幕間 星迷宮と祈 15
聞いた途端、殿の表情が止まった。目を微かに見開いて驚いていた。聞いた定孝の表情は怯えていて、実は聞いてはいけないことなのだろうかと如実にあらわしている。
(これが無意識なら、大したやつに化けるかもしれない)
殿は一つ息を吐いて定孝にしっかりと向き合う。
「藤野見はとても忠実な男だった。このまま我に仕えてくれればと何度も思った。だが、藤野見の心の主は我ではなかった。それだけのことだ」
そうして明日は休日とすると言って去っていった。
質問をして、“はい”か“いいえ”で答えてもらえてないと思った。殿は答えたのかもしれないが、正直よくわからない。かと言ってもっと奥深くまで聞けることではないので、結局ここまでだった。
藤野見の主は殿ではなかった。藤野見は殿のことを“閣下”と呼んでいたから、きっとそれ以外の人が主なのだろう。
色んなことがありすぎた、濃い一日だった。正直なところ、このまま休んでも休めない。薬室での出来事は何日も悪夢となってうなされそうだ。今まで日課となっていた薬室の仕事も、魔法の復習も、何も手につけられない。とにかく体を休ませたいと思い、定孝は自室に帰った。
一方で兄の秀孝は、薬室内を荒らしていた。自分に飲ませたであろう薬の作り方は全て斬り刻んだ。一枚一枚書類を確認して、赤と緑の液体を処分していった。ピュイっと指笛を鳴らせば、自分の部下である青いマントをつけた男が数人出入りし、死体や必要書類を運んでいった。血は洗わずにそのままだ。そのうち床が血を吸い取って鈴蘭の新たな力になるだろう。この実験が決まった直後、秘密裏に殿から任務が下った。
『実験が終わったら速やかに藤野見とその手下を処分せよ』
正直信じられなかった。確認するすべがないまま当日を迎え、薬を飲んだ。薄れていく意識の中で、はっきりと殿の声がした。
『逃げずに弟のそばで、今以上に任務に励むといい。お前にできるのはそれだけだ』
それをやれと言われているようだった。それに藤野見は本当に嫌いだったから、自分の手で処分できたことが嬉しかった。いつもの任務と変わりない。役に立たない兵士を処分する。藤野見は自分に変わって定孝の家族になろうとしていた部分があった。それが許せなかった。誰にも変われない、そここそ自分の最後の居場所。定孝を守るためなら、エレナを探し出して処分することもやらなければならない。
本当なら全て燃やしたい薬室の後片付けを済ませて、秀孝も生首を三つ持って城のてっぺんに向かった。
いわゆる天守閣と呼ばれるようなそこには祭壇がある。鈴蘭のものが口を揃えて一等大事だと言うだろうそれは、一見なんでもないただの木でできた台だ。部屋の真ん中に置かれているそれの上に人や物を置けばたちまち飲み込まれてしまう。比喩ではなく、台の真ん中がパカリと開いて落ちてしまう。もちろん天守閣の下には部屋があり、兵士が四・五十人詰め込むことのできる広さだ。真下に落ちるわけではなく、けれど骨ごと跡形もなく消えてしまう。
自分も巻き添えになることを恐れて、祭壇に贄を置くときは一定の距離から投げ捨てるようにして置く。それが常だ。
「今回の贄だよ」
一人でつぶやくように、秀孝は首を置いた。祭壇は秀孝の手を飲み込むことなく、器用に首だけを取り込んでいく。その中は真っ暗で何も確認できない。
「ボクが入ることになったら、一思いに噛み砕いてね」
飲み込んだ祭壇は、もちろん何も発さない。ただの台になっている。それでもなぜか話しかけてしまう。話しかけていれば、そのうち誰かが答えてくれるのではないかと、そんな気になってしまう。
「次に連れてくるのはきっと、ボクたちの恩人なんだ。できるだけ苦しませないでほしい」
無理難題と思いつつ、言わずにはいられなかった。茨姉妹がいなければ定孝のことで手を打つなどできなかっただろうし、定孝が魔法の基礎を覚えたのはマーラのおかげだと聞いている。自分も、他人の心を覗ける瞳を手に入れられた。死んでしまったこと、殺さなくてはならないことは残念だが、感謝はしている。鈴蘭じゃない場所で出会えたらと、何度も考えた。それでも現在を変えることはできないから、自分にできる精一杯をこなす。
「さて、行ってきます」
このあと鈴蘭をくまなく探してエレナを見つけ次第、その命を絶たなければならない。藤野見のときとは心持ちが全然違う。ポツリと呟いて、祭壇をあとにした。
エレナを見つけるのは、正直至難の業だと思っていた。小柄な女の子だし、魔力は強く隠密行動の任務をこなしていたと聞く。なるべく早く見つけ出すようにとは言われているが、期間を設けられていないのは、エレナの能力の高さゆえだろう。殺さずに解決できるなら良かったのにと悔やんだ。しかしエレナはマーラが死んだあとすべての任務を放棄して隠れてしまった。
あの時分からなかった気持ちが今ならわかる。大切な弟に役立たずと言って自ら一線を引いた。何もかもを放り出して、貧しくも幸せに暮らしていたあの家に戻りたい。出来るなら弟の手を引いて帰りたい。けれどそれはできない。だからできることをする。弟を守るために、自分で決めた最低な道を行く。
ありがとうございます!