〜人形館の殺人鬼レイモンド〜
夏のヴァカンスを前に浮かれる者と、ヴァカンスを前に必死になる者、またはヴァカンスに縁の無い者。
それは職種や階級によるものかもしれないが、ヴァカンスを前にして尚、冴えぬ顔で淡々と単純作業に従事し頭の良い人間がする仕事ではないと思われる事を頭を使い効率よく器用にこなすが、周囲の頭は良くないが利口な輩から便利屋扱いされる男がいた。
頭は良いが勉強は嫌いでお人好しな上に馬鹿がつく程の正直者。
優しいが故に周囲に利用され損をする事が多く、仕事も元々いた会社で利口な輩からのヤッカミで辞める事になって今に至るが本人は辞めた事には然程気にも止めていない様子で、むしろ周囲からの心配の方が気になっていた。
商社から配車、勝者から敗者だと皆に言われて数年経つ、タクシーの配車担当だ。
そもそも運転手をやろうと思った訳でもなく何故タクシー会社に入ろうと思ったのかといえば、無くなりそうも無い仕事だからと言う。
聞けば自転車にも乗れない豚や、初めから動こうともしない肥えた豚に、金はあるが動こうともしない豚。移動手段が無く仕方なく乗る客と動けなくなった客に急を要する客。
そんな豚と客が入り乱れるタクシーなら仕事は無くならないと断言し、面接官に驚かれるも思う所が有ったのか気に入られスグに採用となった。
しかし運転に関しては、安全と周囲へ配慮し過ぎて進みが遅く客からのクレームが重なり事務仕事へ、淡々と仕事をこなすが試しに配車を任せるとスンナリ進む。
スグに配車担当に配置換えとなった。
商業地の駅前タクシー会社は夏のヴァカンスに入れば仕事はスカスカになるが入る仕事は豚が消え、移動手段が無く仕方なく乗る客と動けなくなった客に急を要する客になる 。
本当にやりたい客の仕事だったのに仕事が少ないから他の配車担当で十分こなせるからとヴァカンスに出される事になり冴えぬ顔で淡々と仕事をこなしていた。
「806センタープライム1755へグース、253パレットシティー023の9へグース、624コールバック、638ステーションバック、852シルバーセンターへダック」
豚はグース、客はダックと、それらを運転手に伝える事で客を乗せる気構えを作り出し、気持ちに余裕が出来ると対応を柔軟にしやすくクレームも減り、運転手からも嫌な客を乗せている時に会社からも気持ちを共有されていると感じられると好評だったが、何よりも配車センターからのコールより運転手が拾った客がどういう客かを共有する上で危険を意味するウルフが入った事で安心感をもたらした。
危険なウルフを乗せると長距離の時でも他社のエリアにも防犯対策の連携をする事で常にバックアップ体制をとり、いつでも仲間が駆け付けられるように進行方向をカバーするシステムにより防犯の向上に寄与し男の株が上がった頃の話だ。
今や不況の中、その後のIT化により技術提供の戦略的互恵関係と云う名ばかりの社会実験の被験体提供である利権の金に経営者が飛び付き、車内カメラの映像を常時配信される様になり安全と引き換えに運転手からは監視と揶揄され休憩の有無から何から全て見られている事に疲弊の声が増えている。
あの男の声が懐かしいと古株の運転手達は声を揃える。
お人好しの馬鹿正直が故に口は悪いが頭は良く効率よくこなし周囲が良く見えているのに損をする。
ただの天才コンパルダス。
仕事帰りに一杯などの誘いも多かったがヴァカンス前は皆貯めこみが多く、その日もまっすぐ帰宅するはずだった。
「よお、コンパルダスじゃないか」
ふいに横から話かけてきたのは商社時代やけに人懐こく話しかけて来ては邪魔して消えるが恩義はあるのかスグにフォローしてくれたりと良くも悪くも面倒を持ってくるヒユサリアだった。
私の中では商社マンはイーグルだ。
既に退社し他社に居る人間に話し掛けて来たのだから狙われていると思っていい。
まして面倒を持ってくるヒユサリアだ何かあるのは確実だった。
警戒心を持ちつつ返事をすると、やはり面倒そうな話をし始めた。
知り合いが有名な雑誌社でライターをしていたが、とある湖上コテージの取材に行った後から連絡不通になり雑誌社が警察に言えず知り合いを辿ってヒユサリアの元にも尋ねて来たらしい。
その知り合いというのが以前、商社を辞めるキッカケとなった輸入会社パンフロワの営業部長ビッグヴィクトルだと言うのだ。
ビッグヴィクトルとは良く飲みに行った仲だが、パンフロワの仄暗い部分に呑み込まれる様に彼自体にも影が見える様になっていき私が辞める頃には飲みに行く事も無くなっていた。
今思えば彼は仄暗い部分の中核を担っていたのかもしれないが、ライターに転職していたとは驚きだった。
その驚いた顔をヒユサリアは見逃さず、ライターになった経緯を長々と説明しだし良いからいいからと私を裏路地のバルの中へと連れ込んだ。
聞けばパンフロワが輸入していた中に最新の武器が混ざっていて当局の取り締まりによって発覚したが、販元も売り手も買い手も架空会社でパンフロワもまた会社はあれどその内実はさながらの武器商人だったという。
私は当時そのパンフロワとの契約をするように命ぜられたが結果、あまりにも大きな契約口だったパンフロワに他の利口な輩がヤッカミ他の小口契約に罠を仕掛けられ辞める事になった訳だが、辞めた後の事は敢えて気にしなかったので今知る事となったが、ヒユサリアによればパンフロワと契約し私に罠を仕掛けたヤッカミ輩のその後の話は、辞めさせられて助かったと心底思わされる内容だった。
今に思えばヒユサリアはその安堵の顔も見逃さなかったのだろう。
立ち呑みの酒も五杯目になり丁度いい頃合いだった。
いつの間にか話はビッグヴィクトルが連絡不通になった湖上コテージに変わっていた。
そこはある種の猟奇殺人の舞台となった建物で人形屋敷とも云われるコテージらしく、調べに行った者は皆行方知れずになると云うのだ。
つまりその雑誌社はライターにそのコテージの云われを取材させたら本当に行方不明になったものだから責任問題でビッグヴィクトルの親族に訴えられる前に何とか解決したく、誰かれ構わず探しているという訳だが未だ解決の糸口も見えぬままとゆう事か。
そもそも猟奇殺人の舞台ならばこその云われとは何か? と尋ねてしまって後悔した。
世間の噂等知りもしない籠の鳥タクシーの配車担当は箱入り娘のようにヒユサリアの術中にまんまとハメられたのだ。
レイモンド・デッカーという湖上コテージの主には娘が居たが、奥さんが湖上コテージ用の船上で何者かに殺されてから人が変わった様に毎日奥さんの集めた人形コレクションの前で見えない誰かと話す様になり、娘も親族に引き取られ独りコテージに残っていた。
それから六年後、奥さんが亡くなった八月十四日に男が湖上に浮かんでいるのを隣町のレイクサイドホテルで発見された。
その男の死体には目が無く代わりにガラス玉が埋め込まれていた。
その翌年、今度は奥さんの誕生日にまた男の死体が浮かんでいるのを発見。
またも目がガラス玉にそして腸が無く大量の綿が埋め込まれていた。
更に翌年、今度は大量の目玉が湖を管轄する警察署に送りつけられた。
その後に町人が数人居なくなっている事が判明したが誰一人として死体にも現れていない。
そして、その翌年からは死体も事件も起きなくなったがレイモンドのコテージに客が入ると決まって夜中に湖面が波立ち青白い光と共におどろおどろしい声が聞こえるという。
それ以来、湖の周りの町ではレイモンドが奥さんを殺した犯人を殺して供物にし、奥さんのコレクション人形に呪術をかけて生き返らせようとしている。
と、噂が広がり気付けば【人形館の殺人鬼レイモンド】の名前が都市部にまで広まっていた。しかし警察の調べでも犯人を示すガラス玉等の証拠に痕跡が無く、レイモンド犯人説を説く町人からの圧力にレイモンドのコテージを捜索したが証拠は出なかった。
それでも尚レイモンド犯人説によって町では買い物や仕入れに滞りが絶えずコテージの運営は窮地に陥るかと思われたが【人形館の殺人鬼レイモンド】の噂が逆に人を呼び寄せ怖い物見たさに宿泊者は多かったという。
それを面白くないと見た町人も多いが、観光で成り立っていた町にとっては受け入れざるを得なかった。
その為か、更に儲けを増やそうと話を大きくし現実には無い事件や目撃証言を作り出し自分の店や仕事に繋げて行った結果、あまりの程度の低い話に飽きられ客が離れていった。
そこで新たな事件が起きた、レイモンドのコテージに泊まった客が、あの時と同じで変死体で湖上に浮かんでいるのを発見されたのだ。
目玉はガラス玉に、腸は綿に。
町人は遂にレイモンドが犯人だという証拠を見つけた客が口封じに殺されたんだ。
と、口々に語り警察署には早くレイモンドを逮捕しろとひっきりなしに抗議の声が鳴り止まずにいた為に捜査したもののやはり証拠は無く、そうしてまた噂が都市部にまで届き、怖い物見たさの人を呼び寄せ宿泊客が戻ったが今はその噂も薄れて落ち着いてきたのだという。
そこで、雑誌社はそろそろまた殺人が起きるのではないかとビッグヴィクトルをライターとして取材に向かわせた結果、行方不明となっていた。
殺されていたのなら記事にも出来ようが、行方不明となるとそうはいかない。
町人も今は噂が無くとも湖畔リゾートとしての観光客が戻り、むしろ【人形館の殺人鬼レイモンド】の話は封印しており、面白半分に聞く客には当時と同じで偽の証言を聞かせて自分の店に客を連れて来るだけの程度の低い話で儲けにしている。
となれば、そんな行方不明の話は迷惑なだけで協力等してもらえる筈も無かった。
そうしてヒユサリアの元にも雑誌社が聞きに来た。
と、話が今に追いついた。
足も固まり丁度良い頃合いと見て店を出ようとすると、まだ話には続きがあるんだと十三杯目の酒を私に奢りつけ引き留められた。
だが数字が悪い、それを理由に八杯目から十四杯目までを奢るなら残ってやると言ったらスンナリ受け入れた。
余程の何かがあると踏み警戒をしたが、途中に何か強い酒が混じっていた様で迂闊にも話を聞き入ってしまっていた。
既に十四杯目、足元がふらつくのを見透かされまいと一本脚の虚弱なテーブルに手を付き耐えていた処でヒユサリアに手を振る割腹の良い老練な男がやって来た。
手にはウィスキーボトル、これみよがしな手土産としテーブルに置いたと同時に挨拶とは思えぬ程の講釈の如くに自慢話が始まった。
イスラリオはスペイン語訛りで巻が強く語尾が聞き取り辛いが大袈裟さは無くお腹の様に広い話で途中からは何の事かを理解するのも大変だった。
しかし、その自慢話もビッグヴィクトルの名前に触れるとすぐに終わった。
それ程迄の事なのだろう、一人のライターが行方不明になった処で雑誌社にとってはさして痛くも無い話の様に思えていたが、それはサスペンス映画の見過ぎだったのだろうか、十五分もせずに割腹の良過ぎるが故か足を悪くしている様で座席へと誘導して来た。
それは足元のふらつき出した私にとっても願ったり叶ったりの事だったが、話の終わりが遠くなる事をも示唆していた。
ビッグヴィクトルが居なくなって心配なんだと私に訴えかけるのはビッグヴィクトルの親族に訴えられた時に自分の立場を良く見せる為の証人にでもするつもりか?
と、警戒はしていたがイスラリオは私の警戒等クソほどの役にも立たない絵空事と思えてしまう話を切り出して来た。
「ありがとう、君が天才コンパルダスなんだろう? まさか湖上コテージの謎を解いてビッグヴィクトルの捜索もしてくれるなんて願ったり叶ったりだよ」
耳を疑うなんてもんじゃない、何だその話は? と、眉間にシワが寄る私の不満を制する様にヒユサリアがニヤニヤ笑い口を開いた。
やはり、イーグルに狙われていたのだと気付いた時点で既に鷲掴みされていた。
ならば、逃げられるとすれば……
ヒナが居る事を願うばかりだ。