婚約破棄シンドローム〜殿下!恋の病は重症です〜
「《婚約破棄シンドローム》です」
お医者様の衝撃的な診断――
「……はい?」
――に私の頭はフリーズです。
この侍医は《婚約破棄シンドローム》と仰いませんでしたか?
何ですかそれ?
聞いたことの無い病名です。
私の聞き間違いでしょうか……
「ですから、殿下のご病気は《婚約破棄シンドローム》なのです」
……間違いないようですね。
私、お馬鹿さんなんでしょうか?
全く意味が分かりません。
いえ、さすがに単語の意味は分かるのですのよ――本当ですよ?
私はこれでも学園で、殿下と1、2位を争う高成績なんですから。
え?
下からじゃないかって!?
失礼な!
私も殿下もブービー賞を争ったりしておりません!
いいでしょう。
私が如何に優秀かを示す為に、この《婚約破棄シンドローム》なるものを推理してみましょう。
こういう時には言葉を分解して、一つ一つ分析、吟味するのです――どーよこの冷静沈着な対応!
えーと……婚約破棄と言うのはあれでしょ?
婚約者の方が身分の低いピンク頭の令嬢と浮気して不義理しているのに、あれやこれやと罪を捏造して、一方的に婚約を無かった事にして、修道院へ送られたり、国外追放されたり、処刑されたりする不条理な蛮行の事です。
ええ、ええ!
分かっておりますとも。
存じておりますとも。
そしてシンドロームと言うのはあれの事ですよね?
そう、症候群の事ですわ!
似た症状を呈する患者がいるけれど、全く原因が分からないから、医者がとりあえず患者を煙に巻く為に名前の最後に付けるあれです。
つまり、《婚約破棄シンドローム》とは婚約を破棄する原因不明の病気!
ほらこれでQ.E.D……になっていませんわね――うん、全く意味が分かりません。
仕方がありません。
ここは恥を偲んで専門家にお尋ねしましょう。
「は、はぁ…――申し訳ございません。寡聞にして存じ上げないのですが、その……《婚約破棄シンドローム》と言うのはいったい?」
「おぉ! これは大変失礼しました。きちんとご説明しなければなりませんでした。学会でも最近になって発表された非常に珍しい病気ですので、ご存知ないのも無理ありません」
成る程!
最近見つかった珍しい病気なら、学生でしかない私が知らなくても仕方がありませんね。良かった……私がお馬鹿さんだったからではなかったのですね。
さあ、お医者様の説明を受ければ、この未知なる病気も――
「殿下の罹患された病気は《婚約破棄シンドローム》と言って、男性特有の精神疾患なのです。どんなに愛し合っていても、どんなに惚れた婚約者でも――婚約破棄せずにはいられなくなるのです!」
――全く意味が分かりません。
いえ、お医者様の仰る内容は分かるのですよ。
――本当ですよ?
私はこれでも妃教育を卒なく熟し、王妃様から優秀だと褒められているのですから。
つまり、お医者様の説明は、
婚約者に婚約破棄を突きつける衝動に駆られる心の病に殿下が罹患しており、このままだと私は婚約破棄されてしまうのですよね?
ええ、ええ!
分かりますとも。
ちゃんと理解できますとも。
私は頭が非常に良いので――そこ疑わないッ!
だけど、愛する婚約者に婚約を破棄したくなるなんて意味が分かりません――なんて理不尽!
つまり、私チェーツィリア・メランコーリの愛しい愛しい婚約者、この国の第一王子エーリック殿下が、私に婚約破棄を告げるかもしれないと言う事ですよね?
あぁ、何でその様な残忍な事が許されるのでしょう!――――
そもそもの事の始まりはリゾフレニア学園に入学した時なのでしょうか?
それとも私が殿下と婚約した事がいけなかったのでしょうか?
私の名前はチェーツィリア・メランコーリ。
メランコーリ公爵の長女として生を受けました。
国内の政情や貴族と王族の力関係などを鑑みて、私はここリゾフレニア王国の第一王子エーリック・リゾフレニア殿下と幼い頃に婚約を結んだのです。
それは確か八歳の時だったと記憶しております。
当時は私もまだ幼く、習い事よりも活発に動き回って遊ぶのが好きでしたから、婚約も結婚も言葉は知っていてもその意味を完全に理解してはおりませんでした。
もちろんエーリック殿下の妃となって将来この国の王妃になるなど、当時の私にとって埒外の事だったのです。
ですが、そんなお転婆娘の私を変えたのがエーリック殿下との出会いだったのです――
「初めまして。僕はエーリック・リゾフレニア……リゾフレニア国王マルス三世の長子です」
そう挨拶の言葉を口にされて、目線を私に合わせたまま胸に手を当て軽く頭を下げた殿下の堂に入った作法の素敵な事と言ったら……今でも瞼に焼き付いております。
それに引き換え――
「は、はじめ…まして……わたしチェツィよ」
チェツィと言うのは私の愛称で、当然このような公式の場で名乗るものではございません。言葉遣いも最悪、礼儀も最低の挨拶でした。これを思い出す度に恥ずかしくなって顔から火が出そうな程です。
親馬鹿なお父様は、当時の私を可愛すぎて嫁にやりたくなくなったなどとほざいておりますが、理想的な王子様を前に満足な挨拶もできない自分を、私はとても心苦しく思っております――黒歴史ですね。
「チェツィ……」
私の礼儀のなっていない挨拶に腹を立てるでもなく、殿下は私の愛称を呟くと口に手を当てて何かを考える素振りをしました。どうされたのでしょう?
「あ、あの……」
私は挨拶での失敗もあり、不安になって泣きそうになっていたと記憶しております。
「ああ…不躾な態度で申し訳ありません。これから僕の婚約者になるご令嬢が、君のように愛らしい人で良かったと思っていたところです」
「まぁ……」
殿下のお言葉に私は顔を真っ赤にして可愛かったとお父様が後から教えてくださいました。――恥ずかしい!
この時の話題になると、お父様は「ガキが生言ってんじゃねぇ。殺すぞ!」と殺意が湧いたと申しております。困ったお父様です。
まあ、何が言いたいかと申しますと、この時の殿下との出会いが私の初恋だったのです。
「それではこれからチェーツィリアをチェツィと呼ぶね」
「は、はぃ……」
もう恥ずかしさで消え入りそうでした。
「僕のことはエルって呼んで」
「エ、エル…さま?」
そう私が愛称を口にすると殿下の顔がパッと明るくなったのを覚えております。その笑顔に私の心は完全に射抜かれてしまいました。
お父様は本当に殿下を弓で射抜こうとして護衛に止められていましたが。
殿下との婚約は政略的なものでしたが、私はこの婚約がとても嬉しく、天にも登る心持ちでした。
ですが、それと同時に立派な王子様エーリック殿下の隣に立つには余りにも不出来な自分が余りに情けなくて……
そこで殿下に見合う婚約者になろうと決意したのです!
それからの私は血の滲む様な努力を重ねました。
本当に血反吐を吐いてお父様を心配させてしまいましたが……
ですが、その努力の甲斐あって十歳になる頃には、立派なレディになったと言っても過言ではないのではないでしょうか。
「エーリック殿下。本日はお招きいただき幸甚の至りでございます」
お澄まし顔で大人顔負けのカーテシー……王宮の殿下とのお茶会の挨拶――どーよ!
十歳の私は会心のできだと自負したものでした。
八歳の時の汚名を返上できたと、心の中でムンズとガッツポーズしたものです。
ところが――
「チェツィ……」
殿下の顔が一気に曇ってしまわれました。
殿下、どうしてそんな悲しそうな顔をなさるのですか?
私は何か粗相をしてしまったのでしょうか?
くっ!
まだまだ努力が足りないのですね!
そこで私は更に精進を重ねるべく王妃様からも直接教えを賜り一心不乱に学びました。
これも全て愛するエーリック殿下のため。
ですが――
「チェツィは母上の指導によく耐えているね。母上は厳しいだろ?」
「王妃様にはとても良くして頂いております。厳しいのはそれだけ私を期待してくださっている証拠。将来はエーリック殿下を支える立派な妃にならねばなりませんから」
私の模範回答に見せる殿下の表情はアルカイックスマイル。このところ殿下はいつも穏やかな笑顔に見えて、感情がまるで表れていません。
いえ、昔からそうだったのかもしれません。
私が妃教育で表情を読めるようになって、殿下の笑顔が作り物だと気がつくようになったのでしょう。
あぁ、なんという事でしょう!!
私は自分の気持ちばかりで殿下のお気持ちを考えていなかった。
殿下から見れば、私との婚約は王族としての義務。私が殿下をどれ程お慕いしても、私の胸の内で恋が爆炎魔法最強のエクスプロージョンの様に燃え盛ろうとも、殿下には何の関係もないのです。
――殿下……私を見てください。私に振り向いてください。
私がそう思うようになったのは、それに気がついてからのことです。
少ない時間をやりくりして殿下とお茶会でお会いしても、その時に殿下の瞳を見つめても、折を見てはその手を繋いでも、殿下はいつものアルカイックスマイルを崩しません。
私ばかりがドキドキして、なんだか不公平です。
この間は思い切って、さりげなく腕を取って胸を押し当ててみたのです。こんな大胆で破廉恥な行為を死ぬ思いで頑張ってしてみたのに殿下の反応は変わらず……いえ、むしろ冷たい表情をされていたわ。私って魅力が無いのかしら――くすん……
私の努力も虚しく、殿下との関係は一向に進展しません。
それでも私は殿下をお慕いしておりますので、殿下に釣り合うようにと妃教育もよりいっそう頑張りました。殿下とお会いできる時間がますます削られてしまいましたが……
しかし、その甲斐あって王妃様からも非常に優秀だとお墨付きをいただけました。特に感情を隠すのは上手だと褒めてくださいました。
この技能が無いと殿下とお会いする度に。思い出す数々の黒歴史で顔が茹で蛸になってしまうところです――ああ恥ずかしい!
できれば殿下にも私を好きになって欲しい。
でも、それを望むのは贅沢なのでしょうか?
これは政略結婚なのですし、殿下が私を好きで無くとも結婚するのは間違いないのですから。
私だけが一方的に愛している。
それでも良いのかもしれません。
殿下が私にお気持ちをくださらなくとも、私はひっそりと殿下をお慕いし、ただただ支えるだけです。
それで殿下のご負担を少しでも軽減できるなら、私はそれだけで……
そう思って…それだけを支えにして……だけど――
学園に入学してから、その事件の予兆が起き始めました。
入学の前後あたりから私は王妃教育が一段と忙しくなり、学園へも余り顔を出せない状態でした。
その日、久しぶりに学園へ顔を出した私の前に、ピンク頭の令嬢が現れたのです。
「あ、あの初めまして……わたしはアリピー・フランゾルです」
突然の挨拶。
これはあり得ない事です。
下位の者が上位の者にいきなり声を掛けたり、挨拶をするなど言語道断。これを許してしまえば、上位貴族に覚えめでたくなろうと、競って下位貴族の者達が声を掛けてくる未来しか見えません。
将来の王妃である私に伯爵家以下数多の令嬢令息が殺到してくる様を想像して顔が引き攣りそうになります。
「……」
「あ、あのぉ?」
思案しているとフランゾル嬢は不安そうな目を向けてきました。
さてどうしたものでしょうか?
「悪役れい……ヒロインで…わたしを…この反応……てんせい…?」
え? 何? 悪役? ヒロイン? てんせい?
何でしょうかこの娘?
自分をヒロインだなんて……
確かに可愛い容姿ですが、このレベルなら学園にはゴロゴロいますよ――痛い子?
あっ! いけません私ったら……他人様をそのように決めつけるなんて。
きっとこの令嬢はご病気なのでしょう。
知っておりますとも。
存じておりますとも。
こういう自分を特別と思う精神疾患を――
『自己愛性パーソナリティ障害』!!!
――と言うのです。どーよこの見事な診断!
このような方は叱ったり否定したりせず、きちんと病気である事を認識して、対応する側がストレスを感じない様に自己をしっかり持つこと、きちんと周知して他の人達も不用意に感情移入しないよう注意するのです。
後はみんな一定の距離感を持って、優しく見守ってあげるのも重要です。
貴族の世界では厳しい事ではありますが、学園はまだ生徒達だけの空間です。きっと正しい対処でこの方も良いように変われるはずです。
完璧な対応!って、私が対策を練っている間に先程の娘がいなくなっています。
なんて失礼な!
はっ!
いけません彼女は病気、彼女は病気、彼女は――と、その時は彼女を優しく見守ろうと決意したのですが……
それからもアリピー・フランゾルと名乗った令嬢は私の周囲に現れました。
そして私の前でいつも転ぶのです。
「……ダメ……立って…いられな……これ…強制……なの?」
何やらいつもブツブツと呟いております。
心の病だけではなく、お体も弱いのかしら?
心配です。
それからほどなくして、彼女は殿下と一緒にいる姿を目撃されるようになりました。
「まあ! 見て。またあの方、殿下にはしたなく絡んでおいでですわ」
「本当に……男爵家の令嬢の分際で身の程知らずな!」
「聞けば元々庶世で暮らしていたとか……」
ああ! 皆さん陰口はいけません。彼女は病気なのですから。
それにしても――
ふと窓の外を見れば、そこには愛する殿下と腕を絡ませるピンク頭の令嬢の仲睦まじい姿が目に入ってくるのです。
私の胸がキュッと締め付けられます。
分かっておりますとも。
存じておりますとも。
これは嫉妬と呼ばれる仄暗い想いです。
殿下の婚約者として、次期王妃として相応しくない感情。
このままではいけません。
彼女は病気、彼女は病気、彼女は病気……
これが私の気持ちを落ち着かせる呪文。
そうやって私は自分の精神を安定させようとしておりましたが、彼女アリピー・フランゾルはそれからも私の前に現れました。
何やら物が無くなったとか、虐めを受けたとか、誰かに狙われているとか……
まさか被害妄想ですか?
いえいえ!
知っておりますとも。
存じておりますとも。
これは『妄想性パーソナリティ障害』というやつです。
間違いありません!
ですが、このままでは彼女がどんどん孤立してしまいます。
はっ!
だから殿下は彼女を放っておけない?
だけど他の貴族令息はドン引きしております。
いえ、貴族の体面を気にして行動できない殿方達の見本となるべく殿下は行動されたのでしょう。殿下は勇気と優しさを持ち合わせたお方だから、皆にお手本を見せておられるのですね。
ですが殿下……
その対応は『自己愛性パーソナリティ障害』患者には逆効果です!
私の心配を余所に、それからも殿下とアリピーは二人でいる姿を学園で見かけられた。
私もそんな光景が目に入る事があり、その時の殿下がいつもの感情を見せない笑顔ではなく、本当に嬉しそうな表情で……
そのお顔を見る度に胸が締め付けられ苦しくなってしまうのです。
私の中にモヤモヤとした黒い蟠りが蓄積されてしまうのです。
やはり殿下は私に対して義務的な想いしか――はっ!
いけません!!
「彼女は病気、彼女は病気、彼女は病気――怒ってはだめ! 恨んではだめ! 嫉妬してはだめ!」
暗い感情に支配されそうになる度に、私は自分に言い訳をして……
公の場では表面を取り繕い、慈愛に満ちた婚約者を演じて……
ダケドホントウハデンカニワタシノコトヲ……
――そんな折に突然、城の侍医が殿下の事でお話があるとやって来て――現在に至るわけです……
このままですと、殿下はピンク頭――もといアリピー・フランゾルと浮気の末、私に婚約破棄を突き付けるのですね。
愛するエーリック殿下から婚約破棄を宣告されるなんて……
そんな事になったら私は正気を保っていられるでしょうか?
いっそ私の方から婚約の解消を申し出て、引責して修道院へでも入ろうかしら?
ああ、まだお医者様の説明が終わっておりませんでした――
「――それで、この疾患は、何故か王族や高位貴族しか発症せず、近年あちらこちらの国々の王族を悩ませているのです」
「まぁ、なんて恐ろしい……」
そう言えば隣のバイポーラ皇国でも第二皇子が大衆の面前で婚約破棄したと聞いたわ。あれも《婚約破棄シンドローム》だったのね。
「治療法はないのですか?」
「何分にも知見を得たのが最近の事ですので、まだ治療法は確立していないのです」
絶望的な宣告に私はどうして良いか分からず、だからこそ王妃教育の賜物か、表情を崩す事なく表面は冷静に対応した――頭の中はパニックでしたけれど。
「この疾患はピンク頭の令嬢を伴い大衆の面前で婚約破棄しなければならない焦燥感を抱くのです!」
「まぁ、何て奇怪な病気!」
本当にピンク頭なんですね!
「特徴と傾向として婚約相手を想えば想う程、愛すれば愛する程に婚約破棄の衝動に駆られるそうです。私はこれを《婚約破棄発作》と命名しました」
「なんて恐ろしい奇病なのでしょう!――ん、愛し合う程?」
私の疑問にお医者様はこくりと頷かれました。
「はいそうです……婚約者との仲がアツアツなカップルほど男性側がピンク頭に熱をあげてしまうようなのです」
「アッツアッツですか……」
「ええ……煮えたぎっていたそうです」
お医者様の説明で私の心は少し平静を取り戻しました。
「なるほど……」
「そして、男性側はピンク頭を真に愛する女性と宣言してしまうそうです。そこでこの奇病についた別名が――《真実の愛症候群》!」
ババンッ!とお医者様が勢い込んでご説明されていますが、演出過多な印象ですわね。逆に私の方は既に冷めきってしまいました。
「エーリック殿下がとてもけったいなご病気を患っている事は理解しました」
「分かっていただけましたか」
うんうんとお医者は満足そうに頷きますが、殿下がご病気なのに何がそんなに嬉しいのでしょうか?
「つかぬ事をお伺いしますが……」
「何でございましょう? 私に分かる事でしたら何なりと」
「アッツアッツの相思相愛バカップル(ちっ!リア充爆発しろ)ほど病気が悪化するならば、愛し合っていない場合はどうなるのでしょう?」
「――ッ!!!」
私の質問にお医者様は絶句です。
「そ、それは……前例が少ないので確証はありませんが、理論的に考えて《婚約破棄発作》が生じないか軽微で済むのではないでしょうか?」
「なるほど……」
つまり、この奇病は私と殿下の間ではおど然程大きな問題にはならないのではないでしょうか。
だって私の殿下への恋心は煮えたぎって、煮えたぎって、マグマの様に沸き立って噴火寸前ですけれど、殿下の方は私との関係を義務としか思われていないのですから。
病状は悪化しようがありませんわね。
「ず、随分と冷静ですな。メランコーリ嬢……ご理解されておられないのですか?」
「いいえ、よく分かりました」
「でしたら早急に対処を……」
私は手を上げてお医者様が話すのを制しました。
「大丈夫です。何の問題もありません」
「で、ですが!」
「殿下と私なら大丈夫なのです。何も心配はいりません」
「どうして、そんなに落ち着いていられるのです!?」
「殿下は婚約破棄をされません。されようがないのです」
「その根拠は?」
尚もお医者様が食い下がります。
根拠はありますが、出来れば言いたくはなかったのです。
私はやはり認めたくないのでしょう。
この事を口にするのが憚れるのです。
私は一つため息をつきました。
ですが、言わねばならないのですね……
「――殿下と私は愛し合っていないからです」
――――<転生ヒロイン視点>――――
私の名前はアリピー・フランゾル。
フランゾル男爵の娘で、乙女ゲーム『双極の生涯恋物語』シリーズの5作目ヒロインなの。
お察しの通りよ。私は転生者なんだ。
もともと日本人の女子大生だったんだけど、痴情のもつれで刺されて死んじゃったの。
え?
ドロドロの愛憎劇かって?
違うわよ!
私は別に何もしてないわ。完全な人違いで刺されたの。ホントいい迷惑よ。
こんな経験すると恋愛なんてゲームの中だけで十分って思っちゃうわ。
だからって乙女ゲームの世界に転生するのはどーかと思うけど。
ゲームの世界だからエーリック殿下を攻略しようとしているのかって?
違う違う!
世界はゲームが舞台だけど、その中で暮らす私達は本物よ。
誰がゲーム通りに動きますかって。
だいたい王侯貴族なんて御免被るわ。
エーリック殿下とイチャイチャしているのはフリよ、フ・リ。
「フランゾル嬢……君には済まないと思っている」
「何がですぅ?」
「いや……こんな役回りを引き受けてもらって」
つまり、エーリック殿下の浮気相手のフリを頼まれたのである。
なんでこんな真似をしているかって言うと……
「問題ありませんよぉ。貰うもの貰ってますから」
私は右手の親指と人差し指で円を作って見せる。
まあ、つまりはそう言う事よ。
「だが思っていた以上に君の名誉に瑕疵が……これでは例え後で種明かししても結婚が難しくなるだろう。フランゾル男爵の評判も悪くなるだろうし」
「だから最初に説明したじゃないですかぁ。もともと私は貴族の世界で生きてくつもりありませんって。お父さんはどーでもいいんです。あんな奴は痛い目を見ればいいんです」
フランゾル男爵はお母さんや私を捨てておいて利用できると思ったら誘拐紛いに私をお母さんから奪ったのよ。
乙女ゲームの世界じゃヒロインの母親は病気で亡くなっており、孤児院で生活していたところをフランゾル男爵に引き取られるんだけど、ゲームを知っている私がお母さん見捨てるわけないでしょ。
ヒロインは成長して回復魔法を習得するのを私は知っていたから、お母さんが病気に罹る前に先んじて回復魔法をマスターして治したわよ。
そうしてお母さんと平和に庶民ライフ送ってたんだけど、私が幼くして魔法を習得した天才児と聞きつけたクソ親父が無理矢理お母さんから私を引き離したのよ!
そして、お父さんに引き取られた後、私は学園にも入学させられたの。
しかもゲームの舞台となる学園よ!
これもゲームの強制力?
なんて思っていたら、悪役令嬢チェーツィリア・メランコーリ様にばったり出くわしてしまった!
しかも思わず――
「あ、あの初めまして……わたしはアリピー・フランゾルです」
――なんて口走ってしまったの!
これアカンやつ……
何故って?
ゲームでヒロインが悪役令嬢チェーツィリアに最初に交わすセリフだからよ。
しかも、これってかなり礼儀から反している。
分かっていたはずなのに、やらかしてしまった――ッ!
まさかこれも強制力?
ただ、悪役令嬢チェーツィリアはゲームでは嫌味を言ってくるのだけど、目の前のチェーツィリア様はそれと違ってかなり戸惑っていらっしゃるご様子。
ヒロインである私を見てもこの反応って事はもしかして彼女も転生者?
これは拙い……
私は別に乙女ゲームの攻略には興味ない。
波風を立てたくはないの。
だけど、私の思惑とは異なり、避けているのにどうしてもチェーツィリア様に遭遇してしまう。
しかも、彼女の前に出ると何故か私は転んでしまうのよ!
今日もチェーツィリア様にばったり会って――盛大に転んだ
……ダメやっぱり立っていられない。これって強制力なの?
拙い! 不味い! まずい!
これはひじょーにマズイ!
私は全く攻略を進めていないのよ。
この状態ではゲームのバッドエンドを迎えてしまうんじゃない?
場合によってはチェーツィリア様への不敬罪で処罰されてしまうんじゃない?
そんな想像にサァっと顔を青くしていると――
「君がアリピー・フランゾルか?」
――突然の男性の声!
振り返れば奴がいた!――ッて、エーリック殿下ぁぁぁあ!!!
まさかもう断罪に!?
ゲームオーバーですか!?
バッドエンドなんですかぁ!?
「私はエーリック・リゾフレニアだ。君がアリピー・フランゾルで間違いないか?」
再度の質問に私は声を出せずにコクコクと頷いた。
「そんなに緊張しないでくれ。別に危害を加えるつもりはない」
「あぅ…あぅ…ほ、本当ですかぁ?」
まだ心臓がバクバクと爆音を上げて……
ふるえるぞハート!
燃えつきるほどヒート!!
今なら私も石仮面の吸血鬼に勝つる!――かもしれない。
いえ寧ろ震えすぎて真っ白に燃え尽きそうです。
「そんな涙目で怯えないでくれ。ちょっと聞きたいことがあるんだ。君は――」
やはりエーリック殿下の聞きたい事というのは私がチェーツィリア様に近づいている理由でした。
私は素直にチェーツィリア様に近づくのは偶然であると告白し、どうしても避けられない事について話したのだが、こんな話を普通は信じられないわよね?
「信じよう……君について調査したが、チェツィ以外の事では至ってまともであった。にも拘らず、チェツィに近づいて行っているのは不評を買うような事ばかり」
「あ、ありがとうございますぅ!」
「だが、君の評判はかなり悪化している。このままだと非常に拙い状況だ」
ですよねー!
分かってました……くすん。
「そこでだ。私に提案があるのだが――」
殿下の提示した内容は、私に浮気相手のフリをして欲しいというものだった。
「――後ほど種を明かして君の名誉も回復しよう……どうだろう?」
正直に言って貴族の名誉などどうでもいい。
バッドエンドさえ回避できればいいし、高額な報酬も約束してくれた。
これはもう受けるしかないでしょう!
だけど――
「お話は分かりました。私としては渡りに船。お受けするのはやぶさかではありません。ですが、どうして殿下はこの様な真似をなさるのです?」
――そう……浮気のフリなど百害あって一利なしだ。
「それは……」
エーリック殿下は少しの逡巡を見せた。
「……まあ、君とは運命共同体だしな。話してもいいか――」
だけど、すぐに意を決して私の目を真っ正面から捉えた。
「――私はチェツィの本当の気持ちを知りたいんだ!」
こうして私は殿下とチェーツィリア様の本心を探るためのお芝居を打つ事になったのだった。
だけどな~……
話し聞いているとチェーツィリア様って殿下にぞっこんだと思うんだけどなぁ。
まあ、私は貰えるもの貰えれば何でもいいんだけど!
――――<エーリック視点>――――
私の名前はエーリック・リゾフレニア。
リゾフレニア国王マルス三世の長子にして、この国の王太子である。
目下、私には切実な問題が一つある。
私の婚約者チェツィ――チェーツィリア・メランコーリが私を好きではない可能性についてだ。
私とチェツィは八歳の時に婚約を結んだ。
王族と高位貴族の娘……当然、政略的なものだ。
王子教育のせいだろうか、私は八歳にして随分と達観していたのだと思う。だから、メランコーリ公爵の令嬢と婚約し、彼女を王妃として立てるのは自然な事だと認識しており、そこに恋愛感情など抱きようもなかった。
まあ、ませた子供であったと言っても八歳だったから、単純に色恋沙汰に疎かっただけかもしれないが……
だから、婚約を結ぶにあたってチェツィと顔合わせをする日も特別な感情は何もなかった。
この婚約はメランコーリ公爵の娘と結ぶのであって、チェーツィリア・メランコーリという人物、人格に興味はなかったのだ。
しかし――
「は、はじめ…まして……わたしチェツィよ」
――妖精がそこにいた!
私の前に現れたのは妖精の様に可憐な少女。
ふわふわの金髪に澄んだ青い瞳。
血色が良く柔らかそうなほっぺ。
ちょっとぎこちないが、はにかんだ挨拶。
何て愛らしいんだ!
彼女はチェツィと名乗ったが、彼女の名前はチェーツィリアのはず……チェツィとは愛称かな?
チェツィか…チェツィか…うん! 可愛い!!
なにこの子! めっちゃ可愛いんですけど!!
いや、マジで可愛い。ホント可愛い。サイコーに可愛い!
表面は繕っていたが、内心はこんな感じで動揺しまくっていたのを今でも覚えている。
いやぁ、今でもチェツィの愛らしい姿が瞼に焼き付いている。
マジ天使!
「あ、あの……」
不安になって泣きそうになっていたチェツィの表情も可愛く、私の心臓は破裂するんじゃないかと思うくらいバクバク高鳴っていた。
この心音が聞かれないだろうかと不安になったものだ。
「ああ…不躾な態度で申し訳ありません。これから僕の婚約者になるご令嬢が、君のように愛らしい人で良かったと思っていたところです」
「まぁ……」
私の言葉に彼女は顔を真っ赤にして俯いた。
よし! 好感度アップ!
彼女の後ろで彼女の父メランコーリ公爵が私に殺意を向けていた。それはまるで、視線で射殺さんとしているようだったが、私は寧ろ勝ち誇った顔をしていたはずだ。
だって、この可愛い女の子が将来自分のお嫁さんになるんだから。だから貴方の娘は私のものです!
あぁ、僕は恋をした!
私はこの時、そう確信した。
もっと仲良くなりたい。
その想いに駆られて私は即行動に移した。
「それではこれからチェーツィリアをチェツィと呼ぶね」
「は、はぃ……」
「僕のことはエルって呼んで」
「エ、エル…さま?」
彼女が私の愛称を口にする――なんという至福!
彼女の背後で弓を持ったメランコーリ公爵が私を現実に射殺そう護衛に羽交い締めにされているのを見て、私は大勝利を確信した。
ふふふ、彼女との婚約者生活……
そしてゆくゆくは結婚生活が……
この時の私はもうチェツィとのバラ色の人生しか思い浮かべる事ができなかった。
ところが――
「エーリック殿下。本日はお招きいただき幸甚の至りでございます」
十歳の時のお茶会で彼女は完璧な淑女の礼を私にしたのだ。
今まで私をエル様、エル様と呼び、花の咲くような愛らしい笑顔を向けていた彼女がだッ!
この時から愛称を呼んではくれなくなり、いつも殿下呼びとなってしまった。
しかも、『天使の笑顔』はいつの間にか『菩薩の笑顔』だ!!!
私はチェツィのその笑顔に酷く落胆したのを覚えている。
いや確かに『菩薩』も尊い存在ではあるよ。
そう『菩薩』が尊いのは間違いない。
だが、やはり『天使』とはちゃうねん!
可愛くないねん!
しかも、彼女はそれからも何かに取り憑かれたように妃教育に励み、私との逢瀬の時間はますます削られてしまった。
私も意外と忙しい身であるため、なかなか彼女と会えない。
それでも彼女と会うためならと無理にでも時間を捻出するのだが……
「チェツィは母上の指導によく耐えているね? 母上は厳しいだろ」
「王妃様にはとても良くして頂いております。厳しいのはそれだけ私を期待してくださっている証拠。将来はエーリック殿下を支える立派な妃にならねばなりませんから」
会ってする会話は貴族の模範回答で、見せる笑顔は変わらず菩薩の宿った笑顔。
もしかして……
考えたくはないが……
チェツィは私を好きではない?
彼女はこの婚約に乗り気ではない?
あぁ、なんという事だ!!
私は自分の気持ちばかりでチェツィの気持ちを考えていなかった。
チェツィから見れば、私との婚約は貴族としての義務。私がチェツィをどんなに愛しても、私の胸の内で恋が爆炎魔法究極のアトミックボムの様に燃え盛ろうとも、チェツィには何の関係もないのだ。
――チェツィ……お願いだ私に振り向いてくれ。
それに気がついた私は神に毎夜祈ったものだ。
だが神頼みではよくない。私はなんとかチェツィと逢瀬の時間を捻出しては彼女の瞳を見つめたり、その手を繋いでもみたが、彼女の顔に張り付いた菩薩を剥がす事はできなかった。
何で彼女は平然としていられるのだ!
くっそぉ! 私の心臓はドッドッドッドッと爆音を上げているのに!
いつだってチェツィを前にすれば私の理性は吹き飛びそうになるのにぃ!
この間のチェツィのデビュタントだって、彼女を前にして私の理性は瀕死寸前になった。
その夜会でのチェツィのエスコートはもちろん私がした。この立場を例え彼女の肉親にでさえ譲るつもりはない。殺してでも奪うッ!
実際、チェツィのエスコート役を巡って、メランコーリ公爵とチェツィの兄との三つ巴の殴り合いになった。
そして、この血みどろの戦いに私は勝利したのだ。
彼らとは雌雄を決するだろと思っていた私はこの日の為に騎士団に混じって血反吐を吐く猛特訓を繰り広げてきたのだ。
その私が負けるはずがない!
そして彼らにみごと勝利し感無量の私はチェツィを伴い入場した。
メランコーリ公爵とチェツィの兄が会場で歯噛みをしているのが見えた。
ざまぁ見ろ!
そして、この時チェツィは私の腕にそっと手を乗せたのだが、あろうことか彼女の胸が私の腕に当たったのだ!
ふよん!
柔らかく私の腕にあたった感触……
気持ちえがった~
もうね。私の理性は完全に吹き飛びそうになったわけよ。
こんな大勢の前でもチェツィを押し倒したい欲望に駆られても私は決して悪くないと思う!
だが辛うじて、薄皮一枚の理性でなんとか乗り切った。
この時の私の顔はきっと死んでいただろう。
キスくらいしたかったよぉぉぉ!――くそぉぉぉ!
それからもチェツィとの仲は進展しなかった。
彼女は間違いなく私の妻となる。
これは政略なのだから、それは絶対だ。
だけど学園に入学するとチェツィは王妃教育にどんどんのめり込んで、ますます彼女と会う機会が減った。
そんなにも王妃と言う立場が重要なのか?
いや、もちろん重要だ。
我が国の国母となるのだから重要なのは分かる。
真面目なチェツィの事だから、きっと国の為にと一生懸命なのだろう。
そうだ彼女は真面目で頑張り屋……
とても好ましい女性だ。
ダケドチェツィニワタシノコトヲスキニナッテ……
そうやって何の打開策も打てず、チェツィの気持ちが分からずに私が悶々としていると事件が起きた。
偶に学園へやって来たチェツィの周りに1人の令嬢のピンク色の影が見えるようになった。
最初は将来の王妃であるチェツィに取り入ろうとしているのかと思ったのだが、寧ろ不興を買う様な行動ばかりらしい。
頭の悪い令嬢が奇抜な行動で注目を浴びようとしているのだろうか?
私はその令嬢を調査したが、チェツィと相対している以外ではかなりまともな女生徒だった。寧ろかなり優秀であった。
幼い頃に独学で魔法をマスターしており、天才と言っても過言ではない。しかも、それを驕るでもなく授業態度は真面目で勤勉。学科の成績も常にトップクラスだ。
不思議に思った私は彼女と接触してみることにした。
彼女の名前はアリピー・フランゾル。フランゾル男爵の庶子だ。
彼女にチェツィの話を尋ねると、荒唐無稽な回答が返ってきた。しかし、彼女が嘘をついているようにも見えない。だが、このままではチェツィにもアリピーにも状況はよろしくないと思われた。
私は思案したが、アリピーのピンク色の髪を見て、ふと一計が閃いた。
実はここ最近、周辺国で王族や高位貴族の婚約破棄事件が多発している。私の耳に届いているだけで四件。
かなり奇妙な事件で、王子や高位貴族の令息が大衆の面前で自分の婚約者を罵倒し、『真実の愛』を見つけたと叫んで婚約破棄をしてしまうのだ。
いずれの場合も婚約者同士の関係は良好であったらしいのだが、何故か急激に関係が悪化してしまうらしい。そして、その婚約破棄騒動の渦中に必ず出現するのがピンク頭だ。
まるで何かの奇病にでも罹ったのではないかと思えてならない。
この話をしたらアリピーは「四件……前四作か……私以外にも転生者がいたのね……無茶するわ」とブツブツと呟いていたが、私には意味がさっぱりだった。
彼女は何か知っているのだろうか?
まあとにかう、そんな情報から思いついたのが今回の作戦だ。
アリピーと浮気している様に見せて、チェツィの本当の気持ちを探るのだ。チェツィが私の事を愛してくれているなら、きっと嫉妬してそれなりの行動をするはず。
いや、例え私の事を愛していなくとも、これをきっかけに私を意識してくれるようになれば、そこから愛を育むのも可能かもしれない。
そう! 重要なのは、チェツィの目を私に向けることなのだ。
そして、最後に私は近隣諸国で問題となっている婚約破棄事件……そうだな、病気にしよう――《婚約破棄シンドローム》と言うのはどうだろう?
そんな病気を患っていたとして、浮気ではなかったとするのだ。
病気という事にすればアリピーの名誉も幾分か回復できるだろう――そんな浅はかな考え。
きっと私は追い詰められていたのだろう。この時は名案と思ったのだ。
分かっている……今にして思えば穴だらけだ。
アリピーには悪い事をしたと思う。
どうやったってアリピーの名誉は損なわれる。
謝罪して済む問題ではないが、何とか彼女に報いたいと口にしたのだが、アリピーは報酬さえ貰えれば、名誉はどうでも良いと言って笑っていた。
どうにも彼女は貴族の生活が馴染めないようで、貴族をやめたいと言うのだ。
聞いたところ彼女は幼い頃は市井で過ごしていたが、魔法の天稟を発揮すると父であるフランゾル男爵が強引に引き取ったらしい。
できれば市井で母親と平穏に暮らしたいらしい。
彼女の生い立ちやフランゾル男爵からの仕打ちを聞くと涙腺が崩壊しそうになる。
ええ子や……何とかしてやりたい。
私がアリピーとこんな話し合いをしているところに、チェツィの元へ送り出した医者が血相を変えて戻ってきた。
嫌な予感がする……
「大変です殿下!」
「落ち着け……何があった?」
本当は聞きたくないけど、心臓はバクバクいっているけど、表面上は落ち着いて聞かないとね――だって王子だもん!
「ご指示の通りにメランコーリ嬢に《婚約破棄シンドローム》について説明をしたのですが……」
「ま、まさか婚約破棄される前に婚約解消するか言われたか!?」
今になってその可能性を思いついた。
それは拙い!
「い、いえ、そうではなく……その……あの……」
医師の目が泳ぎまくる。余り口にしたくない内容なのか。
「自分と殿下の場合なら大丈夫だと。何故なら『殿下と私は愛し合っていない』と仰られて」
「――ッ!!!」
私は絶句した。
うそぉぉぉぉぉ!!!
うっうっうっ……チェツィはやっぱり私の事を愛していなかったのかッ!
「殿下…心中お察しします」
心痛な面持ちで慰める医師に、しかし私はとある疑問が湧いた。
「だ、だが何故愛し合っていなければ大丈夫なのだ?」
「それは《婚約破棄シンドローム》はアッツアツのカップルにしか発症しないからですよ」
衝撃の医師の説明!
「は?」
「え?」
私は目が点になり、その様子を見て医師も首を傾げた。
「まさか《婚約破棄シンドローム》というのは実在するのか!?」
「もちろんありますよ。診断の虚偽ならまだ誤診で済みますが、架空の病名など診断したら、誤魔化しようがないではないですか」
うそぉ~ん!?
どうやら周辺諸国で起きている婚約破棄事件も《婚約破棄シンドローム》によるものらしい。
うう……こんな事で彼女の本心を知ることになるとは……
私は膝をついて項垂れた。
もう立ち上がる気力もない。
「あのぅ……殿下?」
アリピーが私を気遣う様に声を掛けてきた。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫だと思いますよぉ?」
「しかしチェツィに愛されていないと判明してしまったんだぞ!」
その事実に意気消沈する私だった。
ところが、彼女は「違うと思いますよぉ」と私の言葉を否定した。
「殿下のお話からもしやと思い今までチェーツィリア様に絡んで様子を窺っていましたしたが、チェーツィリア様はエーリック殿下に間違いなくほの字ですよぉ」
「どうしてそんな事が君に分かる!?」
「逆にどーして分かんないんですかぁ!?」
え?
逆ギレ?
なんなの?
チェツィはホントに私を好き?
そうなの?
私が分かっていないのか?
いやしかし、今までの彼女の行動を振り返れば――
「だってチェツィはいつの間にか『エル様』とは呼んでくれなくなったし、見せる表情にはいつも菩薩が張り付いているんだ」
「それはチェーツィリア様の立場では仕方がないのでは?」
――確かにそうだな。じゃあ、チェツィは……いや! まだ断定には早い!!!
「だが最近では習い事や妃教育ばかりで余り会うこともしてくれなくなったし、『将来はエーリック殿下を支える立派な妃にならねばなりませんから』って言っていた。彼女にとって重要なのは王妃としての責務なのではないか?」
「それはエーリック殿下の為に一生懸命という意味では? チェーツィリア様すごく健気……」
頬を染めて語るアリピーを見ていると、私もそれが真実のような気がしてくる。
「チェツィは私の事を?」
「間違いありませんよぉ」
そうか、そうか、そうなのか!
やったー! チェツィは私を好きなんだ!
いや、まだだ! まだ喜ぶのは早いぞッ!
「しかし、チェツィは『殿下と私は愛し合っていない』から大丈夫だと……」
「もう一度《婚約破棄シンドローム》について考えてみてください」
「ん?」
アリピーはため息をついて人差し指を立てると、いいですかと言って説明を始めた。
「この病気は女性側の想いは関係ないのですから。つまり殿下がチェーツィリア様を愛していないとチェーツィリア様は誤解なさっておいでなのですぅ!」
「あっ! 愛し合っていないのではなく、私がチェツィを愛していないと思われていたのか!」
「やっとそこに気がついたのですかぁ!?」
アリピーが呆れ顔だ。不敬だがこれは確かに私が悪いような気がする。
「ど、ど、どうしよう? どうすればいいのだ?」
慌てふためく私を前に、アリピーは胸を張って両手を腰に当てて私を睥睨した――ちょっとこの子、態度がデカくない?
「そんなの答えは一択です――」
彼女はドーン!と私に指を差す。
なんだか彼女の背後に太った黒ずくめの男の姿が見えるような……
「――告白するんです!」
――――<チェーツィリア視点>――――
殿下のご病気を告知されてから数日後……
私は殿下より学園の庭園に呼び出されました。殿下が庭園の中央に屹立しているスリズィエの木の下で待っておられます。
その木に咲く淡い桃色の花が時折、風に舞って踊る様はとても幻想的です。
「殿下、お待たせして申し訳ございません」
「いや、こちらこそ急に呼び立ててすまない」
私達はいつもの様に挨拶を交わします。
「チェツィ……君に伝えたい事があるんだ」
「私に? 伝えたいこと?」
小首を傾げる私に殿下は大きく頷かれます。
「そう……最初からこうすれば良かった」
殿下はそう言うと私の手を取って顔を近づけてくるではありませんか!
私の心臓は悲鳴を上げ、一瞬止まったのではないでしょうか?
あぁ、殿下が私の手を……
私は嬉しさに心臓が破裂しそうです。
そして、しっかりと私の目を見据えて、おもむろに口を開きます。
「私の瞳に君の姿を閉じ込めたい。ただ君の姿だけを……そして、君の瞳には私以外の男を映さないで欲しいんだ。チェツィ……私の傍にずっといてくれ」
殿下からの素敵な愛の告白!
この喜びをどのように表現したらよいのでしょう……
ですが――
「お断りします」
――私はその申し出を無下にします。
「なッ!?」
私が手を振り払い拒絶すると、絶句した殿下がこの世の終わりみたいな絶望した顔をしておられます。
ちょっと罪悪感で胸がキュッと締め付けられた感じがいたしますが、これもちょっとした意趣返し。
「今のセリフは誰の入れ知恵なのです?」
「え!?…あ…ぅ……」
殿下の目が泳いでおいでです。
私はちょっとオコなんですよ。
私にきちんと自分の言葉を伝えてくれない殿下に。
そして、それ以上に殿下をそんなにも追い詰めた自分自身に。
「アリピーですか?」
「あ……う…うん……」
本当の事を言えば、私は全て知っていたのです。
何故かって?
実はアリピーから全ての事情を打ち明けた手紙が届いたのです。
殿下の告白の言葉もそこにばっちり書かれていました。
この告白劇はアリピーの細工、アリピーの演出。
だけど、彼女はこんなのでは殿下と私の為にならないと考えてくれたようです。
きっと他人から言われたのではなく、自分達の想いを自分達の意思で、自分達の言葉を交わさなければ、また同じ事を繰り返す。アリピーはそう考えたようです。
良い人ですね彼女……
殿下から報酬を貰っていると書かれていましたが、アリピーには私からもお礼を差し上げねばならないでしょう。
「誰かに言われたのではなく、誰かの言葉ではなく、私は殿下の……直接エル様のお口から、エル様のエル様自身のお言葉で告げて欲しいのです」
私はしっかりと殿下の――エル様の目を見て、素直な気持ちを告げました。
その私の様子に挙動不審だったエル様もしっかりと私を見返してくださいます。
まだ口をパクパクとさせ言葉を探しているようですが――ちょっと可愛いです。
「私はチェツィが好きだ――」
やがて、意を決したのかエル様は一度キュッと口元を引き締めてから、言葉を……想いを口にしました。
「――私はチェツィが大好きだ!ずっとずっと…出会った時からずっとチェツィが好きなんだ!」
「私もです……エル様」
「――ッ!!!」
私の告白の返事にエル様が目を大きく見開き驚いております。
これで少しは私の気持ちも晴れました。
「チェツィ……その、あの……愛している……愛してる、愛してる、愛してる! 私はチェツィを愛してる! 他に何も言葉にできないけど、でも『愛してる』なら何回だって……何百回でも何万回でも言える――」
エル様はしっかりと私の手を握られました。
「――私はチェツィを愛してます。私と結婚してください」
そのエル様のその率直な言葉に、エル様のその素直な気持ちが溢れて、私は胸がいっぱいで目から熱い雫がじんわり湧きます。
だから私も素直な気持ちを口にするのです。
「はい…はい……エル様……私もずっとずっとお慕いしておりました。こんな不束な私ですがエル様のお嫁さんにしてください」
エル様は思いっきり私を抱きしめると、私の耳元に口を近づけ「ありがとう」と仰いました。
その後、私を離したエル様はご自分の顔を私に近づけ……
そして私の唇に……
あの…その……えっと……
え、ええ、分かっておりますとも。
は、はい、存じておりますとも。
これが世に言う相思相愛……
だからこれでハッピーエンド――
最後までお読みいただきありがとうございました。
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