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消えたい女

作者: jh

「今日も夏期講習でしょう?」私は嫌な予感がして、娘の部屋のドアを開けた。そろそろ支度を始める時間なのにその気配は一向にない。

「ママ、今日は塾行かない」娘は壁に寄りかかってベッドの上に座り、スマホをいじっている。またゲーム。

「昨日は行けたじゃない、今日も同じように行ったら?」

「昨日行ったから今日は行きたくないのかもしれない」

「去年と同じじゃない? あなたが夏期講習に行きたいというからお金出してるのに、また今年も行かないつもり?」

「行きたいなんて言ってない、家だとママがいて勉強できないから」

「だったら行きなさいよ、何でゲームしてるのよ、また勉強遅れちゃうじゃない」

「ママみたいにちゃんと学校に行けた人は私の気持ちはわからないよ」

またこれだ…、娘の言い返すことさえ嫌になる、何で私は母親なんてやっているのだろう? いっそのことこの世から消えてしまいたい。


「お嬢様は繊細なんです、責めないでください、大人になると苦いものが食べられるようになるって言うじゃないですか? 僕は子供の頃にビールを一口飲まされた時に、こんなに苦いものを喜んで飲んでいる大人に不信感を抱きましたよ、でも今は大好きです、大人になると味覚が鈍感になるなんて言われますけどちゃんと理由があります、苦いものは毒があるかもしれない、だから口に入れたときに吐き出すのは人間の本能です、社会生活を通して毒がないから大丈夫だと学習していくんです、お嬢様が学校に行きたくないというのは危険を感じるからです、他のお子様よりも繊細なんです、今はお嬢様のやりたいようにさせて暖かく見守ってあげてください、非難するようなことは仰らないでください、大人になればやり過ごせるようになることが今はまだやり過ごせない、病気ではありません」

娘の心療内科の先生はそう言った。

「じゃあやり過ごせなくてSNSで誹謗中傷を書き込む大人は病気なんですか?」と私は言い返した。

嘘。私に言い返せるはずなどない。やり過ごすことしかできなかった。

医者も見透かしているのだろう。私は娘よりもなめられているのかもしれない。自己主張できる娘を私は羨ましく思っているのだろうか。 

娘を連れて心療内科という場所に初めて足を踏み入れた時、こんな経験をすることになるなんてやるせない気持ちになったけれど、院内には驚くほど若い人の姿があった。そして三度目くらいからからくりがわかった。心療内科の医者は常に患者の味方だ。家族は患者を理解しなければいけない。治療費を払う親のことは批判しても、患者本人のことは決して悪く言わない。そして何も改善しない。もし事件でも起こす気があるなら、心療内科に通っておいた方がいい。病気ということで刑を逃れられるかもしれない。…その心配はないか、死にたいと心の中でつぶやきながら毎日生きている私に大それたことなどできるはずもない。


小学校五年生の頃から、娘は学校を休む日が増えた。

いじめられていたわけではない。クラス替えがあって、それまでいつも一緒にいた仲の良い子とクラスが分かれてしまった。その子が新しいクラスの子たちと楽しそうに話している姿を見てから、学校に行くのが怖くなった、娘はそう告白した。

それだけのこと…、私はその言葉を我慢して呑み込んだ。

娘は小学校を受験させて大学までエスカレーターで行ける私立に入れた。確認したところ、出席日数が少なくても高校までは進学させてもらえる。

学校に行けなくなってしまう子が同学年に五人ほどいる。彼女たちは特別なクラスで授業を受けている。その子たちがいることで娘はなんとか毎日ではないけれど学校には通っている。でも、まさか自分の娘が学校に行けなくなるなんて夢にも思わなかった。

公務員の父の転勤のおかげで私は何度か学校を変わった。小学校5年でアメリカに行き、中1の終わりに帰国したが、もともと住んでいた場所に戻ったわけではなく、知り合いが一人もいない中学に行くことになった。

転校をするたびに私はやり過ごした。学校になんか行きたくない、そう毎日思っていた。でも親にそんなことは言えなかったし、引きこもるという大胆な行動にでる度胸もなかった。仲のいい友達とクラスが別れたから学校に行けない、娘の言葉に私は脱力して怒りもわかなかった。

「大丈夫だから」娘を抱きしめた。娘も涙を流した。娘が心の底から愛おしかった。美しい思い出は悪夢の入り口だった。

勉強が得意なつもりでいた娘の成績は、学校に行けなくなってから下がる一方だった。それがまた学校を嫌いになる悪循環。

娘は私に甘えている。私に気を許しているからきついことを言う。

最初は腫れ物に触るように接していた。腫れ物ならすぐに引く。数年続けばもはや腫れ物ではない。そんなに言いたいこと言えるなら学校に行きなさい、と私は声を荒げる。娘は怒ったり泣いたり、とても面倒くさい。


「塾の連絡は自分でしてよ」

「ママやってよ、私が連絡してもどうせママのところに電話かかってくるよ」

「勉強いつ始めるのよ?」

「そのうち」

「私がいない方がはかどるんでしょう? 少ししたら出かけるから」

「いってらっしゃい」

私は娘の部屋のドアを閉め、リビングのソファに向かった。お昼は勝手に食べて、と口から出そうになったけれど、言わなくてもどうせ娘は勝手に食べる。家の中では無敵だ。結局またすべて私まかせ、パパもそう。娘の親権をパパに渡してこの家から消えてしまいたい。この先生きても楽しいことなんて何もないよ、きっと。


私は女子大の付属の高校に入った、大学を卒業するまでの七年間はストレスのない時代だった。娘を大学の付属の小学校に入れたのも、私に似てあまり競争心のない娘には過ごしやすい環境だと思ったからだ。おかげ学校には行けなくても高校受験の心配はないけれど、高校は留年も退学もある。娘は時間稼ぎをしているだけ。私の時間は止まったまま動き出す気配さえもない。

私が就職して五年目に三つ離れた兄が結婚をすると言い出した。両親も兄も同じ家で一緒に暮らしていたが、当時の私は家では必要最低限なことしか言わなかった。父は先方の父親と親しくて、あのオタクの兄が自力で結婚相手など見つけられないだろう、親の紹介で知り合った人と結婚を決めたのだ、と私は勝手に思い込んだ。そういう私も七年間の女ばかりの生活の影響か、就職してからも同期の女子が同期の男子と普通に話しているのに、私だけは妙な壁があって「お上品ですね」とよくからかわれた。私も見合いでもしない限り結婚などできないだろう、と半分諦めて、半分覚悟をしていた、だから、兄の結婚が決まって上機嫌な父が「みずきに結婚する気があるなら、紹介したい人がいる」と言い出した時、軽い気持ちで「お願いしようかな」と答えてしまった。あとで知ったことだが、兄の結婚相手が父親の知り合いのお嬢さんだったことはただの偶然だった。

そして私は朝倉みずきになった。

夫は電機メーカーのエンジニアだが、私は夫に会うまでエンジニアという職業を知らなかった。今もよくわかっていない。夫は私の仕事のことを何も訊かなかったかわりに、自分の仕事の話もほとんどしたことがない。娘の教育はほぼ私にまかせきり、それでいて娘はパパ、パパとよくなついている。

夫が仕事の話をほとんどしないことで、私は一つの妄想を膨らませている。朝倉という苗字も、戦国大名だった朝倉氏の一族と関係があるのではないか。信長に敗れたが隠密のような家系として生き延びたとか…、隠密は家族にも自分の正体を明かさないらしいし、私の父も役人なので何かのつながりがあってもおかしくない。父も仕事の話を家でしたことはない。もしそんな特殊な一族であるなら、その血を引くのはうちの娘…、いくらなんでも荷が重すぎるだろう。あるいはそんな娘にしか育てられなかった私は嫁として失格なのだろうか? そもそも私の推測が正しく、朝倉が特殊な一族ならば、それを問いただしたところで、父も夫も確実に否定する。つまりする価値のない質問だ。確かめる唯一の方法は私が何かをやらかすことだろう。その時、私は切り捨てられるのか、守られるのか、家族ともども失脚するのか、あるいは法に従って当然の罰を受けるのか、…いずれにせよ、好奇心を満たすためならリスクが高すぎるし、そこまでして暴きたい秘密でもない。


ソファの上で私はスマホで数か月前のメールを読み返している。その人は年に一度私の誕生日にメールをくれる。私はありがとうと返信を送り、翌月のその人の誕生日に私からメールを送る。やりとりはそれだけ。それなのに今その人の声が聞きたくてたまらない。その人に私の話を聞いてほしい。

私は恋という感情を知らないまま結婚した。初めて恋に落ちたのは結婚した後だった。

帰国子女で英語だけは多少の自信があり、新卒で大手企業に採用された。配属された部署にいかにもキャリアウーマンという感じの五年上の先輩いて、彼女も帰国子女だった。

「どのくらいアメリカにいたの?」と訊かれ、「小学校から中学の2年だけです」と答えると、「それでそれだけ喋れるなんて、あなた相当努力したでしょう?」と彼女は言ってくれた。英語の成績が良くても「帰国子女なんだから当然だ」と言われることはあっても、努力を誉められたことなんてそれまで一度もなかった。私は涙が出るほど嬉しかった。彼女は私が結婚した二年後に外資系企業に転職したが、そのわずか数か月後に突然電話があり「うちの他の部門で人を探してるの、給料もいいし働きやすいわよ、来てみない?」と誘ってくれた。面接は緊張して臨んだがあっけないほど簡単に採用が決まった。私は三十歳の手前で初めて転職し、新しい会社でその人に出会ってしまった。

その人は時々話しかけてくれた。私より七つ年上で、妻と小学生の息子がいて、帰りの方向が私と一緒だった。何度か途中まで一緒に帰るうちに食事に誘ってくれた。その時にはもう、私は会社に行く目的が彼に会うことだった。

何度目かのデートでホテルに誘われた。私はもちろんついて言った。彼が挿入しようとしたとき、私は「それだけはしないで」とお願いした。彼と裸でベッドの上で抱き合っているだけで幸せだったし、ここまで来ておきながら夫以外の男の人とセックスをすることはいけないことだと頭が訴えた。

彼は納得してくれた。次のデートでは誘ってくれなかった。その次は私からお願いして、彼を受け入れた。その関係が二年ほど続いた。私は本気で彼と一緒になりたかった。恋に落ちて恋に溺れた。「中に出して、子供ができてもいい」とお願いしたことも一度ではない。そのたびに彼は「そうなったら困るでしょう?」と優しく言いながら、絶対に私の願いを聞いてはくれなかった。彼と同じ時間を過ごした後は緊張して家に戻り、シャワーのお湯で彼の匂いと私の涙を洗い流した。

ある日、仕事をしていると彼から携帯にメールが来た。「今日の予定をキャンセルさせてほしい」

理由を聞くと息子が熱を出したという。

「私より子供の方が大切なの?」私は訊いた。

「そうだよ」彼は答えた。

そこから彼の出張が入ったり、私の母がけがをして入院したり、どういうわけかお互い数か月すれ違って、その間に私は夫の子供を妊娠した。これでよかったのだ、私は思った。彼の子供ではなく夫の子供を宿してよかった。まともな母親になろう、そう誓った。

妊娠したことを告げると、彼は「よかったね」と言って嬉しそうに笑った。子供が欲しいなどと言う不倫相手との関係の終わらせることを彼が考えていなかったはずはない。女の方から終わりにするという男にとって一番楽な結末を用意した私は最高の相手だったのだろう。自分の子供かもしれないと疑う様子を彼はみじんも見せず、私も試すような余計なことは言わなかった。

結婚してから始まった恋は私の妊娠で終わった。

恋をしている間、私は陶酔していた、妊娠して陶酔が覚め、私は娘を受け入れて母親になる覚悟を決めた。それまでも苦しくても幸せな日だった。私の幸せな思い出は不倫だ、美しい思い出ではない。

人は秘密を抱えて死んでいくものなのだろうか?

秘密などない人生が幸せなのか、秘密のない人生なんてつまらないものなのか、秘密を持ってしまった私にはわかりようがない。

妊娠したと判った時、あの人の子供だったらと想像をした…、それを願ったのか、あるいはそうだったらどうしようかと心配したのか、今となってはどちらも正しくてどちらも違う気がする。

私は何でここにいるのだろう? この先生きていても楽しいことなんてあるのかな?

自分の娘はかわいい、よその子どもを見ても立派なお嬢さんだと思うことはあってもかわいいとは思わない、自分の娘はまったく立派ではない、…そもそも私に母親など向いていないのではないか?

私は夫をパパと呼び、夫は私をママと呼ぶ、いまさらもうどうにもならない、不倫などしないまま子供を持てたらこんな呼び方はしなかっただろう、夫のことを本当に愛していたらパパなんて呼ばない、私の父親ではないのだから… 


仕事を辞めたことは今になってものすごく後悔している。産休を取って働くことはできたけれど、同僚の産休中の陰口はかなり酷く、私も休んでいる間はこんな風に言われるのかと思うと復帰してからやっていく自信がなかった、私は退職を選び、夫も反対はしなかった。

別れた後に未練があるのは男の方だとよく言うけれど、その通りだ。退職してから彼のことは綺麗さっぱり忘れた。

別れてから十年が経過した頃、彼が離婚して会社も辞めたと風の噂で聞いた。私は消去していなかったメールアドレスに連絡をした。彼からは連絡ありがとうという短い返信があった。私が会いたいと告げると彼はでてきてくれた。疲れた顔で、給料の安い会社で細々と働いていると無理に笑った。私は、「大丈夫よ、どうにかなるわ」と何の根拠もない優しい言葉をかけたが、もちろん心の内ではこれが現実なのだと感じていた。娘はまだ普通に学校に行っていた。夫を捨ててこの人のもとに行きたいと切望した憧れの人は輝きを失い、私は自分の選択が正しかったことを確認しただけではなく、彼のことを哀れに思った。その一瞬の優越感は、彼の言葉で打ち消された。

「みずきには酷いことをしてしまった、ごめんなさい」

違うよ、酷いことじゃない、私は口にしたかったが言えなかった。それを言ってしまったら何かがひっくり返ってしまうような気がして怖かった。


日傘を持って外に出たが、すぐに失敗したと思った。

とにかく暑い。

住んでいるマンションは繁華街に近く、わりと大きなショッピング・モールまでは歩いて行ける。私は涼をとろうとショッピング・モールに入り、すぐに虚しい気分に襲われる。自分が抱えているすべてを捨てたい私に欲しいものなんて何もない。何もない通りを何も考えずどこにも向かわずにただ歩きたかった、そんな些細な希望さえ真夏の太陽が私に許さない。娘が普通に学校に行っていた頃の暑い夏の午後、夫は仕事、娘は友達と出かけて家に一人でいるときに冷房を強くかけ羽毛布団のベッドでの昼寝は極楽だった。今はそこにも楽しさはない、眠っている間にエアコンの温度が急低下して私を凍死させてくれないか願うくらいだ。

ショッピング・モールのはずれに車のディーラーがあった。ショーウィンドーには真っ赤なSUV、夫が運転する地味なシルバーのセダンとは同じ車とは思えない輝きを放っている。私は引き込まれるように店の中へ入った。目の前で見ると赤いSUVは大きくて戦車のように見えた。私のつまらない日常を破壊して非日常へ連れて行ってくれる戦車、この車を運転して彼のもとに行きたい。

私は近くにいた店員に声をかけた。「試乗できますか?」

試乗車は赤ではなくグリーンだったことで、肩透かしをくわされた気がした。

ディーラーの男の人が私を助手席に乗せて一通り操作を説明すると辺りを五分ほどドライブしてくれた。

「交代しましょう」と言われ、運転席に座る。いざハンドルを握ると緊張で肘のあたりが震えそうになる。

私は無理に笑みを浮かべて「やっぱり大きいですね」と言った。

「でも車高が高いので運転しやすいですよ、普段はよく運転されますか?」

「いえ、運転はほとんど夫が…」私はついつい本当のことを言ってしまった。自分がハンドルを握ることは年に数度しかない。

「大丈夫ですか?」彼が不安そうに訊く。

「大丈夫です、できます」私は本番前に気後れしているのが発覚し、心配になった先生に声をかけられて必死に強がっている子供のようだったが、アクセルを踏んでしまえば案外どうにかなる。この車であの人のもとへ行けそうな気がする。

試乗が終わり、車を降りると、ディーラーの男の人は「ぜひご検討ください」と笑顔で言った。

「この車、欲しいです」私は言った。

「お気に召していただきましてありがとうございます、一度ご主人様とご相談されてはいかがでしょうか?」

「今欲しいんです」

「今ですと納車に2か月ほどいただいております」

「そんなに?」

「はい、ですからぜひご相談されてからまたいらしてください」

私には車も売ってもらえない。せっかく前向きになれたのに結局体よく追い返されてしまった。心療内科の医者は娘の意向を優先し、車のディーラーは夫の意向を優先する。私な大事にされていない。

「お近くでしたらお送りします」と言うので、モールの中を通りたくなかった私は駅まで送ってもらった。次は電車の中で何も考えずに揺られてみたかった。

ホームに着くとすぐに電車が来た。車内は空いている。今度こそは私のささやかな願いがかなえられた。私は自分の希望通り放心状態になった。気がついたときには電車を降りて歩いていた。

彼のところへ向かうどころか、何も考えないまま、娘の通う中学校を目指していた。

私はいなくなることもできない。


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