星空を見上げて
「ねぇ、タカアキって、リョースケくんと同じクラスだよね? 仲いいの?」
「な、なんだよいきなり」
突然呼び出された喫茶店で、幼馴染のアスカに開口一番そんなことを言われ、オレは面食らった。
「さてはまたなんか、アホなこと企んでるんだろ」
オレは呆れた顔で、白玉あんみつと格闘しながら上目遣いでこちらを見上げてくるアスカの顔をにらみつけてやる。アスカはといえば、オレの視線などどこ吹く風で、妙にキラキラした目を見開いて、アンコが付いた口元をにやりと歪めてみせた。
「誰がアホなことよ、タカアキじゃあるまいし。あたしはね、今、ステキな計画を立ててるんだから」
「ステキな計画、ねぇ……」
自信満々で言うアスカに、オレの不安は高まっていくばかりだ。アスカのやつがこういう表情をするときは、何かおかしな企みを計画中のときに違いない。しかもオレを巻き込む気満々なのだからタチが悪い。
アスカとオレは家がとなりどうし。それぞれの両親が、オレたちが生まれる前からの親友だという、まさしく「家族ぐるみ」の付き合いというやつだ。つまりこいつとの腐れ縁は、オレたちが生まれた時からはじまって、今年でもう17年目になる。17年もの付き合いになれば、大体の行動パターンは嫌でも読めてくるってもんだ。
そもそも呼び出された時点で、うすうす危険は感じていた。クーラーの効いた自分の部屋で、ラジオで夏の甲子園の実況を聞き、アイスクリームを食べながらTVゲームに打ち込むという、由緒正しい夏休みを満喫していたオレのところに、突然鳴り響いた無粋なケータイの着信音(ちなみにオレが着信音に設定してるのは、Something ELseの「ラストチャンス」……ってどうでもいいか)。
『どうせヒマしてるんだから、今すぐ駅前のカフェに来ること! 心優しいアスカちゃんが、冷た~いアイスコーヒーでもごちそうしてあげるから、泣いて喜びなさい。15分位内厳守だから。以上!』
一方的に言って、オレの答えも待たずに切れる電話――いつものことだ。当然オレは、電話などなかったことにして何事もなかったようにゲームの続きをはじめたわけだが……まぁ、結局ここに来てしまったのは、めずらしくアスカのやつが「おごる」と言ったことに心揺らいでしまったのと、あとは、まぁ、実際、ものすごくヒマだったせいだ。夏休みももうすぐ半分終わるというのに、出かけたところが近所のスーパーくらいしかない、というのはあまりに悲しいということに、気づいてしまったのだ。
「あ、ちなみに、タカアキには拒否権はないんだかんね。ほら、今、このアスカ様が心優しくもおごってあげているクリームソーダを飲んでるじゃない。すでに取引は成立してるってわけ。おわかり?」
……ちなみに、どうでもいいことを付け加えておくと、オレはコーヒーが飲めない。だから結局、頼んだのはクリームソーダだ。当然それを知っているアスカが『アイスコーヒーでもごちそうしてあげる』と言ってきやがったのは、純粋に、ほかのなにものでもなく、純度100%の悪意だ。ったく、あんなだから、黙ってればそこそこモテる顔してるってのに彼氏の一人もできないんだっつーの。
とにかく、やたらとイキイキした顔で白玉を頬張ってるアスカを見て、オレは大きなため息をついた。こういう顔してるときのアスカは、打つ手なしだ。もうこうなったらあきらめて、話に乗ってやるしかない。
「で? リョースケがどうかしたかよ?」
「あら、タカアキも実は興味津々なんでしょ?」
「ちげーよ! いつまでたっても話が進まないからだろ!」
いい加減、ツッコミも疲れてきて呆れ声になる。だが上機嫌なアスカはそんなことおかまいなしに、にやにや顔を隠しもしないで話しはじめる。
「タカアキ、夏といえば、なんの季節だと思う?」
「は?」
突然わけのわからないことを言い出すアスカ。
「もう、なんかあるでしょ。夏っぽいイメージってもんがさぁ。あ、タカアキはどうせ引きこもりだから、TVゲームとかアイスとか、せいぜいそれくらいしか思いつかないかぁ」
「な、てめ……!」
言い返そうとするがあまりに図星なのでなにも言えず。……チクショウ。
「夏といえば、あれでしょ、あれ」
「あれ?」
「……恋の季節よ!」
自信満々に言い放つアスカ。
「……はぁ」
「ちょっと、そこ! ノリ悪いよ!」
「いい加減、アスカがアホなこと言うのは慣れてきたけどさ……ってか、それとリョースケとなんの関係が……って、まさか!」
自分で言いながら、ひとつの可能性に思い至って、オレは目を見開いた。
確かにリョースケはちょっとジャニーズ風のイケメンだし、性格も悪くない。なんというか、だれにでも優しく、物腰やわらかなのだ。そう、オレとはまさしく正反対という感じで……いやしかし、まさかああいうのが好みとは……。
「ちょっと、いきなり黙っちゃって、タカアキどうしたのさ?」
「あ、いや、そういうことなら、うん。そうだな、協力、しないことはないぞ。まぁ、なんだ、しょうがないよな。他ならぬ幼馴染のためだし。うん」
自分に言い聞かせるようにつぶやくオレを、アスカは不思議そうに見ていたが、やがて納得したらしく、拳を振り上げた。
「ほんと? やった、じゃあ決まり! 協力、期待してるよ!」
「お、おう!」
オレも、半ばヤケクソ気味で拳を振り上げて、アスカのそれとぶつけ合う。
こんな感じで、その計画は、はじまったのだった。
「……なんだよ、恋ってアスカのことじゃなかったのかよ……」
「タカアキ、なんか言った?」
「いや、なんでもない」
30分後、喫茶店からアスカの部屋へと場所を移したオレたちは、「計画」のための作戦会議をしていた。
アスカの話によれば、アスカのクラスに、オレと同じB組のリョースケに片思いをしている女の子がいるらしい。カスミちゃん、という名前のその子は、オレも一応顔と名前くらいは知っている。確か、ずいぶんとおとなしい子だった。
で、夏休みに女の子同士で一緒に遊びに行ったときにそのことを打ち明けられたアスカは、おせっかいにも、その子の恋を後押ししてあげよう、と思い立ったらしい。要は、リョースケとカスミちゃんと、ほか何人かを誘ってどこかに遊びに行って、二人の距離を近づけてしまえー、と、そういうことなんだそうだ。
「いつの時代のトレンディードラマだよ、それ……」
そんなオレのツッコミも、やる気満々になったアスカの耳には届いていない。
「まぁ、夏だし、遊びに行くとしたら海かなーと思ったんだけど、さすがに、いきなり水着姿ってのは、ハードル高すぎる、ってカスミちゃんに拒否されちゃってさー」
「……まぁ、そりゃそうだろ」
「タカアキは、あたしの水着姿が見られなくて残念だったね!」
「はいはい……」
止まらないアスカの軽口に、一瞬だけドキリとしたことを気付かれないように、オレはあわてて顔をそらした。アスカのやつ、わざとなのか天然なのか、こういうことをさらりというから困る……。
「で、おんなじ理由でプールもダメ。となると、なかなかいい案が思いつかなくってさ」
「なるほどな」
ようやく、話が飲み込めてきた。
「タカアキ、いい案ない?」
「……そうだな、なくもない」
* * * * *
「さぁみんな、準備はいい? 花火大会、はじめるわよ!」
「おー!」
ノリノリで宣言したアスカが、手持ち花火にライターで火をつけた。ぱちぱちと軽やかな音を立てて広がった火花が、あたりを青白く照らしだす。花火に照らされたまわりのみんなの顔も、いつになくわくわくしているように見える。
そう、オレたちが計画したのは、花火大会だった。
まぁ、花火はふつうにスーパーで買ってきた花火セットだし、場所は近所にあるいつもの公園のグラウンドだし、「花火大会」なんていうほどのモンじゃないけど。
でも、日が暮れたあとの公園は、思ったよりも広く感じて、いつもとはかなり違う雰囲気で、正直、悪くない感じだった。他のみんなだってそう思っているんだろう、なかなかいい顔をしてる。
メンバーはオレとアスカ、カスミちゃんとリョースケ、それにオレの悪友のヤスとタイチの6人。ヤスとタイチには事前に計画を話していて、カスミちゃんとリョースケに協力しよう、ということで話がついていた。
そして、当のカスミちゃんはというと――。
「まさか、カスミちゃんが浴衣で来るなんて思わなかったなぁ」
ぱちぱちと散る火花を眺めていたアスカが、ぽつりと言った。そう、カスミちゃんはなんと、浴衣姿だった。朝顔の模様がおどる青い浴衣が、ちょっと幼い雰囲気のカスミちゃんによく似合っている。
ちなみにほかのメンバーは、ふつうのTシャツ姿だ。ヤスだけはうさんくさいアロハシャツであらわれたが、誰もそれにふれてくれないのでふてくされてる。
「だって、その、花火といえば浴衣かと思って。あたし浮いてるよね。恥ずかしい……」
カスミちゃんが消え入るような声で言うと、アスカは大げさに手をブンブンと振ってみせた。それと同時に火花がブンブンとまき散らされていて、危ないことこの上ない。
「とんでもない! カスミちゃんの浴衣姿があんまり可愛くってびっくりしちゃったんだから。ね、リョースケ君、そうでしょ?」
「え? あ、うん、そうだね、すごく、似合ってる」
急にふられたリョースケが慌てた声を上げる。そして自分で言った言葉に顔を赤くして、あわててカスミちゃんから目をそらす。
「……あ、ありがとっ!」
そう言ったカスミちゃんの方も顔を真っ赤にしてうつむき、しばしふたりとも無言でうつむきあう――。
なんのことはない、とくにオレたちが何かするまでもなく、ふたりはとっくにいい雰囲気なのだった。
「はい、ふたりは一緒にこれでもやってなさい」
「あ、アスカちゃんありがとう」
アスカが線香花火の束を手渡すと、カスミちゃんは顔じゅうを笑顔にしてそれを受け取る。なんというか、同い年のはずなのにはたから見ると姉妹みたいだ。
ってか、はじまったばかりなのにもう線香花火かよっ!
オレは、そうツッコミたい気持ちを必死で抑える。まぁ確かに、雰囲気づくりには、線香花火はもってこいだもんなぁ。しかしまったく線香花火に興じるふたりは、絵になることで……。
「はい、タカアキ。花火」
「おお、センキュ」
完全にふたりだけで出来上がっちゃってる世界から退散してきたアスカが、グラウンドの隅で金網にもたれて座ってたオレに、手持ち花火を差し出してくる。
「あ~あ、あたしも、浴衣来てくればよかったなぁ」
そう言いながらアスカが、オレのとなりでに腰を下ろし、金網にもたれかかる。
……アスカの浴衣姿か。そういえば最近見てないな。
最後に見たのは確か、オレたちが中学生のころだったろうか。ひまわりの柄の水色の浴衣が、元気のかたまりだったあのころのアスカに、よく似合っていた。
もし、今アスカが浴衣を着るとしたら、もう少し大人っぽい柄のほうが似合うだろうか。
「タカアキー、どうかした? あたしの顔に、なんかついてる?」
怪訝そうなアスカの言葉で、オレは我に返って、あわてて顔をそらした。アスカの浴衣姿を想像してたんだ、なんてことは、とてもじゃないが言えるわけがない。
口をつぐむと、遠くでなくセミの声が聞こえてきた。最近じゃ、こんな夜になってもセミが鳴きやまないもんらしい。あれが、オスからメスへの必死のアピールだ、ってことを考えると、セミの世界もなかなか世知辛いもんだ。
「あれ、そういえばヤスとタイチは?」
ふとあたりを見回して、オレは思わずつぶやいた。さっきまでゲラゲラ笑いながらロケット花火に点火してふざけあってたふたりが、いつの間にかいなくなっている。
「ああ、あのふたりなら肝試し兼自由研究、とか言って、木が茂ってる方に入ってったよ。虫を採るんだとかなんとか」
「マジで? 大丈夫なんか?」
「まぁ、あの二人なら大丈夫でしょ。木の茂ってるとこったって、この公園じゃたかが知れてるし」
「それもそうか」
そうつぶやき、オレは気を取り直して花火に火をつける。花火はすぐに勢いよく緑色の火を噴き出して、周囲を照らした。
「あ、タカアキ、火、ちょうだい。あたしのにも」
「ん」
アスカの差し出した手持ち花火に、火を噴き出しているオレのやつを近づけ、火をうつした。アスカの花火はオレンジ色で、ふたつの花火に照らされたオレとアスカの顔が二色に染まる。
「あ、それからヤスくんとタイチくんから伝言。『そっちも、頑張れ』だって。タカアキ、なんのことかわかる?」
「……い、いや、まったくわかんねぇ」
あいつらまったく余計なことを……あとでシメる。
「なぁ、今日のってさ、余計なお世話だったんじゃね?」
少し離れたところで、線香花火を囲んでいるらしい二人を指さして、オレはアスカに言った。二人はもうすでに付き合っているみたいに仲睦まじくて、どう考えても、こんな計画は必要なかったように思える。
「いいじゃない。好きな人との思い出は、どれだけあったっていいんだから」
その言葉が、いつになくしんみりとした響きに聞こえて、なんとなく茶化しづらくなる。アスカの横顔が、花火の薄暗い光に照らされているせいかもしれない。
「そうだな」
……確かに、思い出が増えるのは、悪くない。
「あっ、タカアキ! 見てみて、空! 天の川がすごく綺麗に見えるよ!」
突然立ち上がってはしゃいだ声を上げたアスカにつられて、オレは顔を上げた。
――今日のきれいな星空と、それを見上げる無邪気な笑顔を、オレはこの先何度も、思い出すんだろうか。
ふと、そんなことを思った。