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地下室の誕生日

普段は節約してあまり用いないランプの光と蝋燭の炎とが、いつになくわびしい地下室を明るく照らす。歓月(かんづき)の12番目の日、これがわたしの誕生日だと聞いている。そして公爵家の悪夢の始まりの日。罪深い生であると理解しているけれど、エラはこの17年間一度も祝いを欠かしたことはない。誕生日はいつも決まって朝はやくに起こされて、昨夜から仕込んだ食事の前に座らされる。支給の食料は限られていてエラはいつも申し訳なさそうな顔をするけれど、彼女のグラタンは何よりのご馳走だ。嬉しそうな顔をするわたしに、ようやくエラは安堵したような表情をして食事に取り掛かる。そしてそのあとは誕生日のために編んでくれたあたたかなセーターを贈ってくれる。いつもジメジメと冷たい地下室でも、それがあれば寒くない。

誕生日は何気ない優しさに溢れている。それが尊いことだとわかっているから、わたしは今年もその日を楽しみにしていた。はずだった。


「…ラ、ステラ」



「…エラ…?」



くるまっていた毛布をのけて、エラが硬い表情をしている。その顔に疑問を抱く前に、ガタン、とどこかから音がした。



「なに、」



あまり物が置かれていない地下室では音が強く反響する。鼓膜にこびりつくような乱暴な音に思わず肩をいからせて毛布を握りしめれば、エラがわたしの腕を引いてベッドから起きるように言った。



「エラ、この音なんですか?」



「はやくこっちに。」



わたしの言葉を無視して、手首を強く掴んだエラは素足のままわたしを地下室の奥へと導く。そこは食料や必要な物資が運び込まれる小さな穴がある一角で、わたしは困惑を隠せずにただならない様子のエラに首を傾げた。



「エラ、どうしたんです?なにかあったんですか?」



「おい、こっちだ!」




問いかけた瞬間地下室の反響に人の声が混じって、わたしの足は止まった。バタバタと響く足音はどうやら一人ではない。エラ以外の人間を見たことがないわたしは、緊張と困惑でわけもわからず言葉を呑んだ。そんなわたしの肩を握りしめて、エラは昂りを抑えるような声音でわたしに語りかける。



「よく聞いて。あなたはここから逃げなさい。」



「逃げる…?」




何かが背後から迫ってくる。その気配に心音が高まり、冷静にエラの言葉を理解できない。逃げるってなに。今まで17年の間、ずっとここで生きてきたでしょう?どうして逃げなければいけないの?



「このままここにいればあなたは殺されてしまう。」



「殺される?だって、じゃあなんで今まで」



「あなたの小さな体だったらこの穴から出られるわ。この穴から出たら東に走りなさい。東に行けば樹海がある。そこまで行けば木があなたを隠してくれる。」



わたしの小さな体だったら?

エラは?と小さく声を漏らすわたしに、エラは少し顔を歪めた。何かを耐えるような表情で、わたしの肩をぎゅっと握る。一緒に行こう?と言いかけた瞬間、エラは何かを振り切るようにわたしの背を押した。



「私が押さえているから乗って!」



穴の真下に木箱を置いて、エラが吠えるように言う。訳もわからずに首を振ってそれを拒否すれば襟元をひかれて乱暴に引き寄せられた。



「いい子だから言うことを聞いて!」



「なんで?エラも一緒に」



「お願いだから。私のステラ、星の子。あなただけはどうか生き延びて。」



ガタンッと何かを跳ね除ける音が近くなる。木が砕けるような音がしたかと思うと、知らない人の怒声が響き渡る。泣きそうな気持ちで首を振り続けるのに、エラの折れそうに細い体が‘わたしの体を抱き上げて、木箱へと乗せた。そのまま焦りに濡れた顔に突き動かされるように穴に手をかけるとそのまま押し上げるように腰を押される。そうして初めて足を踏み入れた外界は、暗いのに、暗くない。風があって、光がある。空に浮かぶ光源に思わず息を呑んで見惚れていれば、穴のそばにあった手を掴まれて、はっと意識が戻った。その指先はひんやりと冷たい。



「エラ、すごいですよ、見てください。あれが月ですか?」



「おいあっちだ!クソ、乳母は一体何してんだ!」




怒声が近い。エラが差し出す指先を咄嗟に握りしめると、エラは泣きそうな顔をして笑った。…この時の記憶は実は朧げだ。まるで夢を見ているような心地で、焦りも恐怖も膜の向こう側だった。けれど、その笑顔だけなぜか脳裏に焼きついたように刻まれている。



「どうか、逃げて。」



「エラ?エラも一緒に」



「お誕生日、おめでとうステラ」



指先が下される。怒声の反響はもうすぐそこまで迫っていた。どうして?と幼児のように首を傾げるわたしを、エラはとうとう怒鳴りつけて差し伸べる手を払った。



「私の光、どうか幸せに」



突き放されるように駆け出した足は慢性の運動不足で小枝のように頼りない。それを叱咤して東へ、東へと行く道を、月明かりが優しく照らす。本で何度も読んだこれが夜というのだと、わたしの頭は不思議と理解した。


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