変わったのだ。
アンナは悪女の子孫ではなくなった。
王妃を輩出したことのある歴史ある名門公爵家、になったのだ。
公爵家の行ったとされた悪事はすべて冤罪であると判明したため、男爵まで爵位を落とされるはずだったが、きちんとした調査のおかげで無事に公爵のままで存続していた。
そんなクラスト公爵領は乗馬用の馬の飼育も盛んである。
王妃となった令嬢が乗馬をこよなく愛し、夫である王により良い馬を紹介したかったから始めてもらった事業だと聞いている。
公爵家に生まれた者は幼いころから厩舎の掃除から始め、乗馬を習うのが伝統であった。
王家も同じく、王子も王女も幼いころから厩舎の掃除を騎士団の騎士と共に始め、乗馬、護身術などを習うことが決められていた。
騎士団の者と一緒に過ごし、お互いに信頼関係を築いていく。
それが王家と騎士団との決め事となっていた。
公爵令嬢アンナ=クラストとして、日々を過ごす。
男爵家の令嬢であった時の記憶は、日毎に薄れていってしまっている。
「多分、男爵令嬢の記憶は残っていちゃいけないのよ。
歴史が変わったのだから・・・。多分、ノートも・・・」
そう言って、アンナはノートに書いた。
【悪女の子孫だったアンナはもういないの、エリザベートは王子様と幸せになって。
だけど、決して誰かに意地悪をしたり、悪事を働くことがないように、子孫には伝えていって】
そう書いたノートを最後に、アンナはそのノートに会うことはなくなった。
どんなに叩いても、それを最後に穴は開くことがなかった。
*******
「悪女の子孫?誰の事なのかしら?」
珍しくブライドが図書館に遅れている日だった。
アンナの書き込みにエリザベートは首をひねる。
悪女が自分の事だったとは思ってもいない。
~えりー、もう閉じた~
「あら、クロちゃん?何を閉じたの?」
~ぼく、もういく~
「行くってどこへ?ここからいなくなっちゃうの?」
~もうだいじょうぶ~
「待って、ライが悲しむわ、せめて最後に撫でさせてあげて!」
~うーん、じゃもうちょっとだけ~
そう言って少しだけ待つと、ブライドがやってきた。
走ってきたのか、汗をかき、息が荒くなっている。
「リザ、クロちゃん、おはよう。これをクロちゃんにあげたくて遅れた」
ブライドが持ってきたのは、コロンとした可愛らしい形のお菓子だ。
「隣国からのお土産だそうだ。あ、リザの分はちゃんととってあるから、お茶の時間に生徒会室で楽しめるよ」
「フフ、ありがとうございます、クロちゃん良かったわね」
クロちゃんはお菓子を吸い込むように食べている。
「あ、ライ、クロちゃんが行ってしまうんですって」
「え?どこへ?っていうか、他に住むところがあるの?ここが嫌なら王宮でも・・・」
~エリー、ライー、おいしかった~
「え?これクロちゃんの声?」
どうやらブライドにもクロちゃんの声が聞こえたらしい。
~じゃ、もういくねー~
「行くってどこへ?」
~わかんない~
「また会える?」
~もうさいご~
「寂しいわ」「寂しくなる」
二人はそう言ってクロちゃんの背中を撫でた。
~もとのばしょ~
そう言われて、二人はクロちゃんを穴に置いた。
エリザベートがノートを入れようとすると、クロちゃんが首を横に振った。
~もうとじたから~
そう言われて、一瞬エリザベートとブライドが視線を合わせてクロちゃんから目を離した隙に、穴は閉じてしまった。
何度も二人で穴を探したものの、見つかることはなかった。
「行ってしまったのね・・・」
「そうみたいだね」
「寂しいわ」
「ああ」
それからも卒業するまで、二人は朝にこの場所に来ることをやめなかった。
クロちゃんはいないが、二人は誰もいないその時間を大切にしたのだった。
やがて、国王と王妃になった二人は、お互いを思いやり、穏やかで平和な治世を送り、国はその後も繁栄し続けたのだった。
これにて完結です。
お読みいただきありがとうございました。
2023.4.8
大量の誤字脱字のご指摘いただき、申し訳ありません。
もう少し減らせるように努力します。
ご指摘、ありがとうございました。




