幕間 星迷宮と祈 12
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三年間、兄の秀孝はひたすら剣術を鍛えていた。時には魔法の修行場に出入りして、対魔法の訓練をした。出入りするときは必ず定孝を探すが、見つけて話すことはできなかった。
『目』の訓練も忘れなかった。一対一ならたやすく話せたが、三人になり五人になり、多くなればなるほど視覚と聴覚に異常をきたした。精神的な問題もあるだろう。茨姉妹がいなくなって、もとより誰にも相談ができない。エレナがどのように処理していたかもわからないまま、慣れるしかなかった。
一方で、幹部としてマントを貰った定孝は藤野見や城主の後ろについて回り仕事を覚えた。一年の三分の一を魔法使いとして過ごしていたものの、残りは付き人のような仕事ばかりしていた。そのおかげで薬室にも体術の訓練場にも顔が利くようになっていた。
「藤野見様、二日後の実験、例の者に言付けしてまいりました」
「ご苦労。定孝、二日後に例の実験を開始します。貴方も見学しなさい」
「かしこまりました」
「あぁ、やっと……やっとですねぇ。これで中途半端な者を一掃できます。三年は長かったですが、このあと忙しくなりますよ。早く城主様にもお伝えしたいですねぇ」
鼻歌でも歌い出すのではないかと思うほど、藤野見は上機嫌だった。けれど定孝の心は晴れない。腹の奥底にずぅんと重石を乗せられたような、そんな気分だった。けれどなぜそんな気分になっているのか理解はできない。
藤野見の言うとおり、幹部たちはこの三年間、定孝を含めた子供たちの教育に力を尽くしてきた。体術を学びつつ魔法を使える者が増えた。両手剣を使い圧倒的強者とも数えられるようになった。そして芸術に秀でており、尚且つ剣や小刀を使う暗殺に特化した子供も四人確保した。この四人は近いうちに淡桜に送り出されることになっている。これは定孝の幹部としての初仕事だ。考え発言してから三年も経ってしまったが、城主も藤野見も無理とは言わなかった。
城主や藤野見の仕事にくっついていたため、二人の仕事をほぼ把握している。改めてすごい人たちなのだと思ったが、定孝の中に小さな疑問が生まれていた。
「藤野見様……お聞きしたいことがあるのですが……」
「何でしょうか。いま気分が良かったのですが、あまり話は聞きたくないですねぇ。実験のあとに聞きますよ。……そのときなら、あなたの頑張りに免じて何でも答えてあげましょう」
さっきまで機嫌が良かったはずなのに、機嫌が急降下している。伝言してきた薬室の下っ端はいつの間にいない。この後仕事の話をするか、歴代鈴蘭城主の話をするかで機嫌がころりと変わる。さて、今日はどちらか。
「藤野見様、僕が持っている芸者四人を送り出す任務なのですが……」
「なにか不安要素でもありますか?」
「誰一人として薬を飲んでいないので、成功できるのか心配です」
「まぁ貴方の初任務でもありますしね、こちらの話を理解しているし誰も反抗していない。期待していると声を掛けてから送り出しましょうか。今度の実験のあと一月は様子を見たいので、その後にしましょう。閣下には私も一言添えておきます」
「よろしくお願い致します」
……まただ。定孝は藤野見の言葉遣いで一つだけ気になっていることがある。藤野見は鈴蘭城主のことを話すとき、“城主様”というときと“閣下”というときで使い分けをしていると思われる。定孝はその違いがわからない。わからないのに、それがとても不安なのだ。藤野見の機嫌は治ったが、今度は自分がもやもやしてしまった。
「定孝はこのあとどうするのですか? また薬室の休憩室に泊まりますか? それとも新しい自室?」
「あ……今日は、大丈夫です」
「……なにか用事でも?」
「いいえ、魔法の修業をします」
「……そうか……怪我をしないように、気をつけなさい。私は城へ戻ります」
一礼して、城へ戻る藤野見を見送る。
「はぁ……」
自分一人になった薬室の執務室で、定孝は深くため息を吐く。吐いてすぐに考えた。なぜため息を吐いたのだろうか。
鈴蘭の発展は城主も藤野見も、他の幹部たちも願ってやまないことだ。その願いが叶えば自分も嬉しいはずなのに、三年間で潰したはずの不安感がまたせり上がってくる。こんな状態で魔法を使っても的に当たらずにイライラするだけ。ちょっと散歩するかと地上に出て、すぐに後悔した。
「にゃー!」
まただ。最近どこからともなく現れるノラネコに懐かれている。自分の周りをウロウロしてにゃーにゃー叫んで、気が済んだらいなくなる。藤野見や城主はもちろん、下っ端など話し相手がいるときは絶対に現れない。なのに定孝が一人でいるとどこからか現れる。
何を言いたいのか、伝えたいのか全くわからないのに、殺す気になれない。ノラネコ一匹消せないのかと藤野見に怒られそうなのに、捕まえようという気にならないから不思議だ。一定の距離を保ち、ネコはじっと定孝を見つめている。
「明後日、実験が行われる。兄に薬を飲ませるんだって……。なんでだろうな、すごく不安なんだ……。城主様や藤野見様と一緒にいるときはあの人が嫌で仕方ないのに、一人でいると昔の優しかった兄さんが浮かぶ。僕、どうしたんだろう……」
誰にも話せなかった心を、ノラネコに吐露する。ネコは何もしない。鳴きもしない。ただ定孝を見つめている。このネコが言葉を話せたら、何を言われるんだろう。と思ったところで、そういえば前に誰かと話をするよう言われた気がする。ネコを見ているだけなのになぜかそんな気持ちが湧き上がった。
誰になんて言われたんだっけ? 考えても詮無きこと。定孝は軽く手を上げてネコを追い払い、魔法使いの修行場で休むことにした。
ありがとうございます!




