入道雲に飛び乗って
テーマは「夏の山」。
「すっごーい!」
見渡す限りの夏空だった。展望台の柵に手を掛けて、アスカが歓声を上げる。
「あんまりはしゃいでると、落っこちるぞ」
子供みたいに騒ぐアスカに苦笑しながらも、あたり一面を覆い尽くす青空と白い雲に、オレだって悪い気はしない。
通っている高校が夏休みになったばかりの今日、オレと、幼なじみのアスカは、自宅から電車に揺られて二時間ほどの所にある観光地の小さな山に、日帰り旅行にきていた。
もちろん、二人きりで来た訳じゃなくて、お互いの家族と一緒なんだけど……。
「うちの両親も、タカアキのおじさんとおばさんも、こーんなにきれいな景色を見ないなんて、もったいないよねー」
アスカが笑う。
「まぁ四人ともいい歳だから、山登りはきついんだろ。ってか、あいつら昼間っから酔っぱらいだからなー」
答えながらさっきのやりとりを思い出して、オレは思わず苦笑する。
うちの両親とアスカの両親とは、大学の時からの友人らしく、今でもめちゃくちゃ仲がいい。なにせそれが高じて、隣同士に家を建ててしまうほどだ。
今回のこの旅行も、元は両親たちが企画したものだ。なんでも、この山の麓に、その筋では有名な小洒落たバーがあるとかで、酒好きの両親たちのお目当てはもっぱらそっち。
昼間っから店に直行した四人は、まだ高校生で酒が飲めないオレたちに向かって、「あんたたちは山に登って、景色を見てきなさいよ~」と、すでに赤くなった顔で手を振った……というわけだ。
「まぁ、いいじゃない。おかげでこんなに広い空を見られたんだから。あ、ほら見てみて、あそこ、海が見えるよ」
相変わらずアスカは、子供みたいにはしゃいだ声を上げている。山の頂上にある展望台を涼しい風が吹き抜けて、アスカの肩までの黒髪と水色のスカートを揺らす。きらきらと輝く目で、山の向こうにある海に目をこらすアスカの横顔を、オレはぼんやりと見つめていた。
「タカアキ、どうかした?」
不意にアスカがこっちを向き、首を小さくかしげて尋ねてくる。
「な、何でもない」
オレはきまりが悪くなって、思わず目をそらした。ずっと横顔を見つめていたことには、気づかれてないと思うけど。
「うわ、すっげー入道雲」
目をそらした頭上に、今にもモクモクと音を立てそうな立派な入道雲を見つけて、オレは思わずつぶやいた。
「ほんとだ。天まで届きそう!」
アスカがつぶやく。
コバルトブルーの海と、ライトブルーの空の間の水平線から、高い高い空に向かってわき上がる真っ白な入道雲。それはまるで、何とかして大人になろうともがくオレたちみたいだった。
「こっからあの雲に飛び移れそうに見えるよ! あの入道雲に飛び乗ったら、雲の上の世界に行けるのかな」
そんなことをつぶやくから、オレは思わずアスカの顔をのぞき込んだ。
「何さ、変な顔して」
「いや、アスカが柄にもなくメルヘンなこというからさ、熱でもあるのかと思って」
「失礼な! こんなにセンチメンタルな女の子を捕まえて、なんてこと言うんだ!」
「いや、センチメンタル、って。使い方間違えてると思うぞ」
いつもの雰囲気に戻って、オレとアスカは馬鹿なことを言い合って笑う。
それが、オレたちのやり方なんだ。
「でもさ、雲の上の世界なんて、楽しくないと思うぜ」
ひとしきり笑い終えて、ぽつりと言う。
「え?」
「雲の上にゃ、うまいモンもないし、ゲームも、カラオケもない」
それに、アスカもいない。……なんてことは、もちろん口に出したりしない。
「オレは、色々とめんどくさいこともあるけど、オレはこの地上で十分だよ」
そう言ったオレに、アスカがにやりと笑う。
「そんなこと言ってタカアキ、ただ雲の上が怖いだけなんでしょー! タカアキってば高所恐怖症だもんね!」
「う、うるせ! そんなんじゃ……ってこらアスカ、引っ張るな、あんまり柵の近くはっ……や、やめろ!」
「ほら、タカアキもっとこっち来なよ、きれいだよ~」
「や、やめろ、オレはこう、ちょっと離れたところで空だけ見てれば十分……ってうわー、し、下が見えると……た、高い! ひえ~!」
オレの悲鳴とアスカの歓声が、見渡す限りの青い空と入道雲に吸い込まれていった。