〜良くも悪くもヒユサリア〜
ただの天才コンパルダスの最後2
〜良くも悪くもヒユサリア〜
静夏夜
ヒユサリアの身勝手な話は、もう何杯目かも判らない程に酔いが回っていた私の頭に更なる血を昇らせた。
その後の話を曖昧な記憶で目を覚ました事に凡その不安感が募るが、私が寝ているのを知っているだろう二人のやり取りが薄っすらと開いた目から入って来る。
イスラリオから何かを受け取ったヒユサリアがその中からポーカーのカードを選ぶ様に数枚を取り出し、残りのカードをイスラリオにしまう様に返すと取り出したカードをニヤけた顔で確認している。
イスラリオは更に何かを渡すとヒユサリアの顔が引き締まる。
金だ! この顔は商社時代に散々見ている。
きっと私も当時はこんな顔をしていたのだろう。
金を数える姿は何処から見ても判る程に目立っている事だろう、裏路地のバルの一角には似つかない真剣な顔とピンと張った緊張感が姿勢にも見えている。
ほんの数秒の出来事だが、私にそれが何を意味するのかを理解させるには十分なものだった。
寧ろこれを見逃していたら私は完全にヒユサリアの術中にハメられていたに違いない。
寝てしまった自分の後悔や不安感を一掃する程の成果を得られたとも思える。
そもそも商社に居た頃の私なら相手の前で寝てしまう様な事はしない。
それは今の仕事が安全な箱の中である事を再認識させ、自身の危険を察知する鼻も鈍った事をも理解した上で、その感覚を呼び覚まそうと深く息を吸い込み私が起きた事を知らせた。
慌てる様子も見せない様にスッと金をしまうとヒユサリアの顔は一瞬にして相手を油断させる程の愛嬌のある笑顔をみせた。
商社時代にもこの切り替わる瞬間は見た事が無かったが、初めて見たその変貌の早さには恐ろしさしか感じない。
気を引き締めるがそれを見せれば見ていた事を疑わせる、私は目を擦って起こした目を隠してみせた。
私が寝ている間に食べたつまみや通った人やの話を出して、早速ヒユサリアが起きたばかりの私を何処から起きていたのかと疑い笑顔で確認してきた。
金やトランプの話を織り交ぜ私の目の反応を見ているのだろう、トランプの話をして来る辺りは流石だと感心する他にない。
アレがトランプだとは思えないが、そう考えさせる事で出るだろう反応こそを見ようとしているのだと。
起きた事を知らせる前に気付いて無ければ完全に見破られていた筈だ。
この男との過去の記憶に、今目の前で私を騙し探っている手口を織り交ぜると、私を追い出したあの小口契約に罠を仕掛けたのもヒユサリアなのではないかと……
そんな過去の記憶にまで疑心暗鬼にさせたヒユサリアが疑いを晴らせたのか、今度は新たなカードをきって来た。
イスラリオとやり取りしていたあのカードだ。
ヒユサリアに促され、イスラリオが出したそのカードは写真だった。
既に私が行く事は決まっていた。
うる憶えだが了承したのは誰の為でもない、金だ。
家族サービスに媚びる連れもいない私には夏のヴァカンスに行く理由もないが、大通りに住んでいた私は渋滞の排気ガスから肺をヤラれていた。
通院で済ませてはいるが薬代も馬鹿にならない。
値段の安い大通りに住む者の大半は安月給で、真実を知りつつも流行病の様に受け止め生きていく為に我慢していた。
しかしその真実は住んで数年経って襲って来る。
住人は自分の惨状に後悔をしても訴えようにも相手は巨大な車産業だ。
彼等は押黙り我慢しているのだから、私も真実を知りつつ入居した訳では無かった。
そして今では私もその押黙る住人の一人となっている。
ヒユサリアはそんな私の健康状態やその真実を知っているかの如くに金で揺さぶって来た。
恐らくは商社と配車、勝者と敗者の云われを何処からか耳にしたのかも知れないが、私にはタイミングの良い金の身入り話になってしまった。
ヒナどころか金の卵に見せられて、逃げるも何も毒の林檎を口にしていた。
写真はビッグヴィクトルが行方不明になる前に雑誌社へ送って来たレイモンドのコテージの前景と写真立ての亡くなったレイモンドの妻、他にも数人の写真の中の写真に写る人々は恐らく亡くなった者達だろう。
これを見せられ尚更に、眠ってしまった私の油断がヒユサリアの油断を誘ったのだと不幸中の幸いの様な安堵は無いが、自分のミスを帳消しにする程のファインプレーだと思えた。
ヒユサリアが選択していた写真を見せられているのだから、ビッグヴィクトルが撮った中の何かを隠しているのだと知る事は出来た。
それが何かはまだ解らないが、何を意味するのかは理解出来る。
この【人形館の殺人鬼レイモンド】の謎解きには謎解きと同時にヒユサリアとイスラリオの隠したい何かがあるのだと。
それは、解くべき謎と解いてはならない謎があるという事を示唆している。
その解いてはならない謎が判る程のヒントはまだ無い。
今私がすべき事はそのヒントを探る事。
そして、それをヒユサリアに見透かされない様に人形館の謎解きをも進めなくてはならないのだと理解した私は、商社時代の顔つきに戻りそうになるのを堪えると、どんな顔をすべきかと顔の筋肉をアチコチ動かし悩んだ挙げ句に敢えて真剣な表情を選択していた。
これから謎解きをするのだから当然の選択だと気付いたからだが、真剣な表情を見せるとヒユサリアはすぐに反応を示して警戒心か読心か、こちらを見る目は明らかに変わり話しながらも私から目を離さない。
試しにライターになった男が送って来た写真はこれだけなのか? と、意味深気に尋ねてみるとイスラリオが、そうなんだ、だから解らず困っているのだと同調してみせて来た。
イスラリオも中々の策士だと解ったが、こうなると写真から二人の詮索をするのは難しい。
何か他の話で揺さぶりをかける他に無いが、写真を前に他の話はそれこそ不自然だろう。
先ずは本題の謎解きだ。
人形館の云われとなる人形が映った写真は無いのかと探すが見当たらない。
コテージの前景写真を指して、コレがその人形館かと聞くのも馬鹿らしいが確認は必要と、一応までにと前置きして尋ねると頷きを返してきた。
同じ様に妻と数人の写真の中の写真に写る人々は亡くなった者達かと尋ねると、やはり頷きが帰ってきた。
そこで私は、この亡くなった者達の中のどれが最初と二番目の被害者かを尋ねるとイスラリオは一瞬ヒユサリアを見て何かを確認しようとしていた。
しかし、私がそれを見逃さなかった様にヒユサリアも私の見つけた時の反応を見逃さなかった様で、すぐにイスラリオが何をしたのか確認しようとイスラリオを見回していた。
それはヒユサリアにとって被害者の話に解いてはならない謎が無い事を示していた。
そして解かれて困るのはイスラリオで、解かれて困る事が何かを知っているのがヒユサリアだと。
中々にややこしい関係にある二人の秘密は、人形館の謎解きを困難にするだろう事は確実だと私の頭の中で警鐘を鳴らしていた。
それでも謎解きのヒントを探るのは金の為ではあるが、実は人形館の最初の二件までの犯人には凡その見当がついている。
今知りたいのは三件目の犯人だ。
その為に被害者を知る必要があった。
そして私の仕掛けた罠に二人は気付かずに写真の中の被害者を二人指していた。
これで二件目までの犯人は解ったが同時に目の前の二人にも警戒をしなくてはならない事を理解させ、私は罠にかけた事を隠す為にそれとなく自分が間違えた様に話をぼかし、妻が殺された日の概要を尋ねるといつから用意していたのか、ヒユサリアに促されイスラリオが資料を鞄から出して来た。
ヒユサリアが罠にハメられたと気付いたのかは解らないが事件の概要を自分達の口から説明するのを避けようとしていた。
それは私からの質問をも避けようとするに等しく、つまりは警戒されたのだろう。
それを示す様に酔いの覚めた私に酒を推めて来た。
謎解きをしようとしていた私に酒を推めるのだからこれ以上に可笑しな話は無い。
ヒユサリアも焼きが回ったか? そう思えたが、これも彼なりにコチラの油断を作り出そうという罠なのだろうと捉え気を引き締めた。
仕方なく資料を見るが、凡そは私見通りの内容に、寧ろ疑心暗鬼になる程の簡単な謎解きに感じたが、故に何故未だに事件は解決もされずに犯人も逮捕されていないのかが解らず、腑に落ちない現実が目の前にある腑に落ちない現実と繋がっている事を踏まえて納得せざるを得なかった。
イスラリオの顔には謎解きをして欲しいと頼むには似つかない不安な表情を浮かべている。
ヒユサリアは自分の仕掛けた罠に落ちた獲物が、更に奥へ奥へと進み餌を掴んで後ろの檻の柵が降りるのを待つ様に見張っていた。
何気ない様に思えたヒユサリアのその目は私の背筋を凍らせた。
私は間違っていた。
何かが腑に落ちなかったその答えは、私のとんでもない間違いだったと気付いた。
私はヒユサリアにとって獲物だった。
そしてイスラリオは依頼主では無く、別に依頼主が居るのだと。
でなければ獲物が罠にかかった時点で依頼主は納得する筈だ。
だとすれば依頼主は?
私が本当に謎解きすべき解いてはならない謎はヒユサリアの依頼主なのだろう。
資料から目線を上げた私はヒユサリアと目が合った。
恐らく私が気付いた事に気付かれたのだろう、ヒユサリアの目は詮索の目ではなくなり嘲笑っていた。
つまり、私は既に檻の中だったのだ。
瞬間、頭の中で柵が降りる音が鳴り響いていた。
そして、あの時私をハメたのもヒユサリアだと確信した。
今から私は何をすべきか、それはもう人形館の謎解き以外には無いのだろうが、謎解きが済めば用無しだ。
用無しになった私は返して貰えるのかも判らない上に解いてはならない謎を解き明かしたらどうなるのか?
もしかするとビッグヴィクトルが行方不明になったのは……
私は何に狙われているのかを知る必要がある。
謎を解く為に。
覚悟を決めヒユサリアに言おうとした瞬間、イスラリオが口を挟んできた。
ヒユサリアにも予想外のそれは二人の関係を知る手立てになる話だが、私は既に解いていた事に当たりの印を押すに過ぎなかった。
しかし、それは私がヒユサリアに聞こうとしていた質問を容易にした。
イスラリオはテーブルの下で蹴られたかハッとした顔で自分のミスを気付かされた事を私にも知らせていた。
私が目を覚ますのが早かったのか、イスラリオが下手を打ちすぎるのか、ヒユサリアはイスラリオに用事があるのだろう? と帰りを促し、これ以上の詮索を私に許さない事を示唆していた。
イスラリオが不安な顔で席を立ち出て行くと、ヒユサリアは溜め息ひとつで腹の探り合いに疲れたとばかりに冷めた顔で私の顔を嘲笑い口にした。
「よお、おかえりコンパルダス」
そう、私は商社時代の顔つきに戻っていた。
籠の鳥になっていたイーグルはようやく籠から出たが、籠の外は別のイーグルの縄張りだった。
野生の勘が自分の負けを理解させるが野生の本能が背を見せるなと叫んでいる。
野で生きる術を忘れていたイーグルに、その術を猛然と駆使して来る野生で羽撃くイーグルの眼光は鋭く、とても今の私に敵う相手では無いと頭が言うのに心と身体が突っ返す。
妙に力を入れたがる身体に脳がブレーキをかけている。
再び覚悟を決めた私は口を開いたと質問も聞かずにヒユサリアは答えた。
言えないと、そしてそれがどういう意味か解るだろ? と、そおそれは口にも出来ない大きな何かがあると……
ヒユサリアが私に目を付けた理由が解った。
そこに気付かずに依頼を受けて、迂闊にも解いてはならない謎を解き明かしてしまっては困るのだという事だ。
つまり私が気付いた事を隠さずに伝えていればここまで時間はかからなかったのかもしれないが、ヒユサリアは気付いて欲しくて誘導していたのだと気付き拍子抜けしていた。
しかし危険な話なのは変わらない、私を信頼して来たヒユサリアだが、それでも尚、口にも出来ない何かがあるのだから。
それから十分もしない内にヒユサリアは店を出るが間際に、これで払っといてくれ。と、酒代の札と一緒に混ぜ、あの時選択で間引いていた写真を私に手渡した。
金を払ったイスラリオをも欺き私に託した信頼は何の為かは判らない、金の為かそれが更なる騙しの可能性もある事を忘れてはいない。
その写真を胸の裏ポケットにしまい家に着くまで見るのを止め、人目を避け家路を急いだ。
商社時代の取引後を彷彿とさせる裏路地のバルから出て来たとは思えない程の何食わぬ顔で。