海を見に行こう!2
テーマは「ゴールデンウィーク」。
「温泉旅行だぁ?!」
眠い目をこすりながらリビングに降りてきたオレは、ダイニングテーブルに置かれていた書置きに目を落とし、思わずそんな声を上げてしまった。
誰もいない休日の家に、オレの声がむなしく響く。
今日は4月29日。世間で言う「ゴールデンウィーク」の初日で、もちろんオレの高校も休みだ。普段は仕事で忙しいサラリーマンのうちのオヤジも、今年はまともに休みが取れるらしく、ずいぶん前から浮かれていたのを覚えている。
オヤジ曰く、「夏休みだ冬休みだと、長い休みが一年のうちに何度もある学生とは違って、サラリーマンにとってのゴールデンウィークとはまさしくゴールデンなウィークなのだよ! 4日以上続けて休みが取れることなんて、一年に何度もないんだ! それが今年はなんと、一週間も休みが取れたんだ。これが喜ばずにいられようか、いやいられまい!」
古文の時間に聞いたことがあるようなおかしな言い回しまで使って力説するオヤジは、自分の親ながらかなりヘンだ。まぁ、気持ちは分からないでもないけどな。
「だからってこんな出て行き方……子供かよ」
オレはまた書置きに目を落としてため息をつく。
『父さん母さんは、ヨッちゃん、ヤスシと一緒に温泉旅行へ行ってくる。一週間の長い旅行でウッハウハだ。ちなみに、場所はひ・み・つ☆ そのあいだ、タカアキはアスカちゃんと遊んできなさい。これはその軍資金だ。では健闘を祈る。くれぐれも、アスカちゃんにおかしなことするんじゃないぞ。それじゃあ……バイビ~♪』
とても40過ぎのおっさんが書いたとは思えない、おかしなテンションの文面。手紙の脇には、太っ腹なことに一万円札が無造作に置かれている。
ちなみに、「ヨッちゃんとヤスシ」というのはうちのお隣さん夫婦のことで、つまりはアスカの両親だ。うちの両親とアスカの両親は大学のサークル仲間だったらしく、当時も今も、めちゃくちゃに仲がいい(何せ、わざわざ隣に家を建てちゃうくらいだ)。おかげでオレとアスカは、生まれる前から家族ぐるみの付き合いの、紛れもない「幼馴染」というやつなんだけど。
「ったく、いつまで子供なんだうちの両親は」
思わず苦笑しながら、オレはソッコーでアスカにメールを打った。
『両親逃亡。そっちはどうだ?』
一分と待たず、オレのケータイからメロディが流れ出す。ちなみに着メロは、Something ELse『ラストチャンス』。
『おそらくそちらと同じと思われる(^^;。 「タカアキ君と一緒に遊びに行ってらっしゃいな~」だって^^』
予想通りだ。あのオヤジたちのことだ、オレとアスカにだけは秘密にして、いつの間にか四人で作戦を立てていたに違いない。そして休日でオレたちが遅くまで寝ているのを見越して、早朝に逃亡を同時決行というわけだ。
『やっぱり。んで、どうする?』
『うーん、とりあえずあたしは何の予定もないからめちゃくちゃヒマ。残念ながら、デートの予定も特にないしね~(^^; タカアキは?』
『もちろん、オレもヒマだ。じゃあとりあえず、うちに来いよ。オレたちも作戦会議しようぜ(笑)』
というわけで、休日の朝にオレの家に集まったオレとアスカ。オレの部屋は汚すぎてアスカを中に入れられやしないから、集合はダイニングキッチンだ。
「さて、どうするか」
とりあえず冷蔵庫にあった麦茶を二つのグラスに注いでから、オレとアスカはダイニングテーブルに座る。テーブルの上には一万円札が二枚。オレの両親が置いていった分と、アスカの両親が置いていった分だ。
「遊びに行け、といわれてもあんまり思いつかないなぁ」
「タカアキ、ひきこもりだもんねー」
「誰がだっ」
「だって、いっつもゲームばっかやってるじゃん」
「う……」
人差し指をオレの顔にびしっと突きつけるアスカに、オレは絶句する。まぁ確かに、遊びといわれるとテレビゲームしか思いつかない。とはいえ、このゴールデンウィークにテレビゲーム三昧、というのはさすがに虚しすぎる。何よりアスカが困るだろうし。
「そういうアスカは、どっか遊びに行くアテでもあるのかよ?」
「えーっと、うーんと……え、映画館とか、遊園地とか?」
オレに切り返されたアスカが、いかにも苦し紛れ、といった感じで答える。アスカが映画館やら遊園地に行った話なんて聞いたこともないぞ。
「……今、ゴールデンウィークだぜ? どんだけ混んでるんだよ」
「う、確かに」
オレたちの頭に浮かんだのは、今朝ニュースで映っていた、人混みであふれる繁華街の様子だ。さすがにあれは、みているだけでうんざりだった。
「カラオケ……はさすがに行き飽きたしな」
「同感」
田舎の高校生の楽しみなんて、カラオケくらいなものだ。平日の安い時間帯を狙って、放課後とかにも行きまくっているから(もちろん、アスカと二人で、ではないけど)、わざわざ休日に行く気はしない。
「だからって、ずっと家にこもってるのもねぇ。せっかくいい天気なんだし」
窓の方を見上げてアスカがため息をつく。アスカの言うとおり、突き抜けるような青空が窓の外には広がっている。五月にはまだ数日早いけど、まさしく五月晴れといった感じだ。
抜けるような青――そのイメージがオレの脳裏で鮮やかに広がる。
「そうだ! 久しぶりにさ、海、行かないか?」
「あ、いいかも」
オレの突然の提案に、アスカがぱっと顔を輝かせる。
オレたちの町から海まではすぐだというのに、特に用事がないと意外といかないもんだ。最後に行ったのは去年の夏。それ以来波の音すら聞いてない。
「奥の方まで行けば、そんなに人もいないだろうし。今日は暑いくらいだから、風が気持ち良さそうだね!」
すでに海に行った気分なのか、アスカが眩しそうに目を細めている。そんな顔をされたら、提案したオレだって悪い気はしない。
「よし、じゃあ海にすっか! ……どうやって行く?」
「自転車で! タカアキ、後ろ乗せてってよ!」
右手の親指をぐっと立てて、アスカがニヤリと笑う。
「え、二人乗りで?」
「当たり前でしょ、あたし自転車持ってきてないもん。それともタカアキ、あたしが後ろに乗ると重いとか言うつもり?」
「い、いや、そういうんじゃないけど……」
そうじゃなくて、アスカが後ろに乗るとなると、その、落ち着かないというか、緊張してしまうというか――。
もちろん、そんなことアスカに言えるはずもなく、オレはアスカに背中を押されて、太陽輝く外へと飛び出したのだった。
……あ、海だったら軍資金要らないじゃん。まいっか、後でうまいもんでも食おう。二人で。
脳天気に晴れた空の下を、オレの青い自転車が駆け抜ける。
後ろにはアスカ。荷台にまたがって、両手でオレの肩をつかんでる。
町の人たちはみんなどこかに遊びにでも行ったのか、ほとんど人にすれ違うこともない。
「やっぱ晴れた日に自転車で風を切るのは気持ちいーねー!」
猛スピードで後ろに流れていく風の音に負けないように、アスカが弾んだ声を張り上げる。こういうときの楽しそうな声は、幼い頃から少しも変わっちゃいない。
「振り落とされんなよ、スピードあげるからな!」
振り向かないまま背中越しに声をかけて、オレはペダルに力を込める。
強い日差しのおかげで暑いくらいの空気に、吹きすぎる風は確かに気持ちいい。最近運動不足だったオレも、ちょっと汗をかきたいくらいの気分だ。
「わわ、ホントに速い! 落ちる落ちる!」
アスカが笑いながら言って、オレの肩をつかんでいた手がすっと離れる。一瞬後、お腹の方に柔らかなぬくもりを感じる。
「あ、アスカ?!」
ぬくもりの正体がアスカの腕だと知って、オレは情けない声を上げてしまった。オレの方から手を離したアスカが、後ろからしがみつくようにオレの腰に腕を回していたのだ。
「だって、こうしないとおっこっちゃうもん。何よタカアキ、文句でもあるの?」
「……あ、暑苦しいっつーの!」
ちょっとうわずった声で、怒鳴り返す。今度は振り向かないんじゃなくて、振り向けない。
「むむ! じゃあタカアキは手を離せと言うのか! あたしが落っこちてもいいの?」
「わかったわかった! そのまんまでいいから黙ってろ!」
そう言ってオレは、ペダルに神経を集中する。
しばし二人とも無言で、町中を疾走した。さわやかな陽光と風のおかげで、沈黙も少しも苦にならない。
「あ、潮の香りがしてきた!」
歌うようなアスカの声に、オレも顔を上げる。いつの間にか海はだいぶ近づき、アスカの言うとおり風に潮のにおいが混じりはじめた。
「この坂を登り切れば、海が見えるな」
「うん! 今日の海は、いい色してそうだね~!」
口に出してみると、オレもわくわくしてきた。潮の香りとまぶしい太陽、それに背中に伝わるぬくもりが、オレの鼓動を早くさせる。
「あ、でもタカアキ大丈夫かな~?」
「何が?」
「運動不足の引きこもり君だから、この坂登り切れるかなぁと思って」
意地悪な口調で言うアスカに、オレのプライドは刺激される。
「なんだとぉ? このオレの全力を見せてやる! アスカこそ、そんなこと言ってて、振り落とされても知らないぞ」
「ふふん! 望むところだ!」
「行っくぞ~!」
「行っけ~!」
「はぁ、はぁ、さ、さすがに、きつい……ってか、アスカ重い……」
「誰がだっ!」
全力で坂を登り切ってヘロヘロのオレの後頭部に、アスカの容赦ないツッコミが入る。そりゃねーぜ。
「ねぇ! 見て見て、タカアキ! あの色!」
キャーキャー言いながら後ろでしがみついてただけのアスカは、元気が有り余っていて、高い声で歓声を上げながらオレのTシャツを引っ張っている。
「あのなぁ、少しはオレの苦労をねぎらったら……」
アスカに一言言ってやろうと思ってたオレも、アスカにつられて視線を移して、言葉を失った。
「……海の色って、こんなに深い青だったっけ」
雲一つない青空を映して、静かに波打つ海。
この世のすべての「青」を全部混ぜたみたいに鮮やかで多彩な、深い深い青。
写真やテレビには決して映らない、本物の青が、そこにはあった。
「へへん! どーよ、苦労して坂登ってきたかいがあったでしょ?」
「……まーな」
別にアスカは関係ないじゃないか、とは思わない。
オレにとって、この青が特別に綺麗なのは、今オレの隣にアスカがいることと全く関係ないとは思わなかったから。
……もちろん、そんなことアスカ自身には言うはずもないけど。
「さ、タカアキ! 何を悠長に休んでいるのさ!」
「へ?」
「さっさとあの海に、泳ぎに行くよ!」
アスカが、特別ないたずらを思いついた子供のような表情をオレに向けてくる。
「泳ぎに? 水着も持ってきてないし、何よりまだちょっと寒いんじゃ?」
「細かいこと気にしない! あんなに綺麗な海を見て、眺めてるだけで引き下がれるかっての!」
「……あのなー、アスカが細かいこと気にしなさ過ぎなんだろうが」
一応言っては見るものの、オレだってアスカのあんなに楽しそうな顔を見て、このまま帰るなんてことはできやしない。
「ほらタカアキ、さっさと自転車こいで! ぼうっとしてたら海が逃げちゃうよ!」
「海が逃げるかっ!」
そう言いながらオレは、すでにペダルに足をかけている。背中にしっかりとアスカの体温を感じて、オレたちは海に向かって走り始めた。