幕間 星迷宮と祈 2
それが自分に向けて放った言葉ではないと気づいたのは、外から声がしてからだった。
「ダメですよ、新人殿。弟君にはもっと優しくしなければ、愛想を尽かされてしまいますよ?」
逆光の中入ってきたので顔が見えず、声だけで性別を判別するのは定孝には難しかった。けれど兄にはそれが誰か分かったようだった。
「茨姉妹……なんでここに!?」
「そろそろ目を覚まされた頃かと思いましたので。悪い話を聞いたので誤解されてはいけないと思って参りました」
「……妹も一緒にか?」
「はい。この子と定孝殿は同じ年頃かと思いましたから。話し相手となればと連れてきました」
「……」
話が出てから、黒いマントを付けた長身の者の後ろに自分と同じような子供がいると気づいた。それに気を取られていたのは自分だけだと知った。
「弟の名を呼ぶな!!」
「あれだけ大きな声で呼んでいたのです。知ってしまうのは仕方のないことだと思いますよ? ここがあなたにとって安らぎの場だというのは、良い弱点だと思われます。そして弟君の存在も……!」
長身の者が定孝を見た。明確な殺気を放たれたのはこれが初めてだ。とっさに兄が頭を抱き寄せて視線を遮ってくれたものの、定孝は腰が抜けたようで動けなくなってしまった。
紛れもなく長身の美人が不快そうに自分を睨みつけていたその視線が、目を閉じても消えることなく強く残っている。今晩もその次も、ずっとずっと悪夢として出てきそうな怖さだ。
「……やめろ。契約内容を知らないのか?」
「存じておりますが、この国では契約すらも反故されることはよくあることです。過信せぬようお気をつけください」
ぴんと張り詰めた気配が消えた。先程のあれは今ここで自分たちを害するものではなく脅しであったことが会話だった。
自分の頭の上で不穏な会話が交わされている。ということしか理解できず、この先どうすればいいか分からなくて定孝は兄の肩越しに、美人のとなりに立つ小さな娘に視線を向けた。
「……」
「……?」
娘は自分の方を見ているが、その目に自分が映っているのかよく分からない。視線が合うことはなく、その目に光が映っているのかも分からなかった。
「どのみち貴方に薬を飲ませたのは幹部です。そのときに弟君ともお話をされているそうです。もう此処に来るでしょう」
「話? 定孝、お前幹部と話したのか?」
「!! あ……あの…………う、うん……」
ビクリと身体は震えたが、頭は兄に抱き抱えられている。強い口調ではなかったが怒っているのは明白で、定孝は泣きたくなりながらもなんとか答えた。答えなくてはいけないと思った。
「傷がひどくて、心配で付いてきたって言ってた。持ってきたこの薬を、順番に飲ませてくれって言われて……」
「……定孝?」
そのあとがとても言いづらかった。きっと叱られると思った。言いたくない、きっと許してもらえない。どうしようかと迷っていたとき、娘が口を開いた。
「怖くても伝えた方がいい。その人はあなたのお兄さんなんでしょ?」
「!!」
驚いた定孝が娘を見たが、娘はもう定孝に興味がないようで、家の中を見渡していた。そして部屋の中から外を見始めた。
女性と兄は娘を見てから定孝を見た。とてもいいづらいことだけど、もう言うしかない。背中を押してくれた彼女に感謝するようにしてきちんと兄と目を合わせる。
「……兄さんの役に立ちたいから、僕にも仕事はありませんかって、言った……」
「なっ……!!」
「……なんということを……」
「ごめんなさい!! でも僕……」
最後まで言うことなく、定孝は兄に抱きしめられた。カタカタと震えている。小さく、怒ってごめん、という声が届いた。震えているのが怒っているからなのかどうかはわからないけれど、定孝も負けないように強い力で兄を抱き返した。
「嘘は言ってないよ!! 兄さんの役に立ちたいのは本当で、僕だって力になりたいんだっ!!」
「うん。……うん、分かってる」
「……来たら教えて」
「……わかった」
幼い兄弟が抱き合ってる横で、茨姉妹は役割を決めた。妹は外に一歩出て、姉は兄弟にすぐ触れられる距離に詰めた。近づいてすぐに兄は顔を上げたので定孝もつられて姉を見上げた。やはりとても綺麗な女性であるが、なにか違和感がある。なんだろうと思いじっと見つめてしまったが、姉は困った顔をしているだけだった。そして表情を険しくして告げた。
「感動のさなか水を差す様で申し訳ありません。けれど時間がありません。おそらく今すぐにも幹部は来るでしょう。しかし家で待つより貴方がたが城へ向かうほうが印象は良くなると思います。すぐに支度を。おそらく二度と此処へ戻っては来られないでしょう」
姉は早口で告げて兄を動かす。兄と姉は二人で通じているところがあるようだ。頷いて荷物をまとめ始める兄。呆然とそれを見ているしかない定孝に、茨姉は更に告げた。
「定孝殿、先程は大変失礼を致しました。お詫びいたします。そして鈴蘭城に入るにあたって一つ注意させていただきます。お兄さんのお名前は決して口にしないようお気をつけください。名前を知られると大変なことになります。この国から逃げることができません。せめてもの対抗として、お互いの名は告げないほうがいいでしょう」
「マーラ、来るよ」
定孝の目を見てしっかりと告げる。戸口にいた妹が来ると話すと、マーラと呼ばれた姉はマントのフードをかぶり兄に一礼をする。
「我々は先に行きます。何があってもお互いを裏切らぬように祈っていますね」
妹の手を取り、姉は早々出ていった。




