2 イライザ
入学してからしばらくは平穏な日々だった。
朝は配達の荷馬車に乗せてもらい、レストランで降ろしてもらう。
そのまま店主に挨拶をしたら、歩いて学院へと向かう。
クラスメートは皆下位貴族ばかりのため、あまり緊張することなく、楽しく過ごせている。
授業が終われば、図書館で宿題を済ませ、歩いてレストランへ。
最初は事務所の中で待っているだけだったが、お礼のつもりで掃除をしたりしているうちに、レストランのちょっとした手伝いをして過ごすようになっていった。
ちょこまかと働くアンナは従業員にも可愛がられ、たまに美味しい試作品を味見したり、残りそうな食材を分けてもらうこともできた。
そんな平穏が破られたのは、テストの成績が貼り出された時からだ。
「アンナちゃん、10位以内に入ってるなんてすご~い」
「本当だ、すごいね」
アンナ本人も驚いている。
家は貧乏だが、兄と姉が小さいころから勉強を見てくれたこともあり、アンナの能力は思っていたより高かったようだ。
2,3日はウキウキした気分で、過ごしたアンナだったが、この日からそんな平穏な日々はなくなってしまった。
「アンナ=クラストはどこ?」
突然大きな声で名前を呼ばれた。
振り返ると、高位貴族の令嬢達がこちらを見ていた。
「あ、あれ、イライザ=ホーンデット公爵令嬢じゃない?」
「アンナちゃん、知り合い?」
「ううん、初めて会った」
「なんで名前呼ばれたんだろう?」
「あの、私がアンナ=クラストですが・・・」
アンナがおずおずと前に出ると、イライザたちからは冷たい目で見られた。
「堂々と貴族学院に通うなんて、とんだ恥知らずね」
「え?」
「あなたのご先祖様が、王家に対して罪を犯したことを知らないの?」
(突然なに?先祖の罪ってもしかしてあれの事?でもあれって200年くらい前の話じゃ・・・)
「皆さまご存じでしょ?あの悪女エリザベートの事を」
「ええ、存じておりますわ」「王子の婚約者でありながら権威を笠に着てやりたい放題だったとか」
「実家も横領、人身売買、違法薬物の販売など悪の限りを尽くしたとか」
「高慢で血も涙もない女だったのでしょう?恐ろしいわね」
(未だに悪行の話は忘れられていないのよね・・・)
「その悪女エリザベートの子孫が、このアンナ=クラストよ」
イライザが顔をゆがめながらこちらを指さして叫んだ。
周囲がざわついている。
興味津々な者、驚いている者、嫌悪の表情を浮かべる者、心配そうに見ている者、様々だ。
「あなた、そんな恥知らずな先祖を持ちながら、未だに貴族にしがみついて、しかもこの学院に来るだなんて、本当にありえないわ」
「でも・・・」
「口答えするの?しかも成績上位って、どんな汚い手を使ったのかわからないわね」
イライザたちの口撃に、アンナはどうしていいのかわからなった。
おそらくイライザたちは、そんなに成績が良くない。
それが、たかが男爵令嬢が成績上位をとったため、何か貶める要素を探して、先祖の悪行を引っ張り出してきたのだろう。
そもそも悪女エリザベートの話は、今の時代になっても未だに語り継がれている。
書物にもなったし、演劇では人気の演目でもある。
絵本まであり、悪女エリザベートは、この国では嫌われる存在だ。
その子孫が今、ここに存在している、それがどういう意味をもたらすのか、アンナはぞっとして自分の両腕でそっと震えを抑えた。
なんとも言えない雰囲気の中、午後の授業を終えると、クラスの数人が近寄ってきた。
「アンナちゃん、イライザ様の話って」
「・・・本当」
「本当にあの悪女の子孫なの??」
「ごめんなさい」
アンナは居た堪れなくて思わず謝ってしまった。
「アンナちゃんが謝ることないよ!」「そうだよ」「悪女なんて言ってごめん」
「先祖の事を持ち出して、イライザ様は何がしたかったんだろう?」
「先祖がどうでも、今はアンナちゃんたちが悪い事してるわけじゃないのに」
口々にアンナを慰めてくれた。
「ありがとう」
アンナはちょっと嬉しかった。
だが、次の日からアンナはイライザたちのターゲットになってしまった。
レストランから歩いて学院に着くと、馬車から降りてくるイライザと遭遇してしまった。
目を合わせないように素早く移動したのだが、運悪く見つかってしまった。
「あら、悪女の子孫じゃない、こそこそして、何か後ろ暗いところでもあるのかしら?」
イライザの声に、何人かが振り返り、アンナを見た。
「あ、あの」
「まあ、たかが男爵家が私に声をかけるだなんて、マナーもなってないのね。
まさか、先祖が公爵家だったから、自分も偉いと勘違いしてるのかしら?」
「申し訳ありません」
謝った方が早いと判断して、アンナは素早く頭を下げると走って逃げた。
それからも、イライザたちの嫌味は続いた。
イライザと同じ高位貴族も、一緒になってアンナに嫌味を言うようになってきた。
たかが男爵家の令嬢が、自分たちより良い成績をとった事が、彼女たちのプライドを傷つけた、と彼女たちは思っているのだ。
しかもそれが、社交界でも未だに話題が出てくる悪女の子孫だと知り、攻撃手段を得た彼女たちは、ここぞとばかりにアンナに言いがかりをつけてきた。
一緒にいるクラスの友達にも迷惑がかかるため、アンナは一人で過ごすことが多くなった。
一人の方が逃げやすいし、隠れるのにも一人の方が場所確保しやすいのだ。
「まったく、毎日毎日うっとうしい!」
図書館の奥にある歴史書の棚の間にある空間に逃げ込んだアンナは、小さな声で毒づいた。
「大体、200年も前の先祖の話じゃない!いつまでグダグダ言われなきゃいかんのよ。
悪女がわるいんでしょーが!好きで子孫になったんじゃないっつーの」
古い歴史書ばかりの棚は、人気もなく、めったに人が来ることもない。
「そうだ、せっかくだから悪女の事を調べてみようっと」
そう言ってエリザベートのいた時代の歴史書を探した。
数日後、悪女の時代の歴史を一通り読んだアンナは、先祖に対してなんとも言えない気持ちだった。
「悪い事しかしてないやん」
アンナはがっくりとした。
どの歴史書にもエリザベートとその家族の行った悪事が書かれている。
もちろんアンナの実家にも悪事の数々は伝わっている。
だからこそ、アンナの家は代々質素に堅実に、正直にをモットーにしてきたのだ。
「なんか、腹立ってきたわ、エリザベートになんか言ってやらないと気が済まない」
なぜか、アンナはそう思った。
立ち上がって、歴史書の棚の横にある柱をガツガツ蹴りつけた。
「文句言いたくても言えないじゃん、もう死んでるし~。腹立つ腹立つ~」
蹴るといってもそんなに強くなく蹴っていたのだが、ガコッと音がしてアンナの目の前の柱に空洞ができた。
「え?ナニコレ」
中には一冊の古ぼけたノートが入っていた。