五章 三日月の絆 10
“兵士”として生まれ育ったものには、酷なことかもしれなかった。雪は兵士になるべく育てられたが、雪を育てた人は逃げ道も一緒に教えてくれていた。だからいま、雪は“騎士”として生きていられる。
国によって内情はまったく違う。簡単に人としての心を捨てるなとは言えない。鈴蘭で人の心を捨てなければ、そのまま殺されてしまう。生きるためには、人を捨てなければならなかった。
けれど今は違う。鈴蘭はもう国として機能していない。生き残ったほとんどの国民は故郷を捨てて逃げている。心を殺された者たちは、そのまま命も奪われていった。いったい今何人、鈴蘭の者が生き残っているだろうか。
定孝が顔を上げ雪と視線を合わせたとき、その表情を読み取って康矢も惟月もおそらく雪も引き戻せるだろうと思った。定孝の心に残っているだろうあの人が、それを手助けしてくれるだろうと思ってしまった。しかしそれは鈴蘭の者によって断ち切られてしまう。
「定孝。そなたはそこで終わるのか? 我と我が一族に立てた誓いは偽りか?」
「──っ!!」
城主も戦っているはずだ。言葉が聞こえていたわけではあるまい。けれど城主は的確に最低で最高のタイミングで声を届ける。
その結果定孝に伸びていただろう糸は千切れる。
「うああぁぁぁっ!!!」
「待てっ!」
落ちていた剣を拾い、勢いをつけて定孝は雪をめがけて斬りかかる。その剣は惟月によって阻まれたけれど、惟月が息を呑むほど定孝は気迫で雪を追う。
狙い定められた雪はすかさず渡してもらった槍を構える。一般的なものより小振りで、自分の身長と同じくらいに作り直された雪だけの槍。
「槍? いまのおまえは槍を使うのか? 剣ならば天才と言われていたのに?」
「……あの頃の自分は、捨てましたので」
定孝は雪をめがけて剣を振り下ろす。顔も腕も、切り刻んでしまいたいと思っているだろう。だけどその筋はぶれている。型もなく、手も足もバラバラだ。子供の遊びという方が正しそうだ。それでも雪への視線は外さず、ただひたすらに打ち込んでいる。
雪は柄で攻撃を受け、往なしていく。反撃はしていなかった。稽古をつけるかのようにして、定孝の剣を受け続けていた。康矢と惟月はそれなりの距離を取っているがその場から離れることも、手を出すこともしなかった。成り行きを見守っている。
雪はふいに距離を取る。そして康矢を見やり、応えるように康矢が唱えた。
「万象・遵守・決別の空。声無者の叫び声。それすなわち風光の鏡 【繊月】」
ホワッと、術者である康矢と近くに立つ雪と惟月の体力が八割方回復する。相手の体力が回復したのを見た定孝は、ただひたすらに口を引き結んでいた。自分も魔法で回復すればいいのに、しなかった。三人を黙って見ていた。
「定孝殿は、回復しないのですか?」
おそらく魔力が足りなくて出来ないのだろうが、それでも揺さぶるために聞く。
定孝は雪をにらみつけるが、その瞳に光はない。剣を持ち、歩くのもやっとなのかフラつきながら雪に斬りかかる。そして暗闇にいるかのように、ぽそっとつぶやいた。
「お前に、いう言葉は……もうない」
そうしてそのまま倒れるように重心を傾け、康矢に向かって剣を振りかざした。咄嗟にも驚きつつ、康矢は短剣で受け止めたがかばうように雪と惟月が割り込もうとする。その一瞬、定孝は口を開いた。
「おれは、魔法使いじゃない……」
おそらく聞き取れたのは康矢だけだったかもしれない。もしかしたら雪と惟月に届いたかもしれない。そのくらいの声量だった。
康矢が確認をしたくて手を伸ばしたところで、定孝はそれをされると分かっていたかのように手を払い除けた。
「近づくな」
そう言って二、三歩後ろに下がると、鈴蘭の城主へ視線を飛ばす。城主が見ていなくとも構わない。ただそれが約束事であるかのようにして、持っていた剣を自ら胸に刺した。
「「なっ!?」」
定孝は満身創痍で立ち続けているが、もうフラフラだ。それでも、身体は鈴蘭の城へ真っ直ぐに向かっている。胸を貫く剣はそのままに、二本の足をしっかりと地につけている。
「……この身を……。この、命を……!」
周りに聞こえるように徐々に声を張り上げる。鈴蘭の城主には聞こえているだろうか? 聞こえていてもいなくても、定孝のやることは変わらない。
今ここで"宣言をして返すこと"が最後の命令なのである。




